天岩戸の向こう側(11)
「……西園寺さん。あなたからは、リゼはどう見えているんですか」
そんなことを聞いていいのかわからなかったが、答えてもらえるような気がしていた。この男は物言いは嫌みたらしくて婉曲だが、真摯に受け答えする。そう見えた。
「ほう。よい質問だ。私個人ではなく研究者から見て……という話になるが。
藤原君の部屋には、大きな熊の人形が置いてある。あれを贈ったのは私の恩師だ。学界でも傑物として有名でね。真の天才と呼ぶべきだろう。ノーベル賞受賞者でもある」
「熊の人形……? 恩師……? 話が見えないんですが……?」
たしかに、リゼのベッドには大きな熊の人形が座っていた。それがリョウジたち研究者から見たリゼとどうつながるのか、わからない。
「そう急くな。私の恩師は、藤原君の恩師でもある。彼女が八歳になるまで、主に量子力学を教えていたんだが、生まれたときから面倒を見ていたこともあって、愛娘も同然に可愛がっていた。それで、あの熊を何かの祝いにプレゼントとして贈ったわけだ」
少しだけ、リゼを取り巻く人たちの輪郭が見えてきた。規格外の天才ではあるけれど、子どもとして愛されてもいたようで、安心する。
「まあ、他の教授陣も同様だっただろう。いくら教えてもスポンジのように理解するし、対等に議論さえできるんだ。自分の子どものように可愛がってもおかしくはないだろう?
そうして溺愛した結果、私の恩師は、八歳になった藤原君に持論を完全に論破された日に引退したよ。すべてがどうでも良くなったらしい」
「———え?」
唐突な幕切れ。日常がバッサリと切り落とされて、暗闇に放り込まれたような薄気味悪さが残る。
「退官のとき『間違っても撰修人種には関わるな』と釘を刺されたのをよく覚えている。それが何の因果か、彼女の上司になっているのが今の私だ。笑い話だろう?」
笑うところなのかもしれないが、到底笑えなかった。
観客のいない真っ暗な舞台の上に、ひとりで佇んでいるリゼの姿が見えた気がした。
せめて、研究者の世界では孤独であって欲しくなかった。そんな淡い期待さえも満たされることがないなんて、悲しみが深すぎる。
「そんな。西園寺さんたちから見て、リゼは……邪魔なんですか……?」
「邪魔かどうか、か。それは難しい質問だ。このラボの中でも意見が分かれるだろう。
撰修人種にいなくなって欲しいかと言われれば、研究者としての私はイエスだが、人間としての私はノーだ。
彼らに依存した社会を正常とは思いがたい。トマス君の受け売りではないが、凡人が凡人らしくあがいている方が人間らしい、という彼の言い分には賛同できる。私も凡人側の人間なのでね。
かといって、仮に彼女たちを全員殺せば元通りの望んだ社会になるだろうか? ならないだろう。改めて『製造』されて、元通りになるだけだ。
必要悪と言えばそれまでだが、それ以上に哀れな存在には違いない。私個人にどうこうできる権力はないが」
リョウジの憫笑に対し、リゼたちが哀れではないと否定する論拠は思いつかなかった。
「君も、事件に巻き込まれて怪我をしたんだろう。藤原君個人を悪く言うつもりはないが、争いの種になる程度には、ろくなものではないことは間違いない」
「それでも、俺はリゼたちが少しでも幸せに過ごして欲しいと思います」
「その点には同意する。私だって、藤原君個人の不幸を願っているわけではない」
思いのほか長くなった会話は、それでようやく終わりになった。
さすがに喉が渇いて、テーブルに置かれていたアイスティーをストローで啜る。
清涼感のある、レモンが入った紅茶の味が———
「!?」
喉の奥がカッと燃えるように熱くなる。胃に熱湯でも注いだような感覚がある。
リョウジを見ると、あざ笑うような表情。
(こいつ———何をした!?)
ここまで何事もなく話をしておいて、油断させて毒でも飲ませようという腹だったのか。
立ち上がって距離を取ろうとすると、急にグリーフ・ブレイカーが起動する。
『体内にアルコールを検知。摂取量推測……生命維持に支障無し。心身の安全に悪影響があるため、飲酒の中止を提言』
その声を聞いて我に返る。
「……これ、お酒ですか」
「ロングアイランドアイスティーというカクテルだが。
私が飲もうと思って頼んだものを、よもや奪い取ってまで飲まれるとは思わなかった。さすがに未成年に飲酒は勧められないな」
恥ずかしい話だ。相手を疑ってかかった末に、勝手に勘違いして敵意まで持ってしまった。
リョウジは特に気にするそぶりもなく、飲んでいた酒をテーブルに置く。
「そろそろ頃合いということだろう。お開きにするとしよう」
そうつぶやくと、リョウジは懐から酔い覚ましのアンプルを取り出した。
「……手持ちがひとつしかないな。こういう場合、レディファーストだろう。
腕でもいいが、首元に打つと早く効く」
そう言いながら、ハルキに手渡してくる。
(えっ。俺が打つの?)
それ以上は特に何も指示されず、しかたなく向かいで突っ伏して寝ているホノカの首筋に手を伸ばす。長い髪が邪魔をするのでかき分けると、さらさらした手触りが妙に艶めかしい。
それでもどうにか首元を探り当て、アンプルを打ちこんだ。
「うにゃっ」
ホノカが何事か呻いた様子を見る限り、上手く刺さったらしい。
顔を上げると、リョウジはすでに上着を羽織っていた。
「年寄りに付き合った報酬くらいないと、割に合わないだろう?」
一瞬、何を言っているのかわからなかったが、ホノカのことだと思い当たる。
(このおっさん、実は話がわかるタイプなのか……?)
それにしても、リョウジはホノカやトマスと同じくらい飲んだわりには、ほとんどしらふに見える。
「西園寺さんは、酔ってないんですか。ずいぶん飲んだみたいでしたけど」
「……もう六年ほど前か。肝臓を壊して、機械化した。あまりストレスに強い方ではなくてね。
基本的には人体スペックそのままだが、アルコールの分解が得意なモデルだ。もちろん認可されている。便利な世の中だ」
ホノカとトマスが、毎度リョウジと飲み比べをしているような口ぶりだったことを思い出す。
「ずるすぎませんか、それ。この二人には勝ち目がないじゃないですか」
「そうだな。黒峰君たちと同じ土俵で勝負していない点では、私も撰修人種と似たようなものかもしれないな」
「そういう重い話じゃなくてですね? 実は酔ってます?」
よくよく見ると、顔色は変わらないが目が据わっているように見えなくもない。
「さて、それでは私は失礼する。トマス君の処遇は、黒峰君が起きてから聞きたまえ」
リョウジが立ち去って、居心地の悪い重厚な空間に取り残される。
しばらくすると、ホノカがむくりと起き上がった。
「うっ。しまったー。また飲み過ぎたー! リョウジさんいないしー! トマちゃん死んでるしー!」
そのあとは、ホノカと二人でトマスに肩を貸して店から出た。
男性用宿舎の軒先に泥酔したトマスを放り投げると、ホノカは自分の部屋に戻っていった。
「凍え死んだりする季節じゃないしー。男子棟に入るの、やだもんー。サキちゃんはぐいぐい行っちゃうだろうけどさー」
想定通りだが、トマスには容赦が無い。
ホノカと別れると、すでに日が変わっていた。
病棟の自室まで戻る道を、月を眺めながらゆっくりと歩く。
去り際、リョウジが残した言葉を思い出していた。
「もし撰修人種に興味があるなら、大学で近代技術史を専攻してみるといい。私が嘘をついていないかどうか、もしかしたら確かめられるかもしれない。君のやる気と能力次第だが。
———ただし、結果は自己責任だ」




