しだれ桜と涙ふたつ(8)
翌朝。
父親にはたまに連絡を入れていた。
ハルキにとって一番連絡が取りやすい肉親だから、という理由でしかなかったが、この状況で頼りになるとしたら、たしかに父親だっただろう。
病室のベッドに腰掛けてコールする。ほどなくすると、「はいはい?」とぶっきらぼうな声が聞こえて通信がつながった。
ホロに父親の顔が浮かび上がる。音声だけでも良かったが、たまには顔を見せないと過度に心配されて面倒が増えるので、お互いに顔を映していた。
「よっ。元気だから心配すんなって言いたくてかけただけだ」
「そうか。わかった」
正直、話したいことはない。話せないことも多すぎた。
話すべきことはいろいろあったかもしれないが、今はまだ、すべて胸の内にしまうことにしていた。
だから、これで通信を切っても何も問題はない。実際、切断の操作をしようとしていたくらいだ。
ところが、今回は珍しくキャッチボールがほんの少しだけ長くなる。
「……ハルキ。お前、いい顔をするようになったな。何かあったか?」
「そうか? そういうの、わかるもんなのか」
「わかるさ。私の若い頃そっくりになってきた」
「ほんとかよ。我が子の成長に感動して泣いてもいいんだぜ? 胸なら貸すよ」
「バカが。母さんには私から連絡しておく。お前は早く体を治せ」
「任せとけ。名医がついてるからな」
今度こそ話題が尽きた。通信を切る。
(……不思議だな)
煙たいだけと思っていた父親を、少しだけ近くに感じていた。理由はよくわからない。
ベッドから立ち上がる。
リゼとアーニャが、検診のために医務室で待っている。
医務室に入ると、そこにはリゼが座っていた。
「……あれ? アーニャさんは?」
アーニャの姿は見かけない。検診のときにリゼひとり、というのはこれまでに一度もなかった。
「アーちゃん、別のお仕事。検診する。座って」
違和感を覚えながら、促されるままに椅子に腰掛ける。きっとアーニャは途中からやってくるのだろう。
リゼの目は、よく見るとわずかに腫れぼったい。昨晩の花火で泣いたからだ。いろいろと思い出されて、照れくさい気持ちになる。
しかし、リゼは平常運行だった。いつもの調子で指示される。
「脱いで。センサー、あてられない」
シャツを脱いで、隣にあるカゴの中に入れた。アーニャがいるときも同じことをしているわけで、普段と流れは変わらない。
「ちょっと冷たい。我慢」
リゼが、少したどたどしい手つきでぺたぺたとセンサーを貼り付けていく。センサーもリゼの指も冷たいので、触れられるとどうしても小刻みに体が反応してしまう。
貼り付け終わってしばらく待っていると、データの取得が終わる。
「おしまい。次、触診する」
「うぇっ?」
思わず、変な声が出た。
「え、それもリゼがやるのか?」
てっきり、触診はアーニャが戻ってきてからやるものだと思っていた。
すると、リゼが自分を指さして告げる。
「……医師」
今度は指を指される。
「……患者。問題、ある?」
なかった。
リゼの手が伸びてきて、首筋と顎の付け根あたりを触られる。
「リンパ節……問題ない。でも、ハルキ、目、充血してる?」
(やべっ!? 昨日の夜、泣いたから!)
ホノカの胸を借りて泣いたことを思い出す。
鏡で自分の顔をまじまじと観察するタチではないので、充血していることに気付いていなかった。どうにか取り繕わなければ。泣いたことは、知られたくない。
「ちょっと夜更かししちゃってさ。そのせいじゃないか?」
「……ちゃんと見る。ハルキ、上を見て」
リゼの指で下まぶたを押し下げられて、診察用のライトの光を当てられる。
「次、下を見て。次、左。右……。正面を見て」
正面には、リゼの顔があった。それも間近に。
意図せず、視線が交わる。
「!」
リゼの手からライトが滑り落ちた。
からんからんからん……。音を立てて床を転がっていった。
見つめ合ったまま、沈黙が流れていく。
瑠璃のようなブルーの虹彩。ぼさぼさの美しい銀髪。似合わない白衣。
わずかに紅潮した頬。困ったような、でもどことなく嬉しそうな、そんな表情。
「……リゼ?」
小さな声で名前を呼ぶと、リゼの肩が小さく震えた。
「あ……」
リゼの視線が、宙をさまよう。
焦点が定まらないまま、ふらふらと、あちらへ、こちらへ。
そして、医務室の入り口が彼女の視界に入ったとき、リゼはそこに釘付けになった。
「アーちゃんっ!」
リゼの叫び声につられて、背後を振り返る。
入り口からアーニャが半分だけ顔を覗かせていた。まるで亡霊だ。
「……いえ、私のことは一切気になさらなくても……アンドロイドですし……? ですが、せめて扉は閉められた方が……」
そのままスーッと引っ込んで廊下に消えていく。
「アーちゃん! 待って!」
なぜか、リゼはその後を追って走って行った。
ひとり、取り残される。
「とりあえず、俺は服を着てもいいんだろうか……?」
そのあと二人が医務室に戻ってきたのは、ずいぶん時間が経ってからだった。
結局、リゼがひとりで検診したのはこのときだけだった。以後は、やはりアーニャが常に同席していた。
それでも、ひとつだけ以前と変わったことがある。
診察のほとんどを、リゼがひとりでこなすようになっていた。アーニャは隣で手伝いをしながら、いつもの笑顔を浮かべて、何だか楽しそうにその様子を眺めていた。




