天岩戸の向こう側(8)
翌日の夕方。リゼとのわだかまりも解けたので、全員で食事しようということになった。
ハルキが準仮想現実の学校から戻ってくると、集合時刻まで時間があった。時間つぶしに、病棟のロビーでニュースやグローバルネットワーク上の情報を調べている。
『東欧では、撰修人種に反対する勢力が大規模なデモを行っており———』
『科学技術が急速に発達したのは撰修人種の功績であり、汎用高度人工知能は始めから人類には不要であったとする主張が———』
『撰修人種にも自由な子育てを認めるべきとする人権擁護団体の訴えが政府に退けられ———』
人間は、興味のあることだけを理解する生き物だ。
(結局、俺はリゼたちのことを知らなかったんじゃなくて、知ろうともしていなかっただけだったんだよな)
気にせずに日常を送ろうと思えば、死ぬまで一切関わることはないかもしれない。でも、ほんの少し調べてみれば、そこら中に手編みに関わる話題は溢れていた。この社会の裏にはたしかにリゼたちの存在があって、彼らを取り巻く思想や勢力が無数に存在している。
キョウヤと名乗ったあの少年も、常緑という組織も、そうした無数にある勢力のひとつであるとわかる。
撰修人種否定派を増やす目的でプロパガンダやテロ行為に励んでいる組織は複数あり、実態が把握されていないものが多いようだ。アーネストたちが追っている常緑も、そのひとつと推測できた。ただ、常緑という組織名は公には語られていない。グローバルサーチにも引っかからなかった。
ピピッ。
「あっ、やべ。行かなくちゃ」
端末から通知のホロがポップアップした。慌てて立ち上がって、早足に会場に向かう。
「はーい! 主賓がお越し下さいましたー! というわけで、ハルくんの真・歓迎会を開催したいと思いますー! ちなみに今回は賓客用の個室だからーっ! 機密とか気にせんでいいぞーっ! あ、でもレベル八以上は口にするのも厳禁ねー!」
会場にたどりついた時点で、ホノカはいい感じにできあがっていた。
「いいぞー! 盛り上げろーっ! なんなら脱げ―っ! ぶわはははは!」
トマスも赤ら顔になっている。ヤジの中身もセクハラと言われたら完全にアウトだ。ちなみに、アーニャにつけられた青あざが顔中に残っている。
「引くわー。マジ引くわー。始める前からできあがっとるとか、ええ大人がやることか……? 未成年、三人もおるんやで……?」
イオリは意外にも大人しく席に着いており、炭酸水をちびちび飲んでいる。非合法の塊みたいな行動をするくせに、食事と飲酒のマナーには繊細らしい。
「ま、いつものことでしょ。この二人に品性を求めても品性の方から逃げ出すんだから」
ハルキの右隣には、ミサキが座っていた。オレンジジュースを気怠そうにストローで啜っている。ミサキらしいと言えば、ミサキらしい。
「それにしても、私は同席してもよろしかったのでしょうか? 命令とはいえ散々みなさんの妨害をしたあげくに、トマスさんのお顔を正視に耐えないほどボコボコにしてしまったわけですが……。いえ、改めて見ると、まだ無傷のスペースがありますね。詰めが甘かったです」
アーニャは心配そうにトマスの顔を眺めているが、あまり反省している様子はない。そもそも汎用アンドロイドが感情的な意味で反省するわけもないのだが。
「問題ない。トマス、気にしないって、言った。それに、アーちゃん、悪くない。悪いの、命令した、リゼ」
リゼはハルキの左隣にちょこんと座っている。赤いザクロジュースをくぴくぴ飲んでは、つまみに出てきたナッツ類をおいしそうにぽりぽり食べている。
ソファ席に座ったハルキは、右をミサキ、左をリゼに挟まれていた。
(なんか知らんが、両脇から無言のプレッシャーを感じるッ……!)
そんな様子を向かい側からホノカがにやにやしながら眺めている。
「ま、若いもんは若いもんで楽しめばよし! 野郎ども! 飲むぞーっ!」
酒乱もとい、酒宴の開幕である。
イオリが轟沈するのに、一時間もかからなかった。
「ふひっ……ザンサス……さいこー……先輩……うち、がんばったで……セパード、倒し……ぐー」
実は下戸らしい。トマスにのせられて無理して飲んだ結果、ビール二杯で地を這った。
その隣で、ホノカはあろうことかアーニャに絡んでいる。
「おいこらー。お澄ましアンドロイド―。なんかおもしろい話ないのかー! 部下をボコボコにしてくれちゃってー!」
以前は笑い上戸だったはずだが、今回はただの絡み酒である。酒癖が悪いとかそういう次元を超越しつつある。
「面白い話ですか……そうですね。マスターがハルキさんの学校にお邪魔したときの経緯、などはお楽しみいただけるかもしれません。
……え? 話すなと指示されておりませんので、何ら命令に背くことにはならないかと」
リゼが途中で気が付いて何事か言いかけたが、ホノカがリゼの背後に回り込んで手で口元をふさいでしまった。もがもが言いながら暴れている。
「ハルキさんから学校の話を聞いたことがきっかけで、一般的な学校がどういうものか強い興味を抱かれたようでしたので、もし気になるなら見に行ってはいかがですか、と進言いたしました」
酔っ払ったホノカが、リゼを押さえ込みながら合いの手を入れてくる。
「よっ! 人間を調子づかせるのは天下一品!
そしたら、ホントにリっちゃんが学校に行ってみたいって言い出したのよねー。たまたま警察に外部講演の依頼が来てたから、イオちゃんを無理やり突っ込んで、アーちゃんとリっちゃんを同席させたのよー。
ほら、模擬戦の直後だったから、イオちゃん、言われたら断れない感じだったしー?」
衝撃の事実に、思わずツッコミを入れざるをえない。
「ホノカさん!? あんた共犯だったのかよ! あの一件で俺がどれだけ苦労したか……。いや、やめましょう。ホノカさんはその苦労話を聞き出して酒の肴にするタイプの人間でした」
怒りを露わにするハルキを前に、ホノカはむしろ開き直ってほくそ笑んでいる。こういう手合いを真面目に相手にするのは悪手だ。無視するに限る。
アーニャがさらにリゼに追い打ちをかける。
「マスターは、ハルキさんのご学友や学校の様子を見て、生きる世界が違うとでもお考えになられたのか、ともかくもう関わらない方が良いと結論づけたと推測します。そのあと、すぐ私に『ハルキさんとマスターを会わせないようにせよ』とご命令されましたから」
ミサキは苦笑いしている。
「なんにしろ、発端はハルキが通ってる学校が気になったってことでしょ。かわいいじゃない。ね?」
ミサキにつられてリゼに視線を向けると、ホノカに引き倒される形でソファに倒れ込んでいて、顔を真っ赤にして抵抗している。
「もがーっ! もがぁーっ!」
黒豹に噛みつかれたリスのようだな、とハルキはそんな感想を抱いていた。
ホノカがリゼを解放すると、リゼは肩で息をしながらアーニャに抗議してした。
「アーちゃん! めっ! リゼ、怒ったっ!」
「それは大変失礼いたしました。お叱りはあとでたっぷり受けますから、ここはどうか穏便に……」
アーニャが周りを見渡す仕草をすると、リゼは「うっ」と呻いて静かになった。さすがに祝いの場で派手に怒れるほど世間知らずでもないらしい。
そのあと意外だったのは、リゼがよくしゃべったことだ。
「トマス、飲み過ぎ。水、一緒に飲む。からだに悪い」
「このチェダーチーズ、おいしい。もうひとつ、頼んでいい?」
「お仕事? おもしろい。でも、みんな、リゼに遠慮、する。もっと、対案、欲しいのに」
「ハルキ、無茶しすぎ。グリちゃん、無敵じゃない。死ぬこと、ある。それ、とても嫌……。無理、しないで」
微妙に機密指定レベル九の内容にかすっている部分もあったが、そうやってしゃべりまくったあと、唐突に、寝た。
まだ宵の口だというのに、ハルキの左肩にもたれて、ぐっすり寝入っている。
小さく寝息を立てている様子を、ミサキがハルキの反対側から覗き込むように眺める。
「よっぽど寝不足だったのね。安心して寝ちゃったみたい」
ミサキは、妹を見守る姉のような眼差しというか、『実家』に戻ったときとよく似た表情をしていた。口には出さないが、リゼを気に掛けていることがよくわかる。
ふわりと、ミサキの香りが鼻腔をくすぐる。
(近いって! だから近いんだって! 距離感! 距離感おかしいから!)
そうやってハルキが慌てる様子を対岸からトマスが眺めている。
「はーっ。若いっていいなぁ! 青い! 青いぜーっ!」




