這い寄る宵闇(2)
わけがわからないままミサキに連れてこられたのは、近くにあった食料専門店だ。
野菜や果物、肉類に魚介類まで、幅広く揃えている。
「うっわー。俺、食料店なんて初めて来たよ」
「そう? ま、自動調理器で済ませてると食材なんて自分では扱わないか」
自動調理器を利用すると、調理は完全に自動化できる。パッケージ化された食事の素を購入してセットしておけば、かなりの種類のメニューを作ることが可能だ。ハイエンドの自動調理器なら各国の郷土料理まである程度は再現できるレベルにある。似て非なるものができあがるので、賛否両論あるものの。
そんな自動調理器が市場を席巻してから長い年月が過ぎているので、普段から食材を自分で購入して調理する人間はそれほど多くない。
「この人参、いいな。じゃがいもは……あった! ブロッコリーも入れよう」
ミサキは棚を物色しながら、後ろを自動でついてくるカーゴにぽいぽい食材を入れている。それも、結構な数だ。およそひとりで食べきれるような分量ではない。
「なぁ。そんなに買い込んでどうするんだ? 何食分だよ、それ」
そう尋ねると、ミサキは唇に指をあてて考える仕草をする。
「そうね。二食分? もしかしたら少し足りないかも」
どういう胃袋をしているのか心配になる。日頃から激しいトレーニングをしているのは知っているが、それにしても三十食分あたりの間違いではないか。そのくらいの物量がカーゴに入っていた。
(よもや栄養摂取効率を高めるために胃腸が機械化されているのでは……?)
そんな疑念がよぎったが、迂闊に尋ねて鉄拳を喰らうリスクを考えて黙っておいた。
ミサキが自動レジの生体認証機と端末を使って会計を済ませると、カーゴから手提げ袋にみっちりと詰まった食材が出てきた。その数、八袋。
「待て待て待て。荷物番ってまさか」
「そういうこと。さすがにひとりだとしんどいし、よろしくね」
ひとりだと持てない、とは言わないあたりがミサキだった。
「それじゃ、行くわよ」
すでにジャケットの電装パーツ類を両手に持たされていたが、前哨戦に過ぎなかったようだ。大量の食材の方が、小粒なパーツよりも圧倒的に重い。
***
『ハウンドツーよりハウンドワン。再度ターゲットが移動開始』
『了解。何か変化は見られるか?』
『観測できず。小道に入るため、昆虫型ドローンを展開して追跡する』
『こちらも次のポイントに移動する』
***
「はぁ、はぁ、はぁ」
「だらしないわね。さすがにもうちょっと鍛えた方がいいんじゃない?」
そういうミサキは大きな袋を五つ、軽々と持っている。
「お前と、一緒に、するな、よ。だいたい、俺は、怪我人」
「身体機能は問題なしってお墨付きが出てるわよ。もともと運動不足でしょ、ハルキ」
「ぐっ。バレていたか」
むしろ、グリーフ・ブレイカーを打たれる前より調子は良い。疲れたと思ってもすぐに復調するし、疲労が翌日に残ることがない。それでこの有様なので、ミサキの言い分もごもっともだった。
「それにしたって、モービルで移動すればいいのに、どうして徒歩なんだよ!」
「近いからよ。少しくらい歩かないと、体に悪いでしょ」
という会話をしたからか、顔のすぐ近くに『モービルのご利用はいかがですか』とパッと立体映像広告が表示される。
「んがーっ! 鬱陶しい! できることなら乗りたいって!」
立体映像広告の投影装置はそこら中にあるし、何なら端末を使って自分で表示することだってできる。ごくありふれたものだ。
広告を手で押しのけて、ミサキの後を追いかけると、彼女は立ち止まっていた。
「ほら、そんなこと言ってるうちに着いた」
荷物を持ち運ぶのに必死で周りをよく見ていなかったが、いつのまにか入り組んだ路地の奥にある薄暗い街並みの中にいた。スラムとは言えないまでも、いかにも治安がよろしくなさそうな、雑居ビルが建ち並んでいる一角だ。
その中に、ひとつだけ背格好が異なる建造物が紛れていた。
清風子ども園。そんな看板がかかっている。
「……保育園?」
「児童養護施設。身寄りの無い子どもや事情があって家庭にいられない子どもが生活している場所。知らない?」
単語は知っていても、正確なところは理解していない。そういう類いの話だった。
ミサキが施設のゲートについた認証端末に触れると、ガチャリと鍵が開く。
「ま、中に入ればわかるんじゃない?」
まるで自分の家に帰ったようにズカズカと入っていくミサキの後を、重い荷物を抱えながら必死に追った。
中に入ると、それはもう大変な騒ぎである。
「あーっ! ミーねえだ! おかえりー! ひさしぶりー!」
「ミサキ姉ちゃん、ちょっと肌、焼けた?」
「うわああああぁぁぁぁん! わたしのおもちゃ返してよぉぉ!」
「ねえね、おしっこ……」
子ども達が、所狭しと遊び回っていた。
時刻は午後四時。初等部は下校している時間で、帰宅した子ども達がちょっとした運動会を繰り広げている。
施設内は一般家庭そのものの佇まいだ。違いがあるとしたら、二十人ほどが暮らしても問題ない広さがあることだ。ここは、生活する子どもたちにとって自分の家に等しい。
ミサキはすぐに子ども達に取り囲まれてしまって、ハルキは近づけなくなっている。上は初等部から、下は幼児まで幅広い。
慣れた様子で、ミサキはひとりひとりさばいていく。
「ええ、久しぶりね。ただいま。外にいたらうっかり焼けちゃったわ。こら、小さい子のおもちゃを勝手に取っちゃだめでしょう。貸して、って言わないと。はいはい。トイレに行きましょうね」
最終的に、二歳くらいの小さな子をお手洗いに連れて行ってしまい、ハルキだけが取り残される。
(なんというか、子どもってすごいエネルギーだなぁ)
自分にもこういう時期があったはずなのに、まるで思い出せない。
目まぐるしく移り変わる子どもたちの様相を眺めていると、誰かに後ろから引っ張られる。
振り返ると、小さな男の子が立っていた。初等部の低学年だろう。
「ねえ、にーちゃん、誰? ミー姉ちゃんの、カレシ?」
予想外で面食らってしまう。子どもというのは遠慮を知らず、同時に命知らずでもある。
「違うよ。俺は、ミサキの———」
正直に答えようとして、「ミサキの何なのか」がわからないことに気付く。
(友だち……でもない、のか? うーん?)
答えあぐねていると、いつの間にかミサキが戻ってきて少年の脇に立っていた。
「あっ、ミーねーちゃん! この男の人、誰? ねーちゃんのいい人? どこまでいったの?」
ミサキに勢いそのままで質問する少年。
きっと鉄拳が飛んで行くんだろうな、などと眺めていたわけだが。
「違うわよ? わかった? ……わかった?」
「う、うん。わかった……」
ミサキはしゃがみ込み、じっと少年の目をのぞきこんでわしわしと彼の頭を撫でるだけだった。そのあと、少年の目から輝きが失われていた理由はよくわからない。
やれやれと嘆息したミサキは、小脇に抱えていたものをハルキに差し出した。
エプロンだ。
「さてと。さくっと作っちゃうけど、数が多いから手伝ってくれない? 皮むき器使えば、じゃがいもの皮くらいはハルキにも剥けるでしょ?」
有無を言わさず、台所に連行される。
ハルキが野菜の皮を剥くと、それを受け取ったミサキはトントンと小気味よく包丁で刻んでいく。リズムに合わせてポニーテールがゆらゆらと揺れていた。
視線に気付いて、ミサキが手を止めずにチラッとハルキを見る。
「なによ」
見とれていたとは言えず、うっかりトマスのように軽口を叩いてしまう。
「案外、家庭的なところがあるんだなぁと思って痛い痛い俺の足を踏んでいますよミサキさん」
ミサキは容赦なくかかとで足の甲を踏みつけてきていた。
「どうせ、手料理なんて似合わないことしてるとか、そういう風に思ってるんでしょ」
拗ねたのか、ミサキはそんな自虐的なことを言っている。
「いいじゃん。エプロン、似合ってるし。俺は好きだけどな」
「!」
なぜだか、包丁の音が止まる。
「そりゃ、普段は自動調理で十分だけどさ。手料理って独特の良さがあるよな。
うん、やっぱり手料理は好きだな」
ズダン! 一際大きな音を立てて、まな板の上にあった不運なじゃがいもさんが真っ二つに切り裂かれる。
「……明日、トレーニングに付き合いなさい。拒否権はない」
「えっ、なんで!? 褒めたつもりなのに!?」
ミサキの目は「立てなくなるまで追い込んでやるからな。覚悟しろ」と語っていた。
そのあと、料理をしながらミサキに聞いた話では、彼女は定期的にここに通って子ども達の面倒を見ているらしい。
「ここ、私が五年前までお世話になっていた園なの。
十二歳のとき、アレの適性検査を受けたら適合して、そのまま警察関連の施設に移っちゃったんだけど。物心ついたときからそれまではずっと、ここが自分の家だった」
曰く、こうした児童養護施設などは、人体機能付与型ナノマシンの適応者を探し出す先として警察や軍が定期的に調べに来るらしい。家庭環境に何かしら問題を抱えている子どもの方が、適性があった場合に引き入れやすいからだ。
「当時はここを離れたくなかったから、なんで私が選ばれたのかって悩んだりしたんだけど、今となっては感謝してる。危険はあっても収入は安定しているし、こうして恩返しに来ることもできるから。ここの子たち、手料理を食べる機会ってあまりないのよ」
聞けば、勤務先の希望を尋ねられたときできるだけこの施設の近くを希望したら、ちょうど欠員が出ていたリゼの警護役を提案されたのだとか。ミサキにとっては願ったり叶ったりなので、快諾したという経緯だった。
(十二歳のときの俺って、何やってたっけなぁ……。すごいな、ミサキは)
彼女は同い年とは思えない人生を歩んでいる。最初から最後まで、感心しながら話を聞いていた。
そのあと、仕込みが終わってぐつぐつとシチューを寸胴鍋で煮込んでいる最中、子ども達がわらわらとやってきてミサキを取り囲んでいた。
「ミーねえー。一緒にお風呂はいろー」
「はいろーよー。背中ごしごしするからー」
人数が多いので、幼児や初等部は夕食の前に入浴を済ませるようだ。
「そうね。ハルキ、鍋を見ておいてもらえる? ときどき底からしっかりかき混ぜれば大丈夫だから」
「え、俺? お、おう。やってみるよ」
ミサキの周りをよく見ると、初等部の中学年くらいの少年少女も混じっている。
もしや、と思い当たったので恐る恐るミサキに確認する。
「もしかして、普段から一緒にお風呂に入ってるのかな……?」
「ええ、そうよ? 都合がつくときだけね。どうかした?」
「なるほど? いや、なんでもないんだ」
彼女にとっては当然のことらしい。
(少しだけ、ミサキのことがわかった気がする)
実は照れ屋のくせに、露出の高い服装を気にしていなかったり、知り合って間もない同年代の男子にお詫びとはいえ膝枕をしたりする、違和感の正体。
こういうプライバシーがない環境で育ったから、男女間の意識が希薄なのかもしれない。面倒見がいいのも、きっとそうだ。ずっと年下の子の世話をしてきたのだろう。
(まるで、警備課の『おかん』だな。ミサキは)
子ども達を浴場に連れて行くミサキの背中に、声を掛ける。
「お前、めちゃくちゃいいヤツだな」
「急に、何。気持ち悪いわよ?」
そんな風に刺々しく言いながら、ミサキは笑っていた。
二人とも、夕食は施設で子ども達と一緒に取った。
夜になると中等部の子ども達も帰ってきていた。高等部の学生は在籍していないようだ。
そういえば大人が見当たらないと思っていたが、食事時になると施設長の壮年の女性と、彼女が頼りにしている家政婦アンドロイドたちがリビングに顔を出した。ずっと他のフロアで洗濯や掃除をしていたらしい。
施設長はミサキに感謝してもしたりない様子だ。
「ミサキちゃん、いつもありがとうね。本当に助かるわぁ」
深々と頭を下げていて、ミサキはそれに恐縮しつつも憤慨していた。
「もう、いつも言ってるじゃない。ここが私の実家だって。気にしないでってば」
ミサキと子ども達の話題は尽きなかったけれど、彼女の具体的な仕事の話は機密事項になっていて話せない。撰修人種がいるラボを警備している、なんて言えるはずもない。それが少しだけ、歯がゆそうに見えた。
午後七時半。
「そろそろ、帰ります。みんな、またね」
名残惜しさに後ろ髪引かれながら、ミサキの実家を後にして。
その帰り道。
大通りで適当にモービルを捕まえてラボまで帰ろうと、二人で路地を歩いていた。
「はー。食べた食べた。おいしかったよ」
ミサキが作ったシチューは、子ども達にも好評だった。自動調理器でも困るわけではないけれど、手料理ならではの味わいというものは、たしかにある。
「そう。気に入ってもらえて良かった」
隣を歩くミサキから、ふわりと入浴剤の香りが漂ってくる。
少しだけ、動悸が早まった気がする。
(……落ち着け。相手はミサキだぞ)
彼女はお風呂に入ったときにメイクを落としたようだ。すっぴんだからといってケチを付けるところは一切ないのだけれど、見慣れた表情にほんの少しだけ安心する。
「思ったより遅くなっちゃったなぁ。ミサキ、門限って大丈夫なんだっけ?」
「そうね。連絡はしてあるから大丈夫だけど、まっすぐ帰りましょう」
談笑しながら曲がり角を折れた、その先に。
小さな悪鬼が、立っていた。
「よぉ。久しぶりだな、ねーちゃん。
約束通り、サシで喧嘩にきたぜ———権限行使強制」
どこかで聞き覚えのある少年の声だ。
そう思った次の瞬間にはハルキの視界はひっくり返って、空の上にいた。
***
『ハウンドワンよりハウンドツー。対象を探知範囲からロスト。何があった』
『こちらハウンドツー! なんやこれ?! うちらが使うような規制型伝搬妨害とちゃうで!? マジもんの電磁パルス攻撃や! 二人の近くに張ってたドローンは軒並み制御不能!』
『マジかよ。おい、ハウンドフォー! ホノカ! デートの出歯亀してる場合じゃねえぞ!』




