天岩戸の向こう側(3)
「ただ、僕がひとりでアーニャの相手をするなんて言った覚えはないぜ?」
トマスのその言葉に続いて、もうひとつ人影が現れた。
隣に立つ偉丈夫に比べれば遥かに小柄で、細く、それでいて芯に強さを秘めている。
トレードマークのポニーテールが、足の運びに合わせてゆらゆら揺れていた。
「そうね。私もこっちにつくわよ。ハルキには助けられた借りがあるからね」
ミサキは、トマスの隣に並んで左半身を前に構える。トマスとは違い、腰を少しだけ低い位置に落とした武道家の構えだ。
アーニャは思わず右手で頭を抱えるモーションを発動させていた。リゼが調整したモーションパターンは、推論エンジンの挙動に合わせて事細かに肉体の動きを制御する。アーニャができるかぎりごく自然に人間らしく見えるように。こういうときは、むしろ煩わしいくらいに。
「……お二人とも、正気ですか? マスターの警護の任を受けている警備課のみなさんが、わざわざマスターの意に背く真似をされるのですか?」
アーニャの質問がおかしすぎて、ミサキとトマスは拳を構えたまま噴き出していた。
「リゼの言いなりになることが、私たちの仕事じゃないもの」
「身の安全を守ることも警護だけどよ。心の問題だって解決してやりてえだろ?」
冗談めかして答えていても、二人の目は真剣そのものだった。
本気だ。この二人は、強い意志を持ってここに立ち塞がっている。
大事件に巻き込まれてしまった民間人の少年に少しだけ同情して、仕方なしに協力しているわけではない。彼らは、彼らなりにリゼのことも考えて、ここに来た。
アーニャに感情はない。
ないけれど、アーニャが仮に人間だったら、自身がどういう感情を持つのかは推論できた。
「真剣にマスターのことも考えての行動なのですね。承知しました。
それでは、当機の身命を賭して『最高位命令』を遂行します」
二対一。
トマスとミサキを前に、アーニャはすべての機能を戦闘に振り向けることを決定した。
撰修人種が手塩に掛けて育て上げた汎用アンドロイドが、そのすべての力を解放する。
「両名に敵対の意思ありと断定。戦闘モード起動。全セーフティ解除。
彼我戦力差分析……完了。クロックリミッター解除。オーバードライブ。
警告します。当機はこれより、任務遂行のため人体の損傷を容認します。当機により発生するすべての損害、またその責任は、所有者たる藤原利世に帰属します」
物騒な警告メッセージが、アーニャの口から垂れ流されている。
意訳すると『結果として人が死ぬかもしれないが、その場合は所有者に文句を言え』ということだ。
汎用人工知能を搭載したアンドロイドは、攻性機動無人機とならないように武装が禁じられている。しかし、だからといって『絶対に人間を傷つけてはならない』という定義があるわけではない。時としてそれは許容され、同時にその責任が所有者に跳ね返る。汎用アンドロイドの所有者は、善良な管理者の注意を持って、それを運用しなければならない。
そうして、『善良な』管理者であるリゼの命に則って、アーニャはトマスとミサキを『損傷』させても構わないと判断した。
アーニャがゆらりと姿勢を変えて、どこかで見たことのある構えを取る。
「なあ、あれ、やっぱどう見てもザンサスと同じ構えだよな」
トマスの目には、アーニャにザンサスが重なって見えている。
「そうね。どう? 勝てると思う? 平均的なアンドロイドがどのくらい強いのか、私はよくわかってないんだけど」
「平均的なアンドロイドだったらミサキの敵じゃねえよ。アーニャはリゼが長年チューニングした最高級品だろ? 素体スペックが人間並みとしても、ザンサス並みに動けるなら、二人がかりで五分五分じゃね? もしリゼに違法改造されてたら……いや、もう考えるのよそう。テンション下がる」
「へえ。やりがい、ありそうね」
トマスとミサキが、アーニャをにらみ付ける。
アーニャの冷たい瞳が、トマスとミサキを見つめ返していた。
「それでは、参ります。五体満足に済むとは思わないでください。お二人とも」
彼女の体が、沈み込む。
トマスは迎撃のために力を込める。
「は———!?」
ところが、反応しようとしたときには、すでに彼の懐にアーニャが潜り込んでいた。
視線を下に向けると、青白く光っているアーニャの瞳が光芒を描いている様子が見えた。
ガードも、何もかもが間に合わない。
———が、突然、ゴガン、と中身が詰まった固いものを殴ったような音がして、アーニャの体がトマスから離れていく。
ミサキが、隣から左のミドルキックでアーニャを蹴り飛ばしていた。
「トマス、しっかりして。人間相手だと思ってたら秒殺されるわよ」
「……面目ない」
アーニャは別にワープしたわけでも超高速で移動したわけでもない。ただ単に、トマスが想定していた『人間が飛び込んでくる速度』よりも二回りほど早く移動しただけだ。キョウヤがミサキに見せたような視認できないほどの速度にはほど遠い。
それでも、予測と大きく違えば反応すらできない。スピードボールとスローボールを織り交ぜられるとバッターが打ちづらくなるのと似ている。
「それにしてもお前さん、よく反応できたな?」
「ちょっと前に戦った相手が、それはもう視認できないくらいのスピードだったから。それに比べたら止まって見える」
「おう……それは大変だったな。心強い限りだな、まったく」
アーニャが距離を取り直したので、トマスも構え直す。
わずか一瞬の出来事ではあったが、アーニャの身体能力は、あくまでも人間の延長にあると推測された。そうでなければ、一度目の接敵でミサキが反応する暇もなくトマスは倒されている可能性が高い。
おそらく、反応速度と身のこなしが尋常ではないだけで、捕縛さえできればこの場に釘付けにすることが可能と考えられる。
「反応速度と身のこなしが尋常ではない相手、って、それ、もう武術の達人とかそういうヤツじゃないですかねえ?」
トマスが苦笑いしながらぼやく。
「今度はこっちから行くわよ」
「おう」
ミサキの呼びかけに合わせて、トマスが先行する。囮になるならガタイの大きなトマスの方が適任で、反射神経が良いミサキはトマスが作った隙に乗じた方が良いからだ。
「ふっ! ふっ! オラッ!」
ジャブから入って最後は右のローキック。アーニャは苦もなく全ての攻撃を躱す。
ローキックは左足を少し持ち上げるだけで回避されていた。動きが完全に読まれている。
それでも、まだミサキが控えている。
「はぁっ!」
トマスの影から、空いた右足を狙って左の足払いを放つ。即席にしては良い連携だった。普通なら回避できずに転ぶ。あとはトマスが体重をのせて押さえ込めば、力尽くで決着がつく。
普通なら。
トマスの鳩尾に、アーニャの左拳がめり込んでいた。
「がふぅっ!」
たまらず、トマスは飛び退いて腹を押さえる。うずくまりはしないが、その顔は苦悶に歪んでいる。
追撃させまいとミサキは右の拳を突き出したが、アーニャはヒットアンドアウェイのつもりなのか、すぐに後ろに下がっていた。
(———残った右足の脚力と、体重移動だけでトマスの急所を突いたのか)
腰を落とした構えであればこそ、後ろ足には常時『体を前に繰り出す』ための力が残っている。たとえ前足が浮いているとしても、攻撃に転じることは可能。ただ、完璧なタイミングで実行できるかは別の問題だ。
「そのモーション、リゼが作ったにしてはずいぶん堂に入ってるけど、ホントにリゼ製?」
トマスが復調するまでの時間稼ぎも兼ねて、質問を投げかける。
「オリジナルはマスターではない方が作成したものです。このボディにフィッティングさせて精度を高めたのはマスターですが」
どうにか持ち直したトマスが、ミサキの隣で両腕のガードを上げている。
「……へっ。納得だぜ。リゼが格闘技にそこまで関心があるとは思えねえからな。たぶん元は、別の撰修人種製ってとこだろうよ。軍用のアンドロイドだって、こんな達者な動きは早々しねえよ」
アーニャが再び構えを取る。
「私を足止めしたところで、ハルキさんがマスターのところにたどり着けるわけでもないでしょうに。お二人はどうしてこんな無駄なことをするのですか?」
その質問の裏には、「ハルキにはセキュリティロックを突破することはできない」という強い前提がある。
そして前提が崩れてしまえば、すべての推論は破綻する。
「いいや? そんなことはないぜ。たどり着けるさ」
「もしかして、『あれ』で懲りてるとホントに思った? そんなわけないでしょ」
「———まさか」




