死地を踏み越えて(5)
地下十四階。
アーニャと別れて、エレベーターシャフトを降りた先。
ミサキは、ハルキとともに物陰に隠れている。
「ハルキ。怪我はしてない?」
「大丈夫だ。そもそも怪我くらいだったらすぐ治るから心配するな」
「そうね。少しくらいの怪我だったら、気にしなくていいんだっけ」
ふいに、ミサキがすぐ後ろに身を寄せていたハルキに振り返る。
「ん? どうした、ミサキ?」
「ごめんなさい」
ミサキはハルキの腕をつかむと、そっと引き寄せた。
「ちょっ、なにを———」
ハルキが動転した隙を突いて、そのままするりと背後に回り込み、首筋に腕を回す。
そのまま頸動脈を圧迫して、一気に締め上げる。
「あ———」
ハルキが腕を叩いて制止しようとするのを無視し、グッと力を入れて、締め落とす。
そうして、ほどなくしてぐったりしたハルキを優しく床に横たえた。
「……この先には、どうしても連れて行けない。あなたがいくら頑丈でも、きっと殺されてしまうから」
ミサキは、ヘッドギアの隙間から気を失っているハルキの頬に指を沿わせて、二度三度と小さく撫でた。
そのあとゆっくり立ち上がると、足元から声を掛けられる。
「……浅野美咲。なぜ操者を気絶させたのですか」
ハルキの声で、ハルキではない者がしゃべっていた。
「あなた、グリーフ・ブレイカーね?」
「はい。操者が意識を喪失したため、身体の維持を代行しています。本日、別名として『グリ』という名称を与えられました」
ハルキの体は床に仰向けに寝そべったまま、まぶたを開くこともなく口だけを動かして話していた。まるで寝言を言っているようだ。
「……絵本で見た気がする名前ね。まぁいいか。
で、グリ。あなたはそこに隠れていなさい。この先には、ハルキを目の敵にしている……はずの、適応者がいる。見つかったら確実に狙われるわ。私も守りきれる自信はない」
「了解。操者の身の安全を第一に行動します」
そのままグリは沈黙してしまった。ハルキはただ眠っているようにしか見えない。入り組んだ場所の隙間なので、そう簡単にはアンドロイドに発見されることもないはずだ。
ミサキは首をぐるりと回してコキコキと鳴らした。
「さて、行きましょうか」
進んでいくと、その先は資材が乱雑に並べられている倉庫のような空間になっていた。
天井は高く、やはりジャケットや重機が活動することを前提としているようだ。広さは五十メートル四方か、それ以上ある。幾重にも積み上がったコンテナに、太い鉄骨が何本も立てかけられている。
屋内ではあるが『散らかった工事現場』と形容するのがもっとも実態を表していた。
そして、その中央に、彼がいた。
「よお。久しぶりだな、ミサキ」
鏑木京弥。
光沢のない白い髪と、鮮血のような赤い瞳の少年。
今回は戦闘用の佇まいで帽子やパーカーを身につけておらず、その表情がよく見える。
無邪気な殺意の塊が、にたにたと気持ちの悪い笑みを浮かべてミサキを見つめていた。
「今日はあのウザい男はいないんだなぁ?」
それが誰のことを指しているのかは明らかだ。前回の『殺し合い』に水を差したハルキのことに他ならない。
「いないわ。ハルキがいると、私も全力が出せない。
あなたは本気の私と戦いたいんじゃないの? これで邪魔は入らない」
それを聞いて、キョウヤは屈託のない大声で笑った。
「ははははっ! いいぜ。わかってきたじゃねえか!」
いつの間にかキョウヤは鉄杭を取り出して、指の間に挟んで構えている。
「今日の昼は肩透かしを食らったからなぁ。まだ気が収まらないんだよ。
ラボだっけ? 軍の適応者がいるっていうからジャケットに紛れて忍び込んだんだけどさ、てんで雑魚だった。ミサキの方が何倍も歯ごたえがあるぜ。
やっぱ、人体機能付与型ナノマシンの力って才能なんだな!」
ラボが襲撃を受けたあと、軍の適応者の行方がわからなくなっている、という話までは聞いていた。あの程度の砲撃であれば、適応者なら助かる可能性が十分にあるというのに。
それゆえミサキは「もしかしてキョウヤが来たのかもしれない」という想像もしていた。やはり実際にキョウヤが戦って倒していたようだ。
「そう。やっぱりあなただったのね。
軍人より強いって言ってもらえて嬉しい……何て言うわけないでしょう?
来なさい。今度こそ叩きのめして———補導してあげる」
「やってみろよ! やれるもんならなぁ!」
それが開戦の合図になった。
瞬時に、数本の鉄杭が正面から飛んでくる。
そんなものではたいしたダメージにはならないとわかっているはずだが———
(———なるほどね?)
鉄杭の奥に隠れるように、投げナイフが紛れ込んでいた。
小さな鉄杭とナイフでは質量が違いすぎる。鉄杭を止めるつもりでかけていた力では、ナイフを制止しきれない。気づかなければ直撃をもらっていただろう。
ミサキはまず鉄杭を斥力場で弾くと、その影に隠れて飛来したナイフの刃の腹に左の手の甲を沿わせた。そのままスッと押して外側に向けて軌道を逸らす。
ナイフはミサキから逸れるとあさっての方向に飛んでいく。
「あっ、やっぱバレるよなぁー!」
キョウヤはよほど楽しいらしく、せっかくミサキの死角に回り込んでいたのに大声を上げていた。声がした方から鉄杭が跳んでくるが、それを難なく斥力場だけでガードする。
「ほらほらほらほらほらほら!」
キョウヤは続けざまに次々と攻撃を仕掛けてくる。
鉄杭、鉄杭、鉄球、鉄球、鉄球、鉄杭、ナイフ、鉄球、鉄杭、ナイフ———
四方八方のいたるところから間断なく投擲武器が飛んでくる。
しかし、そのことごとくをミサキは打ち払い、回避し、受け止め、逸らし、無力化した。
そんな応酬が、何度となく続く。
何度繰り返しても、キョウヤが投擲する武器は、ミサキの斥力場の守りを突破できない。
このまま続けるなら、ミサキの体力が先に尽きるか、キョウヤの弾丸が先に尽きるかを根比べで決める勝負になる。
やがてキョウヤは小さく鼻で笑うと、攻撃の手を緩める。つまらない消耗戦で決着を付ける気はないのだろう。
「へぇ。この間はろくに反応できてなかったのに、やるじゃん」
キョウヤは距離を取ってから動きを止めた。緊張感無く、片足をぶらぶらさせて遊んでいる。
「こう何度も見せられてたら、見えないものも見えるようになるわよ」
対照的に、ミサキは構えを解かない。解くことができない。キョウヤが本気になれば、この距離は一瞬で詰められる。
「———じゃあ、一段ギアを上げてみるか」
声と同時に、フッとキョウヤの姿がかき消える。
(速い! でも!)
実際にその場から姿が消えているわけではない。脳がそう錯覚するほどに初動と加速が速いだけだ。目ではしっかりキョウヤの位置を追えている。それでも、反応が間に合わない速度で動かれれば見えていても『消えた』ように錯覚する。
ただし、ミサキの動きも前回とは違う。
(———大丈夫。追えるはず)
目で見てから反応していては対応が間に合わない。だから、見るよりも前に、斥力場の動きを察知して、キョウヤを捉えている。
キョウヤが斥力場を使って移動している以上、移動する前に斥力場の変動が付きまとう。力の流れが僅かに変化する瞬間を見極めて、キョウヤがどこに移動するつもりなのかを見破る。
目で動きを追うのではない。格闘家としての勘でもない。
適応者としての感覚で、キョウヤを追う。
「そこっ!」
虚空に向けて、ミサキは拳を突き出した。
「———うおっ!?」
突き出した拳に、キョウヤが正面から突っ込んでくる。
このまま行けば、ミサキの拳がキョウヤの胸にクリーンヒットする。しかし、寸前でキョウヤは体勢を変え、スライディングしながらミサキの脇をすり抜けていった。
ミサキは振り返って追い打ちを掛けようとするが、そこにはすでにキョウヤの姿はない。
「あっぶねえ! ちょっとなめてたぜ。まさかついてくるなんてさ」
「……そうね。私も、思ったよりあなたがノロマで意外だった」
ミサキは、いつの間にか左足の太ももに浅く刺さっていた鉄杭を抜いて、投げ捨てた。
(油断はしていない。それでも隙を突かれた、か)
痛みはあるが、気にしなければどうということはない程度だ。
一方のキョウヤも、直撃は免れたものの右肩にミサキの拳がかすっていた。痛みがあるのか、右腕をぐるぐる回して可動域を確かめる仕草をしている。
「ふーん。オレがノロマ。ノロマねぇ。そう言われると———殺したくなるな?」
「!」
ふいにキョウヤを完全に見失う。初動さえ一切感じ取れなかった。目で追うことすら叶わない。
全身の感覚を総動員して周囲を探る。
(———ナイフが、五本?)
ナイフが、上方、左、右、正面、後ろとわずかずつの時間差で取り囲むように飛来していた。当然、ただの投げナイフではない。すべてにキョウヤの斥力場の加護がかかっている。対処する順序を間違えたら、こちらの斥力場を貫通して体に深く突き刺さることになる。
ひとつずつ、正確に丁寧に対応しなければならない。
面倒極まりない。
(やれやれ)
面倒極まりないので、ミサキは丁寧に対応することをすっぱりと諦めた。
「———はぁぁぁぁぁぁっ!」
斥力場をすべて防御に回して、全方位に急速に拡大させる。
ナイフの勢いは鋭く、斥力場で受け止めるのは容易ではない。
しかし、五本のナイフが『ほぼ同時に』迫っているのであれば、『全方位に瞬間的に力を込めて力場の圧を高めれば』すべてをまとめて受け止められる。一瞬だけ歯を食いしばって痛みに耐える、そんな感覚だ。長くは続かないが、短時間なら強い力を出せる。
キィン! カランカランカランカランカラン……。
五本のナイフが床に落ちて、乾いた音を広い空間に反響させる。
(やっぱり、力場の出力勝負なら私の方が上みたいね。速度と精度は完敗だけど)
斥力場の総出力は、ミサキの方が上だ。そのことは前回の戦いでも証明されている。
前回の戦いで、キョウヤは手数を割いて無数の攻撃を仕掛けていた。それはミサキの『防御の隙間を抜く』ために、数とスピードで翻弄しようとしていたからに他ならない。裏返せば、力押しだけでは簡単にはミサキの防御を貫通できない、ということだ。
適応者同士の戦闘は、結局のところ出力が高い者が優位に立つ。
出力が低い側は、何らかの工夫で大きな破壊力を得るか、相手の防御の隙を突いて攻撃するしかない。
小さな鉄杭や鉄球ではミサキの防御を貫通するには役者不足だと判断したから、キョウヤは投げナイフをレパートリーに加えたのだろう。だが、数本のナイフだけで倒されるほどミサキの守りは甘くない。正面からミサキの斥力場を貫通したいなら、ナイフよりもっと重く鋭い攻撃で圧倒する必要がある。
キョウヤだって、ただの投げナイフで決着がつくなどとは思っていないはずだ。何か秘策を持っている可能性が高い。
一切の油断はできない。
(キョウヤは、どこに消えた———?)
案の定、短い隙を突いてキョウヤはその姿をくらませている。
キョウヤの斥力場の揺らぎが遠ざかっていくのを、肌で感じる。
そうしてそのまま、スッと背景に融けて気配さえも消えてしまった。
———見失ってから、一、二、三、四、五秒。
キョウヤの移動速度を考えると、もはや無限にも等しい時間が流れた。どこまで行ったとしても不思議ではない。
どこだ。どこに消えた。
ミサキは斥力場越しの感覚を頼りにキョウヤを探し続ける。
———そして、さらに一呼吸のあと、遙か彼方に強大な斥力場の発生を感じ取った。
(遠いっ!?)
斜め上方、直線距離にして四十メートル。そこにキョウヤがいると直感する。姿を探すが、遠すぎてすぐには見つけられない。
「ミサキィ!! こいつは、受け止められるかなァーっ!?」
キョウヤの声が地下空間に響き渡った。
(わざわざ叫んで居場所を教えるなんて、何を考えて———)
声を頼りに四十メートル先にいるはずのキョウヤの姿を見つけ出した。
突如。
バツンッ!
空気が弾けるような感触が伝わってきた。




