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這い寄る宵闇(1)



 エプロン姿のミサキが、包丁でトントンと小気味よく野菜を刻んでいく。

 リズムに合わせて、ポニーテールがゆらゆら揺れる。

 その様子を、ハルキは隣から眺めていた。

 日差しにうっすらと焼けた彼女の肌は、少しだけ蠱惑的で。

「いいじゃん。エプロン、似合ってるし。俺は好きだけどな」

 彼女は少し困った顔をした。


 リビングからは、楽しそうに遊ぶ子どもたちの声が聞こえてくる。

 きっと今日はシチューだろう。食卓を囲むみんなの笑顔が想像できた。


 ―――どうしてこんなことになったのか、という話だ。



 ***



 学校での一件以来、ハルキはリゼと疎遠になっていた。

 リゼの別れ際の言葉が、何度も頭の中でリフレインしている。

「ハルキの生きる場所、ここ。リゼと、違う」

 毎日の簡易健診はアーニャがこなせるため、リゼと会う機会もない。アーニャにリゼの様子を聞いてみても「特にお変わりありませんよ」と返ってくるのみだ。

 結局、どうして彼女がわざわざ学校に来たのかはわからないままだった。



 しょぼくれたハルキの様子を察してなのか、ホノカが意外なことを言い始めた。

「ハルくーん。ちょっと買い出しに行ってくれないかなー。お供にサキちゃんを付けるからー。

 サキちゃんが一緒ならオッケーって、リっちゃんとアーちゃんから許可もらってるしー」

「えっ? 良いんですか?」

 この施設内に閉じ込められて早一ヶ月半。準仮想現実パラバーチャルでの登校以外は許可されていないため、仮想現実バーチャルでも外出していない。

 初の外出チャンスだ。それも現実リアルでの。

 ホノカの説明に、ミサキが文句を言う。

「逆でしょ、逆。私のお供にハルキを連れていくってことよ。要するに、荷物番」

「えー。やっぱりデートのエスコート役は男性の方そげぶっ!?」

 口を挟もうとしたホノカは一撃の下に沈んだ。

 ミサキの頬が少し紅くなっているのは、きっと気合いの入った掌底を放ったせいだろう。

「ともかく、午後イチで出るから準備しておいて」

 ミサキはそれだけ言い残すとすたすたと行ってしまった。

「……ホノカさん? 生きてます?」

 ホノカからの返事はない。ただの屍のようである。



 昼食を取ってから、ラボの中央広場の噴水でミサキと落ち合う。

 例の、凄腕のジャケット着用者としてアーネストたちを騙くらかした場所だ。

 時間通りに到着して待っていると、後ろから声をかけられる。

「こんにちは。凄腕のジャケット乗りさん?」

 声の主の姿は見えないが、間違いなくミサキだった。

「ええい、トラウマを無邪気にエグるのはやめてくれ」

 声が聞こえた方に振り返りながら、そんな風に反撃する。

「あら。まだ気にしてたの?」

 そこには、たしかにミサキがいた。

「……うん? どうかした?」

 どうせいつものスポーツウェアなのだろうと思い込んで、完全に油断していた。

 ———見違えたように大人びていた。思わず固まってしまうくらいに。

 ノースリーブのサマーニットと細身のパンツ。足元の赤い靴がアクセントになっている。少し焼けた肌が、初夏の日差しにコントラスト良く映えていて、よく見ると、アイシャドウやグロスをうっすらのせてメイクもしている。

 ミサキが首を傾げると、それに合わせて耳のピアスがきらきらと揺らめいている。

「ちょっと? 調子が悪いなら、私ひとりで行くわよ? 大丈夫?」

 顔をのぞきこまれて、我に返る。

「い、いや。問題ないぞ? で、どこに行くんだ?」

「海沿いの繁華街よ。この間の模擬戦でザンサスのパーツを大量に交換したから、汎用品の予備は市中で安く仕入れて来い、ってさ」

 ミサキは最後に「予算、そんなに少ないのかしら」と疑問を付け加えていた。

 警察の懐具合まではわからなかったが、節約したいという意図は理解する。

「それじゃ、行きましょ」

 ミサキはくるりと方向転換すると、敷地と外界を隔てるゲートに向かって歩き始める。



 ゲートから出ようとすると、生体認証が反応した。

齋藤悠貴(サイトウ ハルキ)様。外出許可確認。旅の安全をお祈りいたします』

 無断で出ようとすると、ここで止められるのだろう。

自動運転車モービルでひとっ走りだから、座ってればすぐ着くわよ」

 そう言うミサキに従って、ゲートの外に待機していたモービルに二人で乗り込む。

 三対三の対面座席で、六人乗り。とはいえ、大人が三人並んで座るには少し幅が狭いので、四人乗りがちょうどいい。完全自動運転なので、当然ながら運転席はない。

 ミサキが後部座席に座ったので、ハルキは斜め向かいの前方座席に腰掛けた。

 優雅に足を組んで座るミサキに睨まれて、ドキリとする。

「……何か、さっきから様子がおかしくない?」

(ミサキが妙に大人っぽいから困惑しているわけですが)

 心の声はそっとしまっておく。

「や、ちょっと考えごとしてただけだ。外出許可が出たのはたぶん俺のガス抜きってことなんだろうけどさ、どうしてオッケーが降りたのかって話」

 荷物番なら汎用アンドロイドなりトマスなりをこき使えばいいはずで、リスクのあるハルキを駆り出す理由がない。

 それに、外出先で体調に異変が出れば問題になる。グリーフ・ブレイカーが体内にある限り、民間の救急病院の世話になるわけにもいかない。露見する恐れがあるからだ。

 一方のミサキは特に疑問に思っていないようだ。

「そんなの、私がいるからでしょ? ハルキに何かあったら、ラボまで私が抱えてひとっ走りすればいいじゃない。モービルよりも断然早いわよ。あくまで緊急時は、だけどね」

 彼女は自分の腰のベルトに装填された小さな金属製のアンプルをちらつかせた。

 間違いなく、人体機能付与型(プラグ)ナノマシン(イン)だろう。

「でも、それ、民間人の前で堂々と使っちゃだめなんだろ?」

 アーネストがホノカに文句を言っていたことを思い出す。

「露見しなければ問題ない。私、素人にはっきり視認されるほどノロマじゃないわよ。それに、使うときは警察の権限で周辺に即席の報道管制をかけて録画とかは妨害するし。

 ハルキが遭遇した公園のアレが例外なのよ。唐突に襲撃された上に、誰かさんがズバリ着地点にぼーっと立ってるんだもの」

 あのときのことを思い出したのか、ミサキは小さく笑っている。

「こちとらジャケットに腹パン喰らったわけで、何もおもしろくはないんだけどなぁ」

「ごめん、ごめん。ハルキのあっけにとられてる顔、思い出しちゃって」

 きっとミサキが跳び蹴りをジャケットに浴びせたときに、彼女の視界に入っていたのだろう。リゼの隣に立っているアホ面の男子学生の顔が。

「それにしても、ハルキ以外に誰もいなかったのが不幸中の幸いだった。

 たぶん、記憶と報道内容が一致しなくて不審に思っている目撃者もいるだろうけど、今からだとゴシップにしかならないわね」

「ザンサスを見た住人は、そりゃ違和感あるだろうな。ニュースでは白いジャケットなんて全く出てこないし。いま思えば、装甲の色を変える余裕もないくらいトマスも慌ててたってことか……。ミサキを目撃した人は、眼科か精神科のお世話になっているかもしれないなぁ。生身でジャケットと戦ってるなんて、信じられないもんな」

 ミサキは「そうね」と相づちを打った。

「……そうこうしているうちに着いたわね。降りましょう」

 到着と同時に、モービルのドアが開いた。観音開きになっていて、ドアが開くと外の光景が一斉に目に飛び込んでくる。

 海辺の繁華街。

 街の中を、入り組んだ運河と河川が幾重にも枝のように走っている。

 視界の両端には超高層ビルが建ち並び、水面にその豪奢な姿が映り込む。

 中央は高い建物がなく、空が開け、遠景の海にきらめく陽光が美しい。

 正面には、街のランドマークになっている大きな観覧車が見えた。

 周囲に無数に浮かんだホロが広告や娯楽情報を発信している。

 その隙間を縫うように行き交う人々とアンドロイドの雑踏。

 モービルが整然と道路を駆け抜けていく。

「ハルキ?」

 ミサキに声を掛けられるまで、思わず見入ってしまっていた。

「悪い。久しぶりすぎて、ちょっとだけ感動してた」

 ここは、ハルキにとってのホームタウンだ。現実リアルの学校からも近い。

 二ヶ月も遡れば、この光景の中に役者のひとりとして立っていた。

 それなのに、日常を送っていたはずの空間が今では遠く感じられる。

 ラボに軟禁されて、自由に来られる場所ではなくなってしまったから?

 それも事実だったけれど、手編み(ブレイデッド)のリゼや、彼女にまつわる世界を知ってしまった精神的な距離の方が、大きい。

 この美しい街の景色と賑わいも、リゼたちの塗炭の苦しみの上に成り立っている。そんな気がしてならない。

 あまりに、遠い。



 ジャケットのパーツの買付はそれほど苦労なく進められた。

 事前にどのショップで何を買うべきか、イオリが目星を付けてリストを作ってくれていたからだ。

 それ以上に効果があったのは『イオリの名前』である。

「はぁ? マクレディ製のパーツをこの値段でって、相場わかってんのか?

 え? 伝言? 『この値段で赤字にならんことはわかっとるんやで。例の件、バラそか?』って、イオリじゃねーか! 勘弁してくれよ! いいよ、その値段で!」

 こんな具合で、イオリの紹介だと告げるとすべての交渉が一瞬で片付いてしまった。

 ミサキはさすがに何かおかしいと思ったのか、渡されたパーツリストを自分の端末リンクレットに読み込ませて、想定市場価格を割り出していた。

「……これ、半値ならまだ可愛い方よ。仕入れ値で買ってるようなものじゃないかしら」

「イオリさん、普段なにをやってるんだ……?」

「さぁ。業務時間外でも忙しそうにコンソールに向かってるところはよく見るけど、それ以上はわからない」

「……知らないままの方がよさそうな気がしてきた。忘れよう」

「そうね。賛成」

 全てのパーツを買い付けて、持ち帰れないものは発送処理まで終えた。

 名残惜しいが、あとはラボに戻るだけだ。しばらくこの街に戻れないと思うと、寂しい。

「ハルキ。次に行きましょ」

「———はい?」



 ***



『ハウンドツーよりハウンドワン。ターゲットが移動を開始』

了解(ラジャ-)。追跡を続行せよ。気取られるな』


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― 新着の感想 ―
[一言] イオリさん、盗賊というか、これはもう、その。
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