這い寄る宵闇(4)
ハルキは蹴られた痛みと壁面に背中から激突した衝撃で、しばらくは呼吸すらままならない状態になっていた。
その結果、懐かしい声を久しぶりに聞いた。
『操者への規定値以上の物理的衝撃を確認。
自動損傷チェック……一時的なダメージと判定。スリープします』
それっきりグリーフ・ブレイカーは黙りこくってしまった。どうやら何もせずに再度スリープに入ったらしい。
今は少しだけ回復して、背中を壁に押しつけてどうにか立っている。
眼前で繰り広げられている戦闘をしっかりと見つめるために。
「いい加減、諦めろよ!」
「ぐぅっ!」
攻防はミサキが一方的に押される形になっていた。
ミサキの防御はたしかに固いが、キョウヤの反応と移動速度が常軌を逸しているため、動きを捉えることができていない。
キョウヤの動きは、目で見えていても、追えない。素人目でも移動の切り返しの瞬間ははっきり視認できるが、どこをどういう風に移動しているのか、頭の中で動線を理解する前に次の場所に移ってしまっている。至近距離で見ているミサキの目には、その何倍も早く感じられるはずだ。
反撃の隙が見つけられない。ミサキはひたすら防戦に徹していた。
わずかずつだが、彼女の苦悶の表情が濃くなっている。致命打にはならなくても、体力は削られているはずだ。
それでもミサキは前を向いたまま、懸命にキョウヤの動きを追い続けていた。
辛抱強く。
ひたすら、じっと。
その一瞬だけを見据えて———
「そこかぁぁぁっ!」
ミサキの気合いが大気を震わせた。
ほんのわずかな、キョウヤが移動する方向を変える、切り返しの隙。
そこにたたき込まれる、ミサキの全力が乗った正拳順突き。
キョウヤの胴体にまっすぐに突き刺さる。
「———がぁぁぁっ!」
必中の一撃。しかしそれでも、キョウヤは強引に斥力場でミサキの拳と自分の進行方向をねじ曲げた。
みぞおちに直撃するはずだった拳が逸れる。螺旋を描くミサキの斥力場が、その周辺ごとねじ切ってキョウヤの右の脇腹をかすめていく。
「ぎっ?!」
だが、かすめただけで、少年の体は木の葉のように宙を舞った。
ミサキはすかさず追撃しようと踏み込む。地面に落ちてくる前にもう一撃当てられれば、確実に戦闘不能に追い込める。
しかし、それは叶わなかった。
「ぐっ……とんでもねえ、女だな……かすっただけで、これかよ。ジャケットをぶっ飛ばしてたの、あれでもまだ全力じゃないだろ……? おお、痛ぇ」
空中で体勢を整えたキョウヤは、そのまま宙を蹴ってミサキから離れた位置に着地していた。
彼の服は右の脇腹から上半身にかけて大きく破れている。深く被っていたフードが外れ、帽子も吹き飛ばされて地面に落ちていた。
キョウヤの表情が、よく見える。
白い髪。リゼの美しいシルバーの髪とは対照的な、光沢の失われた白。
赤い瞳。鮮血をそのまま塗り込んだような、爛々とした赤。
その目には、ミサキに対する敵意、悪意、殺意と、ただ戦いたいという無邪気さが共存している。
「ふぅ。もう少し人相が悪いかと思っていたけど、意外にかわいい顔してるじゃない、あなた」
当然、ミサキは挑発のつもりで言っているのだろう。
対するキョウヤは、ダメージを受けたもののまだ戦意は衰えていない。
「けっ。そんな挑発に乗るか……と言いたいとこだけどな。小技でチビチビやってちゃダメだな。今のでよくわかったぜ」
キョウヤがトントンと後ろに二歩跳んで、ミサキとの距離をさらに広げた。
狭い空き地の端と端に立つような形で、にらみ合う二人。
ハルキはそれを真横から眺める形で立っている。
(あいつ、何かしでかすつもりだ)
キョウヤの構えは今までと違う。
ミサキは余裕があるように見せているが、半分はきっと虚勢だ。短い付き合いではあるけれど、無理をしていることくらいは表情を見ればわかる。
ミサキが傷つく姿は見たくない。ましてや死ぬところなんて、もってのほかだ。多くの子ども達を愛し、また子ども達に愛されている彼女が、そんな目に遭うこと自体が理不尽だ。
助けたい。
すでに痛みは癒えた。からだは動く。
彼女を助けるためにできることはないかと、考え始める。
何かあるはずだ。リゼを助けた、あのときのように。
(———ある、かもしれない)
ハルキはひとつだけ、自分にできることを思いついていた。
(ミサキは、たぶんほんの一瞬でも隙があれば十分なんだ。だから、ずっと我慢して攻撃に耐え続けていた、はず)
キョウヤにどうにかして隙を作ることができれば、きっとミサキはそこを叩く。
しかし、あんな超人同士の戦いに素人が手を出して無事に済むわけがない。もし足下の石を拾って投げたところで、斥力場に阻まれてほとんど意味が無い気がする。
やるとしてもチャンスは一度だけだ。一度で決着が付かなければ、きっとキョウヤは矛先を変えて邪魔者から排除しようとする。だから、より確実に注意を削げる方法でなければならない。
じっと手を見る。やれるだろうか。
(やれる)
覚悟を決めた。
きっとミサキなら、合わせてくれる。
***
『ハウンドワンよりハウンドフォー! ミサキの反応を検知! 雑居ビルの隙間にいるぞ! たぶん、ハルキも一緒だ!』
『よかったー! トマちゃん、ザンサスの対外慣性制御装置の全力稼働を許可しますー。なるべく目立たないように追ってー!』
『了解。マップデータ確認しながら「踏める」ビルを飛び石代わりに最短ルートで行く! ナノマシンスキンはこういうときに便利だな! 黒塗りの機体ならまず視認されねえ!』
『おいコラァ! うちも拾ってから行けやボケ! 経路上におるやろぉ!?』
『誰がボケだ、誰が! 拾ってやるからなるべく広いところにいろ!』
***
「こいつで終わりにするぜ」
キョウヤが低く伏せた姿勢から短距離のアスリートのようにスタートする。
ミサキは先手を取ることは諦めている。ガードしきってから反撃するために、意識をすべて防御に回す。
キョウヤの足が一歩二歩と大地を踏み抜くと、瞬く間に音速に近づいていく。
獲物を狙う豹が息を殺しながら草むらを駆け抜けるように。
加速したキョウヤが上空に飛び上がる。見上げてもなお余りある高さへと。
頂点に達したキョウヤは、『宙を蹴って』くるりと前転し方向転換する。
狙うのはミサキの心臓、ただ一点。
獰猛な牙を剥き出しにして、ミサキに襲いかかる巨大な錐。
キョウヤは円錐状に研ぎ澄ました力場をまとって滑空し、ミサキに向けた渾身の跳び蹴りを放つ。
命中すれば大ダメージ必至。ミサキの鉄壁の守りでさえ心許なく感じるほどの、重く鋭い矛の一刺し。
よもやこの一撃で決するか。
———しかしその時。
「お茶目なアンドロイドって、最高だと思うんだよなぁぁぁぁ!!!」
ハルキの絶叫が空き地に響いて。
『汎用アンドロイドのある生活をあなたに』
『マクレディ社製のアンドロイドで人生にゆとりを』
『いつしか、かけがえのない存在へ。マクレディ・インダストリィ』
ハルキの端末から、立体映像広告がキョウヤの進路上に大量に展開された。
「なんだ!?」
キョウヤの視界の周辺部に、ぼんやりと光るホロが無数に展開される。
歩行者の安全のため、ホロは進行方向正面を埋め尽くすことはできない。それでも鬱陶しいことこの上ないのは保証する。なにしろこれらの広告は『注意をより多く集めるためにデザインされたもの』なのだから。
ごくわずかにキョウヤの気が散った。跳び蹴りの軌道はまったく変わらず、編み込まれた力場がほんの少しだけほころぶくらいに。
その隙を、ミサキが見逃すはずがなかった。
「はぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」
遠心力と斥力場を総動員しての、回し蹴り。
飛び込んでくるキョウヤを空中で真横から叩き落とす、完璧なタイミング。
あるいはキョウヤの力場が完璧なものであったなら、ミサキは押し切られて腹部に直撃を受けたかもしれない。
しかし集中を欠いたキョウヤの力場は、ミサキの完璧なカウンターに耐えられるほどの強度を持っていなかった。
バァァァァァァァァンッ!
巨大な紙風船が破裂したような音が轟いた。
「がはっ……!」
ぼとり、とキョウヤが離れたところに受け身も取れずに落下する。
かすっただけでもダメージを負う、ミサキの強烈な一撃。それをカウンターとして受け止めれば、いくら咄嗟に防御したところで結果は明らかだ。ジャケットをバラバラに砕く一撃。ただの生身の人間であれば、跡形もないだろう。
キョウヤは膝を突いて、口から大量の血を吐いていた。
戦闘不能。からだを内側から破壊されて、見た目以上のダメージを負っている。
それでもミサキは警戒を緩めなかったが———しかしキョウヤの人間性を甘く見すぎていた。
「てんめぇぇぇぇぇぇぇぇぇ! 殺す!!!!」
しゃがんだまま、キョウヤの手が何度か宙を撫でる。
十数本の鉄杭は矢のように。
無数の小さな鉄球はショットガンの弾丸のように。
躊躇無く、ハルキに向かって飛んで行った。
「ハルキッ!!!」
ミサキがハルキをかばうために斥力場を全開にして飛び出す。
距離にしてたかだか五メートル。しかし、ほんの僅かに間に合わない。
ミサキが張った防御の力場は、ハルキの右半身を守った。
そして左半身は、無防備にすべてのダートと鉄球の的になった。
「うわああぁぁぁぁっ!?」
ハルキは咄嗟に顔と胴体を腕で守る。
ガガガガガガガガガガッ!
外れたダートと鉄球が背面のビルの壁にめり込んでいった。
外れなかったものは———すべてハルキの体を射貫いていた。
「くそがっ……! 興ざめだ! 水を差しやがって! 次は殺すからな! ミサキ!」
キョウヤはそう吐き捨てると、一度の跳躍でビルの屋上に飛び上がって、そのまま消えてしまった。
残されたミサキはハルキの容態を見て息を呑んだ。
「ハルキ……あなた……」
負傷の程度を正しく知ることはできない。
見えるだけでもダートが腕と体の五箇所に直撃し、口径の大きな拳銃で撃たれたような弾痕になっている。小さな鉄球が何発命中したのかは、もはや数えるだけ無駄だろう。そのくらい、体のいたるところに穴が空いていた。
ただ、腕で上手くかばうことができたのか心臓や頭には直撃していない。
それゆえハルキには話すだけの余裕がまだ残っていた。
「ミサキ……無事か……良かった」
「無事か、じゃないわよ!? ハルキが無事じゃないでしょう!?」
顔面蒼白という言葉はこういうときに使うのだろうな、とハルキはぼんやりとミサキの表情を眺めていた。それにしても忙しい。二ヶ月前にも死にかけたはずなのに、また死にそうになっている。そんな風に考えながら。
「がふっ。さすがに、痛いな。ちょっと、辛い、ぞ」
血を吐いたのか口元が生暖かい。鉄の味がする。
「ハルキ、もう黙って! すぐにラボまで連れて戻る! ほんの少しだけ我慢して!」
ミサキがそう叫んだとき、彼女の端末に通信が入った。
『おい! ミサキ! 無事か!』
風を切る音がして、黒い迷彩色に染まったザンサスが静かに着地する。その腕にはイオリが抱えられていた。
「ハウンドツーよりハウンドフォー! ハウンドスリーは無事! ゲストは……ちょ、待ちや!? ハルキ! あんた、どないしたんや! 血まみれやないか! 映像つなぐで!」
イオリの声が、とても遠くに聞こえる。
(おかしいな。この空き地、そんなに広くなかったはずなんだけど……)
力が入らない。意識が、遠のきそうになる。
———そして、再びそれが目を覚ました。
『操者への規定値以上の物理的衝撃を確認。
自動損傷チェック……緊急。致命的損傷を確認。
操者の生命維持を最優先としてキャリブレート。完了。
オートリザレクションを強制発動』
「が?! ぐあああああああああああああああっ!?」
頭の中からハンマーとアイスピックで誰かが頭蓋骨を叩いている。視界が明滅して、さきほどまでの左半身の痛みがまるで稚児の遊戯であったかのような、身を焼き尽くす激痛が全身を苛む。
拍動がドクンドクンと聞いたこともない速度で繰り返され、手や足は自意識を持ったかのように勝手にのたうち回る。筋肉はただ痙攣するだけの肉塊に成り果て、神経はひたすらに苦痛を与え続けるだけの拷問器具と化す。
———気が狂う。
「ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアァァァァァァァ———」
ブチッ。
意識が、根こそぎ刈り取られた。




