破滅に抗う光(3)
東軍。すなわち、環太平洋連合軍。現代において日本の東半分の治安維持を担っている、多国籍軍。
ラボ内にあったはずの彼らの生活エリアは、単なる瓦礫の山と化していた。
二小隊が全滅。生存が確認されたのは、わずか四割。
アーネストは、生き残った四割と、すでに鬼籍に入った六割の狭間にいた。
「……ふん。ふがいない姿ですまないが、あいにく身動きが取れなくてな。部下の犠牲でかろうじて生き延びた有様だ……」
ハルキもかつて入ったことのある、治療用カプセル。アーネストは、頭部を除いて体をすっぽりとその中に収めていた。頭には包帯が巻かれている。カプセルの中で見えないが、アーネストは全身に深い傷を負っていることが推測された。
比較的被害が少なかった研究棟の一室に、無事だった医療機器が運び込まれて病室として設えられていた。まるで野戦病院だ。
ホノカは敬礼すると、『よそ行き』の口調でアーネストに返答する。
「いえ。非常時です。お気になさらないで下さい。
———それで、ご用件はなんでしょうか」
「……そうだな。早速だが本題に入ろう」
アーネストの声は細くなっているが、しかし、その力強さは健在だった。負傷してもなお、指揮官であり続ける気概が漂ってくる。病床においてなお母語ではない日本語で話しているのも、ホノカたちへの誠意なのだろう。
部屋の中には、ホノカ、トマス、ミサキ、ハルキ、アーニャ、それからニックが立っていた。イオリは作業中のためひとりだけ格納庫に残っているが、会話の内容は秘匿回線経由で聞いている。
アーネストは、まずホノカに問いかけるところから始めた。
「最初に確認するが、このあとお前たちはどうするつもりだ」
ホノカはアーネストの脇にある椅子に座って、彼の目をじっと見つめる。
「———拉致された藤原利世を救出します。彼女の警護が私たちのミッションです」
「……そうか。あの娘はさらわれたのか。探すあてはあるのか?」
当然の質問に、ホノカは自信ありげに答える。
「はい。何とかします」
「ふっ。ただの虚勢というわけでもなさそうだな。
……いいだろう。私が知っている情報を話そう。セパードをこっぴどく痛めつけてくれた礼を、まだしていなかった」
隣でトマスが目を見開いていた。中佐がそんな親切を働いてくれるなんて、明日は榴弾どころかミサイルでも降り注ぐんじゃないか、とでも言いたげだ。
ホノカがゆっくりと頷くのを確認すると、アーネストはひとつずつ順を追って話し始める。
「まず、今回の件、常緑の仕業で間違いない。
環太平洋連合軍が奴らに追い込みをかけている最中だった。本拠地を割り出すまであと一歩、というところだったが、この有様だ。追い詰められたネズミが猫を噛んだな」
「……つまり、彼らには強引な手段に出なければならない事情があった、ということですね?」
体を動かせないアーネストは、首肯の代わりに目を閉じて肯定する。
「奴らの目的はおおよそわかっている。
大気中で自己増殖するナノマシンを、地球全体に拡散させるつもりだ。
手編みのせいで厄介なものがバラまかれる事態になったと、政治的宣伝を繰り広げるつもりらしい。それを我々に邪魔されそうになって、一気に行動に出たのだろう」
さきほどの格納庫での議論と一致する。イオリが暴き出したナノマシンの設計データは、まさしく大気中に拡散させるためのものだった。
「……しかし、そんなナノマシンが実在する確証を、まだ我々はつかんでいない。そもそも、ナノマシンが勝手に自己増殖するという話自体、眉唾だ。それでも奴らが大規模な動きを見せている以上、実在すると考えて行動するしかない」
アーネストは———環太平洋連合軍は、ナノマシン・セルフレプリケータの実在を知らないようだ。
トマスをちらりと見ると、小声で反論が戻ってきた。
「ん? 僕が東軍に機密をしゃべると思ってんのか? ねえよ。
軍からの出向どうこう以前に、リゼが困るような真似はしねえって」
やはり、律儀な男だ。出向元に便宜を図るならこっそりバラしていてもおかしくはないのに、警護対象であるリゼを最優先に考えているらしい。もしくは、リゼのことを本当に大切に思っているのだろう。
アーネストの声に再び耳を傾ける。
「もし『ナノマシンの大気中への散布』というのが実は隠語で、本当は生物兵器や化学兵器をバラまこうとしているのだとしても、私はまったく驚かないがね……」
アーネストの解釈は、ナノマシン・セルフレプリケータの実在を信じていない人間にとっては妥当と言えるものだ。
ホノカは言葉を選びながら、話せる部分だけをアーネストに伝えていく。
「……藤原利世が拉致されたことは、最初にお伝えした通りです。彼女を拉致したのは副所長の西園寺了嗣でした。両名とも、ナノマシンを専門としています。常緑がナノマシンを散布しようとしていることと、なにか関係があるのかもしれません」
ナノマシン・セルフレプリケータには触れずに、リョウジが犯行に関わっていたことだけを改めて示唆している。機密に抵触せずに話せる限界はこの辺りまでだ。
「……ナノマシンの専門家であるラボの要職が襲撃に関わっていたとすると、いよいよ信憑性が高くなってきたか。馬鹿げた話だと思っていたが……与太話と断ずるには早すぎるようだな。
我々のエージェントによれば、奴らがバラまこうとしているのは、人体や地球環境にほぼ害のないナノマシンだと目されている。さすがに世界そのものを滅ぼそうというわけではないらしい。思想犯とはいえ、奴らなりの利益や損得があるビジネスということだろう。社会ごと破壊しては元も子もない」
これも、やはり格納庫での議論と一致する。
ほぼ無害ではあるが、除去困難なナノマシンを拡散させて社会不安を煽る。そんなことになったのは撰修人種のせいだと嘯いて、敵意を導く。そうして反対派の勢いが増し、人数が増えることで利益を得る者たちが背後にいる。
「アジア圏でナノマシン精製プラントが同時に襲撃されているが、これも背後に常緑がいることまではつかんでいる。騒ぎを大きくして攪乱したいのか、それとも何か別の理由なのかまでは、わかっていないがな……ぐっ」
途端に、アーネストの表情が苦痛に歪む。どこかが痛むようだ。
しかし、ニックやトマスが駆け寄る前に、すぐに元の表情に戻っていた。一筋の汗が、アーネストの額から流れ落ちていく。
「……動くつもりなら、急いだ方がいい。
軍は本気で常緑を潰すつもりだ。ほぼすべての駐留部隊に作戦参加の指示が出ている。
じきに、警察には『本件に関わるな』と軍の司令部から通達が行くはずだ。お前達は余計なことに首を突っ込まずに市民の安全確保に努めていろ、とな。私が言えた義理ではないが、この状況でもメンツが重要なのだよ」
トマスは、アーネストのその言葉を聞いて、思わず上官同士の会話に許可無く割り込んでいた。
「中佐、いいんですか。そんな、煽るようなことを言ってしまって。公安が勝手に動いたら、困るんじゃないですか?」
トマスの問いかけに、アーネストは笑っている。
「ははは……。意外か? 私は叩き上げなりに現場主義でな……。キャリアどもが会議室でチェスを打っている様は気に食わん。指示には従うが、戦っているのはあくまで我々だ。そうだろう?」
命令が下りてくれば従うが、それまでは好きにさせてもらう。アーネストは、暗にそう言っている。
「イエッサー」
トマスは勢いよく敬礼すると、再び壁際に控えた。
「……もうひとつ、伝えておこう。我が軍は、日本の手編みの生死に頓着していない。本拠地が割れれば、爆撃してでも凶行を止めようとするだろう。
彼女の救出を第一にするなら、我々とは連携できないと思った方がいい。もし敵の居場所がわかったとしても、軍に共有することが君たちにとっての最善ではないだろうな」
ホノカは何度か瞬きをして、トマスと一瞬だけ視線を合わせた。「中佐の言葉は本当なのか」と問いただしたようだったが、トマスは「わからない」とお手上げのポーズを取っている。
さすがにここまで親切だと、むしろ罠なのではないかと考えざるを得ない。特に、日本やザンサスを見下していたアーネストの態度を思い返すと、違和感が先行してしまう。
ホノカはわずかに躊躇して、しかしアーネストに疑問をぶつけることに決めた。
「中佐。失礼ながらお伺いしますが、どうして我々にそこまで丁寧なご助言を?」
その問いに、アーネストは長い時間、天井を見つめたまま黙っていた。答えを逡巡していたのか、それとも何かに思いを馳せていたのか。
きっと、その両方だ。
「……なに。あの手編みの少女と、そう歳の離れていない娘がいる。我ながら軍人失格だと思うが……生憎と、軍人である前にひとりの父親でな……」
ホノカは立ち上がると、アーネストに敬礼する。
「中佐。ご助言、感謝いたします。一刻も早い快復を祈っております」
「そうだな……。末の娘の晴れ姿を見るまでは、死んでも死に切れん……。
貴殿らの健闘を祈る。そちらも、不必要に死ぬなよ」
トマスも、ニックも、ミサキも、アーニャも、そして少し遅れてハルキも。
そろってアーネストに敬礼した。




