宇宙人の少女とはじまりの魔法使い(1)
あの日、富士山麓の一帯に、複数の太陽が落ちた。
地中を貫いて炸裂した人工の日輪は、大深度地下から地表に至る一帯を爆裂せしめ、辺り一面を死の世界に変えた。
私たちは辛くも逃げおおせて、この世界に命をつなぎ止めることに成功した。
———と聞いている。
「ミサキ。これが報告書だ。公安に公開されている範囲に限るけどな」
そう言いながらトマスが渡してくれたデータは、一連の事件の報告書だ。ホロを開いて中身に目を通してみるが、ページ数が少ない上に記述も不足している。
「……この報告書、内容が薄い上にどうにもうさんくさいんだけど」
読んでみたものの、キョウヤとの戦いのあと気を失っていた私はいくら目を通しても実感が湧かない。それに、報告書の作成者の欄にトマス・M・パターソンという名義があるのも、信憑性を薄めるのに一役買っている。
「あのなぁミサキ。僕だって、自分で書いてて恥ずかしくなるくらい詭弁だらけって自覚はあるんだぞ。だからって、ありのままを書くわけにいかないだろ?」
トマスはそんなことを言っていた。
気を取り直して、改めて報告書を読み進める。
曰く、常緑のナノマシン散布拠点を特定した環太平洋連合軍は、施設周辺に広範囲に配備されていた対空兵器を沈黙させるのに手間取ったものの、最終的には国連の承認を得て地中貫通核爆弾の使用を敢行。
当該施設を灰燼に帰すことに成功し、無限増殖するナノマシンの大気中への散布という未曾有のテロを抑止することに成功した———
報告書を要約すると、そういうことが書いてある。
「その裏にどういう苦労があったかなんて、一行も書いてないのよね」
公安に開示されている文書には、人馬との死闘や、単眼との決戦は記載されていない。
ましてや、工場の地下で行われた適応者と適応者による決闘が載っているはずがなかった。
そのあと、ナノマシン散布を巡って最深部でどのような攻防とやりとりがあったのか、公的な記録は何も無い。
だから、この件はこれでおしまい。この事件は公には一応の決着を見た。
———そのはずだったが、しばらくは好き勝手な報道が繰り広げられていた。
「わずかに散布されたナノマシンは自己増殖する機能があり、今も大気中で増殖を続けているという意見が———」
「最新の研究によると、大気中に未知の物質が微量ながら観測されたという報告があり、その正体の特定が急がれています」
こうしたゴシップ報道に、国連や各国政府は「確認された事実は無い」とお決まりの言葉を返し続けていた。
あの一件以来、常緑は鳴りを潜めている。彼らもいたずらに事態を混乱させるつもりはないらしい。
やがて面白味が薄れたようで、次第に報道では大気中にナノマシンが散布されたというフレーズは見かけなくなっていった。
結果として、末端で真相———の一部を知っているのは、私たちだけだ。
壊滅したラボを後にして、私たちは新たな拠点に身を寄せている。
ここは環太平洋連合軍ゆかりの研究施設で、軍の基地内の外れにあった。以前のラボよりも警備が数段厳しく、たとえもう一度人馬や攻性機動無人機が同じように攻め込んできたとしても脅威にはなり得ないだろう。なにしろ防衛用の装備で身を固めたセパードや航空兵力がわんさといるのだ。
そこまで厳重な警備を必要としたのは、当然、リゼを守るためだ。
彼女は今、新たな研究に明け暮れている。世界の命運は彼女の双肩にかかっていると言っても過言ではない。警備レベルが上がるのは当然のことだ。
まず、リゼがあの事件のあと最初にやったことは、大気の計測だった。そしてその結果から、衝撃的な事実が発覚した。
「大気中に拡散したワールド・メーカー、検出困難な濃度。でも、たしかに残存してる。
除去しないと、今後の影響、予測困難。最重要課題」
私たちの苦労が実を結んだのか、世界中で適応者が大量に生み出されるような事態には陥っていなかった。
しかし、物騒なナノマシンはたしかに大気中に散布され、自然消滅することなくごく微量ながら永続化されて根付いてしまったらしい。
潜在的には、超能力者が無作為に生み出される可能性が残されてしまったことになる。
その後、リゼは、全世界に薄く広がってしまった自己増殖型ナノマシンを除去するため、新機軸の増殖抑制用ナノマシンの研究開発に着手した。
もちろん、事件の責任について彼女自身を追及する動きはあった。しかし、リゼは指示に従ってナノマシン・セルフレプリケーターやグリーフ・ブレイカー、もといアンブロシアを開発していたに過ぎないし、大気中のナノマシンを除去するにはリゼ自身の知見が必要である。撰修人種は替えが利く人材ではない。
結果として、事件のすべての責任は、西園寺了嗣という人類最悪の裏切り者になすりつけられることで解決を見た。各国政府と常緑の双方において『主犯は西園寺了嗣』という見解で一致している。彼をスケープゴートにすることで『平和的な停戦』が成立したようだ。リゼも実質的にお咎めを受けなかった。ただ、そうやって西園寺が糾弾され、それによって自分の立場が確保された状況について、リゼはなぜだか納得がいっていない様子だった。理由はよくわからない。
当然ながら、アンブロシアの研究開発は完全に凍結された。どうやら表向きには医療用の最新型ナノマシンを開発する名目で予算が下りていたものらしい。主導していたメンバーは、例外なく国家および国際社会への背任行為を働いたとして厳格に処罰された。研究成果はすべて消去され、研究員も、リゼを除けば生存が確認されている者はいない。事実上、永遠に闇に葬られた格好だ。
リゼは自分のやるべきことをやると日夜研究に取り組んでいた。ただ、これまで以上に大きな覚悟を背負っているように感じられる。自責の念からなのか、それとも他の理由があるのかは私にはわからない。聞くのは野暮だろう。
彼女を取り巻く公安のメンバーは変わっていない。軍が基地施設内で守護するのだから公安は不要だと言う論調はあったが、リゼが一蹴した。
「ホノカたち、いないなら、リゼ、手を貸さない」
それ以外にもリゼはいくつかの無理を押し通した。日本どころか軍や国連のお偉方にまで噛みついて、条件を飲まないなら協力を約束しない態度を貫き通した。その主体的な交渉態度は以前のリゼからは考えられないものだった。何しろホノカが面食らっていたくらいだ。
結果として、私たちは誰ひとり欠けることなく、相変わらずリゼの警護を続けている。
ただ、もし誰かが欠けていたとしたら、その筆頭は私だっただろう。
なにしろ生死の境を長い間彷徨っていた———らしい。
事件後に初めて目覚めたとき、私は病室で集中治療カプセルに放り込まれていた。
腹部が押し潰され、脊椎を破損する重傷を負っていた、らしい。
らしい、というのは、身じろぎひとつすることができず、自分では怪我の具合を確かめることが一切できなかったからだ。
リゼが専任医として治療にあたってくれた。私の体内にはグリーフ・ブレイカーが駆けめぐっていたから、リゼ以外には適切な治療ができなかったのだ。
「グリちゃん、なかったら、ミサキ、死んでた。奇跡の生還」
開口一番、こんなことを言われた。
曰く、私は工場の裏手で救助されたらしい。トマスたちの陽動作戦が一段落したころ、タイムリミットが迫る中で唐突に工場付近から照明弾が打ち上がった。発射元を確認したところ、二体の鈍色のアンドロイドが、重傷の私を乗せた担架を担いだまま棒立ちしていたという。
誰が私を工場の外に運び出すように仕向けたのか、はっきりとはわかっていない。察しは付くが、確証を得る手段はない。
それから、病室を出るまでに二ヶ月、退院するのにさらに一ヶ月を要した。ずいぶん長く感じたが、それでもグリーフ・ブレイカーの効用で通常の五倍速で回復したとのこと。
そして、幸運にも、リゼが何より心配していた事態にはならなかった。
「ミサキのからだ、グリちゃん、根付かなかった。検出、ゼロ。よかった」
退院するころには、私の中にあったグリーフ・ブレイカーはきれいさっぱり消えていた。どうしてそうなったのはリゼにもよくわからないらしい。設計当時とは組成が変わりすぎていて、正確なことは把握できなかったとか。
かくして、私は冬の訪れとともに元気に職場に復帰した。
その頃には事件の事後処理はおおかた終わっていて、警備課は新しい拠点でリゼの警護の任に付いたところだった。
そのあと春を迎えるまでに、新拠点での警護体制が整えられていった。
桜が咲いてしばらくすると、私は嘱託扱いの警官から正式に警部補として公安に採用された。適応者であり、かつ『実戦』の経験者ゆえの待遇だそうだ。
そして、現在に至る。
イオリは単眼のレーザー照射で全身の至るところに火傷を負っていたが、リゼが丁寧に処置した再生医療のおかげで跡を残さず治癒した。
「珠のお肌に傷が残らんでよかったわ。あん? 徹夜続きでズタボロの肌に今さら何を言うとるって? しばくで?」
手に持っていた工具でトマスをぶん殴った後でそんなことを言っていたが、イオリなりに思うところがあったのか、そのあと付け加えていた。
「まぁ、名誉の負傷っちゅーやつや。ちょっとくらい跡が残っとってもサマになっとったんかもしれへん。ザンサスも……二機とも壊れてしもたけど、得られた戦闘データは警察庁でも高く評価されとるし、あの子らも本望やろ。何と戦ったデータかが秘匿されとるから、いろんな憶測が飛び交っとるみたいやけど……」
ジャケットのことを愛し子のように扱う感覚は私には理解できなかったが、トマスは涙ながらに同意して頷いていた。泣いていたのは、イオリに殴られたのが素直に痛かったからだと思うが。
トマスは本来なら出向期間が終わって軍に戻っているはずだった。それなのに、未だに公安に出されたままだ。
「いやさ、さすがにやりすぎちまってな。ぶっちゃけると懲罰人事ってやつ。
ホノカが上手いこと言ってくれたおかげでこのくらいで済んだんだけどなぁ。下手したら今ごろ軍事法廷でさらし首だったぜ。ほとぼりが冷めるまではこのままだろうよ」
その顔に反省の色は一切なく、むしろすっきりした表情をしていた。やるべきことをやったのだから、恥じるところは何も無い。顔にそう書いてある。
どうやら、何事も無く出向期間を終えていたら、軍に戻ると同時に昇進する予定だったらしい。当然ながら今回の件で昇進の話は立ち消えとなり、トマスは今でも中尉のままだ。
私が警部補になったことを知ると、トマスは「げぇっ! 僕と同階級相当かよぉ」と嫌そうにしていたので、トレーニングがてら盛大に投げ飛ばしておいた。今後は投げ飛ばすときに気後れする必要はなさそうだ。
そんな風にトレーニングに勤しんでいると、廊下から悲鳴が聞こえてくる。
「きゃあああああーっ!?」
続いて、耳障りな金属音がガランガランと鳴り響く。何事かと思って覗き込むと、無数の機械部品に囲まれて床にへたり込んでいる女性がひとり。
やれやれと手を差し伸べると、彼女は困った顔をしたままその手を取った。
「ありがとうございます、ミサキさん。マスターに怒られてしまいますね……」
見渡すと、どうやらジャケットのパーツを台車で運んでいたようだ。足が滑ったのか何かに躓いたのか、とにかく台車の上に乗っていた部材が床に散乱していた。
「輸送用ドローンに任せればいいのに、あえて自分で運んでいたのはリハビリ?」
問いかけると、彼女は照れくさそうに頬を指で掻きながら答える。
「はい。体を動かすのが一番のフィッティングになるので、マスターが『面倒でも自分の手と足で運ばんかい』とおっしゃいまして。バランスが取れるか疑わしいと進言はしたのですが、『あかん。うちはリゼとちゃうから甘やかしたりせえへん』と聞き入れていただけず……結果、このようなことに」
ところどころ『現』マスターの完璧なものまねを嫌味っぽく挟んでくる辺り、やや含むところがあるようだ。
「アーニャ。さすがにこの量を一度に運ぶのは無理でしょう? 二往復したら良かったんじゃない?」
「……あっ。そうですね! 一度で運べと言われたわけではないのでした!」
てへっ、と舌を出して誤魔化しているその仕草は、かつての彼女とは似ても似つかない。見た目は以前のアーニャそのままなのだが。
イオリから聞いた話だが、アーニャがここにいる経緯は次の通りだ。
アーニャは、あの工場の戦闘のあと、帰還が確認できなかった。周辺を探しても発見できず、ラボにも戻ってこなかった。脱出できずに核攻撃に巻き込まれたのか、囮になって武装したアンドロイドたちと戦った時点で破壊されてしまったのか、あるいはその両方か。真実は今でも闇の中だ。
そして事件の後、リゼがアーニャを再建しようとして、そのとき初めてすべての彼女のバックアップデータが失われていることに気が付いたそうだ。ラボの襲撃時点でリゼは気を失っていたから、施設内のサーバ群の被害状況をはっきりと把握していなかったのだ。
アーニャが完全に失われたことを知って、リゼはひどく悲しんだ。アンドロイドとはいえ、リゼにとっては家族も同然だった。泣き声ひとつあげずに、ぽろぽろと大粒の涙を無言で流し続けるリゼを見て、その場にいた一同の涙腺が決壊したと言う。
「そこで、見るに見かねたうちが一肌脱いだってわけや。いやー、役に立つかどうかわからんデータでも、とりあえず溜め込んでおいて良かったわ」
イオリが使ったのは、こっそりと盗み取っていたアーニャのバックアップデータだ。といっても全てではなく、ごく一部だ。以前、アーニャの記憶データを解析しようとしたことがあったらしく、特定期間のストーリー記憶や、記憶を読み解くために必要な基礎データを手元に保存したままだったらしい。
そして、人格データなどのアンドロイドの人間性を司るデータ群は、アーニャ創建時のオリジナルをイオリが保管していた。
記憶と人格を収める新しいボディは、トマスが「ツテがある」と言って、どこからかマクレディ社の最高峰モデルを調達してきたらしい。
それらを組み合わせて生み出されたのが、現在の新アーニャだ。今はイオリがマスターとして彼女を管理している。
結果として、見た目はまったく同じでも、過去のアーニャとは似ても似つかない別人である。私たちのことを多少は記憶に留めているものの、ともに過ごした思い出を全て共有しているわけではない。
そして何より、トマス曰く「古典の教科書に出てきそうなドジっ子メイド」になっている。あの清廉で狡猾な完璧超人だったアーニャが、だ。
イオリの長ったらしい説明を要約すると、『強引に復旧したアーニャという人格と新しいボディの相性が悪いので、運動神経が壊滅的なことになっている』そうだ。技術的な詳細も聞いたが忘れてしまった。とにかく、時間をかけてフィッティングしないと、元の機敏さは取り戻せないらしい。
その上で、人格はリゼにチューンされる前のオリジナルに戻っている。様々な過程と経験を経てかつてのアーニャが完成されたわけだが、それらをすっ飛ばして一部の記憶だけ植え付けても人格まで変わるわけではない。
ここにいるオリジナルのアーニャは、純真無垢で人なつっこい性格をしていた。
「こう、私も、ミサキさんみたいに、シュッと動けるといいんですけど。えいっ、やっ」
アーニャはそんなことを言いながら、ファイティングポーズを取ってパンチとキックを繰り出している。以前のアーニャなら空を切る低音が鳴って恐ろしかっただろうが、今のアーニャのそれは当たっても痛くなさそうなへろへろ具合だ。ボディのスペックが泣いている。
ふと、そうやって空手の真似事をしているアーニャの様子を眺めていると、かつての彼女の姿が脳裏をよぎる。
「ミサキさん? ご気分が優れませんか? その……少々険しい表情をされていましたが」
「……ふふっ。何でもないのよ。むかし、こういう狭っ苦しい廊下でアーニャと戦ったことがあったなって、思い出しただけ」
「えっ? 私と、ですか? うーん、その記憶は……ないみたいです。俄には信じられません。ミサキさんと戦闘になるなんて」
「私だけじゃなくて、トマスも一緒だったのよ? 二対一だったのに、いいようにあしらわれちゃった」
「冗談、ですよね。あのトマスさんに、私が? えぇー……?」
当時の状況を身振り手振りを交えて説明してみたが、最後までアーニャは納得しなかった。




