這い寄る宵闇(3)
少年の姿を視認したとき、ミサキは即座に臨戦態勢を取ろうとした。
ところが少年はミサキの隣にいたハルキを瞬く間に奪取し、雑居ビルの屋上に跳躍して消えてしまった。
速い。
人体機能付与型ナノマシンを使って追うしかない。
アンプルを打つまでもなく、ミサキの体内には常にナノマシンが充填されている。持っているアンプルは、あくまで損耗時の予備だ。
「権限行使強制!」
適応者がナノマシンを許諾なく強制的に活性化するときに使う、音声コマンド。頭の中でコマンドを組み立てるより、口にした方が発動が早い。
許諾無しに使用した理由は後で必ず問われる。しかし今は、そんなことを気にしている場合ではない。
『P-425 rampage、活性化完了』
ミサキの周辺に制御可能な斥力場が展開される。外に向かって行く不可視の力が、球状にからだを包み込んだ。
「はっ!」
力の一部を足下に向けると同時に、跳躍する。膨大な斥力が重力をすべてはじき返して、一見すると物理法則を無視した急加速を手に入れる。
周囲の景色を置き去りにして、ミサキのからだが宙に躍り出る。
八階建てのビルの屋上に一足飛びに着地して、ミサキは少年が逃走したであろう方角を見た。
「———っ!」
瞬間、『何か』が高速で飛来し、展開された斥力場が自動的にそれを弾く。
ビィンビィンビィン、と弦を弾いたような低い音がするが、夜闇に紛れてしまい飛来物の正体を把握することができない。
「ははははっ! アンプル打って追いかけて来るまでここで待ってようと思ってたのに、最初から充填済みか! さすがだね、公安。殺りがいがあるぜ!」
二つ隣のビルの屋上に、小脇にハルキを抱えた少年の姿があった。
公安。警察庁警備局公安課。この少年、警備課の本来の名称を知っている。わかっていて敵対するということは、よほどの馬鹿か、真性のテロリストだ。
ハルキは拘束から逃れようともがいているが、斥力場で押さえ込まれているのかほとんど身動きが取れていない。
ミサキは警戒を緩めずに問いかける。
「あなた、あのとき公園でジャケットに乗っていた子ね。人体機能付与型ナノマシンを使っているみたいだけど、何が目的?」
少年は大笑いして答える。
「言っただろ? サシで喧嘩にきたって!」
言い放つと、彼はビルからビルに飛び移って逃げ始めた。
「待てっ!」
ミサキが追いすがる。ビルを三つ四つと軽々飛び越えていく。
少年はハルキを抱えているのに、ミサキに追いつかれることなくビルからビルに駆け抜けていく。ハルキが少年の腕の中でじたばたしている様子が見えるが、まったく効果が無いようだ。
少年が何かを空中に放り投げるような仕草をする。
一拍遅れて、風切り音。再び『何か』がミサキの斥力場に触れて弾かれる。
「っ! このっ! ダートか?!」
弾いたものに目を凝らすと、金属製の短い杭のようなものが見えた。小指くらいの太さの鉄杭が銃弾のように飛来している。少年が斥力場を使って撃ち出したものだろう。同じく斥力場で身を守っていなかったら、胸か腹を撃ち抜かれている。
そのあとも何発かダートが飛来して、そのすべてを叩き落とす。
そうしてビルを何十棟か飛び越えたあたりで、ふいに少年の姿が屋上から消えた。
(ビルの隙間に降りた?)
見ると、少年が消えた先には雑居ビルに取り囲まれた空間があった。もともとあったビルが取り壊されて、区画の中心部が空き地になっている。
「行くしか、ないかっ!」
ミサキも意を決して暗がりに飛び降りる。迎撃される可能性を考えて、斥力場をすべて防御に回す。
———迎撃はなかった。
静かに着地する。
正面を見れば、少年と、その傍らに四つん這いになって咳き込んでいるハルキがいた。
少年は、パーカーとハーフパンツに厚底のスニーカーとどこにでもいる素行が悪そうな子どもの格好をしている。その表情は、つばの付いた帽子と深く被ったフードが落とす影に隠れて良く見えない。フードの隙間から覗いているのは、真っ白な髪。
彼は両手をポケットに突っ込んだまま、片足をぶらぶらさせている。まるで、ちょっとした悪ふざけをして親を試している子どものようだ。
「悪い悪い。さすがにあんまり目立つとオレも怒られちゃうからさ。見ての通り、ここならそう簡単には邪魔は入らないぜ。出入り口は、オレの後ろにある一箇所だけだ」
ここは雑居ビルの背面に囲まれていて、出られそうなのは建物がない少年の背面だけだ。小さな照明だけが照らしている広くはない空き地。せいぜい十二メートル四方の、密閉空間だった。
ミサキは構えを解かずに少年をにらみつける。
「彼を解放して。どういうつもりか知らないけど、彼は民間人よ」
少年は鼻で笑うと、ハルキを軽々と蹴り飛ばした。
五メートルほど吹っ飛んだか、ハルキがビルの壁面にたたきつけられる。そのままうずくまって動かなくなってしまった。
「ぐっ……うぅ……」
うめき声。生きてはいる。思わずミサキの拳に力が入る。
一方の少年はけろりとしている。サッカーボールを蹴って何がおかしいんだと、そんな様子で。
「別に、こいつに興味はないんだ。ねーちゃんが逃げなければ、危害を加えるつもりはねえよ? 逃げたら、まずこいつから息の根を止めるけどな」
いつの間にか、少年の指の間に複数の鉄杭が握られている。
「……目的は何? あのときの仕返し?」
ミサキの問いかけに、少年は腹立たしげに答える。
「何度も言わせるなよ。約束通り、サシで喧嘩をしに来たんだ。
この間は愛玩人形を守りながらだったろ? 今回は邪魔者はいないぜ。オレもひとりだ。健全な殺し合いってやつだよ」
罠や裏があるのではないかと思って、ミサキはピアス型の端末に発言の真偽判定をかけていた。
『発言者は嘘をついていないようです』
端末は声色や音程から真偽判定するので確実ではないが、ミサキの感覚でもこの少年は嘘をついていない。
どうやら、本当にただ殺し合いにきたらしい。
「狂ってるわね。本当に、ただ戦いたいから戦いに来たってこと?」
「いいや? 狂ってなんかないさ。自分と同じ人体機能付与型ナノマシンなんてオモチャを持ってる相手がいたら、殺し合いたくなるだろ?」
エンチャント。プラグインをそういう風に呼ぶ集団もいる。常識外の力を授けるものだから、『魔法にかかるもの』と。
その前に、彼は『愛玩人形』と口にしていた。ある特定の組織が、撰修人種に対して好んで使う蔑称だ。
少年はアーネストたちや警察が追っている犯罪組織、常緑の構成員と見て間違いない。
「常緑って、手編みを良しとしない極左過激派とは聞いてるけど、違法な児童労働にも手を出してるのかしら。
あなた、十五歳くらい? 自分の力に酔うのは勝手だけど、みっともないわよ。大人になると恥ずかしいヤツね」
「そっちもそう大差ないと思うけど? ねーちゃんも未成年だろ。
警察もやることが汚ないね。子どもに危ないもん押し付けてさ。あ、成人してからだと適合しづらいんだっけ?」
ふいに、少年が、ゆらりと、半身に構える。
「ま、ごちゃごちゃ話すのはもういいだろ? これは個人的な喧嘩だ。組織は関係ない。
オレは鏑木京弥。ねーちゃん、名前は? ぶっ殺す相手の名前は、できるだけ知っておきたい性分なんだ」
本名を名乗ることにはリスクもある。躊躇するが、未だに壁際でうずくまっているハルキを見て、覚悟を決めた。答えなければハルキが攻撃される可能性がある。
「……ミサキ。浅野美咲」
それが、開戦のゴングになった。
少年———キョウヤが右手で宙を薙いだ。鉄杭のダートが三本、弾丸のように打ち出される。
(威力はともかく、鬱陶しい!)
斥力場で逸らしたり弾いたりすることは容易だが、無視するわけにはいかない威力。注意を鉄杭に割かざるを得ない。
三発とも逸らすように力場をわずかに円錐状に正面に伸ばす。
ダートの軌道が力場の輪郭に沿って後方に流れていき、背後の壁に命中して鈍い音が響いた。
「遅いよ」
声が聞こえたのは、左後ろからだった。
「な———」
驚愕しながらも、身をよじる。
左背面から、キョウヤの裏拳が飛んでくる様子が見える。
力場の総量は変わらない。前を守った分、背後や側面の守りが弱くなっている。
背中に意識を回して、残った力場のすべてで受け止める。
「ぐっ!?」
力場で受けきれなかった衝撃が、背中から腹に向かって突き抜ける。
たまらず呻くが、踏んばらずに殴られた勢いのまま正面に飛んで、距離を取る。
振り返って相手の位置を確認———
「だから遅いって!」
正面から、キョウヤの掌底が顔面に向けて飛んで来ていた。
(速い! けど、稚拙!)
左手で掌底を打ち払う。ザンサスがセパードの攻撃をそうしたように、内から外へ。
続いて、がら空きになるはずの胴体に向けて、右の拳を突き出す。
しかしそこにキョウヤの姿はすでになく、ボッ、と大気を突き破る音を立てて、拳は虚空を切った。
数歩、下がったところにキョウヤが立っている。
「なんだ。たいしたことないな。ミサキ、もっと強いのかと思ってたぜ?」
彼は小さくため息をつきながら、鉄杭を指でくるくる回して遊んでいる。
(強い。加速度の制御は私より遥かに上だ)
斥力場自由制御機構は、やろうと思えば音速を超えられるほどの出力を誇る。
が、操者の体にかかる負担は別の問題だ。迂闊に超音速に至るような加速をすれば、人体はミンチになる。操作を誤ってどこかに衝突すれば、同じことだ。わずかでも制御を誤ると操者が即死する危険性がある。そういうシロモノだった。
キョウヤは、急加速しながらも自分の体にかかる負荷を別の力でキャンセルしているように見える。それには非常に繊細なコントロールが要求される。実戦で躊躇せずに実行するには、血の滲むような努力があったはずだ。
ただの戦闘狂だと思ってはいけない。それを裏打ちする実力がある。
「ふーん。ミサキって武道の『型』に力が乗ってるのか。それ、窮屈じゃないか?」
「そう言うあなたは、身のこなしがずいぶん雑ね。我流?」
「ははっ、適応者に常識なんて邪魔なだけだぜ———?」
言い終わらないうちに、キョウヤの姿がかき消える。
(落ち着け。守りに徹すればたいしたダメージはない。見極めろ)
周囲に展開された斥力場から伝わる肌感覚で、キョウヤの攻撃を読む。
左からダートが二つ。右上から、もっと小さな散弾のようなものが無数に飛来する。
ダートは最低限の力を回して軌道を逸らす。正体が知れない散弾は受け止める力を大きく取るしかない。
そしてその隙をキョウヤが見逃すはずもなく、斜め上方から跳び蹴りで突っ込んでくる。
「おらおらぁっ!」
「ぐっ!」
ダート、散弾、力場が乗った跳び蹴り。立て続けに受け止めてガードが手薄になる。直撃は免れるが、衝撃をすべては殺しきれない。内臓にズシリと沈む力がかかる。足がみしみしと地面にめり込んでいく。
思わず膝を突きそうになるが、すんでの所で踏んばって耐えた。
キョウヤはその様子を見て、口笛を吹いていた。
「ヒュー。やたらと固いな。これだけ散らされたら普通は簡単に抜けるのに、どういう『イメージ』の持ち方したらそんなに頑丈になるんだ?」
「……さてね。私からすると、『空中を蹴って移動している』あなたの方が意味がわからないけれど」
さきほどのキョウヤの跳び蹴りの軌道は、中空で移動する方向を変化させない限り実現しない。完全に見えていたわけではないが、『宙を蹴った』確信はあった。
「へえ、そこは見えてるのか。たいしたことないって言ったのは訂正する。ちょっとくらいは楽しめそうだ!」
決して、斥力場自由制御機構は万能の力ではない。
操者が持てないイメージは具現化できない。逆に言えば、操者が持っているイメージに従って力が発揮される。
ミサキの持つイメージは、鉄壁。
武道、格闘技の研鑽に裏打ちされた『決して破られぬ』という確信。鍛え抜いた技に力をのせて、高い効果を発揮している。
一方のキョウヤが持つイメージは、ミサキにはそのまま理解することは難しい。たとえば『空中を蹴る』ための具体的なイメージは、ミサキには持てない。持てないということは、再現もできない。
ミサキから見るとキョウヤの動きには何の規律も感じられない。それでも、知覚できる限界近い速さで襲いかかってくる。
(動きは粗くても、読みづらい。焦るな———)
呼吸を整えて、小さく吐き出す。次は、見極める。
「いくぜぇぇぇ!」
三度、キョウヤが攻撃を開始する。
***
『ハウンドフォーよりハウンドワン! まだレーダーに引っかからないのー!?』
『そんなこと言ったって、ザンサスのセンサーじゃ探せる範囲なんて限られてるっつーの! ビルの上から探しちゃいるが、入り組んだ場所だと時間がかかる!』
『うちもグローバルネットワーク経由で探しとるけど、さっきの電磁パルス攻撃の巻き添えでこの地区のネットワークがおかしなっとる! 使えたり使えんかったり、不安定や!』
『警察の回線からも探してるけど、見付からないよー! うーん、うーん、アレ、使っちゃおうかなー。でも、課長の許可が下りないだろうなー。どうしよー!?
サキちゃーん! ハルくーん! 無事でいてーっ!』




