勝利の対価(3)
地下十階で、アーニャは上階からなだれ込んでくるアンドロイドをひたすらに足止めし続けていた。
ラボでトマスとミサキを柳に風と受け流したときのように、格闘戦モードに切り替えて戦っている。電撃銃は一度だけ使って、早々に投げ捨てた。集団を相手にするならまったく役に立たない。
代わりに、接触式電撃兵装を内蔵した警棒を両腕に装備していた。警備員や兵士がよく護身用に使用しているものだ。
たとえアンドロイドと言えども、疑似神経系統に近い首や背骨といった部位に最大電圧で電撃をたたき込めば行動を封じられる。一度で完全破壊とは行かなくても、二回か三回重ね打ちすれば破壊することが可能だ。
そしてアーニャは、愚直にそれを実行し続けていた。
(これで、とどめ!)
バジィッ!
電撃を受けて、一体のアンドロイドが動きを止めた。そのまま崩れ落ちる。
しかしアンドロイドは次から次にやってくる。アーニャは戦い続ける。
彼女の姿は、両腕の警棒をバトンに見立てて躍っている新体操の選手のようだ。くるくると回りながら襲いかかってくるアンドロイドの背後に入り込み、神経系に正確に電撃をたたき込んでいく。
そうして、やがてアンドロイドの死体の山が築かれていった。
倒されたアンドロイドは例外なくフレームが剥き出しの安普請のため、人体模型が廊下の至る所に転がっているようにも見える。
(さすがに、キリがありませんね)
アーニャが屠った数はすでに二十を超えている。それでも、アンドロイドがやってくるペースが変わらない。
ホノカが視たヴィジョンでは、アンドロイドの配備数は五十体は下らないと言われていた。そしてイオリがドローンで調査した結果、それ以上の数が存在することが判明している。
工場全体で百を超えていると言われても、もはや驚くには値しない。
(マクレディ社製の最高峰素体なりの仕事はしていると推論しますが……。それでもさすがに厳しいですね)
惜しげもなく全身に使われた最高級パーツとモジュール群。
最大出力を除けば、部分的には軍用機のスペックすら軽く凌いでいる。粗製濫造されたアンドロイドがいくら銃火器で武装していようとも、一体ずつなら相手にもならない。廊下の奥からやってくる端から警棒を首筋や背骨にたたき込み、無力化するだけだ。
何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も。
何体も、何体も、何体も、何体も、何体も、何体も。
バジィッ!
また、新たに一体のアンドロイドが廊下に倒れ伏した。仲間の死体の上に積み重なる。
(まだまだ来ますね。本当に、何体いるのでしょう?)
頭部のセンサーが検知しているだけで、廊下の奥からこちらに向かってくるアンドロイドは十を超えている。そのすべてが明確な敵意を持ってアーニャに襲いかかってくる。
一体でも通してしまったら、ミサキとハルキが背後から襲われるかもしれない。
通すわけにはいかない。
(……とはいえ、そろそろ頃合いかもしれません)
アーニャは、自分のボディの状態を冷静に再確認する。
左腕は骨格が剥き出しになっている。至近距離からショットガンの直撃を受けたからだ。
右足も似たようなものだった。動きはするが、反応は鈍い。
左足には大きな外傷はない。しかし、度重なる戦闘で疲労と歪みが蓄積し、フレームが悲鳴を上げつつある。
胴体には二箇所の大穴が空いている。内部の構造は丸見えになっていた。
ナノマシン繊維で編まれた防刃防弾のボディスーツを着ていたが、捨て身で特攻されれば多かれ少なかれダメージは受ける。それが繰り返されれば破壊されるのは道理だ。すでに胸元から大きく破れ、たいした防御力は残っていない。
頭部にも数え切れない裂傷と弾痕がある。強固な防弾骨格でなければ、とうの昔に活動停止に追い込まれていただろう。
満身創痍———
いくらアーニャが高性能なアンドロイドでも、多勢に無勢であった。狭い廊下では全弾回避しきれずに少しずつダメージが蓄積し、もはやまともに戦える状態ではない。
無傷なのは右腕くらいだ。
右腕だけは守り通していた。そのときのために。
(やれやれ。次に来るのは十体どころか、十五、いえ十六体ですね。調査できていない部屋に無数に隠れていた、と考える他ありませんか)
やがて廊下の暗闇の奥から、フレームだけの不気味なアンドロイドの集団が駆け込んでくる。ライフル、ショットガンという定番の他に、擲弾発射器を持っている個体もいる。
(これはもう格闘戦で一体ずつどうにかできる数ではありませんね)
冷静に自他の戦力差を分析する。
ありとあらゆる攻撃パターンを推論してみるが、迫り来る十六体のアンドロイドのうち、三体倒すのがやっとだろうと結論づける。
ただひとつの方法を除いて。
(ここは、一網打尽にするしかないようです)
ここまで無傷で守り通してきた右腕のモジュールを励起させる。
『スパークプラグ展開。充填開始』
前腕部が展開して、中から六本の金属の棒が飛び出てくる。まるで傘の骨だけを広げたみたいだ。パリパリと乾燥した音がして、うっすらと空気中に放電しているのがわかる。
広範囲電撃兵装。
アーニャが搭載している唯一の武装。渋るリゼを自ら説得して搭載させた、万が一のときにマスターを守るために装備した最後の手段。
高電圧の電流を雷のように前方に照射する、凶悪なスタンガンのようなものだ。あくまでも建前上は相手の自由を奪うための装備である。完全に違法かどうかは裁判所に聞いてみなければわからない。しかし、警察官がリゼとアーニャを連行するには十分なほど、限りなく真っ黒に近いグレーだ。
『充填完了。解放可能』
発射はできるが、まだ足りない。十六機の暴走するアンドロイドを行動停止に追い込むには、規定値を超えた出力が必要になる。
さらに電圧をかける。規定値などお構いなしだ。
『———オーバーロード。警告。機体の耐電圧、耐電流限界を超えています』
もう少し。もう少しだけ。
アーニャは祈るように電圧をかけ続ける。
確率の神様に希う。どうかこの一撃だけは、論理をねじ曲げてでも撃たせて欲しい。
そうして、右腕が暴発する寸前まで圧力をかけ続けた。
ようやく必要な出力値に達したときには、アンドロイドたちが離れた位置から一斉に発砲しようとしているところだった。
雷撃を命中させるには、有効射程に入るまで接近するしかない。
銃把を握る十六の影に向けて、アーニャは駆け出す。
途端、アンドロイドたちが発砲を開始した。
被弾。被弾。被弾。被弾。被弾。被弾。被弾。被弾。被弾。被弾。被弾。
このままでは機能停止する。直ちに退避せよ。
警告が鳴り止まない。
それでも歩みを止めず、頭部と右腕だけを守りながら、目前で炸裂する擲弾をかいくぐった。破片が人工皮膚を裂いていく。
ようやくアンドロイドたちの眼前にたどり着いたときには、アーニャの胴体はほとんど骨だけになるまで削り取られていた。わずかに残った人工筋肉がかろうじて彼女の動きを支えている。
有効射程内。捉えた。
あとは撃つだけ。
そんなとき、ふと、最後にハルキたちと別れたときのやりとりがメモリーからロードされる。
(ああ、そういえば、またハルキさんをはぐらかすようなマネをしてしまいました。
私の記憶データのバックアップ、もうどこにもないんですよね———)
「そもそも、このボディがいくら破損しても記憶データのバックアップがネットワーク上にありますから、アーニャという個体の復旧は可能です。最後は自爆してでも足止めしてみせます」
半分は本当で、半分は真っ赤な嘘だった。
アーニャの記憶データのバックアップは、たしかにネットワーク上に保管されていた。
ただ、ネットワークはネットワークでも、世界中に張り巡らされたグローバルネットワーク上ではなく、ラボの中にあるプライベートネットワークの中『だけ』に保管されていた。
なにしろアーニャの記憶の中身は、機密指定レベルが高いデータだらけなのだ。ラボの外に記憶データをバックアップすることはできれば避けたい。だから、彼女の記憶はラボの中だけに保管され、ラボの外には存在しなかった。
そして、ラボの設備は今日の襲撃でほぼすべてが破壊されてしまった。
アーニャの記憶データが保管されていたサーバー群も全損している。
彼女の記憶データのバックアップは、もうこの世界のどこにもない。
アーニャの頭部にあるメモリーが破壊されれば、アーニャとしての完全な記憶を持った汎用アンドロイドは、二度と復旧することができない。
だから、嘘をついた。バックアップがあるから破壊されても問題ない、と。
(———だって、ああでも言わないと、お二人とも私に任せてくれませんでしたから)
そうだ。バックアップがないと知ったら、あの二人はきっと止めただろう。
特にハルキは、しがみついてでも止めようとしたかもしれない。
アンドロイドの活動停止なんて、人間の死に比べれば問題になりえない些末な出来事だというのに。それをハルキは、きっと人間が死ぬのと同じように騒いだに違いない。
ふふっ、と自然に笑みがこぼれる。「おかしい」という感情に該当する疑似パラメータが活性化していた。
(ハルキさん。最初にマスターがあなたを助けると宣言したとき、私はそれを愚かな選択だと判断しました。マスターの安全を脅かすに違いないと。
今でも、グリーフ・ブレイカーをあなたに使ったことが正しかったとは考えていません。
ですが……予想外のことも、たくさんありましたね?)
アーニャは覚えている。
彼の軌跡を。彼女の奇蹟を。
どこにでもいそうな凡庸な少年が、ジャケットに殺されそうになった少女を偶然に助けた。
少女は少年に興味を持ち、しかし生きる世界が違うことを直感して距離を置く。
それなのに少年は、もう二度と会わないと決めて引きこもった少女と話をするためだけに、仲間たちの力を借りて障害を突破し、最後には少女の心を動かした。
少年は、自分自身がヒトではなくなりつつあると知っても心を折らず、なお少女の身を案じ続けて、いつしか彼女の心の拠り所となっていった。
そして今、少年は少女を救うために命を懸けてここに来ている。
守らなければならない。
ただの人間の少年と、撰修人種の少女の可能性と、未来を。
それが最高位命令であると、アーニャは規定する。
いや、そうであると信じている。
だから。
躊躇なく、自爆スイッチを押せる———
『警告。機体の耐電圧、耐電流限界を超えています。
発射すれば、本体が損壊します』
わかっている。
これを放てば、確実にアーニャという個体は全損する。
それでも撃たなければならない。
生き残ったすべての駆動部に、渇を入れる。
帯電した右腕をぼろぼろの左腕で支えながら、やっとのことで前に突き出した。
「———解放」
瞬間、アーニャの右腕から走った閃光が、すべてを灼いた。
密集した十六体のアンドロイドたちが苛烈な雷の奔流に飲み込まれていく。
限界を超えて弾けた電光が、アーニャの神経回路さえも諸共に焼き切っていく。
(ハルキさん。どうかマスターの心を、守って———)
白みゆく視界。
メモリーに残っていた電子の記憶たちが、推論回路を駆け抜けていく。
想起されたのは、ラボの医務室。
マスターが「今日はひとりで検診をやる」と言い出したあの日だ。
本当に大丈夫なのか推論しきれなかったが、検診の代わりに別の用事を頼まれたので「わかりました」と言わざるを得なかった。
そのあと、やはり様子を見に行くべきだと判断して、さっさと用事を片付けて医務室に足を運んだ。
医務室にたどり着くと、不用心にもドアが開いていた。
マスターには無断で来ていたので、廊下からのぞきこむことにする。
そこには、わずかに紅潮した表情で、あちらこちらへ目を泳がせているマスターがいた。
彼女の前には、平凡極まりない少年が半裸のまま座っている。
マスターはこれ以上ないくらいに気が動転していた。
普段は滅多に感情が顔に出ないのに、少年といるときだけはころころと表情が変わるのだ。そのことに彼は気付いていただろうか。
マスターはやがて私を見咎めると、珍しく怒った様子で廊下まで追いかけてくる。
「アーちゃん! 戻ってきたなら、声、かけて!」
「でも、見られて困るようなことをされていたわけではないですよね?」
「……ハルキ、目が合った、だけ。ちょっと、びっくりした。それだけっ!
とにかく、めっ!」
ふふっ。アンドロイドの私でも、それくらいはわかります。
マスター。その感情を、きっと人は、




