天岩戸の向こう側(5)
トマスとミサキが、アーニャと交戦している頃。
時刻は、一六〇〇。
リゼが参加する定例会議が終了した直後。
中央棟。会議室エリアの扉の前に、ハルキが立っていた。
イオリからの通信が入る。
『今や。退室ログが出た。リゼが廊下に出てきとるはずや』
大きく息を吸い込んで、ゆっくりと吐き出してから、その扉をくぐる。
『生体認証———齋藤悠貴様。ゲストパ繧ケ縺ァ縺ッ縺薙?謇峨r———賓客パスを確認。ようこそお越し下さいました』
一つ目の扉が開く。
その先は、小さなエレベーターくらいの広さの空間になっていた。
中に入ると、最初の扉がゆっくりと閉まる。
『二つ目の扉が開きます。ご注意下さい』
続いて、二つ目の扉がもったいぶりながら開いていく。
目の前に広がるのは、ダークカラーの無機質な廊下。
廊下の果てまで、左右に会議室の扉が林立している。
遥か彼方に、大人たちに混じってリゼの銀髪が見えた。
***
アーニャの攻撃の手が止まった。
「……やられました。セキュリティクリアランスを賓客扱いに繰り上げましたね。未発見のセキュリティホールを探り当てましたか。イオリさんを少々侮っていたようです」
彼女のメイド服は多少着付けが乱れてはいたが、破れたりすることもなくきれいなままだ。
対峙しているトマスの顔にはいくつか青あざができていて、ミサキは肩で呼吸をしている。
「へっ。人間サマもまだまだ捨てたもんじゃねーだろ?」
「そうですね。手段を選んでいられなくなりました」
アーニャは構えを解くと、左半身を前に自然体の姿勢を取った。少し斜めを向いているだけで、あとはただ立っているだけの、構えとも言えない構え。
「トマスさん。ミサキさん。みなさんは頑張りすぎてしまったようです。これでおしまいにしましょう」
ハルキにリゼと話す時間を与えるためには、ここでアーニャを押しとどめ続けなければならない。
ミサキは拳を握り直す。
「ようやく本気ってわけ?」
「いやぁ、これ以上は僕の顔面が保たないね。やれやれ」
トマスがぼやくが、その目は戦意を失ってはいない。
***
———二つ目の扉が開いて、遠くにリゼの姿が見えた。
長い廊下の果て。全力で駆け抜けても、数秒は必要になる。
イオリから端末に音声通信が入る。
『ハルキ! 走れっ!』
それを合図にして、ハルキは駆け出した。
両脇に並ぶ会議室が、走馬灯みたいに後ろに流れていく。
「ちょっと!? なんだ君は!」
「危ない!」
廊下を歩いていた見知らぬ研究員の脇を、アルペンスキーヤーのように縫いながら走り抜ける。
全力疾走していることに遅れて気が付いた心臓が、鼓動を早めていく。
リゼの姿が近づいてくる。
「止まりなさい!」
抜き去った研究員の声が廊下に響いた。
その声に反応して、リゼが振り返る。
リゼが、走ってくるハルキに気がついた。
「っ!?」
珍しく驚いた顔をしたと思ったら、リゼは廊下の奥に向かって走り始めた。
(このっ! 逃がすかっ!)
駆け出したリゼの背中を追いかける。
ところが、その背中はどんどん小さくなっていく。
「速いっ!? 嘘だろ?!」
てっきりリゼの足が速いわけがないと思い込んでいた。それなのに、彼女はきれいなフォームで廊下を走って行く。全身のバネを余すことなく使って、軽やかに。
『———操者の身体能力限界を検知。増幅します』
急に、頭の中に声が聞こえて、からだが軽くなる。足が勝手に体を前に押し出していく。
(グリーフ・ブレイカーか?! 今は助けになるなら何でもいい!)
小さくなりかけていたリゼの背中が、少しずつ近づく。
二人の先にあるのは、突き当たりの曲がり角。
リゼは壁を蹴って床のように走り抜け、曲がり角の奥に消えてしまう。信じられないほど身軽だ。
「リゼェェェッ!」
彼女のように、こぎれいに廊下を曲がる方法なんて知らない。半ば体当たりするように、からだを壁にこすりつけながら無理矢理に廊下を曲がる。
少し先にセキュリティロックの扉があって、リゼは、その奥に姿を消そうとしていた。
「待っ———!」
プシュッ、と空気が抜ける音がして、扉が閉まった。
扉を開けようとすると、生体認証が作動する。
『定員オーバーのため、しばらくお待ちください』
間に合わなかった。あれだけ大見得を切っておきながら、リゼを捕まえて話を聞くどころか、言葉を交わすことすらできなかった。
それでも、この扉の向こうに彼女がいる。声は、届くかもしれない。
精一杯、声を張り上げる。
「リゼ! 話をさせてくれ! 頼む! 友だちだろ!?」
拳を扉に打ち付ける。強く叩きすぎて血が滲むが、痛みは感じない。
リゼの小さな声が、扉の向こうから漏れ聞こえてくる。
「……ハルキの友だち、学校にいる。ここには、いない」
まるで独白のように、彼女自身に言い聞かせているように聞こえた。
本当はそうであって欲しくないと祈っているような、自信のなさそうな声。
「バカッ! リゼは友だちだって言っただろ!? あいつらとリゼに違いなんてないんだよ! ただ会うのが早かったか遅かったか、それだけだ!」
沈黙。
「俺とリゼの命は『等価』なんだろ!? だったら、俺に隠し事なんてするんじゃねえ! 対等に話をさせてくれよッ! リゼッ!」
それでも返事はない。
もしかしてすでにリゼは行ってしまったのではないか、と思い始めた矢先に、邪魔が入った。
「君! いい加減にしたまえ!」
「ここは関係者以外立入禁止だ! どうやって入り込んだ?!」
大勢に肩をつかまれて、扉から引き剥がされた。支えを失ってそのまま床に尻餅をつく。
すぐに警備のアンドロイドがやってきて、どこかに連行されるだろう。
そしてリゼの顔を見ることは二度と無く、いずれ何も知らないまま元の生活に戻される。
「離せよ! くそっ! リゼッ!」
力尽くで拘束を解こうと暴れたところで、多勢に無勢だ。それでもハルキはあがき続けた。羽交い締めにされて、蹴飛ばして、押しのけて、また自由を奪われて。
———その騒ぎに惹かれたのか、目の前にあった天岩戸がゆっくりと開く。
「その人、リゼのお客さま。離して。賓客に乱暴、だめ。下がって」
リゼがセキュリティロックを解放して、床に転がっていたハルキの前にしゃがみ込む。
ブルーの虹彩は少しだけ潤んでいて、目の下には大きなクマができていた。
***
アーニャが自然体に構えて三秒後。
「充電完了」
彼女は抑揚のない声でそうつぶやくと、自然体を解いて一気に踏み込んで来る。
トマスは、次に何が来るのか直感した。
「やべぇっ!? ミサキ、下がれっ!」
言葉の意味もわからないまま、ミサキは後ろに跳んだ。
そして瞬きする間に、トマスの体は電光に貫かれていた。
「がっ! ばばばばばばばばばッ———?!」
アーニャの右手が、トマスの胸元にそっと添えられていた。
トマスはビクビクと全身が大きく痙攣して、すぐに動かなくなった。アーニャが右手を離すと、偉丈夫は木偶人形のようにごろりと床に転がる。
ミサキは息を呑んだ。
「……接触型電撃兵装!」
殺傷能力が低い牽制用の装備として、出力に制限を設ければ汎用アンドロイドでも搭載が認められているものだ。それにしても、トマスが餌食になった様子から見て、民間のアンドロイドが搭載できる出力の限界を遥かに超えている。
決して、トマスは気絶しているわけではない。高電圧で数十秒程度、身動きが取れなくなっているに過ぎない。それでも、ミサキを仕留めるには十分な時間がアーニャには与えられた。
「ミサキさんは捕まえるのが大変そうですね。時間が惜しいので少しズルをします」
その直後のアーニャの様子を見て、ミサキは呆気にとられて思わず握り込んでいた拳を緩めてしまった。
バキャッ。
機械的な音がしたと思ったら、アーニャの右の前腕部が展開して、中から六本の金属の棒がせり出していた。パリパリと乾いた音がして、空中にうっすらと放電している。
楽観的に想像しても、『離れた場所から感電させる非合法兵器』としか考えられない。
「消耗が大きいので本当は使いたくありませんが、これでおしまいです」
アーニャが右腕をミサキに向けて突き出す。
ミサキは腹を括った。あとでどんな追及を受けるとしても、ここで全力を出さなかったら後悔する。キョウヤとの戦いで、命がけで隙を作ってくれたハルキに報いるためにも、使える力はすべて使う。
「権限行使強制———!」
瞬間的に体内のナノマシンが目を覚ます。『暴れ回る』と命名された力が、斥力場を周囲に展開する。たとえ電撃であっても、弾き飛ばせる自信があった。
アーニャが右腕を正面に突き出す。
「解放」
ミサキは最大限に圧縮した斥力場でそれを迎え撃つ。
「はぁぁぁぁっ!」
両雄が激突する、その瞬間———
「はーい。そこまでー。警察庁の警備課ですー。違法な改造を受けたアンドロイドがいるとの通報を受けて捜査に参りましたー」
聞くだけで力が抜ける声が廊下に響いた。
「ホノカ?!」
ミサキは、背後から現れたホノカの姿に驚いて斥力場を薄めた。
反対に、アーニャはこれまで以上に警戒の色を強めている。
「ホノカさん。どういうおつもりです」
帯電していた右腕は相変わらずミサキに向けたまま、アーニャが問いかけた。
ホノカは電撃を気にするそぶりもなく、つかつかとアーニャに近づいていく。
「べっつにー? 持ち主のところまでご案内いただけますかー? はい、アーニャさん、こちらが警察手帳ですよー。捜索令状もお取りしておりますー。見たところ完全アウトっぽいから現行犯逮捕って感じだけどねー」
ホノカの経路上に寝転がっていたトマスは、彼女のヒールに見事に腹を踏み抜かれている。
「いでぶっ!? あっ、しゃべれた。ホノカ、お前、タイミング見計らってたろ?」
ホノカは舌をぺろっと出すと、それ以上は返事をしなかった。
警察手帳と捜索令状を確認したアーニャは、構えを解いていつも通りのおしとやかな汎用アンドロイドに戻っていく。
「……書面の正当性を確認いたしました。マスターのところまでご案内いたします。
ですがホノカさん。その令状、あとでこっぴどく叱られるのでは? 本庁の許可は取ったのですか?」
「ええー? な、なんのことかなー?」
滝のような冷や汗をかいているホノカの背後で、トマスとミサキは苦笑いしていた。




