死地を踏み越えて(7)
「……ふぅ」
ミサキは肺にわずかに残っていた息を吐き出すと、右の拳を引いて自然体に構え直した。
(間に合った。発射の瞬間に何とか割り込めたか)
手応えはあった。キョウヤにダメージを与えた確信がある。
スリングショットも間違いなく破壊した。少なくとも、精密射撃が不可能になるくらいには本体に歪みが生じたはずだ。
(こうなったら、キョウヤは仕切り直すまで攻撃してこない。すぐに姿を現すはず)
キョウヤは命の奪い合いを楽しんでいる。
想定外の方法でダメージを受けた以上、仕切り直そうとするはずだ。このまま物陰から不意打ちを仕掛けて決着を付けにくるような性格ではない。そんな戦い方を彼は「無粋」と考えるだろう。
そのまま警戒を解かずにしばらく待っていると、予想通り、キョウヤが近くの暗がりからゆらりと姿を現した。
「いやぁ、やられたぜ。あんな距離から斥力場を当ててくるなんてさぁ。どうやったんだ?」
キョウヤは左腕をかばっていた。様子を見る限り、おそらく骨が折れている。
ミサキは手応え通りの結果だったことに満足し、口を開く。
「遠くから『殴った』だけよ。斥力場でね」
「ハァ? ふざけやがって。あの距離から何の媒介もなしに斥力場『だけ』をぶつけるなんて、イメージできねえだろ。収束できずに途中で力場が散るぜ、普通」
キョウヤの言葉の真意は、適応者なら誰だってすぐに理解できる。
斥力場は、使用者の精神的なイメージに強く影響を受ける。イメージが強ければ強いほど、発生する斥力場も強く、硬く、鋭いものに変じる。
逆に言えば、イメージできない力を発動することはできない。キョウヤは投擲武器を好んで使っていたが、それはただの伊達や酔狂というわけでもない。『そうしなければ力場で遠くを攻撃できない』から使わざるをえなかったのだ。巨大なスリングショットを使ったのだって、それを媒介にしないと遠距離に力場を届けるイメージを持てなかったからだ。
しかし、ミサキは違った。
一切の媒介に頼ることなく、『正拳突きで四十メートル彼方を全力でぶん殴った』のだ。
「白状すると、実は私もほんの少し前まで、遠くを力場で殴るなんて発想、持ってなかったの。できると思ってなかったし、試そうとしたこともなかったわ」
「じゃあ、なんで急に……?
いや、待てよ? おいおい、まさか……っ!」
それまで困惑していたキョウヤの表情が、ぐにゃりと悪趣味な笑みに変わった。
「ええ。想像の通りよ。あなたと戦ってから、試しに練習してみたら『できた』のよ。
お礼を言わないとね。前に戦ったとき、あなたの戦い方を見ていて気付いたの。ああ、斥力場ってこんな風に自由に使ってもいいんだな、って。
私の流派にはないけれど、合気道ではこういうのを『遠当て』とか言ったかしら? ま、私が使ったのは斥力場をそれっぽく使っただけの、まがい物だけれど?」
ミサキは、格闘術を母体として斥力場を使っている。
それゆえ、斥力場の発生範囲は『生身のまま格闘術で攻撃できる範囲の延長』に限られていた。すなわち手足の延長なので、射程はせいぜい三メートル。
格闘ゲームや創作物なら『遠くに正体不明のエネルギーを飛ばして攻撃する』ことは日常茶飯事だが、現実の生身の格闘技にそんな技はない。
存在しないものは、具体的にはイメージできない。だからミサキにとって『遠くを殴る』なんてことは夢物語のような突飛な発想だった。
しかし、ミサキはキョウヤの破天荒な戦い方を目の当たりにして「適応者はなんでもあり」であることを体感で理解した。決まり切った型がなく、既存のどんな格闘術にも依存しない『斥力場を前提とした体捌き』をキョウヤの中に見た。
———ならば、もはや既成概念に囚われる必要は無い。
あの日、あのとき、キョウヤとのあの夜の闘いの中で、ミサキはそう確信した。
「遠くにいるから殴っちゃいけないなんて、ただの思い込みよね? だって、あなたは『空中を蹴って方向転換』なんてバカげた芸当もやっていたし。あれがありなんだったら、もうなんでもありじゃない。
だから、できる気がしたのよ。できる気がするってことは———実際に『できる』はずよね?」
しっかりしたイメージさえ組み上げられるなら、どんな無茶だって実現できる。
それが、斥力場自由制御機構の本当の———本来の力。
キョウヤは大笑いし始める。
「———はははははは! オレの動きを見て閃いたってのか! それもこの短期間で!
サイコーだな?! いいね。おもしろくなってきた!」
対照的に、ミサキの表情は落ち着いていた。
「……盛り上がっているところ悪いんだけど、このあたりで退いてもらえないかしら。
その折れた腕で私と戦うのは分が悪いって、わかっているでしょう? 私だって片腕は折れてるけど、私は力押しで、あなたは手数頼み。片腕で私の防御は抜けないわよ」
笑っていたキョウヤが、ピタリと動きを止めた。
不愉快だと言わんばかりにミサキをにらみ付ける。
「ハァ? この程度で退くわけねえだろ?」
彼の視線から並々ならぬ覚悟を感じ取って、ミサキは思わず怯みそうになる。
「……どうして、そこまでして戦おうとするの? あなたを突き動かしているものはなに?」
ミサキは言外に「無闇に命を投げ出すほどの戦う理由があるのか」と問うたつもりだった。もしかしたら、引くに引けない事情があるのかもしれない。もしそうなら、話し合う余地があるのかも———そんな淡い期待を込めて。
しかし、そんな希望は当然のように打ち砕かれる。
「戦う理由? そんなの『楽しいから』に決まってんだろ? こうやって殺し合ってるときの、生きてる実感がたまらねえんだよ。ガキの頃からずっとそうだ」
———今の言葉は聞き捨てならない。
何気なく発せられた一言だったが、ミサキにとっては『ありえない』言葉だった。
「子どもの頃からずっとって———まさか、物心ついたときから人体機能付与型ナノマシンを使っているの?」
「そうだぜ? 記憶があるのは四歳くらいからか? そのときには適応者だったよ。
うちはいい子ちゃんの警察や軍とは違うからな。ガキの頃にアンプルを試しに打たれて、あとは生きるか死ぬかだ。運良く適合しても、自力で制御できなきゃ死ぬ。暴走したヤツは問答無用でセンパイたちにぶっ殺されてたぜ」
ミサキは、ふいに確信した。
キョウヤと相対するときに感じる、どこか懐かしいような、悲しいような、ひんやりしているのに少しだけ温かい、ふしぎな気持ちの正体を。
(そうか。私とこの子は、逆の立場だったかもしれないんだ……)
大きく息を吐いたあと、ミサキは顔を上げてキョウヤの目を真っ直ぐに見つめる。
「……正直に言うわ。キョウヤ、できればあなたとは戦いたくない。
私とあなた、似たもの同士なのよ。身寄りがなくて、必死に生きてきて、闘うことでしか自分や周りを救えないと思ってる。
違ったのは、拾われた先が警察だったか、犯罪組織だったかってだけ」
そう。立っている場所が、たまたま違っただけだ。
ミサキは運良く、比較的まともな警察に身を寄せることができた。
でも、もしどこかで適応者として犯罪組織に見出されていたら、キョウヤがいま立っている場所にミサキがいたとしても不思議はない。
「あなたは戦うことに喜びを見出しているようだけれど、無闇に人を殺すことを良しとしているわけじゃない。そうでしょう?
前に戦ったときだって、ハルキが邪魔さえしなければ攻撃するつもりはなかったように見えた。公園でリゼが襲われたときも、あなたが乗っていたジャケットは直接リゼを狙ったりはしなかった。リゼを自分で殺す気はなかったから、無人機が倒されたらすぐに退いた。そうでしょう?
あなたがただ弱いものいじめをするとはどうしても思えない。
もしそうなら、罪を償えばきっと日の当たる場所に戻ってこられる」
ミサキには、キョウヤと自分たちが———実家にいる弟や妹たちが重なって見える。
いずれも、事情があって実の親の愛情を受けられなかった子ども達。それでも本人達が幸せに生きているなら構わない。実の親に育てられることが必ずしも幸せではない。幸せの形は無数にある。
だけど、キョウヤが生きている世界が幸せなものだと、ミサキにはどうしても思えなかった。どうにか、温かな場所に戻ってきて欲しい。
「お願い。今は退いて。
あなただって、西園寺の目的が大勢の人間を不幸にするってわかっているんでしょう?」
もし西園寺が企んでいる通りに悪辣極まりないナノマシンが散布されれば、ナノマシンに適合しなかった大勢の人間が苦しむことになる。それどころか、ナノマシンに適合した人間たちによって、社会が大混乱に陥る可能性さえある。
それをキョウヤが本心から望んでいるとは、ミサキには思えなかった。
「アァ? 人体機能付与型ナノマシンを世界中にバラまこうとしてるんだろ? いいじゃねえか。そこらじゅうに強い連中があふれかえるんだったら、オレは願ったり叶ったりだ。
あのおっさんは気に入らねえけど、オレが協力するには十分な理由だぜ?」
キョウヤは不気味に笑っている。
ただ、その暗い笑みの奥底に矛盾した想いが横たわっているような気がした。
もしかしたら思い込みかもしれない。しかし、それでもどうにか彼を救うことが———
「なあ、もういいだろ。あんたの価値観でオレの生き方を勝手に量るなよ。
オレはこれで……これがいいんだよ」
キョウヤは胸元からきらりと光るものを取り出した。
銀色のアンプル。人体機能付与型ナノマシンが詰め込まれた小瓶。
彼が何をしようとしているのか、ミサキはすぐに察する。
「過剰摂取……。そうすればたしかに力は増す。でも、死ぬわよ」
「けっ。ミサキはやっぱいい子ちゃんだな。
オレにはこれしかねえんだ。今さら惜しむものなんて、ねえんだよッ……」
キョウヤは躊躇せず、それを首元に押し当てる。
途端、彼は苦しそうに喉を掻きむしり始めた。
「が、あ、あ、ァ、グ、ガアァァァァ!」
血の涙を流し、鼻血を吹き出している。呼吸は荒く、いや、ろくに呼吸はできておらず、天井を仰いでただただ喘いでいる。
そしてその計り知れない苦悶と引き換えに、キョウヤの周囲にはこれまでと比較にならないほど強大な斥力場が展開されていく。
「くっ!? なんて、出力———!」
彼の周りには、不可視の力場がまるで竜巻のように渦巻く。近づくだけで人体など簡単に粉砕されてしまうほどの圧。ビリビリと肌が震える。目の前で巨大な龍がのたうち回っている。そんな様子をミサキは幻視した。
過剰摂取。
多量の、過剰なほどの人体機能付与型ナノマシンを摂取すれば、通常よりも強力な斥力場を発生させることができる。
キョウヤは、体内を駆けめぐっていた人体機能付与型ナノマシンの『効果が切れる前』に二本目のアンプルを打った。もともと稼働していたナノマシンと、新しく打ったナノマシン、そのどちらも活性化され、圧倒的な力が手に入る。
ただし、規定量を超えて人体機能付与型ナノマシンを投与するリスクは甚大である。キョウヤがいまそうなっているように、限界を超えた斥力場は己の体を蝕み、体の中を毒虫が這い回って中から食い破ろうとするような激痛に耐えなければならない。
そして、多くの場合はその苦痛に耐えられず暴走し、周囲を巻き込んで自滅する。
すなわち、過剰摂取は力を手に入れるための、極めて分の悪い命がけの博打である。
しかし。
「嘘でしょう……? 収束していく……」
ミサキは、キョウヤの暴走しかけている斥力場が徐々に収束していく様子を見つめながらつぶやいた。
もがき苦しみながらも、キョウヤはその荒れ狂う力を自分のものにしつつある。
仮にいま攻撃しても、キョウヤがまとった分厚い斥力場に阻まれて一切のダメージを与えられないだろう。
「アァァァ! ガアアアァァァァァ! アァァァァ———」
やがてキョウヤは一度だけ口から多量の血を吐き出すと、まるで憑きものが落ちたように平静を取り戻した。
「———ふぅ。危ねえ危ねえ。さすがに今回はギリギリだったぜ」
「……その様子だと、故意に過剰摂取したのは今回が初めてではないわね」
「はっ、これが何回目の過剰摂取かなんて、覚えてねえよ」
顔中についた血の跡を拭いもせず、キョウヤはにたりと笑う。頬を伝った血の涙の跡が、泣いているピエロの化粧のようにも見える。
「そもそも、飛び道具に頼ってミサキを倒そうなんて考えたのが間違いだったぜ。
あんたは、オレの最速の一撃で貫く。今回は邪魔も入らねえ。あのときのリベンジだ」
キョウヤはそう言うと、三十メートルほどの距離をバックステップで一息に飛び退いた。
その様子を見てミサキは悟る。
(私より、力場の出力はキョウヤが圧倒的に上)
彼がまとっている斥力場が変質している。
龍のように雄々しく、鋼鉄よりも硬い。
力押しが得意なミサキであっても、いまのキョウヤと真正面からぶつかり合ったら、押し負ける。
「……私、間違っていたみたい。あなたがそこまで狂っているって、読めなかった」
頬を伝ってきた汗を右手で拭う。
遠く離れてもなお、キョウヤの斥力場の圧力は重い。
キョウヤが姿勢を低くして、伏して獲物を捕らえようとする肉食獣のように構える。
ミサキは右の拳を握りしめると、ゆっくりと呼気を吐き出した。
———覚悟は決まった。




