天岩戸の向こう側(9)
夜が更けて。寝入っているイオリはミサキに引きずられて退散し、起きそうにないリゼはアーニャが抱えて連れ帰った。
残ったハルキは、笑い上戸と泣き上戸に捕まっていた。
「えっ? なんで? 俺、明日学校なんですけど」
「あはははっ! わたしも仕事よー! でも、まだ夜は長いからさー!」
「ひっく。いやぁ……お前さんはもうちょっと僕たちに付き合う義務があると思うんだよなぁ……ハルキのおかげで仕事がどれだけ増えたかわかってる? わかってないでしょ?」
ホノカとトマスに襟首を捕まれて連れ込まれた先は、ラボ内の地下にひっそりと佇む妖しげな空間だった。
まるでマフィアのボスがソファでくつろいでいそうな重厚な内装。カウンターの奥には、ビシッとオールバックに髪を固めた人間のバーテンダー。アンドロイドの店員が一機もいない。さながら二十世紀後半の様相を見せている。
すなわち、ここはオーセンティックな正統派のバー。およそ高等部の学生が入り込む場所ではない。
「いや、ここはダメでしょ!? 未成年が入っていい場所じゃ」
「まぁまぁ、ノンアルコールのカクテルなんて言えばいくらでも出てくるんだからさー」
「そうだぞ。僕の酒……もといジュースが飲めないっていうのかぁ!?」
もう完全にぶっ壊れている。
店内に引きずられていくと、店の奥にさらに事態をややこしくする『先客』が座っていた。
(———げっ!?)
思わず逃げ出そうとしたが、がっちり捕まれていて逃げられない。
「あーっ! リョウジさんだー! 奇遇ですねー! ご一緒してもいいですかー! 今日は負けませんよー! 絶対につぶーすっ!」
「副所長ーっ! 借りた映画、マジ良かったっす! 感想を無限に語りたい! 座っていいっすか!」
奥のソファに腰掛けていたのは、西園寺了嗣。このラボの副所長にして、廊下でハルキに厳しい言葉を浴びせかけた張本人だった。スーツのジャケットは背もたれにかけているが、初夏だというのにシャツの上にベストとネクタイをきっちり着こなしている。
「……同席は構わない。音量を控えめにしてくれるのであればな」
二人の影に隠れているハルキのことを知ってか知らずか、リョウジは相席することに同意した。そのまま、ホノカがリョウジの隣に、トマスが向かいに座る。ハルキはリョウジの斜め向かいに位置取ることになった。
「若者がいると思えば、齋藤君か。この二人に絡まれるとはずいぶんな業を背負っていると見える。正直、迷惑だろう?」
言いながら、リョウジは黄金色の泡を吹いている液体を口に運ぶ。何かの酒のようだが、ビールではないし、種類まではわからない。氷も入っていない。
「……いえ。まぁ、楽しませようと思って誘ってくれてるっぽいので……」
どう返答していいのかわからず、適当な答えを返してしまう。
「そうか。年長者に引きずり回されるのも若者の宿命、か。ルールとマナーを守る分には、この店は未成年であれ歓迎する。楽しむといい」
意外にも、リョウジには以前ほどのとげとげしさはない。
(あれ? もっとめちゃくちゃ嫌な人だった記憶があるんだけど)
違和感の正体を理解しかねていると、バーテンダーに注文し終えたトマスが、リョウジに議論をふっかけ始めた。
「副所長! あの映画、どこで見つけてきたんすか! ほとんど全編が電話ボックスの一場面で完結するのに、手に汗握る展開で最後まで目が離せないとか、ヤバいっすよ!」
ついさっきまで泣き上戸モードだったはずなのに、リョウジを見かけてから途端にテンションが上がっている。
「出会い頭にそれか。君は本当に古典映画が好きだな。なに、古い友人づてに、二十一世紀初頭のライブラリを持っている好事家に行き当たっただけだ。たしかにあれは私も名盤だと思うが」
会話の内容はよくわからないが、二人が古い映画という共通の内容で盛り上がっていることだけは理解できる。
ホノカはホノカで、バーテンに「ハイボール九個」というよくわからない呪文をつぶやいていた。ハルキの手元には、アルコールの代わりに絞りたてのオレンジジュースが届けられた。
「ふふふ……リョウジさん、今日は負けませんからねー。潰れるまで容赦しませんからー! もちろんトマちゃんも道連れだーっ!」
すでにだいぶ酒が回っているはずなのに、ここから飲み比べを始めるつもりらしい。
(この三人、ずいぶん仲が良いんだな……意外だ……)
ラボを警護している警察官と、ラボの事実上の責任者なのだから、交流がないわけがない。それにしても、ここまで垣根がないのは意外というほかない。
ハルキの様子に気付いたのか、リョウジが苦笑している。
「ずいぶん仲がいいんだな、とでも言いたそうだな。付き合いが長くてね。
初対面かもしれない相手を紹介しようともしないあたり、この二人らしいいい加減さだろう? 私も齋藤君も初見ではないから、構わないのだが」
そこでトマスは初めて気付いたらしい。
「あ。そういや副所長とハルキの紹介、忘れてた。まぁ、なぜか知ってるみたいだからいいっすね。いやあ、偉い人とのパイプは大事ですからねえ。仲良くしないとねぇ」
ホノカはリョウジの隣で例の気持ち悪い笑みを浮かべていた。
「おぬしもワルよのう。ぐふふ」
「……あの、ご本人の前でそれ言っちゃって大丈夫なんですかね?」
至極真っ当な指摘ではあったが、当のリョウジは一切気にしていない。
「なに。この二人はいつもこの調子だ。今さら気にしてどうなるものでもない。私としても警備課———もとい警察にパイプがあるのはありがたいのでね」
打算込みの関係ということらしい。
「君も難儀だな、齋藤君。この二人に関わるくらいなら一刻も早く自宅に帰るべきだろう。しかし藤原君が留め置くということは、何か問題があるんだろうな。私は医師ではないし、詳細に興味は無いが」
いちいち発言にトゲがあるのは変わらないが、やはり以前ほどの辛辣さは感じない。
体調については、話を合わせておかないとややこしいことになる。
「……リゼのおかげで最近はずいぶん体調が良くなりました。まだ安静にしていろと言われていますが」
「早く回復してくれることを祈ろう。藤原君の研究進捗に影響が出ると世界の損失だ。知っているのだろう? 彼女が撰修人種だと言うことは」
「!」
ずいぶん嫌みったらしいと思っていたら、リョウジはどうやらリゼの邪魔をすることが気に食わないのかもしれない。もしかすると最初に廊下で会ったときも「この少年がリゼの邪魔にならないか」を計っていたのだろうか。
それにしても、撰修人種という単語をリョウジの方から出してきたのは想定外だった。なにしろ、それ自体が機密事項なのだから。
「警戒する必要は無い。藤原君が自分の判断で正体を明かしたと聞いている。それを咎める権利は誰にもない。表向きは」
リョウジがどうにも苦手なことは変わりないが、出会い頭に比べればマシな印象になっていた。
(言い方は容赦ないけど、悪い人ではない、のか?)
少なくとも、ただの悪人ではなさそうだ。ホノカとトマスが慕っている様子からも裏付けられる。
「リョウジさぁーん。聞いてくださいよー。みんなひどいんですー。わたしのことバカにするんですー。真面目にやってるのにー!」
ホノカに至っては、ただの仕事の愚痴を警備の依頼主であるラボの責任者にぶっ込んでいる。相当に気を許していると見える。
「君が無闇に爪を隠すからだろう。わざとやっているなら周りを責められるものではない。とはいえ、警察幹部からは迷宮入りの事件をいくつも解決した才媛だと聞いているんだが。
……いや? そういえば具体的にどうやって解決したのかは重要機密と言われて伏せられたな。ここでタネを明かしてくれるなら、私が弁護するが?」
ホノカが唐突に固まった。ロボットじみた抑揚のない声でつぶやく。
「何のことですかネー? タネなんてなにもないですヨー? 足で稼いだ結果ですガー?」
ゼンマイ仕掛けの古風なおもちゃを彷彿とさせるカクカクした動きで弁明するホノカ。明らかに何か隠しているように見えたが、あまりにもわざとらしすぎて追及するのがアホくさく感じてくる。
リョウジもそれ以上は踏み込むのを諦めたようで、鼻で笑っていた。
「ならば看板に偽りがある疑惑は払拭できないな。諦めたまえ」
「ぶーっ! リョウジさんまでー! ホノカちゃんはいつでも真面目ですぅー!」
「ふむ。暴走したアーニャを最小限の被害で止めた功績は、ラボの方でも正当に評価したつもりだがね。あれでも不服か?」
「うっ……些かも不服はないですー! その節はありがとうございましたぁー!」
(あ。アーニャさんがトマスとミサキと戦ってた件はそういうオチになってるのか。迂闊なことは言えないな。というか爪を隠すって、誰が?)
トマスはトマスで、無邪気に酒を飲んで無防備に潰れている。
「所長ぅー。なんでそんなに酒強いんっすか……毎度、勝てる気がしねえ……ぐぅ」
「副所長だと言っているだろう。露骨に人を持ち上げるのは美しくない。……もう落ちたのか。今日はずいぶんと早いな」
リョウジも特にわだかまりや遠慮はないようで、言いたいことを言っている。特に、リゼを気にかけている様子が見える。
「最近、藤原君の様子はどうだ。このところ会えていなくてね」
ホノカがビクッとして当たり障りのない答えを返す。
「んー。特に変わりないみたいでしたけどー。ちょっと寝不足っぽいのは、いつも通りアーちゃんのチューニングに勤しんでるからじゃないですかねー」
「またそれか。唯一の趣味に口だしするつもりまではないが、度が過ぎるのは少々困ったものだな」
そのあと、ほどなくしてホノカもテーブルに倒れ伏した。




