本当の敵(1)
その一方的な通告は、ハルキとリョウジの耳にも届いていた。
≪誠意の証として、裏切り者———西園寺了嗣の情報を知りうる範囲で開示する———≫
その直後、圧縮された数々のデータファイルが通信回線を通って送り込まれてくる。おそらくは、裏切り者の———リョウジの居場所や目的を記したものだろう。
「……どういうことだよ、これは」
尋ねるが、裏切り者は理由を答えない。
「聞いた通りだが。私は常緑にとって邪魔ということだ」
リョウジが突き放すと、ホロの向こうでアランとおぼしき男が小さく笑うのが聞こえた。
『はははっ。リョウジ、ティーンエイジャーに手厳しいな。いや、付き合ってあげるだけ優しいのかな?
はじめまして、齋藤悠貴くん。ボクは、アラン。常緑の幹部のひとりだ』
そうしてアランはカラカラと笑う。明朗で落ち着いた声音なのに、底が見えない暗穴をのぞきこんでいるような気分に落とされる。安心と不安が同居した不気味があった。
「幹部……? この事態を仕組んだ張本人ってことか」
ハルキがアランのことを計りかねていると、ことのほか素直に答えが返ってくる。
『そう思ってもらって構わない。キミのことは少しばかり知っているよ。
たまたま事件に巻き込まれて負傷した学生がこんなところまでやってくるなんて、若気の至りここに極まれりだ。まったく、歳は取りたくないね』
言葉とは裏腹に、アランの声は若々しく溌剌としている。ボイスチェンジャーで声だけ若く見せているのか、それとも何らかの延命措置を取っている高齢者なのか、はっきりとはしない。
「それで、テロ組織の幹部様がいったい何の用だって?」
アランのホロをにらみ付けると、ホロの画面自体がブルブルと震えた。
『おお怖い。なに、気まぐれと暇つぶしに、状況を解説してあげようってだけさ。ま、こんなところまでたどりついたイレギュラーへのちょっとした歓迎だ』
そうして、アランがリョウジの代わりに勝手に説明を始める。
『常緑に世界をひっくり返す気なんて、さらさらないんだ。組織が巨大になりすぎて、利権のために協力している連中だらけだから。結成当初はこうじゃなかったんだけどねぇ。
今ではもう、誰も本気で愛玩人形———撰修人種を根絶しようなんて考えてないんだ。残念なことに』
そんな風に、まったく残念でもなさそうな声で言う。
『無害なナノマシンを拡散させて撰修人種への反対運動を加速させよう———ここまでは常緑の総意によるシナリオだよ。対立を煽ることで成り立つビジネスは多いからね。
そのあと無害なナノマシンを世界を改変するナノマシンとすり替えたのは、ボクとリョウジと、ほんの一握りのメンバーの独断さ』
「———独断?」
『そう、独断。彼らは裏切りと言っていたね。世界中でナノマシンプラントを襲っていた同志たちは———いや、元同志たちは、散布されるのは害のないナノマシンだと思い込んで協力していただけ。
稀代の巨大テロ組織が、まるごと騙されていたわけさ。実に滑稽だろう?』
音声のみのホロの向こう側で小馬鹿にしている様子が見えるようだ。いちいち癇に障る。
『一方的にしゃべって悪かったね。
フィナーレまでもう少しだ。せいぜいがんばって———ふたりとも』
ぷつり、とアランのホロが消失した。
まくし立てるように言いたいことだけ言い放って、あとには居心地の悪い余韻だけが残る。
リョウジはやれやれとかぶりを振ってハルキに向き直る。
「……さて、こうなるとここが核攻撃を受けるのも時間の問題だ。大きな戦闘になっている拠点はそう多くない。対空火器を黙らせたら真っ先にここを焼き払うだろう。
警告しておくが、逃げ出すなら今のうちだ」
そう言うわりには、リョウジはやけに落ち着いている。
「……なあ、ここが爆撃されるなら、ナノマシン散布もできなくなるんだろ。もう戦う理由なんてないじゃないか」
当然の発想だ。トマスは、地下空間ごと施設を消し飛ばす地中貫通核爆弾が投下されるだろうと言っていた。そうなればナノマシン散布どころではない。
ところが、リョウジは眉をひそめながら一笑に付した。
「知恵が回らないな。これほど目立つ工場の地下に、馬鹿正直にナノマシン製造プラントをつくるはずがないだろう。それでは良い的だ。
プラントはここから離れた地下に埋設されている。ここはプラントとパイプラインでつながった制御用の拠点であり、同時にダミーだ。プラントはすでに自動制御に移行しているし、この工場が地上から消滅したところで今さらナノマシン散布には何の支障もない。
———それに、すでに散布は始まっている」
「なんだって?!」
最悪だ。すべての想定が崩れた。
通りでリョウジは爆撃を恐れていないわけだ。すでに王手が済んでいる。今さら東軍が介入して爆撃したところで、この事態は解決しない。
こうなると、前提が変わってしまう。もともとは、リゼを救出さえできれば、あとは東軍任せにしてもいいと考えて工場に潜入したのだ。ナノマシン散布の妨害は「ついでに可能ならそうする」というものだった。ハルキが同道したのは、アーニャの提案とハルキの希望が一致して、ホノカがそれを後押ししたからに過ぎない。
しかし、東軍の爆撃があてにならないとすると、もしリゼを連れてここを脱出できても、ナノマシンは大気中に蔓延り、リョウジたちの目的は達成されることになる。
すなわち、撰修人種の研究成果によって原形を留めないほどに歪められた人間社会ができあがる。リゼたちの居場所は、人間社会のどこにも残らない。
ゆえに、リゼを日の当たる場所に連れ帰る方法はひとつだけ。
(西園寺のおっさんを止めるしかない———!)
リョウジたちの野望を食い止めて、その上でリゼを救出して連れ帰る。
彼女にこれ以上の責め苦を負わせないためには、それしか道がない。
「……状況を理解できたようだな。覚悟のほどが斥力場から伝わってくる。
しかし、こちらも悠長にしているわけにはいかなくなった。さっさと『片付け』て脱出しなければ、爆撃に巻き込まれかねない」
言いながら、リョウジはリゼが閉じ込められているガラスケージをチラリと見た。
ナノマシン散布が開始されて順調に推移しているということは、ナノマシンのエキスパートであるリゼの役割はすでに終わっているということで、『片付け』とはつまり———
リゼが殺される。
そう思ったときには、体は勝手に動いていた。
「———そんなこと、させるかぁぁぁぁぁァァァァァァッ!」
ごく自然に踏み出した一歩は、斥力場を足場にしてその身を中空に躍らせていた。
腹にしっかりと力が入る。負傷していたはずの背中に痛みはない。斥力場自由制御機構を使ってから続いていたはずのひどい頭痛も、いつの間にかどこかに消え去っている。
ハルキのズタボロになっていたはずの肉体は、いつの間にか完全に回復していた。
「うおおおおおおおぉぉぉぉぉぉぉぉぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」
無我夢中で放った右の拳。
振り抜いた右腕が、リョウジの斥力場の表層に、触れる。
パァァァァァァァァァンッ!
甲高い、ガラスをたたき割るような破裂音が響き渡った。
「———ッ!」
それまで棒立ちを貫いていたリョウジが、咄嗟に左手を前にかざした。
「ああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」
叫んだ。体の奥底にあるはずの力を振り絞るためだけに。
ミルフィーユのように何層にも重なったリョウジの斥力場が、ハルキの行く手を阻む。
それでも、ハルキは自分の体を前に、前に、前に前に前に———押し進める。
どうやれば斥力場を正しくコントロールできるのかなんて、わからない。
なにしろ、初めて使っている。
理屈なんて知らない。
ミサキの言葉が脳裏をよぎる。
斥力場自由制御機構の力を使うには、イメージがとても大切なの———
思い出せ。
何度も何度も何度も何度も、彼女が振り抜いた拳を見ていたはずだ。
想い描いたのは、夏の夕暮れの日差しに照らされた、ミサキの姿。
絵画のように美しく、荒々しさを兼ね備えた、まっすぐな一撃。
「ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」
心の中でミサキの力を借りながら、リョウジの装甲を何層も突き破っていく。
この拳は、必ず届く。そう信じて、力を込める。
もう少し、もう少しで———すべての防御を貫ける。
あと、ほんの少し。
「———妙だな」
ところが、そんな幻想は脆くも打ち砕かれた。
リョウジのつぶやきとともに、わずかずつ前に進んでいた体が微動だにしなくなる。
「人体機能付与型ナノマシンに適応していない体で、どうして斥力場を展開し続けられる? 適応者であっても初回は三分と保たずに体力が尽きるものだが。
そもそも、初撃よりも格段に出力が上がっている。どういうことだ」
淡々と述べると、リョウジは前にかざしていた左手を軽く振り払う。
外の景色を見るのに窓にかかったカーテンが邪魔なので払いのけた。
それくらいの手軽さで。
「———うわあああああああああああああああああ?!」
途端、ハルキの体が後ろから巨大な釣り竿で引っ張り上げられたように、美しい放物線を描いて吹き飛んでいく。
(まずい! 地面にたたきつけられる!)
空中で我に返ると、ハルキはくるりと体をひねって足元に意識を集中する。
記憶の糸をたぐり寄せる。
———彼は違った。空を駆けた。
だから、最近ちょっと考えを改めたの。
鍛えておくに越したことはないけど、そんな理屈に———常識に縛られていたら、本当に大切なことを見失うってね。
常識を、捨てろ。
どうやったら空中を『踏める』のか、理屈はよくわからない。
それでもやるしかない。さっきリョウジを殴ろうとしたときはたしかに空中でも踏ん張れた。だったら、やれるはずだ。
ヒトが———キョウヤが空を駆ける場面なら、目の前で見たことがあるのだから。
(あいつがやれるんだから、できないわけがないんだ!)
キョウヤの顔を思い出して、空中を踏みしめる。
そうだ。空は、踏むことができるはずだ。いや、踏むことが『できる』。
———確信した途端、落下速度が急減する。
空に浮かぶイメージは湧かない。
代わりに重力加速度を減ずるイメージを必死に想い描く。
「だぁぁぁぁぁぁっ!?」
九・八メートル毎秒毎秒という絶大な力を、無理矢理ゼロに漸近させていく。
そして、ズダンと盛大に足音を立てながら着地した。踵と膝に走った突き刺す痛みを、息を堪えて耐え抜く。
油断なく正面を見据えると、リョウジは怪訝そうにハルキを見つめていた。
「———君は、いったい何だ?」
リョウジの問いかけは、グリーフ・ブレイカーのアナウンスによって押し流される。
『乖離指数、百八十』
思わず唾を飲み込む。少しずつ数字が加算されているのは間違いない。
「……ただの学生だよ。そこにいる女の子を助けたいだけの」
そう言ってリゼの方を見やると、彼女は胸元に手を当てて小さく震えていた。それでも目を逸らさずに行く末を見守っている。
「些か信じがたい。不気味が過ぎる。それだけ斥力場の出力を高めようとすれば、通常なら何ヶ月も———下手をすると年単位の時間がかかる。それをわずか数分で? ならば、最初は全力ではなかったのか? いや、実力を見誤るほど耄碌はしていない。まったく理解しかねる」
リョウジに理解できないように、ハルキだって理解できないでいる。
(俺だって無我夢中なんだ。気付かないうちに体が勝手に動く———それだけなのに!)
斥力場自由制御機構を使って戦い始めてから、ずっと同じ感覚が全身を支配している。
ほんの少し前、目前のジャケットに銃撃されそうになって、射界から逃れるためにジャケットの正面にスライディングで飛び込んでくぐり抜けた———あのときの感覚。
このままだと死ぬ。避けろ。動け。倒せ。生きろ。
強迫観念にも似た生への衝動。直感が冴え渡っている。左と右、どちらに動いたら死ぬ可能性があるのか、鋭敏に全身で察知している。
(グリ、やっぱりお前の能力なのか? どうしたらいいのかはわからないけど、どうしたらマズいのかははっきりわかる)
グリーフ・ブレイカーは未来予測の能力は持っていないと断言していた。
それなのに、直感的にどのように戦えば『死なないか』がわかる。おかげで、拙いながらも、ミサキとキョウヤの真似事をしながらリョウジに抗うことができている。
圧倒的な力の差がある———だが、それでも、あるいは———
「いずれにせよ、これ以上は時間をかけられない。この辺りで終わりにさせてもらう」
「———ッ!?」
ハルキは咄嗟に両腕を構えて身を守った。
(今までより速いっ!)
まず、正面から六本の『翼手』が静かに伸びてきた。
間髪入れずに側面から四本。
上方から回りこんで、背面から三本。
(どれかひとつでも斥力場を貫通したら、まずい———!)
リョウジは、ミサキやキョウヤと違って、体を動かして斥力場をコントロールするわけではなく、その場に突っ立っているだけだ。
身体を一切動かさず、頭の中のイメージだけでこれだけの力を行使しているのだとしたら、まさしく『想像力の怪物』だろう。キョウヤが『化け物』と表現したのも頷ける。
彼我の戦闘能力の差はあまりに大きい。
敵は、本物の魔法使い。
「おおおおおおおおおおおおっ!」
反応型防御壁が自動的に展開されるが、それだけで身を守れるほど生ぬるい攻撃ではない。
ありったけの力を込めて、全方位の斥力場を分厚く広げる。
ミサキがキョウヤの攻撃を防いでいたとき、どうしていただろうか。
彼女は———じっと身を固めて守っていた。
その記憶をたぐり寄せながら、当時は見えていなかったミサキの斥力場を必死に想像で再現する。
きっと、ミサキならこうやって身を守る。
そうだ。鉄壁のミサキの守りなら、絶対に大丈夫———
「なに———?」
リョウジが眉をひそめる。
彼の翼手のことごとくを、ハルキの斥力場が受け止めていた。
正面からはもとより、側面も背面も、リョウジの魔の手は届いていない。
襲い来る翼手。丸めた拳で殴りつけるように、圧力でハルキを潰そうとしている。斥力場を貫こうと、せめぎ合っている。
「ぐうううぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」
ハルキの表情は苦悶に歪んでおり、相対するリョウジは平然としている。
その違いはあったけれども、圧倒的弱者だったはずのハルキの体に一切のダメージは通っていない。
両者の斥力場が、拮抗していた。
———そしてそれが、リョウジにとって決定打となった。
「……危険だな、君は」
カチリ。リョウジの斥力場が一瞬だけ動きを止める。そして彼の中で何かのスイッチが入ったことを示すように、小さく震えた。
その直後、ハルキを押しつぶそうとする無数の腕の隙間から、もう一本、異質なものが割り込んでくる。
槍。
そうとしか形容できなかった。
鋭く長い螺旋状に編み込まれた、精密な斥力場の矛先。
先端は針のようで、根元はやや太く。まるで騎士が馬上で振るうランス。
それがするりと縫い針のように攻撃の合間から差し出されていた。
そしてハルキの守りに矛先が触れたかと思うと、風船の薄皮のように易々と貫いて———
ハルキの腹を深く抉った。




