新たなる力(2)
工場の最下層。最奥部。暗鬱とした地下空間の果て。
痩せぎすの男が椅子に腰掛けていた。彼の周囲には無数の立体映像が浮かんでいる。ホロたちが放つ緑色の燐光が、男の輪郭をおぼろげに浮かび上がらせる。
西園寺了嗣。その眼光は、厳しい。
リョウジの左手には、ホロの燐光に照らされてプラチナのリングがぼんやりと輝いている。その鈍い光を目にして瞳にふっと優しさが戻るが、すぐに目を逸らす。
そんな様子を見咎めたのか、ホロのひとつから若い男の声が聞こえてくる。
『感傷に浸っているところ悪いけれど、進捗はどうだい?』
無遠慮な、それでいて気遣いを感じさせる矛盾をはらんだ声音。どことなく蠱惑的で、油断するとするりと懐に入り込んできそうな気配がある。ホロに顔は写っていないが、通信相手の名称欄にはALANと表示されていた。
「……問題ない。すべて順調だ。私のことより、自分の心配をするべきではないのか? 危ない橋を渡っているのはむしろ君だろう」
くすり、と無邪気に笑う声。
『ボクの心配をする必要はないさ。別に、常緑の椅子なんてどうなってもいいんだからね。バレたら後先考えずに逃げるだけさ』
「逃げるのは構わないが、いつぞやの街中での襲撃事件のような失態は勘弁いただきたいものだ」
『それを言われると弱いな。キョウヤが先行して割り込まなかったら、彼女は攻性機動無人機に殺されていただろうから。
ま、今回は組織の統制も裏工作も問題ない。不安要素はとっくに粛清したさ。ただ、時間稼ぎがどれくらい保つかは運次第だよ』
会話の中に見え隠れする悪意と遊び心。少なくともアランとおぼしき男が真っ当な善悪の基準を保たないことは伺い知れる。
ふいに、朗らかだった会話のトーンが緊迫感を帯びる。
『———おや? ゲストのようだね。キョウヤは番犬の職務を全うできなかったか。飼い主として面目ない限りだ』
リョウジも気が付いていた。
招かれざる客人がやってきたことに。
「問題はない。そのために私が待機している。君は自身の役割を果たせ」
『ははは。もとより最大戦力はキミ自身だったね。
じゃ、ボクも最後の時間稼ぎといこう。カーテンコールまでもう少しだ』
通信が切断され展開されていたすべてのホロが消失すると、地下の闇が一層深くなった。
リョウジは椅子から立ち上がると、暗がりの向こうにいる気配に目を向ける。
ひたひたと闇の帳を引きずるように、近づいてきている。
その正体を目にして、リョウジは思わずため息をついた。
「———やれやれ。ここにやってくるのが君だとは予測できなかったな」
リョウジの声が地下に木霊する最中、暗闇から人影が現れた。
齋藤悠貴。人より多少諦めが悪いだけの、どこにでもいそうな男子学生。
しかし、その様子はおよそ健全とは言い難かった。
口元には血を吐いた跡があり、頬には目から血の涙を流したとしか思えない紅い筋が残っている。足取りも心許なく、今にも片膝を突きそうに見える。
「ぼろぼろだな。立っているのも辛いのではないか?」
「余計な、お世話だ」
ハルキの声には覇気がない。気力だけで意識を支えているような危うさが感じられる。
———それなのに、リョウジをにらみ付けるその眼の奥には、炎が燃えたぎっていた。
わずかに気圧されるような錯覚を覚えて、リョウジはかぶりを振る。
「……方法はわからないが、このプラントの場所を暴いたのは警備課……いや、黒峰君だな? 外でザンサスが暴れていたが、寡戦を制してここまで駒を送り込んでくるとは恐れ入る。
それにしても、君がここに来る理由はなかったはずだが———」
リョウジの言葉を途中で遮って、ハルキが答える。
「あるさ。あんたがリゼをさらったことは知ってる。それに、世界中を超能力者だらけにする物騒なナノマシンをバラまこうとしてることも。理由なら、それで十分だろ」
リゼの名前に反応したのか、リョウジの視線が暗闇の奥をちらりと見やる。
その先をたどると、リョウジから少し離れたところに巨大なガラスケースのようなものがあった。一部屋そのままをガラスで囲ったような、透明な牢獄。
その中に、彼女がいた。
藤原利世。人智を越えた撰修人種の少女。
ハルキの姿を見つけるや否や、血相を変えてケージの中からガラスの壁を叩いている。何かを叫んでいるようだが、その声はわずかに漏れ聞こえるのみ。
ハルキ———
かすかに耳に届いた声は、たしかにハルキの名を呼んでいた。
「リゼ……。無事なんだな」
彼女の無事を確認すると、ハルキはすぐにリョウジに視線を戻した。ミサキでさえ警戒していたこの男を相手に、一切の油断はできない。
「物騒なナノマシンをバラまく……か。否定はしない。
それで、まさか君は私を止めに来たとでも言いたいのか?」
リョウジが呆れ顔で問いかけると、ハルキは至って真面目な顔で答える。
「止めに来たんだよ」
「君が? ひとりで? 悪い冗談だな」
嘆息するリョウジを前に、ハルキは憤慨して叫ぶ。
「悪い冗談はそっちだろ?! そんなものをバラまいたら、撰修人種を廃止させるどころじゃすまなくなるんだぞ! 何がしたいんだよ、あんたは!? 世界をめちゃくちゃにしたいのか!?」
アーネストの情報によれば———
いま世界各地で同時多発的に発生しているテロは、撰修人種廃止の気運を高めるため、常緑が無害な自己増殖型ナノマシンを大気中に拡散させようとしているものだ。
そして、ここがその無害なナノマシンの散布拠点である———はずだった。
しかし、実際に散布されるのは世界中を超能力者だらけにしてしまう危険極まりないナノマシンである。
リョウジは今、それを否定しなかった。物騒なナノマシンを散布するつもりであると、暗に認めている。
ハルキの当然の質問を、リョウジは馬鹿にするでもなく教壇に立つ講師のように真正面から受け止める。
「何がしたいのか、と言ったな。自分語りなど三流がすることだが、わざわざここまでお越しいただいた来賓だ。ひとつくらいは答えよう。
私の恩師が、幼少期の藤原君を教えていたと話したのを覚えているか」
バーで酔ったリョウジから聞いた話を思い出す。
「……たしか、子どもだったリゼに言い負かされて引退したって」
「その続きだ。
そのあと、恩師———先生は自殺したよ。
彼の娘だった私の妻と、彼女のおなかの中にいた子どもも、結果的に道連れだ。
私はそれを止められなかった」
「———!」
「動機としては十分だろう?」
吐き捨てるようにつぶやいたリョウジ。声音には諦観と憤りが渦巻いているように見えた。
しかし、その昏い瞳の奥からはたしかに感じられる。
決意。
ハルキは直感する。この男を説得する手段は存在しない。
リゼを助けようとここまで来た自分と同じように、成し遂げるまで絶対に折れないと誓った人間の目だ。
「そうだとしても、狂ってる。リゼたちの撲滅のために世界をぶっ壊そうなんて。他に方法だって、あったんじゃないのか」
「……そうだな。狂っている。他の方法など———ない」
わずかにリョウジの固い表情がほころんだ。そんな錯覚を見た。
「わかっただろう。我々はわかり合うことはできない」
リョウジがふいに、右手でハルキを指差す。
その手は指鉄砲を形取っていた。人差し指と中指がまっすぐにハルキの胸部に向けられ、親指は立てられている。
まるで子どもの遊びだ。
ガンマンの真似をして、バンバンバンッ、と鉄砲を撃ち合う真似をしたことくらい、少年なら誰にだってあるだろう。
しかし、ここに立っているのは、魔法使いだ。
———刹那、リョウジの指先に暴力が発生した。
斥力場。不可視の力が渦巻いている。
「あとはそこで寝ていろ。君には何もできない」
そして、透明な弾丸がハルキに向かって無慈悲に発射された。
ハルキは為す術なく被弾する。
そして、そのまま床に倒れ伏す。
———そのはずだった。
『反応型防御壁、展開』
ビィン……。
太い弦を弾いたような不協和音が響いて、リョウジが放った弾丸は空中で消失した。
その様子を目にして、さしものリョウジも瞠目し、わずかに身を引く。
「君は、斥力場自由制御機構を、使ったのか」
リョウジの目にははっきりと見えていた。
ハルキを包み込むように展開された、稚拙ながらも荒々しい斥力場が。
「———ああ。使ったさ。
わかり合うことはできない、ってのは俺も賛成だ。
あんたをぶっ倒してリゼを取り返す!」
ハルキの決意に呼応して、斥力場が一際大きな唸りを上げた。




