破滅に抗う光(6)
「冗談を言っているわけではありません。
敵の目的は、自己増殖するナノマシンの散布ですよね。
ハルキさんの体内には、増殖抑制用ナノマシンが循環しています。
増殖抑制用ナノマシンには、セルフレプリケーターによる複製を阻害し、増殖したナノマシンを破壊する能力があります。血液から抽出して利用できれば、ナノマシンの散布を抑止することが可能です。
場合によっては、切り札になり得るのではありませんか?」
そこでイオリは何かに合点が行ったのか、ぽんと手を叩いた。
「そか。アジアでナノマシン製造プラントを破壊しとるんは、大気中への散布と拡散が終わるまで増殖抑制用ナノマシンを大量生産させたないから、か」
「はい。おそらくそうでしょう。増殖抑制用ナノマシンをすぐに散布されたら、拡散が失敗に終わるかもしれませんから。プラントを破壊すれば、たとえ設計データがあっても生産には時間がかかります。もちろん、派手に暴れて捜査を撹乱する意図もあると思いますが」
アーニャは説明を補足するため、ホロを展開していくつかの図とグラフを表示させる。
「ただし、増殖抑制用ナノマシンは万能ではありません。
ハルキさんの体内を循環している分量では、無効化できるナノマシンの量は限られています。大気中に十分な濃度まで拡散してしまったものを、後から完全に除去することは不可能です。
有効打になりえるのは、『拡散前に生成中のナノマシンに混入して破壊させる』か、『拡散直後の濃度の薄い段階で大気中に散布して相殺させる』か、いずれかです。
つまり、散布され始めてからでも、短時間であればハルキさんの体内にある分量でも無効化できる可能性があります」
ミサキは腕を組んで眉間にしわを寄せている。
「仮にそうだとしても、連れて行く理由にはならないわよ。血液中から増殖抑制用ナノマシンだけ抜き出して持っていけば、事足りるでしょう?」
ハルキの頭の中で、グリの声が反響する。
『浅野美咲の提案は実現不可能です。現在、当機は操者の循環系に完全に依存し、同化しています。血液中から分離されれば、一時間以内に増殖抑制用ナノマシンは効力を失います』
「……頭の中でグリが言うには、俺の血液から分離すると一時間くらいで使い物にならなくなるらしい」
「はい。ハルキさんの体に馴染んでしまったグリーフ・ブレイカーを、分離したまま維持するのは至難の業です。それに、このラボの設備はほぼすべてが破壊されていますし……試そうにも機材がありません。ですから、ハルキさんにご同行いただく他に方法は……」
アーニャが沈痛な面持ちをすると、まるでミサキが悪者になったような空気が流れる。
イオリが小さい声で「ほら、この腹黒イド、すぐに感情を交渉に利用しよる。どうせ、ハルキを連れていった方が、リゼを助けられる可能性が高いと推論しとるんやろ」と、ぼやいているのが聞こえた。
それでも、素人を連れて行くことに反対のミサキは折れない。
「———じゃあ、大気中に拡散してしまったナノマシンを、後から大量の増殖抑制用ナノマシンで除去することはできないの? もともと無害なナノマシンなんでしょう? だったら、最悪、拡散させたって問題ないじゃない。わざわざハルキを危険な場所に連れて行ってまで、止める必要はないと思うけど」
アーニャも言い返す。
「理論上可能ですが、実現性の有無は私には判断できません。『地球全土を安全かつ確実に掃除する増殖抑制用ナノマシン』となると、その開発は困難を極めるはずです。規模が違いすぎますし、誤れば、環境破壊につながります。
やはり、拡散する前に抑止できる方が望ましいのではないでしょうか。完全に無害とは言い切れないのですから」
「いいえ。私たちの最優先事項はリゼの救出と保護であって、テロの抑止ではないわ。それでも、ハルキを連れていく必要がある?」
「それは———」
ミサキとアーニャの討論を聞いていたトマスが、間に割って入る。
「あー。ミサキの言いたいこともわかるけどな。僕からもひとつだけ言わせてくれ。
もし、世界中にナノマシンがバラまかれたら、リゼの……リゼたちの立場は、今より厳しい状況になるだろ? どうせやるんだったら、心も体も守ってやりたいのが人情じゃねえか?
さっきからアーニャが食い下がってるのは、リゼの立場も守ろうとしてるからだろ」
「……はい。その通りです。私は、マスターの立場が危うくなる状況を看過できません。たとえ『ハルキさんの命が危険にさらされる』としても、です。
すみません。ハルキさんの命を軽んじているわけではないのですが……」
アーニャの贖罪の視線に、ハルキはかぶりを振った。気にする必要は無い。マスターを守るために存在するアーニャにとって、自然な判断だ。
ミサキはそれでも頑なに拒絶する。
「素人を連れて行ったら、足手まといにしかならない。助けられるものも助けられなくなるかもしれないのよ?」
「もちろん、ハルキさんが同行することで失敗するリスクが上がることも承知しています。それでも、同行いただいた方がトータルではメリットがあると推論しました。ですから———」
ここで、沈黙を守っていたホノカが椅子から急に立ち上がった。
アーニャの言葉を遮って、ホノカは右手を高く挙手して大きな声で尋ねる。
「はい! わたしからも、いいかなー? ハルくん、ひとつ質問するわねー。
———死んじゃってもいい?」
直球。
同行することは、テロリストの拠点に乗り込むと言うことだ。すなわち「死ぬかもしれない」ことを意味する。その可能性を無視して、この話はできない。
ハルキは一度息をしっかりと吸い込んで、ゆっくり吐き出す。
「……絶対に嫌です。死なずに、リゼを連れて帰ります。でも俺の体が役に立つのなら使って下さい。俺も精一杯やれることをやります」
ホノカはハルキの顔をじっと見て、頷いた。
「うん、わかったー。よし、じゃあこうしましょー。
これからリっちゃんの居場所を探して、もしそこがナノマシン散布の拠点だってわかったら、ハルくんを連れて行きますー。
みんな、それでいいー?」
その言葉を聞いたミサキは、思わずホノカに詰め寄る。
「ホノカ、正気?」
ホノカはまっすぐにミサキに向き直った。
「———わたしの『勘』よ」
彼女の表情から、決して冗談を言っているわけではないことが伝わってくる。
イオリはコンソールを叩いていた手を止めた。
「勘か。それ聞くの、えらい久々やな。なにか視たんか?」
「襲撃の前に、うたた寝してたらぼんやりとねー。ずっとみんなの話を聞きながら考えてたんだけど、ハルくんを連れて行った方がいい予感がするのよー。
サキちゃんがハルくんを連れて行きたくない気持ちもわかるんだけどねー? 論理的に考えたら連れて行かない方が合理的だしー? でも、今回は従ってもらえると助かるなー」
ホノカがちらりとミサキの様子を伺う。
「……ホノカがそう言うなら、従うわよ。あー、もう……」
渋々と引き下がっていく。
蚊帳の外に置かれたハルキは、何がどうなっているのかさっぱりわからない。
「なあ、トマス。ホノカさんたち、何の話をしてるんだ?」
「……さて、ね。僕だって知らないことくらいあるさ。知っているのは、たまにホノカが『勘』で絶対にありえない奇蹟を起こすってことだ。ただ、そのカラクリまでは聞いちゃいない。教えてもらってない、って言った方が正確だけどよ。
リゼの居場所もまず間違いなく突き止めると思ってるが、その方法まで僕は把握していない」
アーニャも事情を知らないのか、首を横に振っている。
ホノカはハルキに向き直って改めて確認を取る。
「じゃ、ハルくん、そういうことだからー。リっちゃんの居場所次第だけど、着いてきてもらうわよー。それでいいわねー?」
「……わかりました。でも、どうやって居場所を? まさか、これからしらみつぶしに調べて回ろうって言うんじゃ……」
にんまりと笑ったホノカは、人差し指をピンと立ててウインクしてみせる。
「ふふふー。そこは、ホノカちゃんにお任せあれー。お姉さんのひ・み・つ、見せてあげましょうー」




