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這い寄る宵闇(6)



 イオリにこっそり連れてこられたのは、格納庫の片隅にあるスペースの、さらに奥。いくつかの機材とシートに覆い隠された、一見すると何もなさそうな区画。

 機材の隙間を通り抜けると、その奥に、小さな寝台とヘッドリング型の端末が二セット、置いてあった。

「これな、うちのお手製やねん。まぁ、ちーっとばかし違法なんやけど。

 ハルキ。記憶を画像や映像として取り出す技術があるのは知ってるやろ?」

「はい。思い出をあとから画像にしたり、そういうサービスがありますね」

 記憶を書き込む技術は民間には実在しないが、読み込む方は多少、存在していた。

 一部のBMIブレイン・マシン・インタフェース搭載型の端末でも、ある程度は記憶を形にすることができる。

「ただ、あれは『本人が自分で思い出せる記憶しか取り出せない』っちゅー制約がある。

 それに、『本人が事実だと思い込んでいる虚構』と『本物の記憶』の区別がつかへん。

 おかげで、裁判での証拠能力もほとんどない。下手をすると捏造した記憶を本物として取り出せるからやな」

 ヘッドリングをハルキの頭につけながらイオリは説明を続ける。

「一方で、本人も忘れとることを思い出す方法が、潜行ディープダイブや。

 原理の説明は省くけど、対外的な刺激で強制的に思い出させて、それを本人が観測することで記憶として固定化する……要するに、あんたが自分で自分の頭の中に潜って、忘れとる記憶を思い出すんや」

「そんなこと、できるんですか?」

「できるで。お世話になったことないからわからんやろうけど、精神科とか脳神経内科あたりでは医療行為として使っとる」

 たしかに、カウンセリングの延長だと考えると理解できなくもない話だ。自分で自分の過去と向き合うことが、有意義なケースはあるだろう。

「ただ、ひとつだけ禁忌がある。

 自分ひとりで自分の記憶に潜行ディープダイブしたらあかん。記憶の中におるんか、現実におるんかがわからんようになって、戻って来れなくなる可能性が高い」

「それじゃ、ダメじゃないですか」

 イオリはホロ・コンソールから機材の電源を入れて、セットアップを進めていく。

「せやから、うちが一緒に潜行ディープダイブする。水先案内人や。どっちかというと帰ってくるべき港の役割かもしれんけど。うちがハルキの記憶を現実と混同することはないからな」

 イオリは自分の頭にもヘッドリングを装着して、寝台に横になった。

「実は、ラボの記録を調べてたら、ハルキがジャケットに殺されかかったときの治療ログが見つかってな。あんたの意識レベルがわずかに戻ってた時間帯があるねん。

 時系列を解析した感じやと、『先にどうにかして蘇生して、そのあとグリーフ・ブレイカーを打った』んちゃうか。たぶんな。

 そうすると、やで? もしかしたら、あんた自身でその前後の出来事をなんか覚えとるかもしれん。今から、それを探しに行くんや。

 なんも出てけえへんかもしれんけど、やるだけやってみる価値は、あるやろ?」

 しかし、そこまで一息で説明して、イオリの表情が暗くなった。

「……フェアじゃないから言うておくけど、重傷を負って瀕死のときの記憶を思い出すことになる。場合によっては、痛みや苦しみも一緒に思い出して辛い思いをするかもしれへん。

 もしかしたら、心に傷を負うかもしらん。それでも、やるか?」

「やります。こんな、わけのわからない状態でいるよりはマシです。きっと」

 その答えを聞いて、イオリは大きく頷く。

 二人とも横になって潜行ディープダイブする準備が整った。

「ほな、いくで? 心の準備はええか?」

「———大丈夫です。行けます」

潜行ディープダイブ、スタート!」

 意識がドプンと、水底に沈んでいった。



 少しずつ、感覚が戻ってくる。

 遠くから、声がする。

 姿は見えない。

「人工心肺接続。蘇生措置完了。意識レベル、わずかですが戻りました。脳へのダメージは軽微です。セミオートでできることは、これですべてです。

 破損した臓器や体組織を入れ替えましたが、ほとんど機能していません。人為的に多臓器不全にしたようなものです。ここから回復する見込みはありません」

 聞き覚えがある。アーニャの声だった。

 それとは別に、隣からはっきりとイオリの声が聞こえる。

『ハルキ、聞こえとるか。あんたは今、自分の忘れていたはずの記憶を思い出しとる。ここは現実やない。忘れんなや。うちは隣におるからな』

 姿は見えないが、イオリの存在を感じる。

(からだが、焼けるように痛い……! 腹の中をぐちゃぐちゃにかき混ぜられているみたいだ。痛みから、気を逸らさないと———)

 ところが、激痛を忘れようとすると、ふっと、記憶の中の自分から意識が離れていく。

 どうやら、思い出すには激痛と向き合い続けるしかないようだ。記憶はそう都合良くできていないらしい。

(……いいぜ。やってやるよ! 耐えればいいんだろ、耐えれば!)

 意識を、必死に記憶の方に戻す。戻そうとするほど痛みが強まるが、ここで逃げたら何も得られない。歯を食いしばりながら、苦痛をひとつずつ味わって、飲み込む。

 すると、少しずつ音の焦点が定まっていく。

 リゼの声が聞こえる。

「この人のからだ、新しいパーツの使い方、知らないだけ。教えれば、動く」

 アーニャはしばらく沈黙して、そのあと鋭い口調でリゼを問い詰める。

「……マスター、私の推論エンジンは正常でしょうか?

 計八十二万三千回の試行すべてで、マスターが自らの人生と命を投げだそうとしていると判定されます。今から取ろうとされている選択肢は、マスターの安全を確実に脅かします。命を落とすよりも厳しい状況に陥るかもしれません」

 一拍、間を空けてから、アーニャの言葉が続く。

「マスターの命は、民間人の少年のそれより、遥かに重いものです。推奨できません。考え直してください。

 そこまでしてこの少年を救うことに、価値はありません」

 とても強い、断定的な口調だった。普段のアーニャから感じられる優しさは微塵もない。冷徹に、瀕死の少年を切り捨てようとしていることが伝わってくる。

 そして、撰修人種ブレイデッド・レースのリゼの命は、たしかに重い。天秤にかけるまでもない。価値を量るなら、見殺しにすることが正解なのだろう。

 それでもリゼは、必死に抵抗していた。

「この人、リゼのために死んだ。手編み(ブレイデッド)のリゼじゃない、ただのリゼのために、死んだ。だから、リゼとこの人の命、等価」

 リゼの声は、震えていた。


「だから、今は、リゼの番。絶対に、絶対に、助けるからっ!」


 表情はわからない。でも、ぽろぽろと大粒の涙を流していたんだろうと思えた。

 それくらいに、リゼにしては珍しく、感情が強くこもっていたから。

「———グリちゃん、使う。それしかない」

 それが、グリーフ・ブレイカーを指すことは言うまでもない。

「警告します。

 最悪のシナリオでは、社会秩序ならびに地球環境が脅かされる可能性があります。その場合、結果は不可逆です。

 本当に実行しますか?」

「はい」

「あなたは、国連による革新的先端技術カッティング・エッジを扱う構成員の倫理憲章に同意、署名しています。たとえそれが自家製造されたものであっても、結果には責任を問われます。

 本当に実行しますか?」

「はい」

「本件の意志決定について記録しました。

 ですよね。聞くだけ無駄とわかってはいました。やりましょう」

 記憶は、ここで途絶えていた。きっと、このあとグリーフ・ブレイカーを打たれて意識が飛んだのだろう。

『ハルキ! ハルキ! 戻るで! 大丈夫か!?』

 イオリの声をよりどころにして、ゆっくりと意識を浮上させていく。




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― 新着の感想 ―
[一言] 最悪のシナリオが怖すぎるんですが
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