勝利の対価(4)
キョウヤ。
夜の街でハルキを拉致され殺し合うことになった、狂った神童。
彼の斥力場を扱う能力は、ミサキの想像を遥かに超えた域にあった。
決まった『型』など一切持たず、野性的で直感的な攻撃を信じるままに繰り出してくる。
その変幻自在な動きは『斥力場が存在することを前提』としていて、既存のどんな武術や武道にも当てはまらない。
あのときはハルキの機転で退けることができたが、果たして正面からぶつかっていたとして、独力で倒すことができただろうか。
(わからない。力負けはしない自信がある。だけど、手数で押し切られるかもしれない。いや、もしかしたら力比べでも……)
だめだ。このままでは絶対にだめだ———
穴だらけになった血まみれのハルキが、目蓋の裏にこびりついて離れない。
普通の人間なら、あれだけの傷を負えば疑う余地もなく死んでいる。ハルキと言えども、もし脳や心臓にキョウヤの鉄杭が直撃していたら助かったかどうかはわからない。
(鍛え直すしかない。キョウヤだけじゃない。もっと強い相手にも対抗できる力が要る)
そうしてあの夜以来、ミサキは病棟の裏にある小さなグラウンドの片隅で自主的に訓練する時間が長くなっていた。
「———破ァッ!」
かけ声とともに、斥力場が周囲に炸裂して烈風が吹き荒れる。
ここは、ハルキがリハビリのためにトマスと一緒にジョギングしていた場所だ。病棟の患者くらいしか訪れる者がいない。それにハルキが来てからというもの、病棟に他の患者、つまりラボの被検体の姿はなく無人だった。
誰も来ないのだから、斥力場を全力で解放しても咎められることもない。ラボの敷地の中で斥力場自由制御機構の自主訓練を積むのに、ここより適した場所は他にない。うってつけの修行場である。
「はぁ、はぁ、はぁ……ふぅ……」
力が抜けた途端、思わず膝に手をついてしまう。
斥力場自由制御機構は、大きな力を使うほどに体力を奪っていく。ジャケットさえもたたき壊す膨大な力をイメージ通りに動かすには、極度の集中と忍耐が求められる。制御を誤れば、自分の体が粉みじんに吹き飛ぶ可能性だってあった。
体力には自信のあるミサキであっても、一時間も全力で訓練すれば精魂共に燃え尽きてしまう。
それでも、ミサキは訓練を止めようとしない。
「……もう一度。いえ、完全にモノにできるまで何度だって練習してやるわよ」
疲れ果てて根負けしそうになるたび、血染めになったハルキがちらついた。
闘志を奮い立たせて、力を振り絞る。
そして、ミサキは疲労困憊で倒れてしまうほど訓練に明け暮れた。当のハルキに倒れた現場を見られてしまったのは痛恨の極みだったが、失敗する可能性はたとえわずかであっても潰しておかなければ気が済まなかった。
だからただひたすらに、愚直に己の限界を追究し続けた。子供だましの『遠当て』など、その過程で身につけたおまけにすぎない。
真に体得しなければならないのは、自分よりも圧倒的に強い相手さえも退けられる対抗策。
たとえ力比べで押し負ける強敵と遭遇しても、大切な人たちを守れるようにならなければならない。
そして、そのためのヒントは、他の誰でもないキョウヤ自身がくれたのだ。
『ははっ、適応者に常識なんて邪魔なだけだぜ———?』
最初はその言葉の意味がわからなかった。しかし、今なら理解できる。
キョウヤの言う通りだ。イメージできることは、必ず実現できる。それが斥力場自由制御機構の本当の力。常識に価値はない。
常緑が適合者を気障ったらしく『魔法使い』と呼称する理由が、ようやく腑に落ちた。
まさしく、この力は人類を『魔法使い』たらしめる可能性があるのだから。
キョウヤが過剰摂取で圧倒的な力を手に入れた今、まともにやりあえばミサキに勝ち目はない。
頬を伝ってきた汗を右手で拭う。
助走のために遠く離れてもなお、キョウヤの斥力場の圧力は重い。
キョウヤが姿勢を低くして、伏して獲物を捕らえようとする肉食獣のように構える。
ミサキは右の拳を握りしめると、ゆっくりと呼気を吐き出した。
———覚悟は決まった。
(あなた相手に出し惜しみしようなんて考えたのが馬鹿だった。
西園寺と戦うために余力を残しておこうなんて、虫のいい話よね。全力を出しても勝てるかどうかわからないくらい、あなたは強い適応者……いいえ、魔法使いなのに。
もう迷わない。私の全てを賭けて、あなたを討つ———)
一度だけ、ミサキは深く呼吸した。
折れた左腕以外が意のままに動くことを確認する。
大丈夫。戦える。
(彼はさっき『あのときのリベンジ』と言った。だったら、次はあの夜と同じ跳び蹴りが来る。助走のために間合いを広げたのが、なによりの証拠)
前回の、夜陰に紛れた雑居ビル裏での私闘。
その最後にキョウヤが放ったのは、斜め上空から滑空する超高速の跳び蹴り。
己の体そのものを巨大な質量の弾丸として打ち出す、捨て身の特攻。
ハルキの邪魔が入らなければ、あのときでさえも真正面からミサキの斥力場を突き破ってキョウヤが勝利していたかもしれない。単純な力場の出力差を、技巧と覚悟で超越する一撃。
今回はハルキの邪魔は入らない。誰の助けもない。
キョウヤの蹴りは、過剰投与で前回より遥かに威力が増している。
一方のミサキの左腕は折れていて、防御力は半減している。
明らかに分が悪い。
それでも、ミサキの目は絶望に沈んではいなかった。
(ハルキ。あなたなら諦めない。そうでしょう?)
何の力もない凡人のくせに、人一倍あきらめが悪いハルキ。
反撃されて死ぬかもしれないのに、ホロ・アドを投影してキョウヤに隙を作ったハルキ。
引きこもったリゼを表舞台に引きずり出すために、トマスやイオリたちを巻き込んで難攻不落の中央棟に突撃したハルキ。
囚われたリゼを助けるために、テロ組織のアジトに自分の意志で飛び込んだハルキ。
まったくもって馬鹿げている。思い出すと笑ってしまうくらいに。
「私だって、根性見せないとね。
———来なさい、キョウヤ。受け止めてあげる」
右腕を腰だめに構える、正拳突きの姿勢。
またそれか、とキョウヤは呆れるかもしれない。
でも、これが何よりも信頼できる。
何万回、何十万回、何百万回と訓練を繰り返してきたから、間違えようがない。
一ミリも過たずに、この正拳は標的を射貫く。
力を腹に溜めるために、ミサキはゆっくりと肺に空気を送り込む。
(勝負は一瞬。この拳で、打ち抜く!)
ミサキが構えたのを見て、キョウヤがスタートを切った。走り出す瞬間、斥力場をカタパルト代わりにして急加速する。
キョウヤは、自分の体に斥力場をぶつけることを躊躇していない。少しでも制御を誤れば即死するかもしれない圧倒的な暴力を、何の迷いもなく自分自身の体に作用させていた。
まとわりつく大気さえも振り払って走る様は、獲物を狙う豹が地を這って駆けているようだ。そうして、ミサキの喉元にその牙を突き立てて食い破ろうとしている。
対するミサキは、自分がまとっていたすべての斥力場を体内に収束させていく。
ミサキの斥力場は、風船がしぼむようにシューッと縮んでいった。
やがて、そのまま『消え去って』しまった。
「———ふぅっ」
もはや、ミサキの周囲に斥力場は一切展開されていない。
凪。
大気を切り裂いて駆ける『動』のキョウヤとは対照的な『静』のありよう。
キョウヤからは自殺行為にしか見えないだろう。ミサキは身を守るための盾を消滅させたのだ。このまま行けば丸裸で攻撃を受けることになる。
案の定、キョウヤが戸惑う表情を見せる。しかしそれも一瞬だけで、彼の脚は変わらず前進し続ける。
ここまで来て今さら引き返せるかよ、と言わんばかりに。
そして、キョウヤは軽やかに跳躍した。
天井を突き破ろうかという勢いで最高到達点へと舞い上がっていく。
やがて頂点でくるりと前転すると、跳び蹴りの体勢に移る。
キョウヤの咆吼が、最後の激突の幕を切って落とした。
「ッラァァァァァァァァァァィッ!」
その雄叫びに、物理法則が儚く吹き散らされる。
そこにあったはずの慣性をすべて振り切って、キョウヤはミサキめがけてまっすぐに自らの体を『発射』した。
数十キログラムの重い人体が、荒れ狂う斥力場をまとって雷霆のごとき速度に達し、巨大な弾体となって突撃していく。
キョウヤを包む斥力場の形状は円錐形で、先端は錐のように鋭い。
その破壊力は、スリングショットで打ち出された鉄球を遥かに上回る。
とても受け止められるものではない。
避けられる時間もない。
絶体絶命。
けれどミサキは、この瞬間にこそ希望を見出していた。
(見極めろ、一瞬の間隙を。
この拳で穿つは、刹那の時———)
キョウヤは、確かに強い。
斥力場を扱わせたら、彼の右に並ぶ者はいないかもしれない。
彼の動きは斥力場によるサポートを前提に最適化されていて、型破りで滅茶苦茶でありながらも高い戦闘力を誇っている。
斥力場がある限り、キョウヤは強い。
斥力場がある限り———
ならば、斥力場そのものを完全に破壊する。
それがミサキが編み出した、強者への切り札。
キョウヤがミサキを貫こうとする寸前。
「———破ァッ!」
ミサキは、『消滅させていたはずの斥力場』を瞬間的に膨らませて、一息に弾けさせた。
彼女の力場は、消滅していたのではない。
外から見るとミサキの体の中に隠れてしまうくらいに小さく圧縮して、腹の奥底に隠し持っていただけだ。大きなバスケットボールをビー玉サイズに縮めるみたいに、ギュッと四方八方から握りつぶすイメージで。
そんな高密度超圧縮状態から一気に開放されたミサキの力場は、まるで空気を入れすぎた風船がはじけ飛ぶみたいに、知覚できない高速度で津波のように周囲の空間を飲み込み、浸食していく。
その大波のただ中には、ミサキを足蹴にしようとしているキョウヤがいた。
キョウヤは為す術もなく力場の津波に飲み込まれていく。いや、自ら津波の中に飛び込んでいった。
「なんだッ———!?」
キョウヤの瞳が驚愕の色で染まる。
彼の目の前で、起きるはずのないことが起きていた。
「オレの斥力場が剥がれる———!?」
キョウヤが身にまとっていたはずの、強力で、万全で、鋭利な斥力場は、完全に消失していた。
過剰投与で手に入れたはずの無類の力が、剥がれ落ちている。
完全な支配下にあった斥力場が、どこかに行ってしまった。
ありえない。そんなことはありえないはずなのだ。
しかし、現実に起こっている。
飲み込めない、矛盾———
適応者同士の戦いは、出力が大きな者が優位に立つ。相手の斥力場をねじ曲げたり弾き飛ばしたりしたければ、相手よりも大きな力をぶつけて屈服させるしかないからだ。
そして今は、過剰投与したキョウヤの方が、ミサキよりも圧倒的に大きく強い斥力場を身にまとっている。
力の差がありすぎて、ミサキがキョウヤの斥力場を引き剥がすことなどできるはずがない。
そのはずだった。
それなのにミサキは、キョウヤが身にまとっていた斥力場を『完全に消し飛ばして』いた。
(奔放なあなたでも、さすがにこれは予想外だったかしら———ッ!)
キョウヤが困惑するのも、無理からぬこと。
これは、ミサキが鍛錬の末に身につけた新しい力だ。
侵蝕型防御壁。
最大限に圧縮した力場を瞬間的に開放することで、本来なら自力で発生させられない強力な『圧』を刹那の時間だけ具現化させる、ミサキがたどり着いた極地。
弾けた力場は、相手の斥力場を津波のように飲み込んで一時的に掻き消す。そうして斥力場を剥がされれば、適応者は『ただの人』に成り下がる。
言うなれば、適応者殺しの奥義。
もちろん、侵蝕型防御壁にも欠点はあった。それも致命的なものが、複数。
射程はせいぜい周囲三メートル。『圧』を発生させられる時間はコンマ一秒もない。
斥力場を消し飛ばせるといっても、その効果は一時的で、相手が改めて斥力場を展開すればご破算になる。
その上、ミサキ自身の斥力場をすべて注ぎ込まなければならないため、使った直後はしばらく無防備になってしまう。
命中させるのは至難。成功しても逆転のチャンスは数秒だけ。
代償も大きい。タイミングを見誤れば、丸裸のまま攻撃を受けることになる。
決して、一方的に敵の斥力場を剥がせる便利な技ではない。ミサキ自身も斥力場を使えなくなるのだから。
命を懸けた大博打。
双方に数秒間の生身同士の肉弾戦を強いる。
それが侵蝕型防御壁の特性。
そして、ただの肉弾戦であれば———ミサキにも勝機がある。
「———はああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」
ミサキは、腹の底に溜めていたすべての力を右の拳に振り向ける。
標的は、力場を失ったキョウヤ。
斥力場を剥がされていても、慣性はまだ生きている。キョウヤの体は常軌を逸した速度を保ったままミサキに向かって突っ込んでくる。
正面から衝突すれば無事では済まない。かといってもはや避けられる間合いではない。
キョウヤと視線が交錯する。
「くそがぁぁぁぁぁっ!」
絶叫。キョウヤはなお戦意を失ってはいない。
ここから先は、適応者同士の戦いではない。
生身と生身の、ただの殴り合いだ。
キョウヤの蹴りは、正確にミサキの心臓を捉えようとしている。
対するミサキは、冷静に、正確に、拳をまっすぐに突き出した。
すれ違う二つの影。
ゴッ。
重く、鈍い音がした。骨と骨がぶつかる悪趣味な響き。
そしてしばらくの静寂が流れる。もはや動く者はいない。
適応者同士の闘いは、幕を閉じた。
「———ふぅ」
最後まで立っていたのは、ミサキだった。
すれ違う瞬間、ミサキは軸をわずかにずらして、飛び込んでくるキョウヤの体をガリガリと削り取るような軌跡で無理矢理に正拳を放ち、最後に彼の顎を打ち抜いた。
まっすぐ顎を打ち抜かれたキョウヤは、それでも跳び蹴りの勢いを減じることなく、ミサキのやや後方に落ちてそのまま転がっていった。
ミサキは背後に落ちたキョウヤに振り返ろうとするが、途端、肺と下腹部に鈍痛が走る。
「……っつぅ?! やっぱり、この技は、負担が大きいな……」
身動きを取るのが億劫になるほどの疲労感が全身を駆けめぐる。
それでもどうにか体に鞭打って振り返ると、視線の先でキョウヤが仰向けに寝転んでいた。
ひとしきり警戒を続けるが、動く様子はない。手応えから考えると死んではいないだろう。
「私の、勝ち、ね」
どっと安堵と疲労が押し寄せる。
思わず膝をつきそうになるが、必死に堪えた。ここで倒れる訳にはいかない。これからハルキを連れて、さらに下層に降りなければならな———
ガン、ゴガン、ギィィィィ……。
ふいに金属と金属がぶつかる硬質な響きが耳に入り、はっと我に返った。
(———いまの衝撃で、資材の山が崩れた?!)
見れば、壁際に立てかけられていた十メートル以上ある複数の鉄骨が、ズルズルと位置を変えて倒れようとしていた。
鉄骨たちが倒れ込もうとしている先には、気を失っているキョウヤが横たわっている。
「危ないッ!」
咄嗟に、ミサキは残っていたわずかな力を振り絞って行使する。
ほんの数メートルの短い距離。
きっと、間に合うはずで———




