開演(6)
ミサキとハルキが中央棟に突入すると、中は阿鼻叫喚の地獄絵図だった。
「冗談がきついわね。ハルキ、吐くならあとにして」
ロビーや廊下には、至る所に血痕が散らかっている。あちこちに倒れている人影は微動だにせず、血まみれの置物に成り果てていた。
「……吐いてる余裕なんて、ないな」
ハルキは腰から警棒を抜き放つと、右手に構えた。死体の山を見て気分は悪いが、ここは死地だ。いつでも反撃できるようにしておかなければならない。
ジャケットでは大きすぎてこの建物の中に侵入できない。この有様は、ジャケット以外に侵入した『何か』が存在することを示唆している。
気を抜くと、あっという間に置物にされてしまうかもしれない。
「はっ!」
ミサキはセキュリティロックの扉を拳で強引に破壊すると、その先に進んでいく。
今くぐった扉はハルキがリゼと話すために苦労して乗り越えたものだったが、人体機能付与型ナノマシンの手にかかれば、あってないようなものだった。
そうして進んでいった先に、『それ』は立っていた。
人体模型の骨格だけを抜き出してグレーに塗装したようなカタチ。そのフレームの内部には、怪しく光る発光素子や、電流の変化で収縮する人工筋肉が垣間見える。
その両手には、鈍く光るサブマシンガンが握られていた。
ミサキが息を呑むのが伝わってくる。
「アンドロイド……!」
人間の皮を被っていない骨格だけのアンドロイドが、廊下の中央からこちらをにらみ付けていた。
頭部の二眼カメラがミサキの姿を視認する。途端、サブマシンガンをろくに狙いも定めずに発砲してくる。
パララララララララッ。
「ちっ! ハルキ、私から離れないで!」
ミサキの体内のナノマシンが自動的に飛来物に反応する。非力な九ミリ口径の弾丸程度では突破できない斥力場が展開され、すべての攻撃を無力化していく。
キンキンキンキンキン……。
斥力場に受け止められた、あるいは逸らされた銃弾がすべて床に落ちて、一瞬だけ静寂が戻る。
「ふっ!」
その隙をミサキが逃すはずがなかった。踏み込むと、一瞬で距離を詰めてアンドロイドの腹部に正拳突きをたたき込む。
直後、アンドロイドはアルミホイルを握りつぶすような不快な音を立てて、胴体の中心から真っ二つにひしゃげて廊下に転がった。
「———こんなのがわらわらいるかもしれないんだけど。まだついてくる?」
脅しのつもりで尋ねてきたのだろう。ミサキなりの優しさかもしれない。
「当たり前だ。こんなのがリゼのところに殺到してるなら、なおさら急がないと、だろ?」
迷いはない。ミサキをにらみ返す。
その返答でミサキもいよいよ本当に諦めたのか、もしくは腹を括ったのか、無言で前に走り始める。その後を追っていく。
リゼが中央棟にいるとしたら、二階の自室かプライベートラボの可能性が高い。とにかくそこまで最短距離で駆け抜けなければならない。
「———ふぅ。はぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!!」
ミサキは下腹部、すなわち丹田に力を溜めると、反応型防御壁の出力を最大に高めた。その鉄壁の防御力を担保に、非常階段を駆け上がっていく。
パララララララララッ! 想定通り、階上からサブマシンガンを撃ち込んでくるアンドロイドが一機。すべての銃弾を受け流して、その胴体に突きを一発お見舞いすると、くずおれて動かなくなる。
徘徊しているアンドロイドは適応者との戦闘を想定しているわけではないらしい。この分なら、力任せに突き進めば問題なさそうだ。
「ハルキ。二階に入ったらまっすぐリゼの部屋に走る。ついてきて」
「了解だ」
威勢良く返事をするが、ハルキの頭の中には相反した言葉が浮かび上がる。
『警告。現在の行動指針は、操者の身体保護にリスクがあります。ただちに再考して下さい。撤退を推奨します』
グリーフ・ブレイカーだ。
(黙ってろ。俺だって死ぬ気はない)
『……待機状態に移行。操者の安全確保のため最善を尽くします』
気絶していたときは体を勝手に操られていたが、意識があれば乗っ取られるようなことはないらしい。それでも、以前よりずいぶん活発に話しかけてくる。
(少しずつ人間離れしていってる影響なのかもな)
半分他人事のように考えて、すぐにその推論を思考の隅に投げ捨てた。今は考えるだけ無駄だ。
ミサキが二階の廊下につながる非常階段のドアを開く。
その先に敵影がないことを確認して、廊下に出た。ここから角を二つ曲がれば、リゼの部屋がある。
ミサキは躊躇せずに駆け抜けていく。臆せずその後に続く。道中、二体のアンドロイドがミサキの鉄拳の餌食になり、廊下に沈んだ。
そうして最後に廊下を曲がったところで、ミサキは足を止めた。
いや、止めざるを得なかった。
「———どういう、こと」
ミサキの視線の先に、リゼがいた。
リゼは、長身痩躯の男の肩に担がれている。銀色の長い髪はだらりと垂れ下がり、表情はすっかり隠れている。全身が弛緩している様子から、おそらく意識はない。それどころか、生きているかどうかもわからない。
リゼを抱えた男は、ミサキを見咎めると重く響く声でつぶやいた。
「……ほう? 思ったより早かったな。浅野君の戦力評価が過少だったか」
男の名は、西園寺了嗣———副所長にして、リゼの上司。
不敵な笑みを携えて、こちらを見据えている。
よく見ると、リョウジの足元には倒れ伏した汎用アンドロイドの姿があった。
ハルキが声を荒げる。
「アーニャさん!?」
見間違えようのない、特徴のあるメイド服。彼女は仰向けに床に転がったまま身動き一つしない。
ミサキは、リョウジに拳を向けて問いただす。
「副所長ともあろう人間が、まさかこの襲撃の主犯ってわけ?」
リョウジは鼻で笑って答えた。
「副所長だからどうした? 肩書きで敵味方が区別できるなら、世界はこんなに単純ではないと思うが?」
確定的だ。リョウジは、この襲撃に深く関わっている。
「リゼをどうする気だ?! リゼを離せ!」
思わずハルキは叫んでいた。
しかし、怒気を向けられてもリョウジが気にするそぶりはなく、いたって冷静な反応が戻ってくる。
「なに、少しばかり彼女の力が必要でね。心配しなくとも死んではいない。
———今は、な。力尽くで取り返してみてはどうだ?」
それならば、望み通りにやってやろう。
手にした警棒を握りしめる。足元に力を込めて、一気に駆け出す。
「だめ! ハルキ、待って———!」
ミサキが止めるのも聞かず、一直線にリョウジに向かって突き進む。
警棒を腰だめに構えて、リョウジの胴体に目がけて体重をのせて突き出す———しかし。
「なんでっ———!?」
リョウジは目と鼻の先にいるのに、体が前に進まない。いくら足で踏んばっても、一センチとて距離が縮まらない。まるで、弾力のある見えない壁に阻まれているようだ。
「残念だが、触れることすらできんよ。アーニャくんを見て気付くべきだったな」
反撃は一瞬だった。リョウジがわずかに目を細めただけで、強烈な力に殴りつけられる。巨象に踏みつけられるような途方もない圧力が、体の正面から襲いかかってくる。
———もしミサキが咄嗟に割って入らなければ、五体満足でいられたかわからない。
「このぉぉぉぉっ!?」
ミサキが背後から守るように斥力場を重ねる。襲ってきた力のほとんどが受け流され、余波だけが重くのしかかってくる。それでも、全身がみしみしと悲鳴を上げた。
そのままミサキに肩を捕まれて、後ろに引っ張り戻される。
「ハルキ、下がって! この人は、適応者よ」
リョウジはほくそ笑んだ。
「ご明察。力場を完全に落としていたのに察して割り込んだのか? やはり君の戦力評価は過少だったな。
……さて、もう少し遊んでいたいところだが、そろそろ時間だ」
リョウジは肩に担いでいるリゼを腕で支えながら、反転して背を向けた。
彼が向いている方向には、壁しかない。
「いったい、何を———」
ミサキが問いかける間もなく、リョウジの目の前にあった壁がはじけ飛ぶ。
壁が破壊されると、その奥は『外』だった。
建物の外に、見覚えのないジャケットが見える。細身で、まるで西洋の騎士のような姿。
「これで失礼する」
そんな言葉を残すと、リョウジは巨大なジャケットの———セントールの腕に飛び乗って、姿を消した。
「待てっ!」
ミサキが飛び出して外の様子を確認するが、すでにセントールの姿は見当たらなかった。
ハルキは持っていた警棒をその場に落とす。
「冗談だろ? リゼが、さらわれた……?」
八月。
蝉がやかましく合唱するラボの敷地から、藤原利世と西園寺了嗣は忽然とその姿を消した。知の殿堂に、屍山血河の爪痕を残して。




