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新たなる力(3)



 助けを求めるように差し出されたミサキの右手。

 いや、違う。ミサキはこんな状態になっても他人の心配をしていた。

 私はいいから逃げてくれ。そう伝えるために、なけなしの力を絞り出して手を伸ばしたのだ。

 そして彼女の手は、はらりと力なく床に落ちた。

「———嘘だろ」

 静かになったミサキを見つめて、思わずこぼれた言葉。

 これで、終わりなのか。

 ほんの少し前の記憶で快活にふるまっていたミサキと、目の前に横たわるミサキが、頭の中で像を結ばない。

 折り重なる鉄骨の下敷きになったミサキの体。右腕と胸元から上だけが、運良く難を逃れていた。鉄骨の下がどうなっているかはわからない。しかし、床に広がる鮮血は刻一刻と広がりつつあった。

 心が絶望に塗り込められそうになった瞬間、頭の中に声が響く。

『浅野美咲の意識喪失。脈拍微弱。急速に低下中』

 リゼが作り上げたグリーフ・ブレイカーが、人体の状態を見誤るとは思えない。

 まだ、ミサキは生きている。

 生きているなら、やるべきことがあるはずだ。

「———うおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!!!!」

 鉄骨に手をかけて、力の限り引き上げる。筋肉がきしみ、骨が悲鳴を上げ、それでも圧倒的に腕力が不足し、グリーフ・ブレイカーが増幅ブーストをかけてもなお、鉄骨は微動だにしない。

『警告。操者ホストに身体的ダメージを確認。停止を推奨』

「ガアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!!」

 不快な声を無視してなおも力をかける。

 人間離れしていっているというなら、今こそその力を見せてみろ。

 すべての恐れを振り切って、全力を遥かに越えた膂力を発揮する。

 食いしばっている奥歯が軋む。それでも力を込め続けた。

 だが、鉄骨は動かない。一ミリも。

「くそぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ!!!!」

 足りない。力が足りない。

 助けられない。目の前で失われるミサキの命を、救うことができない。

 悔恨の気持ちで胸が埋め尽くされる。

 いっそ、どうせなら、もっと、もっと人間離れしていれば。

 謝罪と後悔と憤怒をない交ぜにした感情が走り去っていく。

 すまない、ミサキ———

「———!」

 青白くなったミサキの顔を改めて見下ろして、気付いた。


 彼女の胸元に鈍く光る、小さな銀色のシリンダー容器。


 目に入った瞬間、何も考えずにそれを手に取る。

『P−425 rampage(ランページ)を検知。

 警告。人体機能付与型(プラグ)ナノマシン(イン)は、人体に適合しない場合、使用者が死亡する可能性があります』

 グリーフ・ブレイカーからの無機質な警告が、かえって覚悟を決めさせた。

「ああ、わかってる。

 もしここで何もしなかったら、俺は一生後悔するって、わかってるんだよ!」

 躊躇なく首筋にシリンダーを打ち込む。

 非常時ゆえかロックは外れており、プシュッと小さな音がして、首筋に冷たいものが流れ込んできた。心臓の脈動に合わせて、ゆっくりと全身に広がっていくのがわかる。

 グリーフ・ブレイカーが必要な処理を自動的に進めていく。

『P−425 rampage(ランページ)を体内に検知。競合防止措置を実行。P−425とのリンケージ……完了。以後、rampage(ランページ)を当機の管理下に置きます。

 リンケージにより、当機の推論許容限界インフェレンス・キャパシティが向上しました。能動的思考ナビゲーション機能を拡張。戦闘時の支援機能を常駐。対話型インタフェースの精度向上を実行……完了。

 すべてのプリブートプロセスを完了。

 ……人体への全ナノマシンの充足を確認。起動……完了。

 活性化スタンバイ』

 何を言っているのか、意味はわからない。

 しかしこのあと何をすればいいのかは、はっきりと理解していた。

 思考の中に、よどみなく浮かび上がるひとつの言葉。


「———権限行使イネーブル!」


 口にした瞬間、それまでの世界は終わりを告げ、新世界の幕が上がる。

『活性化開始……成功。

 反応型防御壁リアクティブアーマー、起動。

 ユーハブコントロール。システム、オールグリーン』

 眼前の光景を見て、思わず息を呑んだ。

「……これが、ミサキが見ていた世界」

 まるで、これまでの世界がすべて嘘であったと思わせるような光景だった。

 ———美しい。想像を絶するディティールが広がっている。

 目の前に広がる景色に働いている、すべての慣性力、重力、運動エネルギー、それ以外にも数多く存在する磁場や熱量を感覚的に把握することができた。

 ミサキの上に積み上がった鉄骨それぞれの重量が、計測するまでもなく正確かつ直感的に理解できる。どの鉄骨がどの鉄骨にのしかかっているのかも、目視するだけでほとんど完璧につかむことができる。鉄骨が折り重なっていて目に見えていない部分がほとんどであるにも関わらず、だ。

 肌の感覚だけで、風がどちらに流れているのか微細な動きをつかみ取ることさえできる。まるで、世界中すべてを風洞実験のトンネルに放り込んだみたいだ。

 何気なく過ごしていた世界に、これほどの情報量が溢れていたことに驚く。

 そして、同時に気が付いた。

 ———目が回る。

「がはっ?!」

 くらりと視界が歪んだと思った瞬間、盛大に血を吐いていた。

『警告。操者ホストにP−425 rampage(ランページ)は適合しません。扁桃体、視床への負荷が過大です。感覚野の発達が既定値を満たしていません。ただちに使用を中止して———』

 rampage(ランページ)を取り込んだせいか、やけに流暢にしゃべるようになったグリーフ・ブレイカーが大音量で警告を発している。

 しかし、それを無視した。

 聞かなかったことにして、代わりにグリーフ・ブレイカーよりも大きな声で叫ぶ。

「それでも俺を生かすのが、お前の仕事だろうがぁぁぁぁぁぁぁっ!」

 鼻血が出ている。気にしない。

 目から血が流れている。気にしない。

 頭が割れるように痛く、視界が真っ赤に染まっていく。気にしない。

 それらを代償に得た力を、感覚に任せて解き放つ。

「うおおおおぉぉぉぉああああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁ!?」

 ミサキの真上にある鉄骨に手をかけて、全身全霊を込めて持ち上げる。

 さきほどまで一本たりとて動かなかった鉄骨。

 しかし、今度は、十数本の鉄骨がまとめて空中に放り投げられていた。

 ———手足の延長として斥力場フィールドを使う。

 両腕で鉄骨を持ち上げようとした結果、そのイメージの延長として鉄骨を包み込むような斥力場フィールドが展開された。

 鉄骨はいとも容易く宙に浮き、盛大な騒音を奏でながら周辺に転がっていく。そして一拍おいて、静寂が訪れる。

 体をズタズタに切り刻まれるような痛みに襲われながら、やはりそれを無視した。

 ミサキのそばにひざまずくと、彼女の全身の状態を確かめる。

「はぁっ、はぁっ、くそっ! 腹が潰れてる……! これじゃ、助けようが……」

 本当なら厚みがあるはずの部位にそれがなかった。それでもミサキが言葉を発することができたのは、彼女の強靱な肉体と精神が成し得た奇蹟だったのかもしれない。

 赤い床の面積が広がっていく。

『浅野美咲の脈拍計測不能。複数の臓器が破損。多臓器不全と推測されます。

 現状況で取り得る医療行為による救命確率試算———ゼロパーセント』

 四肢や体のごく一部が圧潰しているだけなら、まだ助けられる可能性があったかもしれない。

 けれど、彼女の容体はそんな生やさしいものではなかった。

 ミサキが、死んでしまう。

 救う方法が、ない。


 本当に、そうか?



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― 新着の感想 ―
[良い点] 比喩でもなんでもなく本当に魔法使いになった! ハルキが新しい感知能力を獲得して新しい世界が開ける丁寧な描写は読ませどころですねー。アクションだけじゃなくこういう筆致がサービスになるのは作者…
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