天岩戸の向こう側(1)
ハルキがトマスの元を訪れたのは、記憶への潜行から戻ってきて二日後のことだった。
格納庫で資材を運んでいたトマスを呼び止めると、ばつが悪そうに挨拶が返ってくる。
「……よぉ、ハルキ。もう怪我はいいのか?」
トマスは、きっとイオリから顛末を聞いているのだろう。どう応対していいのかわからない。そんな困惑が表情から見て取れた。
しかし、そんなことはもうどうでも良かった。
「トマス。大怪我したのにピンピンしてる件を尋ねに来たわけじゃないんだ」
いつになく真剣なまなざしのハルキを見て、トマスは居住まいを正した。
ハルキは、トマスの目を真っ直ぐに見つめる。
「リゼと話をしたい。協力して欲しい」
***
アーニャにイオリと一緒に釘を刺されて以来、やるべきことはひとつしかなかった。
リゼと直接、話をする。
本当のことを話せない事情があるのは間違いない。アーニャやホノカたちに嘘をつくように要請しているのも、ほぼ間違いなくリゼだ。
それなら、リゼに直接問いただすほかはない。
なぜ、グリーフ・ブレイカーを使うのにそれほどの覚悟が必要だったのか。
そして、グリーフ・ブレイカーに何が隠されているのか。
ただ、彼女に会える機会は限られていた。朝の検診にリゼが来なくなってしまった今、食事に誘うくらいしか方法がないが、連絡してみても応答はない。
「アーニャさん。リゼと話がしたい。会わせて欲しい」
「残念ですが、マスターからハルキさんを近づけないように指示されています。
二度と会えないと思っていただいた方が、よろしいでしょう」
それはとても冷たい宣告だった。しばらく会わないつもりならともかく、もう会うつもりがないとなれば、事情がまったく違う。
「……もし、俺が無理矢理にでもリゼと会おうとしたら?」
「身命を賭して、お止めいたします」
強い拒絶。アーニャにはとりつく島もない。
これまで都合が悪いことははぐらかされ続けていたが、イオリと記憶に潜行している現場を押さえられた一件から、アーニャの態度は急変していた。
これ以上はこちらに踏み込まないように、と警告を発している。そんな風に見える。
「ご理解いただけたでしょうか」
「……ああ。わかった」
ハルキは小さく頷いて、それ以上は何も言わなかった。
リゼに会う道は、完全に閉ざされてしまった。
———ハルキが、たったひとりであったのならば。
***
トマスは、相談に来たハルキの話をいつになく真面目に聞いていた。
かすり傷どころか、致命傷に近い傷を負ったのにすぐに完治してしまったこと。アーニャにはかすり傷だったと誤魔化されそうになったこと。秘密を探るためにイオリと記憶に潜ったこと。機密指定レベル九に該当する何かがグリーフ・ブレイカーに隠されていること。リゼが、大きな覚悟を持ってハルキの命を助けたこと。
そして、リゼと話をしたいのに、話す方法がないこと。アーニャに止められたこと。
「イオリさんから聞いている部分もあるかもしれないけど、事情はこんなところだ」
説明し終わると、最初は眉根を寄せていたトマスが、不気味なほど朗らかな笑顔になっていた。
「かぁー! こりゃ、一肌脱ぐしかねえな! ハルキには模擬戦のデカい借りもあるしな。
いいぜ。協力してやる」
肩をバンバン叩かれる。厄介毎を頼まれて困っている様子はなく、むしろ待ってましたと言わんばかりだ。
「頼んでおいてなんだけど、いいのか? 協力するってことは、その、命令に……」
「バーカ! ガキがそんなこと気にすんな。だいたい僕は『本当のことを話すな』とは指示されてるが、『ハルキがリゼに会おうとするのを手伝うな』なんて言われちゃいねえよ」
完全にへりくつだが、トマスの協力が得られたのは心強い。なにしろ素人ではなく軍人で、これまでの言動を見ている限り、機転も利く。なにより、アーネスト達の前でただの学生を『凄腕のジャケット乗り』に仕立て上げた悪辣な実績がある。
「さて、そうなると寝不足は理由にならねえな。早速、作戦会議と行きますか」
「寝不足? なにかあったのか?」
言われてみると、トマスの目の下にはうっすらとクマがある。
「ちょっと軍のサーバに不正アクセスがあったらしくてな。俺も調査に駆り出されて、寝てねえんだ。まぁ、もう僕の仕事は終わったから問題ないさ。おっと、今の話は秘密だぜ?」
そう言うと、トマスは仕事を堂々とほっぽり出して、格納庫の片隅にある打ち合わせスペースにどかっと腰を下ろした。
「リゼと話がしたい、か。一応、確認するが、俺やホノカから知っていることを話す、ってのはダメなんだな? まぁ、さすがに話せねえんだけどよ」
首を横に振って否定する。
「そりゃ、知りたいとは思うけどさ。もしトマスが俺の立場だったら、それですっきりすると思うか?」
トマスはどこか遠くを眺める仕草をしてから、わざとらしく大きく息を吐き出す。
「全然すっきりしねえな! やっぱ本人から聞かないとダメだ!
よし、納得だ。ハルキ、お前、男の子だなッ!」
茶化されてはいるものの、嫌味は感じない。トマスは心から同意しているようだ。
トマスはメモ用にホロモニタを開いて、議論内容を書き取るように指示する。
「まずは戦略目標の確認だ。『ハルキがリゼと接触して対話するための十分な時間を確保すること』が目的で合っているか? 何をどう話すのか、そこまで僕は関知しない。話す機会と時間をつくったら、あとはハルキの仕事だ。これでいいな?」
頷く。
「ああ。俺が直接リゼと話す。そうでないと、意味がない」
「よし、なら話はシンプルだ。どうにかして研究棟からリゼを引きずり出すか、どうにかして研究棟に突入してリゼと接触するか、二択だ。引きずり出す方が簡単だろう。もうなにか試したか?」
「食事に誘ってみたけど、応答がなかったよ。俺からのメッセージを見た形跡もなかった」
「そりゃお気の毒に。あの嬢ちゃん、ホントに頑固者だな。リゼがどんな顔をしてハルキのメッセージを開くのを諦めたのか、想像するだけで酒が飲めそうだ。
そうすると……次に試すのは『僕が誘い出すとどうなるか』だな」
トマスが腕時計タイプの端末に指示をして、リゼにメッセージを送る。
『ザンサスの調整を手伝って欲しい。徹夜続きで疲れていて頭が働かない。ホノカにどやされそうだ』
ごく簡単な、仕事の依頼。この気安さから鑑みるに、トマスは普段からこっそりリゼに手伝ってもらっているのだろう。
きっかり二秒後に返信があった。尋常ではなく早い。
『定期メンテならアーちゃんでも対応できるから、必要なら格納庫に行かせる。必要?』
トマスがリゼを引っ張り出そうと、返信に食らいつく。
『想定外の異常値が出てるんだが、リゼは対応できないのか?』
また二秒後に返信が届く。BMIを使っているのだとしても、常人の倍以上のスピードで返ってくる。
『難しい。しばらく手が離せない。ごめんなさい』
『わかった。イオリを呼びつけることにした。ちなみに、メンテが終わったあとで遠隔でザンサスの調子を見てもらうことはできるか?』
『それは問題ない。必要なら連絡して』
『了解。じゃ、困ったら遠慮なく連絡させてもらうぜ』
通信終わり。
この短い会話だけでも、いくつかわかることがある。
「この感じだと、リゼのヤツ、ハルキからの連絡にはテコでも応じる気がねえな。僕のメッセージを見てるのに、ハルキのメッセージだけ気付いてないってことはありえないぜ。
僕やホノカからのお願いでも、ラボの外に出る気は無さそうだ。絶対にハルキに遭遇しないよう、研究棟に引きこもる気なんだろ。よっぽど嫌われてるな、お前さん」
リゼは相当に頑固だ。「ハルキには会わない。話さない」と心に誓っているのだとしたら、偶然に会える可能性は皆無に等しい。
それなら、取るべき手段はひとつしかない。
「こりゃ、どうにかして研究棟に押し入るしかねえぞ? いやー、楽しくなってきたな!」
トマスが手をかざすと、テーブルの上にホロが無数に展開される。
このラボの見取り図に、エリア毎のセキュリティレベルなどが表示されていた。
「本邦初公開、ってのは嘘だが、ここを警備している僕たちだから簡単にアクセスできるマップデータだ」
ラボは複数の棟に分かれている。高いもので五階建て、低いものだと二階建てだ。防衛の都合か、低層の建築物しかない。
そのうち、一箇所だけ赤い点が描画されている部屋がある。
「ここがリゼの自室だ。中央棟の二階の中心にある。その向かいはプライベートラボだな。僕たちがいるのは、この外れの格納庫だ。ハルキの部屋は反対側のここだな」
ハルキの病室がある病棟と、リゼの自室、格納庫は敷地の中で端から端まで一直線に結ばれるような位置関係にある。
見取り図を見ていると、気付くことがあった。
「中央棟、いつも朝食に向かうときに隣を通ってるよ。入り口がどこにあるのかもわからない建物だろ?」
「そうだ。ホロを見ればわかると思うが、中央棟はほとんどのフロアのセキュリティレベルが他よりも高く設定されている。
リゼがいるし、扱っている研究もことさらヤバいものが多いんだろう。敷地の中心にあるのも、何かあったときに外壁から一番遠いから、だな。僕が持っているマップデータには描画されていないが、地下も相当深いらしいぞ?」
中央棟の入り口は、マップデータによれば大きな通りに面していない側面にある。入り口までの通路もクランクしていて、見通しが悪そうだ。襲撃を警戒しているのだろうか。
「戦術目標は、リゼの部屋までどうにかたどり着くか、他の場所にリゼがいるときを狙ってそこに入り込むか、どっちかだろうな。もちろん、リゼと話ができる状況で、だ」
中央棟の二階。リゼの部屋は奥まった位置にある。セキュリティロックがいくつも間にあって、特にリゼの部屋の近辺はセキュリティレベルが『最高』になっていた。
「ここって、俺のゲストパスだと入れないんだよな?」
「建物の入り口のロビーまでは入れるが……その奥は無理だな。リゼの部屋まではあと三つロックがある。正直、セキュリティがガチガチすぎてやりすぎもいいところだ。頭が痛いぜ」
ホロを拡大して確認すると、中央棟のロックはすべて二重扉になっている。
一つ目の扉をくぐったらエアロックのような空間があって、最初の扉が締まるまで二つ目の扉は開かない。扉をくぐれるのは一人ずつで、二人同時に通ろうとするとエラーが出るので、他の職員が通り抜けるときにまぎれこんで中に入ることは不可能だ。当然、生体認証も設置されているので、他人になりすまして通り抜けるのも簡単ではない。
そのうえ、解決すべき問題はそれだけではなかった。
「よしんばロックの問題が解決できるとしても、だ。
アーニャに『リゼに会おうとするなら全力で止める』って宣言されたんだよな?」
「言われた。冗談ではなさそうだったよ」
トマスが考え込んでいる。
「……アーニャって、最初に作ったのはイオリなんだが、そのあとリゼに引き渡してからは独自に改造し続けてるんだよ。それで、いつの間にかあんな人間くさいアンドロイドになっちまってるわけなんだが。
で、こないだの模擬戦で使った古武術零式とかいうモーションパターンは、リゼが『アーニャのモーションを流用した』って言ってたよな? 覚えてるか?」
ハルキも思い当たるフシがあった。
「イオリさんを捕まえに来たときも、目にも留まらぬ早業で床に押さえ込んでた」
沈黙が流れる。
「……アーニャって、実はめちゃくちゃ強いんじゃねーか? 確信はねーけどよ。
いくら僕が軍隊仕込みで殴る蹴るはできるっつっても、ザンサス並みに動けるんだとしたら、戦って倒せるかはわからねーぞ」
模擬戦でのザンサスの動きが本当にアーニャを母体にしているのだとしたら、非常に高い対人格闘能力が備わっていると考えるべきだろう。護身用にリゼがせっせと拡張し続けてきたのかもしれない。
「これ、突破するの無理じゃね? とか思っちゃうな! ぶわはははは!」
トマスが大笑いしている。実際、名案はない。
「それでも、俺は諦めないよ。何か方法があるはずだ。なにしろ、二回も死んだのに、まだ生きてる。それに比べたら、リゼと話すくらい、簡単なはずだろ?」
ツボにハマったのか、トマスの笑い声がさらに大きくなった。
「ぶわははははっ! ———いいぜ、燃えてきた。やってやるよ」




