死地を踏み越えて(6)
バツンッ!
空気が弾けるような感触が伝わってきた。
その直後、遙か彼方から斥力場をまとった『何か』が飛んでくる。
速すぎて視覚では捉えられない。
しかし、ミサキの適応者としての感覚は、自分を目がけて飛んでくる物体を正確に捉えていた。
(———巨大な鉄球!?)
直径十センチはあろうかという大鉄球。弾丸に換算すると百ミリを超える大口径に匹敵する鉄の塊が、尋常ではない速度でキョウヤが居る方角からまっすぐに向かってくる。
その運動エネルギー量は、まさに馬鹿げていた。あるいは電磁投射砲と良い勝負ができるかもしれないほどに。
ミサキは直感的に『死』が襲来していることを感じ取る。
もう回避は間に合わない。逸らすか、受け止めるかしかない。
(逸らすのはだめっ! ただの鉄球じゃない! 斥力場で守られてる!)
大鉄球は周囲に強力な斥力場をまとっている。こちらから力場で干渉しても、軌道を逸らす前に押し切られて被弾する。
ならば、受け止めるしかない。
(———受け損なったら、命はない)
全身全霊を込めて防御しなければ、内包する運動エネルギーを相殺しきれずに潰される。
ミサキは両腕を体の前でクロスさせ、渾身の力を込めて強力な斥力場を張る。
横や背面の防御はかなぐり捨てて、持ちうるすべての斥力場を正面に何重にも並べて展開する。
その数、六層。
瞬間的に展開できたのは、たかだか六枚の薄っぺらで心許ない透明な壁だけだった。
せめて、あと一秒あれば———
そんな後悔をよそに、すぐに裁決の時はやってきた。
弾着。
「ぐっ、ああああああああっ!?」
一層目の力場は、ガラスのように砕け散る。
二層目も、烈風が花弁を吹き散らすように消え去った。
三層目、四層目を犠牲にしても大鉄球を制止するには至らない。
苛烈な衝撃に、前に構えた左腕が悲鳴を上げる。力場で殺しきれなかったエネルギーが流れ込んで、体が押しつぶされそうになる。
五層目でも止まらない。次が最後の薄皮一枚。
押し切られるかもしれない。そんな弱音が脳裏をよぎった。
「あああああああ———っ!!!」
———ハルキ。ふいに、彼の顔を思い出す。
もしここで倒れたら、彼を守る者はいなくなる。
ハルキがここからひとりで地上に戻ろうとしても、徘徊するアンドロイドをやり過ごしながら引き返すことは叶わないだろう。いくら不死身のように頑丈だとはいえ、全身を蜂の巣にされて生きていられるとは思えない。
ここで死ぬわけにはいかない。生きて帰らなければ。絶対に。
「———らあああぁっ!」
ゴッ。
重い鉄球が床に落ちて、わずかに残った慣性のままゴロゴロと転がっていく。
すんでの所で、ミサキは辛くも命をつなぎとめた。
しかし、その姿は無事とは言い難い有様になっていた。
(……ぐっ。左腕はだめか)
左の前腕部は完全に折れていた。もう左腕は使い物にならない。
ミサキは左腕をかばいながら、キョウヤがいるはずの方角をにらむ。
斜め上方。四十メートルの彼方にある、積み上がったコンテナの最上部。
キョウヤはそこからミサキを見下ろしていた。
まともに会話できる距離ではない。
しかしそれでも、キョウヤが何を考えているかは顔を見ればすぐにわかった。
『殺す』
混じりけのない殺意がまっすぐに向けられている。
(なんて威力。いったいどうやって鉄球を撃ち出したの?)
見ると、キョウヤが二撃目を構えようとしている姿が遠い暗がりの中に見える。
左腕を前に突っ張り、右腕を後ろに退くような動作。
それはまるで、弓を引いているようで。
もしこの場にトマスとイオリがいれば、セントールが電磁投射砲を発射する動作を思い起こしただろう。
よく目を凝らすと、キョウヤが構えている武器の正体がおぼろげに浮かび上がる。
巨大な、Yの字。
(……冗談でしょう?)
それは、驚くほど原始的なしかけだった。
スリングショット。
Yの字の両端に弦となるゴムをくくりつけ、ゴムを引っ張った力で弓矢のように弾を発射する武器。
ただし、キョウヤが持つそれは、大きさが尋常ではない。
弦が括られた両端の幅は、有に一メートルを超える。キョウヤはYの字が横倒しになるよう左腕で水平に構えて、右手で弦を引いているようだ。
彼の周囲に、斥力場が激しく渦巻いている様子が見える。
(発射した鉄球に力場を重ねて押し出すことで威力を高めた……? 違う。それだけじゃない。
———防御をかなぐり捨ててすべての力場を使って、人間の膂力では決して引けない剛弓を無理やりに引いている! 弦を引く動作に正確に斥力場を重ねるなんて、なんて繊細な制御!?)
ミサキは、キョウヤが制御している斥力場の様子から、鋭敏にその力の正体を感じ取っていた。
間違いない。容易く発射しているように見えて、あれはキョウヤ以外の誰にも射ることができない特別製のスリングショットだ。
人間どころか、ジャケットであってもあの『弓』を射ることはできないだろう。
発射するには、暴れ馬のような斥力場をまるで自分の腕のように正確に制御して弦を無理矢理に引かなければならない。そして、発射した瞬間に全ての力場を集束させ、寸分違わぬタイミングで鉄球をカタパルトのように押し出し、極限まで加速させなければあの威力にはなりえない。
許される誤差は、コンマ何桁の世界だろうか。あまつさえ制御を失敗すれば力場が暴発して死ぬかもしれない。それをキョウヤはこともなくやってのけている。
神童。もはや、そうとしか形容できない。
徹頭徹尾、キョウヤは斥力場の女神に愛されている。
「苦労したんだぜェーっ! こいつにイメージを乗せられるようになるのはさァーっ!」
ミサキの推理を裏付けるように、キョウヤの大声が地下に反響する。
(こんな馬鹿げた武器で私の斥力場を貫通するなんて考えてもみなかった。
でも、このままだと、まずい)
二発目を撃たれる前にこの距離を詰めることはできないだろう。
逃げようとしたところで、射程外に逃れる前に狙い打ちされる。
発射されたことは知覚できても確実に回避できる弾速ではなく、命中すれば致命傷だ。
周囲に落ちている建材を盾にしたところで、まとめて破壊されるだけだろう。
いずれにせよ、後手に回ったら、敗北は必至。
———先手を、取るしかない
キョウヤはすべての斥力場を攻撃に回している。これだけ離れていれば不意打ちで攻撃される心配は無いと判断しているのだろう。防御面は丸腰に等しい。
それなら、やることは決まり切っていた。
真正面から、叩きつぶす。
「———ふぅ」
ミサキは腰を落とすと、その場で『正拳突き』の構えを取った。
左腕は折れているのでだらりと下がっているが、それ以外はこれまでに何万回も何十万回も繰り返してきた動作と全く同じだ。右腕は腰だめに構えて、いつものように下っ腹に力を込める。
キョウヤをにらみ付けると、戸惑っている様子がおぼろげに見て取れた。
彼の声が聞こえるわけではない。それでも、何を考えているかは想像がつく。
『そんな柔な拳で、オレの弾丸を打ち落とそうなんて考えてないよな?』
キョウヤの表情は、そんなふうに言いたげだ。
———まさか?
後追いで構えたこの正拳突きで、渾身の力を込めた神弓の一撃を打ち落とせるなどと考えてはいない。
だから、これから殴るのはキョウヤが放つ鉄球『ではない』。
「———はぁっ!」
ミサキは腰にひねりを加えながら、右腕を真っ直ぐに突き出した。正確に、寸分の狂い無く、その拳はキョウヤの方角を目がけて放たれている。
キョウヤまでの距離、およそ四十メートル。
決して届くはずのない正拳突き。しかしミサキは迷わずに『キョウヤに向けて拳を放った』。
「ォラァッ!」
その直後、キョウヤはスリングショットの弦を引ききって、手を離した。
決して人類には引けない剛弓が、強大な斥力場を抱え込んだ鉄球を打ち出そうとする。
ミサキには、その様子がまるでスローモーションのように感じられる。
弦の収縮とともに鉄球が急加速し、ミサキに向けてまっすぐに『死』を送り届けようと牙を剥いている。
やがて、鉄球が弦から離れようとした、その刹那。
「がぁっ!?」
突然、コンテナの上に立っていたキョウヤの体が後方に吹っ飛んだ。
届くはずのないミサキの正拳は、しかし適確に遥か彼方のキョウヤに命中した。
そのままキョウヤは小さな弧を描いて宙を舞い、受け身を取ることもできずに背中からコンテナの端に落ちる。もう少し飛んでいたら、積み上がったコンテナの下まで真っ逆さまに落ちていただろう。
一方、スリングショットから放たれた鉄球はミサキからほんのわずかに逸れて、彼女の後方に山積みになっていた無数の建材やコンテナを易々と貫通し、その余波だけで激しく吹き散らした。ガランガランと不快な大音響が奏でられる。
地下空間に残響がこだまして、やがてゆっくりと静かになった。




