死地を踏み越えて(2)
地下十一階。
複数のエレベーターシャフトを経由して、ようやくたどりついた先。
ハルキとミサキ、アーニャの三人は、警備の目をかいくぐりながら地下深くに潜り続けていた。
隊列の後ろで、マップデータを確認しながら歩いていたアーニャがぼやく。
「このフロアの奥にあるはずのシャフトを飛び降りれば、地下十四階まで一気に進めるはずですが……正確な道がわかりませんね」
ミサキも同じくマップを確認して、ため息をついた。
「イオリのドローンから送られてきたマップデータはここまでね。この先は、ホノカの遠見でわかっている粗い情報しかない。それに、今しがたホノカとの通信も途絶した。あとは出たとこ勝負になるわ。
———その上、ジャケットがうろうろしていても文句を言えない場所、と来たか」
呆れ混じりに、ミサキは頭上に広がる高い天井を見上げた。
地下十階以前は、通路や部屋の大きさはあくまで人間サイズだった。しかし、ここから先は違う。
眼前には、思わず立ちすくむほどの大空間が広がっている。天井高六メートル。横幅と奥行きは百メートル四方よりもなお広い。地下としては異常とも言える構造だ。大型重機やジャケットが行動することが想定された設計になっている。
一方、そうした広大な単一空間ではあるが、見通しは悪い。至る所にコンテナや鉄骨が雑然と積み上げられているからだ。そのせいで迷路のように入り組んでいてまっすぐに進むことはできないし、そこら中が死角だらけと言っていい。もし敵のジャケットが周囲の物陰に潜んでいても、視覚情報だけで発見するのは難しい。
「厄介ですね。上下左右のどこから襲われてもおかしくありません。
確認済みのジャケット三十六機のうち、いくらかはこの先に配備されていると見た方が良いでしょう。ハルキさん、油断しないでくださいね」
ふっと、アーニャの吐息がハルキの耳にかかる。三人で団子のように固まって進んでいるので無理もない。
「ひゃ、ひゃいっ。……でも、実際にジャケットが出てきたらどうするんだ、ミサキ?」
「私が速攻で破壊する。二人は隠れていて」
ミサキは物陰から様子を伺いながら先頭を進んでいる。
適応者には適応者なりにレーダーのような感覚があるようで、目で見えていなくても何かが近づいてくれば感じ取ることができるらしい。その研ぎ澄ました感覚で、これまでもアンドロイドとの遭遇を回避し続けていた。
アーニャはアーニャで強力なセンサーをいくつも搭載しているらしく、危険があるかどうか常に周囲の様子を探っている。
「———クリア。センサーには移動体は検知されません」
「同じく。ハルキ、行くわよ」
ミサキの感覚とアーニャのセンサー。両方を足し合わせることで安全を確認しながら前に進む。
幸いにして、ここまでは敵兵に接触することなく潜入できている。もしかしたらこのまま一度も戦闘にならずにリゼを救出できるのではないか。そんな希望を抱きたくなるほど順調に進んでいた。
しかし、現実はそう甘くない。
ミサキが物陰に隠れて様子を探ると、ついに回避できない障害を発見する。
「……アンドロイドが二体。回り込んで通り抜けられそうには見えないわね。突っ込んで破壊するしかないか」
視線の先には、鈍色のフレームが丸見えのアンドロイドが二体、立っていた。
およそ十五メートルほどの距離がある。ライフルを右手に持っていて、どう見ても友好的とは感じられない。眼球があるはずの部位には暗い赤色に光る視覚センサーがあり、周囲ににらみを利かせている。
「左は私が。右をお願いします。あの程度のドロイドなら、『これ』の最大出力で無力化できますから」
アーニャは腰に吊っていた電撃銃を取り出すと、セーフティを解除する。
汎用人工知能を搭載しているアーニャは、銃刀法違反になる武装を持つことができない。攻性機動無人機にならないように、という国際条約による制限である。付け加えるなら、モービルや工作用重機などを運転することもできない。容易に多数の人間を傷つけることが可能なものは扱えないよう、ハードウェアレベルで厳しい制御がかかっているからだ。
電撃銃や接触式電撃兵装は、そうした制限に抵触せずにアンドロイドが使用できる数少ない合法的な武装だ。やり方によっては人間を殺傷できるが、大勢を殺害することは難しいため、警備や護衛の用途で認められている。
敵のアンドロイドはそのルールを無視してライフルやマシンガンを振り回しているわけだが、相手がそうだからといってアーニャの制限が外れるわけではない。圧倒的に不利になるのはどうしようもないが、それでもアーニャは電撃銃で十分だと言い切った。
ミサキはアーニャの提案に頷く。
「わかった。じゃあ、タイミングを合わせましょう。ハルキはここにいて。
———三、二、一、今!」
途端、ミサキは地面を蹴って加速した。それほど力を入れて走り出したようには見えないのに、一歩目でアンドロイドへの距離を半分近く詰め、三歩目ですでに拳が届いていた。
「はっ!」
右に立っていたアンドロイドは為す術もなくミサキの拳を胴体に受けて、一拍遅れてからどさりと地面に倒れた。二体目のアンドロイドが気が付いて、ミサキにライフルの先端を向けようとする。
すると、ミサキの後を追うように続いていたアーニャが、五メートルほど離れた位置から電撃銃を二体目に撃ち込む。
バババババッ!
アンドロイドの首筋に撃ち込まれた針からケーブルを通じて高圧電流が流れて、ビクビクと胴体が震える。わずかに金属と肉が焼ける匂いがして、二体目も床に崩れ落ちた。
「———ふぅ。ずいぶんと安物の人工筋肉を使っていますね。この程度の電圧と電流で神経系統どころか筋肉まで焼き切れるなんて」
アーニャは電撃銃の針とケーブルを回収して、本体に巻き取り直している。針と銃本体がケーブルでつながっている旧型の有線式なので、連続して撃てない欠点があった。
「あなたを基準にすると、どんなアンドロイドでも安物になるんじゃないの? 前にイオリが、アーニャひとり分のコストで平均的な素体が三十は作れるって言ってたけど」
「イオリさんが私を作ったときはそうでした。ですが、マスターが採算度外視でチューンし続けていましたから……。おそらく現在の私の製造コストは平均的な素体の———」
「いい。それ以上は聞かない。お金って、あるところには無限にあるのよね……」
ミサキは悲しそうというか、羨ましそうというか、なんだか複雑な表情になっていた。生まれ育った環境のおかげで貧乏性が染み付いている。今だって貧乏ということはないにしろ、日々倹約に勤しんでいるのだ。目の前にいるアーニャが眩しいに違いない。
いったいリゼがどれほど稼いでいるのか定かでないが、何も考えずに『すべて』アーニャにつぎ込んでいてもおかしくはない。衣食住はラボの中で保証されているし、他に趣味らしい趣味もない様子なのだから。
「さて、と。雑談はこのくらいにして。ハルキ、さっさと先に進み———」
そうしてミサキが振り返って、ひとりだけ置いてけぼりにしてきたハルキの姿を確認したところで、想定外の事態が発生した。
ハルキの側にあったコンテナの影から、唐突にジャケットが飛び出てきたのだ。
「うわぁっ?!」
ハルキの驚く声が響く。
さながら『一人になるのを待っていました』と言わんばかりのタイミング。
灰色の工作用ジャケット。これまでに何度も遭遇してきた因縁の相手がハルキの正面に立ちはだかっている。
その右手には、大口径のショットガンが握られていた。
この至近距離で発砲されたら、ハルキの姿形は一切残らない。
『警告。回避して下さい。直撃すれば生命活動を維持できません』
グリからの警告がハルキの脳内に響き渡る。
「ハルキッ!」
ミサキは駆け出すが、それでも戻るのに三歩はかかる。
その三歩は、絶望的に遠い。
ジャケットがハルキに銃口を向けて、トリガーを引こうとする。
「———うおぉぉぉぉぉぉぉぉっ!!!!」
ハルキが叫んだ。
同時に、銃口が火を噴く。
ダァァァン!
耳をつんざく衝撃音が鳴り響き、ジャケットが発砲した散弾がハルキが立っている場所とその背後のコンテナを貫く。
直後、ジャケットの背中に狙いを定めたミサキが、走り幅跳びの要領で大きく跳躍する。
「はぁぁぁぁっ!」
振り上げられた拳がジャケットの背骨にあたる部分にたたき込まれる。鈍い音がして、内部からメリメリと何かがねじ曲がる音が聞こえてくる。
ミサキが拳を収めて着地しても、ジャケットの外装にはほとんど変化がない。しかし、敵性ジャケットはそのまま動かなくなった。立ったまま、死んでいる。
「ハルキさんっ!」
三秒ほど遅れて、アーニャがミサキの元に追いつく。
間に合わなかった。ミサキの攻撃はジャケットの発砲を阻止できず、ハルキは至近距離から散弾の直撃を受けて、肉片すら残らず消滅した。
そのはずだった。
そのはずだったが、ミサキの足元にはハルキが仰向けで寝転がっていた。
「……ふぅ。俺、生きてるよな? 危なかった」
ハルキはその場にあぐらを掻いて座ると、自分の体に怪我がないことを確認する。
『肉体の損傷はありません』
すぐにグリの判定が聞こえたので、無傷であることを確信する。
「ハルキッ! あなた、なんて無茶なことを!」
ミサキにはハルキが何をしたのかはっきりと見えていた。
馬鹿らしくなるほどシンプルな話だ。
ハルキは、ジャケットが構えている『ショットガンの銃口に向かって』走り出して、その下をスライディングして強引に通り抜けていたのだ。
「え? だって、あれ以外に避ける方法なんてないだろ? 後ろに下がったって蜂の巣だし、横に避けてもたぶん逃げ切れない。隠れようにも、物陰なんてないし。我ながらよく避けたよな」
「……たしかに、それはそう、なんだけど……。
あれ……? そうよね。適確な判断だった……はず、よね……?」
ミサキは何やら納得いかない表情で首を傾げている。
「ご無事のようで何よりです。それにしても素晴らしい状況判断でした。訓練を受けた兵士でも、今のような行動はなかなか取れないものですが……」
アーニャの言うように、いくら訓練を積んでいる人間でも『ジャケットが構えている銃口に向かって走る』ことは容易ではない。それは死の脅威に向かって突っ込んでいくことと同義である。まともな神経ではわかっていても実践できない。ましてや、不測の事態で素人が反射的にやり遂げるとなると、もはや一種の奇蹟と言える。
訝しむ二人の視線を受けながら、ハルキはゆっくり立ち上がった。
「何だろう。こうしたら生き残れるって直感したんだよ。グリの力なのか、たまたまなのか、よくわからないんだけどさ」
『否定します。当機に未来予測の機能はありません。回避できたのは操者の判断の結果です』
グリがすぐに頭の中で訂正を入れたが、ハルキは改めて言い直す。
「……んー。いや、やっぱりたまたまだろ。前に走るしかないって思ったから、そうしただけだよ」
ハルキが妙にあっけらかんとしているので、ミサキもアーニャもそれ以上は何も言えなくなってしまった。
「……そう。とにかく、本当にごめんなさい。進むことに気が向いていて、周囲の警戒がおろそかになっていたみたいね。危うくあなたを失うところだった。慎重に進みましょう」
アーニャも首肯するものの、「ですが」と付け加える。
「この場はすぐに離れるべきです。今の戦闘と発砲音で私たちが潜入していることに気付かれたはずですから。トマスさんとイオリさんが陽動しているとはいえ、急がないとアンドロイドやジャケットに取り囲まれます」
「ええ。ひとまずこの先にある廊下まで急ぎましょう。そこまで行けば、狭すぎてジャケットは入ってこられない」
そうして、ミサキを先頭に、ハルキ、アーニャと続いて進む。
物陰を縫うように駆け抜けていく最中、ハルキは胸につかえた違和感がどうしても拭えず、自問自答しながら恐ろしい想像と戦っていた。
(……そんなはず……でも、もしかしたら……)
逡巡をくり返し、しかし最後には腹を括って、小声でグリに尋ねる。
「———グリ。今の、俺の乖離指数は」
震えるハルキの声に、しかしグリは淡々と、冷酷に回答する。
『乖離指数、百六十四』
ハルキの脚が、止まる。
(百六十———? えっ?)
前回がいくつだったのか、正確に思い出せない。それでも、そのときはもう少し大人しい数字だったはずだ。
(いくら増えた? いくつまで増えたらまずいんだ———?)
たしか、ラボで襲撃を受けたあとグリに確認したはずだから、せいぜい数時間しか経っていない。
数値の進みが、想像以上に早い、気がする。
「ハルキさん? 急に立ち止まってどうしたんですか? 顔色、悪いですよ?」
すぐ後ろを走っていたアーニャが心配そうに声をかけてくる。
「———なんでもないんだ」
自分の中で何かが変わりつつある。そんな予感がする。
(……いま考えても無駄だ。リゼを助けることだけを考えろ)
そう思い直して、ハルキはミサキの背中を追いかけることに意識を集中した。




