騎士と戦士、そして姫(8)
アーニャが、ハルキの首元に顔を寄せていた。
「ふふっ。そのままじっとしていて下さいね」
首筋に彼女の指が這わされると、背筋にぞくりと言い知れぬ予感が駆け抜けた。
「すぐ終わりますから」
「は、はい……」
ハルキは病室のベッドに腰掛けたまま、アーニャにされるがままになっていた。
アーニャは怪しい微笑みを浮かべたまま、ハルキの首元に
ぷしゅっ。
「はい、終わりましたよ。次はまた二週間後ですね」
ナノマシンのアンプルを打ちこんでいた。
「うーん。これ、痛くはないんですけど、慣れませんね」
「ナノマシン抜きだとハルキさんの生命維持に支障が出ますから、我慢してくださいね」
グリーフ・ブレイカー。ハルキの命をつなぎとめている、ナノマシン。
曰く、ハルキの体は複数の臓器がまとめて交換されたため、それらを人体に定着させるためにグリーフ・ブレイカーが細胞間のシグナリングを制御しているらしい。今はまだ検査結果がレッドゾーンだらけだが、いずれ安定するはず、とリゼは言っていた。
ハルキが首元をさすっていると、アーニャはにっこり微笑む。
「ハルキさん、今日は久しぶりの登校ですよね。無理せず、楽しんできてください」
「あ、うん。このあと準仮想現実に接続するよ」
時刻は午前八時二十分。そろそろ始業時刻だ。
今日は、ハルキが準仮想現実で久しぶりに登校する日だ。
ハルキは自室兼病室のベッドに横たわって、ヘッドリング型の端末をつける。これは、仮想空間への接続を目的として、BMIに特化したものだ。その形は、西遊記の孫悟空の頭の輪っかに似ている。額の部分だけつながっていない、Cの文字の形をしていて、脳波を広い範囲で読み取る。これを使えば、五感を分岐して仮想空間に意識を送ることができた。
グリーフ・ブレイカーと干渉する恐れがあるのでBMIの使用は禁止されていたが、現在の健康状態であれば、ヘッドリング型の端末で感度を最低にすれば、登校だけなら問題ないとリゼが判断していた。
深呼吸して心の準備を整えてから、頭の中で起動コマンドを叩いた。
「接続」
瞬間、視界が真っ白になって、意識だけが別の空間に放り出される。
———目を開けると、学校の正門がそこにあった。
「うわっ、なんか久しぶりすぎて実感が湧かない」
一ヶ月少々も休んでいたわけで、長期休暇明けに学校に来たような感覚だった。
周りを見ると、ぞろぞろと学生達が校舎に向かって歩いている。高等部、中等部、初等部と年齢層は様々だ。
ここはまさに学校の玄関だった。接続すると、通常はまずここに出るようになっている。ここから教室までは、歩いて行かなければならない。
準仮想現実は仮想空間ではあるものの、その物理法則や社会的ルールはすべて現実に準じている。完全な仮想ではないゆえに、準と頭に冠していた。
建造物などは現実に似せてつくることが義務づけられており、接続する際に使用するアバターも、現実の本人を一定の規格に則ってスキャンしたモデリングデータを利用しなければならない。準仮想現実の空間運営は、政府が認めた機関と組織にしか許されていない。学校法人は、そのひとつだ。
要するに、準仮想現実は現実の延長として存在している。
「さて、久々の学校生活と行きますか」
一ヶ月のブランクは追いつくのが大変そうだったが、ハルキはその一歩を踏み出した。
ホームルーム後、クラスメイトからは手厚い歓迎を受けた。
「ハルキィィィ! 久しぶりだな! いつも通り冴えないな! なんつーか、刺身のツマって感じだな! 割となくてもイケる気がする辺りがそっくりだ!」
「現実ではまだベッドの上なんだっけ? 準仮想現実だと関係ないから良かったな! ちょっとコブラツイスト決めていいか? ほら、生きてる実感を味わわせてやりたくてさ」
「看護士さん、美人か? 美人なのか? ああ、でも最近はアンドロイドの方が多いんだよな……味気ないな。で、どうなんだ?」
散々だった。
さすがに仲の良い友人二名はそれなりに心配していたらしく、復帰祝いに後でカラオケに行こうと誘われた。もちろん、現実ではなく仮想現実で。
ハルキは友人たちを前に、少し目頭が熱くなった。
「ケイ、アキラ、本当に心配してくれるのはお前達くらいだよ」
ケイは、趣味でスポーツを嗜んでいて、高身長で短髪の好青年だ。
「ははは。オレたち以外も心配してるさ。それで、入院生活はどうなんだ? まさかの女医さんだったりするのか? 仮にそうだったら、オレはお前を仮想現実の広大な海に沈めようと思うんだが」
アキラは、勉強ができるくせに素行が悪く、目立つ赤い長髪を首の後ろで乱雑に括っている。
「そうだな。怪我をしたことは同情するぜ。ただ、それとこれとは話が別だ。ハルキの入院生活が灰色じゃなかったら、俺はお前を『灰色同盟』の裏切り者として処さねばならない」
だめだ。こいつらはだめだ———
そもそも灰色同盟とはいったいなんなのか。そんなものに加盟した記憶すらない。
なにより一番厄介だったのは、学友達の悪ノリがひどいことではなかった。
(万一、真実が知られれば、俺は本当に処されるのでは……?)
悪ノリで彼らが口にすることが、ことごとく真実である点が何より厄介だった。
アーニャと、リゼの顔が思い浮かぶ。
絶世の美貌を持つアンドロイド看護士と、年下で小動物な女医である。
そのあと、ホノカとミサキの顔も思い浮かんだ。イオリは性別が未だにわからないままだが、間違いなく美形の範疇だ。
役満だった。発覚すれば、同盟の裏切り者として死は免れまい。
授業はハルキの復帰とは関係なく、淡々と進んでいく。さすがについて行けなくなっていたが、事前に少しだけ学習していたので気合いを入れれば追いつくことはできそうだった。
あっという間に、最後のコマになる。
ハルキは時間割を改めて見直して、ひとつの事実に気付いた。
「あれ? このあとって外部講師?」
「そうだぜ。復帰早々珍しいのに当たったな。ま、授業進度と関係ないからちょうどいいんじゃねーの?」
アキラが席を立ちながら言った。講堂に移動しなければならない。
月に一度、外部講師を招いて特別授業が開かれる習わしがあった。学校内に閉じていると視野が狭まるので、実社会で活躍する人物を先生として、ひとつのテーマを扱うのだ。一種の講演会である。
「そうかも。テーマは……義体使用者と人造人間、撰修人種の法制度の実際? 社会科か」
ハルキも席を立って、教室から廊下に出る。準仮想現実には仮想現実のような瞬間移動などという便利な機能はない。自分の足で歩くしかない。




