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しだれ桜と涙ふたつ(6)

 観覧席という名前から簡易テントのようなものを想像していたら、そこそこ立派な平屋が打ち上げ会場の正面に設置されていた。

 開演には間に合わなかった。打ち上げられた花火が風を切り裂く音と、腹の底に響く炸裂音が繰り返し聞こえている。

 入り口にたどり着いて認証を通すと、ふたりの座席の位置がホロに表示される。建物の奥、長い廊下の突き当たりだ。

 平屋の中に入ると、天井はあるが、夜空が見えるように透過する映像処理がされている。外で花火を見ているのと一切の違いはない。

 見上げれば、頭上には満天の星空。その中にときおり浮かび上がる、大輪の花。偽物ではあるけれど、準仮想現実パラバーチャルゆえの精緻に演出された情景だった。

 ホロの案内に従って、リゼの手を引いて廊下を奥へと進んでいく。

 廊下は薄暗い。花火がよく見えるように、という配慮だろう。月明かりと花火の光で足元を確認しながら歩いて行く。

 ところが、足元ばかり注視していたせいで人影に気が付いていなかった。

 角を曲がったところで、何者かと接触してしまう。その拍子にバランスを崩し、リゼと一緒に尻餅をつく。

「あたたっ……」

 ぶつかった相手を見上げると、白い髭を蓄えた和服姿の老爺だった。線は細く、どこか神経質そうな印象を受ける。

 老人は、ハルキを見下ろしたまま持っていた扇子をぴしゃりと閉じた。

「……ここは君たちのような若者が入れる場所ではないはずだがね。いったいどこから潜り込んだのか」

 気分を害したのか、その視線には威圧感が伴う。

 素直に詫びて立ち去るべきだろう。そう考えて立ち上がろうとしたところで、老爺の背後にスーツを着た若い男が現れて、耳打ちをする。

「先生。逮捕者は九です。罪状にやや無理がありますが、あとは余罪から追い込みます」

 剣呑な内容だが、老爺はごく当然のように返答する。

「ふん。反対派の連中も諦めが悪いな。いったい誰のおかげでこの国を維持できていると思っているのか。我々が手編み(ブレイデッド)を運用しているおかげだとわからせてやれ」

「はっ。失礼します」

 若い男は足音もなくハルキとリゼの脇を通り抜けると、そのまま外へと消えていった。

 ふと、広場で警官が人垣を作っていた場面を思い出した。

(……もしかして、あれは手編み(ブレイデッド)廃止の署名運動をしていた人たちを取り締まっていたのか?)

 リゼと合流した直後に、大学生くらいの女性に署名を求められて断っている。さきほどの男の口ぶりからすると、もしかしたら彼女も逮捕されたのかもしれない。

 立ち去った男も、おそらく警察関係だ。ただ、同じ警察でもホノカたちとは似ても似つかない。統制の取れた均質な暴力を権力の下で振るう集団。そんな雰囲気が漂っていた。

 老爺は相変わらずハルキをにらみ付けている。

「すみません。暗くて良く見えていませんでした」

 立ち上がって、謝罪する。この老人が何者であれ、ぶつかったことは詫びねばならない。

「ふん。わかればよろしい。迷い込んだのなら出口はあちら———」

 老爺は、嫌みったらしく扇子の先で入り口を指し示そうとして、そこで動きを止めた。

 リゼが、じっと老爺を見つめている。

「———いや、まさか。このようなところにいらっしゃるはずが」

 ぽつりと、リゼの声が廊下に響く。

「シンイチロー。そこ、通りたい」

 怒っているわけではなく、何の感情も乗っていない、ただのつぶやきだった。

 それなのに、老爺は泡を食って驚いている。

「ふ、藤原、様!? ど、どうしてこちらに?!」

「花火、見に来た。通して」

「は、はい。それはもちろん」

 すっと老爺が道を空ける。リゼはハルキの手を引いてすたすたとその奥に歩いて行く。

 引きずられるように老人の脇をすり抜けるとき、彼の戸惑いが聞こえてきた。

「君は、いったい……」

 リゼに腕を引かれるまま通り過ぎたのでその質問に答えることはできなかったが、老爺の狼狽ぶりは強く印象に残った。

(偉そうにしているくせに、手編み(ブレイデッド)を利用しているからリゼ本人には頭が上がらないのかよ。どこまで自分勝手になれるんだ……くそっ)

 あの老人は、撰修人種ブレイデッド・レースの推進派に違いない。

 ただ、どうして推進しているのか想像すると、胸焼けしそうだった。



 廊下を奥に進むと、突き当たりにひとつだけ離れた区画があった。

 近づくと入り口の引き戸がスッと開く。中には、六畳くらいのスペースに革張りの三人掛けのソファが一脚だけ。花火が打ち上がる方角に向かって設置されている。

 リゼは立ち止まることなく歩いて行って、ソファの端っこに座った。

 相変わらず、ハルキの手をつかんだまま。

「えーと、俺は真ん中でいいのか」

「……いい、かも?」

 リゼが嫌がらなかったので、そのままリゼの隣に座った。

 ソファから、一緒に空を見上げる。

 ヒュルルルルルルルル…………ドンッ! サァァァァァァァ……。

 花火が真正面の頭上に見える。そんな特等席だった。

 建物の周りは人混みでごった返しているはずなのに、花火の音以外は何も聞こえない。

(この席、どうやって押さえたんだろう)

 アーニャに任せたっきりで方法まではわからない。とにかく、賓客向けの特別な座席であることはわかる。

 もう一度、花火が上がった。今度は夜空に色とりどりの花々が咲く。

 脳が現実だと誤認している偽物の情景とはいえ、体感では本物との大きな違いはない。見入ってしまうには、十分に圧倒的な光景だった。

「……すごいな。本物じゃないけど、綺麗だ」

「うん。びっくり」

 リゼは花火が打ち上がるたびにその音と軌跡を目で追って、炸裂音がするたびにビクリと震えていた。何発打ち上がってもその様子は変わらない。小さな動物が物音に驚いて、でも気になるから音がした方をじっと見ている。そんな場面を想起させた。

 彼女の表情はほとんど変わらないけれど、気持ちは手に取るようにわかる。

「楽しいか?」

「うん。楽しい。とても」

 きっと、花火なんて映像や資料でしか見たことがないのだろう。誰だって子どものころに一度くらいは見ているはずなのに。

 そんな人並みの幸せさえ、彼女には与えられてこなかった。本人も、それが何なのかを知らないから、自分から求めたりしなかったに違いない。

 つながれた手に優しく力を込めると、リゼがゆっくりと振り向く。

「なぁ、リゼ。触られるの、嫌じゃなかったのか?

 学校のときだって、普段の検診だって、避けてただろ」

 学校で立ち去ろうとするリゼの腕をつかんだ。そして、強く拒絶された。

 日々の検診でも、リゼの手が体に触れることは決して無かった。

 それなのに、今、リゼは手を強く握り返してきている。

「ううん。大丈夫。ハルキは大丈夫、だから」

 花火がパッとリゼの表情を照らし出す。その頬が少し紅く見えるのは、花火の色が写ったからだろうか。

 残響が消えて静かになると、リゼがぽつりとつぶやいた。

「人に触れるの、怖い。リゼ、人間じゃないから。他の人と違う、かも、だから」

「触れられて、人と違うって気付かれるのが嫌だったのか?」

「……たぶん、そう。リゼ、人と接触するの、ずっと、ずっと、避けてきた」

 それは、一体どれほどの孤独なのだろう。

 自らを人間ではないと自称し、ありがちで平凡な日常を一度も送ることなく、研究者としても周囲に疎まれ、人と接触することさえ避けなければならない、リゼの生きる世界。

 リゼに、リゼたちに、これほどの業を背負わせる権利が人類にあるとは、決して思えない。

 誰もが、彼女たちをひとりの人間として扱っていない。かつての自分自身がそうであったように———

 手のひらから、ひんやりとしたリゼの体温が伝わってくる。

 せめて、隣にいるリゼだけでも、守ってあげられないだろうか。

 何ができるのかは、まだわからない。けれど。

「……そうだな。リゼは、他の人とちょっと違うな」

「!」

 リゼの表情が曇る。

 人と違う。きっと、彼女が無意識にもっとも恐れている言葉に違いなかった。

 でも、その違いは決して否定すべきものではない。

 リゼは、どうあってもリゼだから。

「触ると、少し冷たいんだ。体温が低いんだろ?

 でも、こうやって手をつないでると、心があったかくなるんだよ。

 ———知ってた?」

 小さな手を、両手で優しく包むように握る。

「……うん。あったかい」

 大輪の花が夜空を彩って、その残滓が、リゼの頬に一筋の涙を写し出す。

 リゼは流れる涙をそのままに、言葉を続ける。

「リゼ、ハルキ、絶対に治す。

 ……でも、そうなったら、会うこと、なくなる?」

 そんな風に考えてしまうことが、哀しい。

「治っても、必ず会いに行くよ。ちゃんとパスを発行してくれれば、だけどな?」

 その答えに安心したのか、リゼの心の中に溜め込まれていた思いが溢れてくる。

「何度でも?」

「おう。呼ばれなくても行くぞ?」

「困ってたら、また助けに来てくれる?」

「もちろん。本能で助けちゃったくらいだからさ。何度でも助けるぞ」

 ぽろぽろと、リゼの瞳から大粒の涙がこぼれ落ちていく。

 ハンカチを差し出そうとしていた手を、思い直して引っ込めた。

 きっとこの涙は、拭わなければならないものではなかったから。

「……約束?」

「ああ。約束だ」

「ありがとう、ハルキ」

 初めて見る、リゼの屈託のない笑顔。

 特等席で見る花火よりもずっと綺麗な、温かな花がそこにあった。



 フィナーレが近づくにつれて、一度に打ち上がる花火の数が増えていく。

 夜空が花で埋め尽くされていく様子を、並んで見上げる。

 そろそろ終わりだろうか、と名残惜しく思い始めたところで、

 ピピピピピッ!

 突然アラームが鳴って、二人の前にホロのメッセージがポップアップする。

『はーい。盛り上がってるところ悪いけど、お邪魔しますよー。

 二人とも、このあとの花火だけは絶対に見てねーっ! 高かったんだからーっ!』

 メッセージに釣られて、二人で空を見上げる。


 ヒュルルルルルルルル……ドンッ!

≪Happy Birthday Lize!≫


 夜空に浮かんだ、みんなからのメッセージ。

 それを見て、リゼがつぶやいた。

「あ。今日、リゼ、誕生日……。忘れてた……」

「はははっ。そんな気はしてたけど、やっぱり覚えてなかったんだな。

 誕生日おめでとう、リゼ」

 ほどなくして、偽物の夜空に美しい花々が満開に咲き乱れる。

 残光がしだれ桜のように軌跡を描いて、ゆらりと落ちていった。



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― 新着の感想 ―
[良い点] 今までで一番いいエピソードですね。最高です。
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