這い寄る宵闇(5)
ここは、どこだったか。
白い天井。ベッドを取り囲むカーテン。
「……ラボの病室?」
ベッドで、横になっていた。
まるで夢を見ていたような感覚。ふわふわとして、現実との境目がわからない。
ハルキは、ゆっくりと、自分のからだが動くことを確かめながら、上半身を起こした。
(っ! ……頭が重い)
頭は重いが、からだは自由に動く。いつぞやのときみたく、カプセルに放り込まれているわけでもない。両手を握ったり閉じたりしてみるが、痛みもない。
足をベッドから下ろして立ち上がってみるが、違和感なく歩けそうだった。
(今度はどれくらい、眠っていたんだろう)
キョウヤに鉄杭と鉄球を撃ち込まれて、派手に被弾したことは覚えていた。
急所に当たらなかったものの、かばった腕や、ダメージを受けた臓器が無事だったとは思えない。
ラボに担ぎ込まれて、きっとまたリゼがどうにか救命してくれたのだろう。そうとしか思えなかった。
きっと、かなり長い時間が経っている。
「いま、何日か教えてくれ」
ベッドに備え付けられている端末がポン、と応答して日時を告げる。
その答えに、絶句した。
「———翌朝、だって?」
改めて、派手に被弾したはずの左腕を見る。傷痕ひとつ無い。
着ていたシャツをめくって、腹部を確認してみる。傷痕ひとつ無い。
健康そのもの。何の怪我もしていない。痛みもない。
頭が少し重たいだけ。
(……この違和感は、なんだ。あれだけの怪我が数時間で完治してる?
いくら強力な医療用ナノマシンだからって、こんなことが、あるのか……?)
部屋を見回すが、誰もいない。
まるで、世界から一人だけ取り残されてしまったみたいだ。
「俺に……本当は何をしたんだ……リゼ……?」
孤独感に苛まれながらもベッドに腰掛けてしばらく待っていると、アーニャがやってきた。
朝の簡易健診の時間だからだ。
「おはようございます。ハルキさん」
「あ、あぁ。おはよう、アーニャさん」
どう話を切り出していいかわからなくて、挨拶のあとから言葉が続かない。
それでも意を決して、尋ねる。
「……あの、さ。俺、昨日、大怪我をしたと思うんだけど」
ところが、アーニャは目を見開いて驚いていた。
「大怪我、ですか? たしかに怪我はされていましたが、数カ所の裂傷と打撲程度でした。適切に処置したので、ナノマシンの力で今は傷もほとんどないと思いますよ」
不思議そうな顔をしているアーニャ。その表情には嘘偽りが感じられない。
「えっと……キョウヤとかいう適応者に何かを投げつけられて、それに撃ち抜かれたというか、とにかく無事では済まない怪我をした記憶があるんだ」
覚えていることを、ひとつずつ口に出して見る。
口にするほどに記憶は確かなものだと感じられた。吐いた血の味も思い出せる。
それなのに、アーニャは小首を傾げていた。
「ハルキさん。きっと、まだ気が動転されているのだと思います。
思いも寄らない怪我をすると、人間は正常に意識を保っていることが難しくなる場合があります。血を見ると慌ててしまい冷静な判断ができなくなる、といったようにです。
昨晩のハルキさんは怪我をされて非常に驚いていらっしゃいましたから、眠っている間に見た夢や、過去の映像作品などと記憶が混濁しているのではないでしょうか」
柔らかいアーニャの声音で諭されると、もしかしたらそうなのかもしれない、という気持ちが芽生える。
それでも、やっぱり、気持ち悪さが残った。
(この生々しい記憶が思い込みだって? そんなことがあるわけ———)
そんな風に思考を巡らせようとすると、アーニャの言葉がそれを遮った。
「よく考えてみてください。本当にそんな怪我をしていたら、いま、ハルキさんが元気な状態でここにいらっしゃるはずがないでしょう? たしかにグリーフ・ブレイカーは強力なナノマシンですが、あくまでも医療用です。
深呼吸、しましょう。少し落ち着くと思いますから」
アーニャに手を握られる。たしかにそれだけで、少し安心できた。
すーっと息を吸って、ゆっくりと吐く。
「……少し、落ち着いたかもしれない」
「良かったです。それではいつものように検診いたします」
アーニャがおなかに聴診器を当てていく。
少しだけ釈然としない気持ちを抱えながら、その様子を眺めていた。
***
朝食を摂ろうと、カフェテリアに向けて廊下を歩いていた。
いくつかある分かれ道も、もう迷うことはない。スタスタと最短距離を進んでいく。
記憶と現実の乖離に違和感はある。
あるけれど、事実だったと証明するものもない。
あれは本当に夢だったのだろうか。
そんなことを考えていて、少しぼんやりとしていた。
突然、進行方向にあった扉が開いて、どこかの部屋に引きずり込まれる。
「え!? なに? うわっ」
「しーっ! あんた今、がっつり監視されとるんや! 騒ぐなや!」
見れば、イオリが腕をがっしりとつかんでいて物置のようなところに連れ込まれている。
「うちが監視を誤魔化しとるから、しばらくはバレへんけどな……限度はあるんや」
狭い。そう言うイオリの体が、ほとんど密着する位置にある。
資材や道具がゴミ箱代わりに乱雑に投げ込まれている部屋のようで、入り口近辺に二人がギリギリ立てるスペースが残っているだけだった。
「イオリさん、さすがにちょっと、なんというか、この状況はどうかと思うんですけど」
「しゃーないやろ! 監視をごまかせる場所なんてそうないんやから」
しかたなく身じろぎして、少しだけスペースを広げる。
イオリは間近からじっと目を見つめてくる。何か思案している様子だ。
「あんた、昨晩のことどう思っとる」
「数カ所の裂傷と打撲程度だったからもう完治してるって聞きましたけど……どうも記憶と一致しなくて、気持ちが悪いです」
イオリは頭を抱えていた。
「っだぁぁー! アーニャあたりに吹き込まれたんやろうけど、もうちょっと自分のことを信じたらんかい。気持ちが悪いどころの話か、それ!
ええか、うちは昨晩、被弾したあんたを見た。はっきり言うて、あれだけ派手に撃たれたら、今ごろベッドの上で寝たきりか、墓ン中で永遠に寝たきりになっとる」
それを聞いてスッと気持ちの悪さが抜け落ちていく。
どうして、漠然と『あれは思い込みだ』とさえ感じていたのだろう。あんなに現実感のある記憶なのに。
「ちなみに、うちはホノカから『昨晩見たことをありのままハルキに伝えることは厳に禁ずる』っちゅー指示を受けた。それをガン無視してここにおるんや。少しはうちと自分の状況がわかったか?」
手が震えていた。すぐ近くに恐ろしいものが横たわっている。そんな感覚に襲われる。
「……わかりました。何か、ヤバいんだってことだけは」
「ほんなら、ええ。うちはハルキの味方っちゅーわけでもないけど、本当のことを知らされてへん、って意味ではあんたと一緒や。どうも、うち以外のメンバーはあんたの体に何が起こっとるんか知っとるみたいやった。うちだけが、知らされてへん……たぶんな」
イオリは首を一度だけ横に振った。知らされていないことが納得できないようだ。
「うち、気になったら調べないと気がすまん性分やねん。あと、直感にはちょっと自信があるんや。で、どーもおかしい思て、少し前から勝手に調べとったんやけど……。
ハルキ。これ、何かわかるか?」
見せられたのは、小さな金属製の筒だった。指の大きさくらいの、見覚えのある物体。
「ナノマシンの、アンプル?」
アーニャが二週間に一度、首元に打ちこんでくれるアンプルと同一のものだった。
「せや。あんたに投与されとるヤツやで。中身、なんやったと思う?」
おかしな問いかけだった。
医療用ナノマシンは、体内では二週間程度しか活動できない。劣化して、最後は体外に排出されてしまうからだ。
つまり、そのアンプルの中身はひとつしかありえない。
でも、アーニャの話では「グリーフ・ブレイカーを使ったことはイオリは知らない」はずだ。グリーフ・ブレイカーの名前は出さず、少しぼかして答える。
「医療用ナノマシンが入っているはずです」
自信を持ってそう答えると、イオリは両腕で大きくバツを作った。
「ぶー。なんと、中身は生理食塩水やった。成分分析したから間違いないで」
「———はぁ?」
理解できない。それなら、二週間毎に投与していた意味はまったくない。
「おかしいやろ? これでもまだ、あの薄気味悪いアンドロイドの言うことを信じるか? 絶対に、みんなであんたに何か隠しとることがあるで?」
もしアーニャたちを疑うのなら、逆に、イオリの言っていることを信じるかどうかも問題になる。
果たして、誰を信じるのか。
答えは明白だ。
「ハルキ。頼むわ。あんた、ホンマは一体『何を』投与されたんや? 知ってることでええねん。うちにも教えてくれへんか。代わりに、うちが知ってることなら教えたる」
「わかりました。俺は、自分の記憶を信じます」
イオリは積み上げられた機材に寄りかかったまま、唇をへの字に曲げている。
「試験用のナノマシン、グリーフ・ブレイカーねぇ……」
アンプルを手のひらの上でころころと転がしながら、イオリは何事か考えている。
「手編みのリゼ特製、って時点で、うちからすると怪しさ全開なんやけどな。
ザンサスとセパードの模擬戦、見たやろ? あんな無茶苦茶なモンを三日で作るような子が、専門分野で作ったシロモンやで? 真っ当なモンとは思えへんな。二週間ごとの追加投与も嘘っぱちみたいやし……」
「正直、俺も怖いです。記憶の通りなら今ごろはベッドの上で呻いてるか死んでるはずなのに、ピンピンしてる。どう考えても、まともな人間の体じゃない」
イオリが指をパチンと鳴らす。
「せやろ。そこで提案があるねん。
あんたの記憶、潜行してサルベージしてみいへんか?」
「記憶を、サルベージ?」




