天岩戸の向こう側(7)
「……俺の体は、ナノマシンに埋め尽くされる。小さすぎて、増殖を止める方法も……ない、のか?」
ホノカが小さく拍手する。
「そうよー。もしナノマシンの増殖が止まらなくなったら、ハルくんの体はナノマシンで一杯になって、大変なことになるわねー。死んじゃうと思うなー?
じゃ、もしハルくんが死んじゃったあとも『その辺りにあるものすべて』を材料にして増え続けちゃったら、どうなるかなー?」
周囲にあるものをすべて材料にして、ゆっくりと自己複製を続けていくナノマシン。もしそんなものがあるとしたら、いずれ世界はすべてナノマシンに埋め尽くされてしまう。
「世界中がナノマシンで……ぐっちゃぐちゃに?」
「はい、正解ー。もしかしたら世界滅亡、みたいなー?」
機密指定レベル九。
社会秩序・地球環境への甚大かつ不可逆な影響が見込まれるもの。
事実であれば、グリーフ・ブレイカーは間違いなく該当する。
「……え? いや……マジで?」
「事実。もし、ナノマシン・セルフレプリケーター、止まらなくなったら、世界、終わる、かも」
リゼの肯定の言葉を、アーニャが引き継いだ。
「ですが、過剰な心配は不要です。グリーフ・ブレイカーはハルキさんの循環系に依存して自己を複製しています。ハルキさんの体外で勝手に増殖することはできません。
そもそも、グリーフ・ブレイカーは必要以上に増殖しないように、自己複製を制限する増殖抑制用ナノマシンが対になっています。増えすぎた場合は刈り取って、自滅に追い込みます。ハルキさん自身もナノマシンで埋め尽くされるようなことにはなりません」
ほっと胸をなで下ろす。
「な、なんだ……驚かさないでくれよ」
「申し訳ありません。ただ、この技術自体は人間社会を滅ぼしうるものです。その事実はご認識願います」
通信越しに、イオリの驚く声が聞こえてくる。
『にわかには信じられへんけど、ナノマシンサイズで、完全自動化工場と同等の機能を持たせたっちゅーことやろ? 数世代先の技術であっても、手編みなら実現しうる……。話には聞いとっても、目の当たりにすると気が遠なるわ』
リゼは誇らしげに胸を張ろうとしたが、そう言う雰囲気ではないと思い直したのか、取りやめて平静を装っている。
機密指定レベル九になった理由のひとつは理解した。もうひとつが気にかかる。
「技術的な危険性はわかったけどさ。もうひとつの理由って何なんだ? 『目的』って言ってたけど」
トマスが苦虫をかみつぶしたような顔をした。
「胸くその悪い話だぜ?
ハルキ。グリーフ・ブレイカーは何のために作られたと思う?」
その答えは、ずいぶん昔にリゼとアーニャから聞いている。
「多臓器不全からでも蘇生を実現する最新の医療用ナノマシン……って話だろ?」
「そうじゃない。そんなものを作った『理由』の方だ。
重傷でも蘇生しちまうようなシロモノだ。しかも、その効果はセルフレプリケーターのおかげで『永続』すると来た。もし本当に医療用なら、セルフレプリケーターなんてガチでヤバいもんを搭載してまで永続化するか? おっかなすぎて流通させられねえよ」
確定的な死を覆すグリーフ・ブレイカー。
そして、その効果は放っておいても、途切れることがない。
そんなものを作ろうとした理由。
「……誰かが、不死身になろうとしてる、とか?」
馬鹿げている。そう思いながら呟いた。
それなのに。
「そう。グリちゃん、人間、限定的な不老不死にするため、開発されてる。
当然、限界、ある。でも、大怪我しても、助かる可能性、高い。ハルキ、知ってる通り」
リゼが真顔でそう言い放ったので、かえっておかしく感じる。
ミサキは不快感を露わにしていた。
「どこかのお偉いさん方が、どうあっても死にたくないからってリゼに造らせてるんでしょ。依頼主まではリゼも知らないみたいだけど。もちろん、私たちも知らないわよ」
開発しているリゼ本人も、決して賛同しているわけではないらしい。
「リゼ、人間、死なないの、違和感ある。開発、反対。でも、グリーフ・ブレイカー、医療に転用できれば、大勢、助けられる。だから、流用して、医療用ナノマシン、いくつも造ってきた。テクノロジー、使い方次第」
彼女は開発に携わらざるを得ない立場にあるが、文句はあるので上手く利用して裏で医療用の製品開発も行っている、ということのようだ。
その隣で、トマスは神妙な面持ちで重い吐息を漏らしている。
「これが、ふたつ目の機密指定レベル九の正体だ。
限定的とはいえ不死身の人間が実在するなんて知れたら、人間社会への影響は計り知れねえよ。しかも、開発が上手くいけば量産可能になっちまう。そんなもんを野放図に拡散されたら、取り返しがつかねえだろ?」
「……そいつが俺の体の中にあるって?」
大きく頷くリゼ。ぼさぼさの銀髪がばさりと前に倒れる。
「ある。グリちゃん、人体の状況、記録し続ける。壊れたら、『元通り』にする。新陳代謝の活性化、だけじゃない。人体、造り変える」
「造り変える……? 傷が塞がったのって、もしかしてグリーフ・ブレイカーが強引に傷を塞いだのか?」
鉄杭や鉄球に撃ち抜かれた傷痕は、跡形もない。いくら回復が早くても痕くらい残るだろうと思っていたが、本当に『元通り』にする力があるらしい。
ところが、アーニャは首を横に振っていた。
「傷をふさいだのは、グリーフ・ブレイカーが元に戻したから、だけではありません。グリーフ・ブレイカーがハルキさんの体を『造り変え』て、瀕死の重傷からでも蘇生できるだけの身体能力を与えているんです。ですから、二度目の蘇生は一度目より遥かに迅速に回復しました。回復が予想より早かった点は気がかりですが……。
いずれにせよ、ハルキさんの体は少しずつ———ヒトではなくなりつつあります」
時が止まったような凍てついた空気が流れる。
指先から急速に体温が抜けていく。
「……待ってくれ。俺が、人間じゃなくなっていってる?」
顔を上げて前をよく見ると、目の前のホロには最新の検査結果が映し出されていた。
半数どころか、ほぼすべての数値がレッドゾーン。それどころか、限界値を振り切っている項目もある。良くなるどころか、どう見ても悪化している。
「数値、悪化して、見える。でも、ハルキ、自覚、ない。むしろ、元気。
人間の規定値、外れているだけ」
元気になる代償に、ヒトから離れて行っている。そういうことらしい。
トマスが決まりが悪そうに頭をぼりぼりとかいているので目を向けると、どうやら過去の行いを反省しているようだ。
「リゼからそんな物騒なもんをハルキに投与したって聞いたときは、さすがに肝が冷えたっつーか、頭に血が上ったっつーか……悪かったよ。まぁ、助けるにはそれしか方法がなかったにしろ……安易に誰かに使っていいもんじゃ、ねえだろ」
機密指定レベル九。ヒトをヒトではない不死者に仕立て上げるナノマシン。
たしかに、安易にヒトに投与していいものではない。
空気を読まずに独白を漏らしたのは、遠隔で会話に参加していたイオリだった。
『はぁー。ハルキの前でこんなこと言うのも何やけど、うち、ホンマにヤバいもんに首突っ込んでたんやな。さすがにちょっと反省したわ。……いや、今回はホンマやで?』
まったく反省していないそぶりに誰もツッコミを入れないが、ヤバいものであることには全面的に同意する。
アーニャが誤解のないよう付け加える。
「当然、まだ研究中のものです。これで完成形というわけではありません。現在は制御が粗く短期間で人間離れしてしまいますが、将来的には、生存に必要な範囲だけを制御するように調整される予定です。
ヒトを、できる限りヒトのままで保存するために」
それでも、それをヒトと呼び続けていいのか疑問は残った。撰修人種を人類と呼ぶのかどうかと同じ問題を感じる。果たして、ヒトの境界線はどこにあるのだろう。
ふと、リゼが哀しそうな顔をしていることに気がつく。
「グリちゃん、ずっとそのままだと、ハルキ、いつかヒトでなくなる。だから、元気になったら、すぐ除去するつもりだった。
でも、除去、できなく、なった。ごめん、なさい。リゼ、判断、間違えた」
せっかく泣き止んだのに、リゼはまたぽろぽろと大粒の涙を流し始める。
「判断を間違えたって……どういう意味なんだ?」
上手く話せなくなってしまったリゼに代わってアーニャが答える。
「ミサキさんとお二人で出かけたあの日、重傷を負って二度目の蘇生を果たした際に、グリーフ・ブレイカーはハルキさんの体と今まで以上に強く結びついてしまいました。
既存の手順で安全に引き剥がせるかどうか、わからなくなってしまったのです」
崖から突き落とされる気分だった。
「それって、まさか、俺はずっとこのままってこと———?」
リゼが首を振って否定する。
「リゼ、除去方法、確立する。必ず、ハルキ、元に戻す」
その目は真剣そのものだ。
リゼの目の下に深く刻まれたクマが、彼女の気概を何よりも雄弁に語っている。寝不足になるまで、除去する方法をずっと探していたに違いなかった。
「あの日、リゼ、外出許可、出さなければ、ハルキ、もう少しでグリちゃん除去して退院できてた。
安易な判断、した。ごめんなさい。ごめん、なさい」
涙を溜めながらそうつぶやくリゼ。胸が痛む。
「……リゼのせいじゃない。ちょっと外に出たらいきなりあんな風に襲われるとか、さすがに予想できないだろ。それに、キョウヤとかいうヤツに狙われるようなマネをしたのは俺自身だ」
その言葉にあわせて、ミサキが頭を下げる。
「私がもっと強ければ、ハルキを傷つけることもなかった。ごめんなさい」
何度も涙を流すほど後悔しているリゼを、責め立てる気にはなれない。
「誰かひとりだけが悪いわけじゃない。
俺、リゼを信じて待つよ。きっとリゼならなんとかしてくれる。そうだろ?」
顔を上げたリゼと、視線を交わす。
「うん。約束する」
「おう。期待して待ってる」
二人で不格好に笑い合った。きっと何とかなる。そう信じて。
解散する直前、ミサキがふと思い出してホノカに質問した。
「……ねえ、気になってたんだけど、買い出しにハルキを連れていくように言い出したのって、ホノカだったわよね。あれ、結局なんだったの?」
ホノカの目が泳いでいる。
「なななななななんのことカナー?」
『白状しいや。見苦しいやろ……』
トマスが一歩、前に出た。
「しかたねえなあ。僕から話す。ハルキの息抜きが目的だったのはその通りなんだが……。
要するに、娯楽がないんで、ハルキとミサキをお出かけさせて、デート模様を離れた場所からウォッチしてたんだよ。言っておくが、発案はホノカだからな? 話に乗った俺らも同罪だけどよ」
ゴォッ、と室内に風が巻き起こった気がした。斥力場など展開されてもいないのに、なぜか全身に激しい圧がかかった。そんな風に誰もが確信した。
「ホ、ノ、カァァァァァ……! 元凶は、お前かぁぁぁぁぁぁ!」
「い、いやーっ!? サキちゃん、そんなことしたら、わたし死んじゃ———アッ」
ミサキに何かされたらしいホノカが床に転がって痙攣しているが、誰ひとりとして一顧だにしなかった。




