破滅に抗う光(8)
セキュリティロックが解除されて、すべてのシャッターが上がった。
外から日の光が差し込み、非現実的な時間から、現実へと一気に戻される。
「あー。うー」
ホノカは椅子に背中を預けて天井を仰いだまま、うめき声を上げていた。
閉じた両目の上に、ミサキが用意した温かい濡れタオルをのせている。
ミサキはグラスに水を汲んできて、ホノカの手に持たせた。
「潜りすぎよ。しばらく視力は戻らないわよ」
「うあー。そうねー。ちょっとやりすぎたわー。神経負荷が……頭が割れるー」
そのやりとりを見ていたアーニャが、ぽつりと感想を漏らす。
「ホノカさんは、感覚増幅拡張機構の適応者だったのですね。世界でも数えるほどしか実在しないと伺っていたので、実物にお会いできるとは考えていませんでした」
ホノカはまともに話せる状態にないのか、ひたすらうめき声を上げている。
代わりにミサキが答えた。
「ええ、その通りよ。正確な数は私たちにも知らされていないけど、絶対数は手編みよりも少ないんじゃないかしら。もともと『第六感』を持っている人間しか適応しないって話よ。動作原理もほとんどわかっていないせいで『オーパーツ』なんて言われてる有様だもの。使い手が少ないのも当然よね。
ホノカは生まれつき『勘』が鋭くて、夢で見た光景がそのまま現実になる———正夢をたまに見るそうよ。だから感覚増幅拡張機構に適応したんでしょう」
それはもう『勘』の域を超えている。歴とした未来視だ。
そんな真面目な会話をしている隣で、イオリはなぜか眉間にしわを寄せながら半笑いになっている。
「感覚増幅拡張機構なんて使わんでも、ホノカの夢見が迷宮入りになっとった事件を解決するきっかけになったことも何度もあるんやで? ただ、そんな貴重な才能を普段はろくでもないことに使っとるみたいやから、神さまの手元が狂ったんやろうな……。
ともかく、ホノカは貴重な感覚増幅拡張機構の適応者で間違いないで。……残念ながら」
ホノカが使った感覚増幅拡張機構の能力の正体。
千里眼。
特定の『対象』を『一度にひとつだけ』確実に探し出す能力。ついでに、限られた時間だけ捜索対象の周辺を知覚することができる。
ただし、何でも探せるわけではなく、顔や名前、具体的な形や個体名など、確実に対象を特定できる情報をホノカが十分に持っていないと、発動しても不発に終わる。
人体機能付与型ナノマシンのうち、感覚増幅拡張機構と呼ばれる種別のひとつ、E-003 |clairvoyanceに適応した人間だけが扱うことのできる『特権』だった。
便利極まりない———というか、警察や軍にとっては反則としか言えないレベルの力だ。テロリストや犯罪者の居場所を暴くことも、敵国の要人の居場所を把握することも容易である。どれほど丁寧に隠蔽したところで、都合の悪いものを探し出されてしまう可能性がある。
機密指定レベル八。社会秩序・地球環境への甚大な影響が見込まれるもの。そう定義されるのも無理はない。存在が公知になると、一気に外交問題にまで発展しかねない。
ただし、代償もあった。使えば、一時的に視力を失う。回復しても元通りの視力には戻らず、少しずつ悪化していく。さらには、使いすぎると完全に失明し、二度と能力の使用はできなくなる———と予想されているが、確証はない。なにしろ、ホノカが知る限り、日本には彼女しか千里眼の使い手が存在しない。すべては研究者の予測にすぎなかった。
いずれにせよ、気軽に使えるものではない。
まさに、警察庁にとっての『切り札』が黒峰穂乃花だった。
「あー。頭痛はちょっとマシになってきたわー。動けそうー」
ホノカは濡れタオルをどけると、体を起こしてまぶたを開いた。
「……うん、きれいさっぱり、なーんにも見えませんー! まっくらよー」
その隣から、イオリは小型の昆虫型ドローンを起動してホノカの頭の上に載せた。
「ほれ。こいつ経由で見とれ。BMI、リンケージ」
ホノカの視覚野に、チョーカー型の端末を通じてドローンの視界が接続される。
「見えたー! といっても、うっすらしか見えないけどー!
眼球だけじゃなくて、頭の方にもかなりダメージがあるのよねー。何度も使ってると、そのうち『お馬鹿さん』になっちゃうんじゃないかしらー?」
その場にいた全員が「すでに……いや、ダメだ。言うな。言ったら負けだ」と、喉元に出かかった言葉をこらえていたのは間違いない。
ホノカはグラスに入った水を一気に飲み干すと、全員に告げる。
「さて、これで必要な情報は出揃ったんじゃないかしらー。
まず、リっちゃんが捕まっているのは、富士山麓にある工場の中ねー。今のところ、軍のマークがついている感じはしなかったわー。
工場は、ほぼ間違いなくナノマシン散布の拠点でしょうー。アーニャが睨んだ通りなら、森の中に出ているパイプラインはナノマシンを散布するためのものよねー? パイプの根元を上手くたどれなかったから、製造プラントがどこにあるのか正確にはわからなかったけどー。やっぱり地下かなー?
そして、そこには西園寺もいるわー。サキちゃんが警戒するレベルの適応者よー。まず間違いなく、リっちゃんを救出する障害になるでしょうねー。
ついでに、人馬も確認されたわー。トマちゃんがセパードと共闘しても倒せなかった厄介な相手ねー。
あと、改造ジャケットもいたわねー。三十六機だっけー? ほんと、どうやって揃えたんだかー。たぶん攻性機動無人機でしょうねー。戦車はいるのかどうかわからなかったのは残念ねー。
……んー。ちょっと、うちだけで相手をするには、厳しい数よねー」
イオリが裏拳気味にホノカに軽快なツッコミを入れる。バシッ、といい音がした。
「なんでやねん! 厳しいどころか、無理ゲーもええとこやろ!
あれだけ数がおったら、一斉に来られるだけで全滅確定や。一匹ずつ釣って倒すにしても多すぎやし、どれだけ時間がかかるかさっぱりわからんわ。今回は諦めるしかあらへん。犬死にやで?」
いつもは楽観的なトマスも、難しい表情をしている。
「一応、軍事の専門家として言わせてもらうと、このメンツでどうこうできる規模じゃねーわな……。いくらミサキでも、あの数を同時に相手取ると集中砲火されて致命傷を負うだろうよ。こっそり潜入しようにも、あれだけアンドロイドがうようよしてたら、間違いなくどこかでバレる。陽動しようにも、ザンサス二機じゃ陽動している側が保たねえ。
まともな頭で考えるなら、援軍が必要だろうぜ」
三十六機の武装したジャケット。確認されている数というだけで、実際にはもっと多い可能性もあった。その上、ほぼ間違いなくすべてが無人機と考えられる。必要とあらば味方を撃つことにも躊躇がないため、集団戦になると有人機よりもタチが悪い。数を相手にすると危険であることは、襲撃時に複数機を同時に相手にしたトマスが誰よりも理解していた。
その上、工場のいたるところには武装したアンドロイドが目を光らせている。その数は正確にはわからないが、五十を超えている。いくらミサキでも、無限に体力が続くわけではない。
ミサキは腕を組んだまま、敵勢力が表示されたホロモニタをにらんでいる。リョウジのことを考えているのかもしれない。ミサキでさえ警戒するほどの相手である。間違いなく手強い。
ハルキとアーニャは黙していた。ふたりとも荒事の専門家ではない。それでも、分が悪いことくらいははっきりわかる。
部屋の中に、どんよりとした重い空気が流れていた。
だからこそ、続くホノカの言葉で全員が唖然とすることになった。
「じゃ、わたしたちだけで乗り込むわよー。
イオちゃん、武装の積み込みよろしくー。サキちゃんは陸戦装備でお願いねー。トマちゃんはトレーラーを回してきてー。民間車両への偽装は忘れずにー。
アーちゃんは、素手でもある程度なら戦えるわねー? ちょっとだけ違法改造されてるのは見逃すから、リっちゃんを助けるまでは手を貸してー」
アーニャは戸惑いながらも頷いていた。
しかし、トマスは口をあんぐりと開けたまま固まっている。
「ちょ、おまっ、僕の話を聞いてたか? 理解できなかったならはっきり言い直すが、このメンツで乗り込んだところでどうしようも———」
「わかってるわよー! しょうがないでしょー! 迂闊に警察内部に援軍を頼んだら『動くな』って言われかねないし、かといって軍に頼ったらリっちゃんが危ないしー! 勝手に行くしかないじゃないのーっ!」
ホノカはもはや逆ギレとしか言えないテンションでトマスに噛みついて、そのあとすぐにいつもの調子に戻った。
「……ま、そこは考えてあるからー。だいじょうぶだいじょうぶー。それにほら、これって上官命令だからー。はい、すぐに取りかかるー!」
ミサキとイオリはお手上げのポーズを取っている。「こうなったら何を言っても無駄」とわかっているらしい。
「……やれやれ。命令って言われると、軍人は弱いんだよなぁ。
わかった。戦力差を理解していてそこまで言うなら、その船に乗ってやる。どれだけ分の悪い賭けだろうが、僕がやれる範囲で盤面をひっくり返そうじゃねえか」
ホノカは、その言葉を聞いてにっこりと笑った。
「さて、ハルくんにも改めて確認するわよー。
———藤原利世が囚われている場所は、ナノマシン散布の拠点である可能性が濃厚です。
ナノマシン散布を抑止するために、増殖抑制用ナノマシンを持っている君を連れて行く理由ができました。
ただし、わたしたちについてくると命の危険があります。それも、かなり大きな。
できる限り君の命を守る努力をするけれど、身の安全の保証はできません。
それでも、ついてきますか?」
引き返すなら、これが最後のチャンスだ。
乗り込む先には多数のジャケットがいて、適応者のリョウジもいて、おまけにナノマシン散布の拠点だ。そこに五人と一体で攻め込もうなどとは、まるで冗談に聞こえる。
窓の外を見ると、未だにラボの敷地には黒煙が烟っていた。
多くの人命が失われた。未だに救助を待っている人間も大勢いる。一生消えない傷を負った者もいる。
行く先には、もっとひどいことが待っているかもしれない。
それでもハルキは、前に進むことに決めていた。
約束を、果たしに行くために。
「———行きます。リゼを連れて帰ります」
ホノカは「うん。いい返事だ」と小さな声で呟いた。
ハルキが力強く頷く隣で、ミサキはため息をついている。
「……はぁ。ド素人を連れて救出作戦なんて、無理、無茶、無謀の三拍子ね」
『浅野美咲に同意します。再考を要請します。高い危険性があります』
ミサキのぼやきに、頭の中のグリの言葉が重なって聞こえていた。
「俺は死にに行くんじゃない。助けるために行くんだ。
だから、お前も力を貸してくれ」
『了解。当機は、全ての機能を駆使して齋藤悠貴を守ります』
グリに向けた言葉だったが、口に出していたので隣にいるミサキにも聞こえていた。
「……わかったわよ。ハルキは私が守る。その代わり、言うことを聞かなかったら承知しないんだから」
「ん? おう。頼りにしてるよ、ミサキ」
ミサキはぷいと顔を背ける。その耳は少し赤い。
「さ、準備が整ったら移動を開始するわよー!
リっちゃんの安全のため、まだ軍には工場の場所を通達しませんー。だからって、いつまでも隠しておくわけにはいかないからスピード勝負ーっ! 急いでーっ!」
ホノカの檄が飛び、出撃の準備が整っていく。
すべての積み荷をトレーラーに積み込むと、ホノカが出撃を宣言する。
「野郎ども、行くぞーっ!」
「「「「「ラジャー!」」」」」
一同は、混乱覚めやらぬラボから脱出した。
向かう先は、富士山麓。数多のジャケットとアンドロイドが跋扈する、ナノマシン散布の拠点。
どれだけ困難が立ち塞がろうとも、必ずリゼを助け出す。
ハルキは拳を握りしめた。




