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人馬と蠍(1)


 時刻は、午後六時過ぎ。

 一同がラボを出立してから、二時間半が経過している。

 真夏の日差しはまだ沈んでおらず、夕焼けが空を覆い始めている。日の入りまであと三十分弱。やがて辺りに夜の帳が下りるだろう。

 イオリたちは、リゼが囚われている工場の近辺に潜伏していた。

 鬱蒼とした森林地帯。敵地ではあったが、身を潜める場所はいくらでもある。

 工場は二キロメートル四方を高い外壁に囲われており、巨大だ。完全自動工場オートプラントは原材料の製造から製品の組み立てまで幅広く行うため、郊外に広大な敷地を確保して建造されることが常だった。

 ナノマシン装甲で迷彩色カモフラージュをまとって茂みの影に隠れているザンサスの中で、イオリはコンソールに次々と表示される情報を眺めている。

「ほー。思ってたよりは、難しい施設ちゃうな。地下の構造はむちゃくちゃやけど、建物としてのセキュリティはザルや。警備はアンドロイド任せなんやろ。

 アンドロイドはたぶん五十より多いで。数える気にならんけど。人間はひとりも見当たらんなぁ。ジャケットの数は前評判通り、ってとこや」

 イオリが昆虫型の偵察用ドローン(インセクト)を工場の中に送り込んでから、十五分ほど。

 ドローン避けのセンサーを巧みにかわしながら、ドローンたちは工場の深部に潜っていた。工場の中の様子が、逐一送られてきている。

「ふふーん。この子たちはうちの特製や。その辺のドローンセンサーにひっかかったりはせえへん。

 地下十一階までの侵入経路はオッケーやで。そっから先は、ドローンを自律モードに切り替えて運が良ければわかるかも、ってとこや」

 地下十一階にいるドローンは、地下十階にいるドローンを通じて、地下九階のドローン、地下八階、地下七階、と地上に向けて数珠つなぎに通信を中継しながら、イオリのザンサスまで情報を送り届けている。地下十一階より下を調べるには、連携させるドローンの数が不足していた。

 イオリは、地下十一階に潜入させたドローンを『単独で自律的に調査して帰還するモード』に切り替えた。リアルタイムに状況を追うことはできなくなるが、ドローンが帰還できれば、地下十一階以降の正確なマップデータと状況がわかる。

「にしても、この工場、嘘っぱちもええとこや。道中、建築確認時の工場の設計図を取り寄せてみたんやけど、書類上は地下二階までしかあらへんで。工作機械の製造工場ってことになっとったけど、実際には改造ジャケットを量産しとるっちゅーわけや」

 ザンサスと同じく森の中に隠れているアーニャから通信が返ってくる。

『秘密裏に地下を拡張したのでしょう。それにしても、最深部が地下八十メートルとは相当な深さです。アンドロイドが地道に掘り進んだとは思えない規模ですから、工場内で掘削用重機を製造して掘ったのではないでしょうか』

「かーっ! 自給自足かいな。上手いこと考えよる。もしかしたら、ナノマシンの製造プラントもここで作ったんかもしれへんな……。材料から作ったんなら、軍がここをマークできとらんのも納得や。ナノマシン製造装置の流通をいくら追っかけても、ここにはたどりつけへん」

 近くの木陰に潜んでいるもう一機のザンサスから、トマスが応答する。

『地下八十メートルだと、ミサイルを外からたたき込んでも簡単には破壊できない。連中、東軍イーストがどういう行動を取るのか、想像がついてるみたいだ。

 対空兵器が置いてあるのも、空爆を警戒してるんだろう。この分だと、光学式対空迎撃装置レーザーインターセプターもあるんじゃねえか? どこぞの要塞かよ、ったく』

 ここで、アーニャがいくつかの観測データをザンサスに送ってきた。コンソールに表示させてみるが、示された数値はすべてゼロに近い正常値グリーンだ。

『観測したところ、大気中にナノマシンが拡散している様子はありません。少なくとも、まだ散布は始まっていないようですね。あとどれほど時間が残されているかはわかりませんが。数日以上あるのか、それとも数時間なのか、数分か……』

 アーニャと一緒に森の中に隠れているハルキからも通信が入る。

『グリにも……グリーフ・ブレイカーにも、わかるみたいだ。まだ大気中にナノマシンは感知できないって言ってる』

 少なくとも、この時点では大気汚染テロは未遂である。

 リゼさえ救出できれば、あとは軍に任せても問題ない状況と言える。

 問題は、どうやってリゼを救出するかだ。

 ひとりだけ離れた場所に待機しているミサキから通信が入る。

『ねえ、ホノカ。そろそろ教えてくれてもいいんじゃない? 私が中に潜入するとして、この戦力差だと、陽動役のトマスとイオリが保たないわよ?』

 離れた場所に停車している指揮車代わりのトレーラーにひとり残っているホノカから、のほほんとした声が返ってくる。

『んー。ちょうど来たわねー。ドンピシャリー』

 ザンサスのレーダー画面に、二両のトラックが映し出されていた。

 このトラック、トマスには見覚えがあった。むしろ忘れようがない。

『お前、まさか東軍イーストの部隊を呼んだのか?』

 トマスはよく知っている。カーキ色の二両のトラックの中には、六機のジャケットと二十五名ほどの兵士が乗り込んでいる。環太平洋連合軍の標準的な機兵小隊ジャケットプラトーンの構成だ。

『まさかー。わたしに軍を呼ぶ権限なんて無いわよー。

 わたしは「この工場はテロ組織の拠点のひとつかもしれない。武装したジャケットを複数確認したが、戦力不明」って、確度「中」の情報を県警の名義で軍に横流ししただけよー?』

 通信越しに、トマスの盛大なため息が響き渡る。

『ハァァァ……。お前、僕がこっそり教えた軍の規定を悪用しやがったな? 確度が中程度で脅威度が高い場合、最低でも一小隊を派遣するのが原則だ。その通りに一小隊が来たってわけだ。

 ……おい、何となく展開が読めてきたぞ……嫌な予感しかしねえ……』

 東軍イーストの小隊は、工場の正門側に陣取っている。イオリやトマスたちは工場の裏側にいるので、ちょうど反対側だ。直線距離で二キロほど離れていた。

 とはいえ、軍は「テロリストの拠点かもしれない」という疑惑だけでいきなり攻め込むわけにいかないだろう。彼らがどういう動きに出るのかは注視する必要がある。

 ———と、ふいに軽快な通知音が鳴り響いた。

 ぱぱぁーん!

『……なんだよ、いまの場違いなファンファーレみたいな音は』

 トマスがぼやくと、イオリがすぐに詫びる。

「ああ、すまんすまん。うちの人工知能くんが、残ってた副所長の研究データのクラッキ……解析を終えたみたいや。もっと時間かかるか思ってたんやけど、意外に早かったな」

 イオリはコンソールを操作して、解凍されたデータの中身を確認していく。同時に、他のメンバーにもデータを転送した。

「……なぁ、アーニャ。これって何の設計データかわかるか? ナノマシンなのはわかるんやけど、ひとつ目の無害なナノマシンと何が違うんか、うちにはようわからん。設計データの容量が桁違いにデカいんは、まぁわかるけど」

 解凍されたデータの中には、ナノマシンのデータが眠っていた。


 形式名、Z-002 world(ワールド) maker(メーカー)


『これも、自己増殖するナノマシンの設計データですね。大気中で増殖する点と、増殖抑制用ナノマシン(プルーナー)が取り外されている点は変わらないようですが……』

 アーニャが解析を進めている最中、ミサキから慌てた声で通信が入る。

『———ちょっと待って。設計データのこの部分、私が使ってるナノマシンと構造がそっくりなんだけど。rampage(ランページ)と何か関係があるの?』

 続いて、ホノカからも通信が入る。その声には余裕がない。

『わたしの|clairvoyanceクレヤボヤンスと類似した形状のモジュールも見える。これは、もしかしなくても……』

 数瞬の沈黙が流れたあと、アーニャが静かな声で解析した結果を述べる。


『———Z-002 world(ワールド) maker(メーカー)には、斥力場自由制御機構サイキック・イネーブラーと、感覚増幅拡張機構センサリー・インフレーターのモジュール群が「どちらも」搭載されています。

 こんなものが大気中に拡散したら……世界は……』


 アーニャはそのまま沈黙してしまった。

 トマスが動揺したのか、ザンサスが小さく身じろぎした様子が見える。

『おいおいおい……バラまかれたら何が起こるんだ? 誰か、僕にもわかるように説明してくれねーか?』

 イオリは少しだけ考えるが、オチをひとつしか思いつかなかった。ただ、あまりにもそのオチが荒唐無稽に感じられたので「そんな馬鹿げたことがあるか」と発言を躊躇した。

 その隙に、ハルキが先に答えを言った。

「あちこちで、無作為にミサキやホノカさんみたいな適応者アダプテッドが発生する世界になる、ってことじゃないのか?」

 ホノカも同意したようで、「そうなるわよねー」と相づちが返ってくる。

『ハルくんの言う通り、全世界で超能力者のバーゲンセールってことねー。あはははー。

 ———さすがに、笑ってる場合じゃないわね』

 トマスの絶叫が、音割れするほどの大音響で響き渡る。

『はぁぁぁぁーっ!? バッカじゃねえのか!? 大勢死ぬぞ! 常緑エバーグリーンの連中はなに考えてんだ!?』

『トマス、うるさい。耳がキーンってなったでしょう。気持ちはわかるけどね……』

 ミサキがたしなめるものの、その声音には勢いがない。

『……悪い。取り乱しちまった。しっかし、無害なナノマシンをバラまこうって話じゃなかったのか? これじゃ、撰修人種ブレイデッド・レースの反対派がどうこう以前に、世界中が大混乱になるじゃねえか』

『でも、この危ないナノマシンを本当にバラまこうとしているって、決まったわけじゃないんでしょう?』

 たしかに、ミサキが言うように「無害なナノマシンを散布する計画」が事実で、新しく発覚したナノマシンは無関係、という可能性もあるにはある。

 ただ、イオリの直感はそうではない。

「うちのエンジニアとしての勘は、本命はこの『バラまいたら世界が終わるヤツ』の方やって言うとる。

 最初に見つけたもんがZ-001 white goo(ホワイト・グー)。今度のヤツはZ-002や。わざわざ新しい型式番号で設計しとる。確認したら、設計データを更新した回数もZ-002の方が圧倒的に多い。設計者の感情がこもっとるんは、間違いなくこっちや。辞表を賭けてもええで。散布されるんはヤバい方や」

『ええ……マジかよ……。こんなとんでもねえシロモノをバラまこうとしてるんなら、今すぐ軍に助けを求めるのが、模範的な公僕の勤めってとこだが……』

 トマスの発想は至極当然と言える。リゼひとりの命を優先して良い状況ではない。あらゆる手段を使って、この施設をこの世から抹消することを検討するべきだ。

 それでも、とミサキが通信で割り込んでくる。

『軍が本気なら、この拠点ごとミサイルでぶっ飛ばされかねない、って言ってたのはトマスじゃなかった? 私は、リゼを見殺しにはしたくないわよ』

 ハルキとアーニャも、その言葉に追随する。

『俺も、リゼを見殺しになんてしたくありません。助けるためにここに来たんだ』

『———申し訳ありません。推論の規模を広げすぎてフリーズしておりました。

 私も、マスターを救助せずに環太平洋連合軍に支援を要請することには反対します』

 そのあとは、沈黙が流れた。

 時計の針がカチ、カチ、カチと進む。

『ホノカ。決断してくれ。指揮官はお前さんだ。

 僕は、ホノカが何を選択しても最大限の努力をすることを約束する』

 トマスが通信を切る。すべての決断は、ホノカに委ねられた。

 それから、深呼吸できる程度の時間が流れて、指令が下る。

『———作戦を変更します。

 藤原利世の救出に使う時間を、最大二時間とします。

 作戦開始から一時間五十分を経過した時点で、ここが常緑エバーグリーンのナノマシン散布の拠点であること、およびZ-002 world(ワールド) maker(メーカー)の情報を環太平洋連合軍に公安の名義でリークします。

 リっちゃんを救うために、二時間だけ世界平和を脅かします。いいわね?』

 リークされた情報が真実だと判断すれば、東軍イーストはこの施設を全力で攻撃し始める可能性が高い。工場の周りには半径二キロメートルにわたって人家もない。多少の無茶をやっても、民間人の死傷者はまず出ない。

『……二時間後には、地中貫通核爆弾ニュークリアバンカーバスターが降ってきても、文句は言えねえな。いいぜ。僕は乗った』

『私もそれでいいわ。二時間もあれば、十分よ。

 リゼを救出しながら、テロも止められるなら止める。そういうことよね』

『そうよー。ただ、あくまでリっちゃんを最優先でー。その後のことは軍に任せることもできるからー』

 誰も方針に異論はない。

 リゼを救出して、できればついでにテロリストの野望も食い止める。やることはシンプルだ。

『そうと決まったら、ちゃっちゃと片付けましょうかー。

 サキちゃん! 合図したら、持っていったロケットランチャー、指定された座標に全弾撃ち込んでくれる? それをもって作戦開始とします!』

「「「「「ラジャー」」」」」



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― 新着の感想 ―
[一言] イオリさんがドローンセンサーにひっかからないドローンをスッと持ってるの、公安が警察の中でも特にスパイの性質が強いことを差し引いても本当にイオリさんはどこまでもイオリさんとしか言いようがありま…
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