誰がために(3)
我に返る。ほんの数瞬で、長編映画を立て続けに視聴した気分だ。
「———今のはッ!?」
ハルキの目の前には、槍を握りしめて振りかぶっているリョウジ。
戦闘はまだ決着していない。
全力をぶつけ合ったまま両者の斥力場は完全に拮抗しており、どちらかがわずかでも力を緩めれば一気に形勢が傾くだろう。お互いに、振り上げた拳と矛を急にしまうことはできない。全身全霊を込めたフルスイングを途中で止めることは決してできないのだから。
しかし、不意にリョウジの斥力場が揺らぐ。
「———花火? そうか、君は、リゼの———」
どこか遠くを見たままうわごとを口にしたリョウジの表情が、ふっと和らいだ。同時に、頑なだったリョウジの守りが薄れていく。
ハルキの拳が、一気にリョウジの斥力場を突き破って前に進む。
「!? だめだ———!」
この男をこのまま打倒していいはずがない。
強引に斥力場をねじ曲げて、拳の軌道を脇に逸らそうとする。
必死に逸らそうとしたが———それは叶わない。
ハルキの拳は、リョウジの守りを貫いて彼の右胸を捉えていた。
ドッ———ガァン!
真っ直ぐ後方に吹き飛ばされたリョウジは、壁面に背中から激突した。そのまま壁に背中を預けるようにずるずると滑り落ちて座り込むと、震える声を絞り出す。
「……がっ……ぐ……私の負けだな……。
心配せずとも……あばらと腕が折れたまま戦えるほど、タフではない……」
俯いた顔から表情は伺い知れないが、その声音はどこか満足げに聞こえる。
「あんたは……」
言いかけて、口をつぐんだ。聞きたいことは山積していても、いまこの場で彼にすべてを尋ねるわけにはいかない。
垣間見た過去によれば、ここはまだ『戦場』だ。
本当の敵は、まだ残っている。
『———リョウジ。敗北するなんてキミらしくない』
アラン・スミシー。第一世代の撰修人種。
この男こそ、すべての元凶。
リョウジは苦しげに咳き込みながら言い返す。
「……私以上の化け物を相手に……無茶を言う。見ていたのだろう……?」
『まあね。やっぱりアンブロシアはこの世界に存在してはいけないね。ワールド・メーカーよりもタチが悪い。キミの反対を押し切って研究者を皆殺しにして正解だった』
皆殺し。ハルキの記憶の中で、中央棟の凄惨な光景が頭をもたげた。赤いペンキをぶちまけた鮮烈な血生臭さが鼻を掠める。
『それに、もう勝敗なんてどうでもいいんだ。キミが時間稼ぎをしている間に、製造済みのナノマシンは臨界点を超える分量に到達した。ボクたちの目的は達せられたわけだ』
アランが言い終わらないうちに、リゼがプラントの制御用コンソールに向けて走って行った。リョウジがもたれかかっている壁のすぐ脇にコンソールが設置されている。
走り行く彼女の目に涙が光っているように見えたのは、きっと気のせいではない。彼女も見たのだろう。リョウジの———父親のように守ってくれていた男の記憶を。
リゼが鬼気迫る手つきでコンソールを立ち上げていく。
「サスペンド解除。BMIリンケージ。五感全直結。転送速度限定解除———」
彼女がBMIを接続した途端、五十を超えるホロが一気に起動する。
流れていく無数のログテキスト。数々のグラフ。もしBMIから視覚や聴覚に直接これらの情報を流し込まれても、ハルキにはそのごく一部すらも捉えられない。たったひとつのホロでさえまともに把握ができない情報量なのだから。
これが、撰修人種の見ている風景。あらゆる複雑系を捉え、カオスさえ超えて、人智を逸脱した結果に至る存在。ホモ・サピエンスの極北。境界線上にあるもの。
「———状況掌握。ナノマシン製造処理、強制停止……成功。
プラントタンク内の製造済ナノマシンの貯蓄量———臨界予測値を超過。
でも、まだ散布されてない。散布、止めれば……」
『無駄だよ』
アランの無感情なつぶやきが木霊したが、リゼは無視して作業を進める。
「大気への散布、停止。……失敗。エラー。ログチェック……散布停止コマンド、未実装。
ハルキ、このプラント、散布停止の機能、ない」
「散布が止められない?! そんなことって……」
焦るハルキをさらに焚きつけるように、アランがそのカラクリを解き明かす。
『キミたちに散布を止められても困るからね。リョウジが戦っていた間に、散布停止コマンドは削除済みだ。いやぁ、ギリギリ間に合って良かったよ。あとは待っていればタンク内の製造済みナノマシンが散布されて、臨界を超える』
合理的な対応だ。停止コマンドを削除してしまえば物理的に破壊されない限り妨害はされない。そして物理的なプラントの破壊は、ここからは不可能である。
『これで世界は斥力場自由制御機構と感覚増幅拡張機構で満たされる。撰修人種の歴史は終わり、適合者だらけの世界の始まりだ』
このままでは世界が壊れてしまう。リゼを救い出すことはできても、その先に彼女がまともに生きられる未来はおそらくない。かつて暗殺されたナノマシン開発者の撰修人種。その顔がよぎる。自己増殖するナノマシンを開発した元凶として、リゼも十字架を背負わされいずれ命を奪われることに———
「……いや、そうはならないさ、アラン」
リョウジがか細くつぶやくのを、近くにいたハルキだけが聞いた。
そして同時に、忙しなくコンソールを操作していたリゼが、ぴたりと動きを止める。
「———? このナノマシン、おかしい。設計ミス……?」
何十と開いていたホロが全て消えて、新たにひとつだけ大きなホロが開かれた。
そこに映っているのは、Z-002 world makerの設計資料。
「リョウジ。増殖安定化モジュールのパラメーター、いくつか理論値から外れてる。平均して許容誤差のゼロコンマ二パーセント、範囲『外』。どうして?」
座り込んだまま俯いていたリョウジが、リゼの声に呼応して顔を上げる。
「君ならその結果がどうなるのか、シミュレーションしなくてもわかるだろう」
リゼはこくりと頷いて数秒だけ沈黙し、すぐに口を開いた。
「———二ヶ月で世界中に拡散する。でも、半年後には増殖時の形態維持に支障が出て自壊し始める。このナノマシン、大気中で永続化『されない』はず」
「正解だ」
リョウジが左腕で胸元を押さえながらゆっくりと立ち上がる。
『———リョウジ。どういうことかな』
無感情なアランの言葉から、初めて彼自身の感情らしきものが浮かび上がって聞こえる。
「どうもこうもない。貴様を欺くには、ワールド・メーカーの散布を順調に進めているように見せかけるしかなかっただけだ。
いくら貴様がこのプラントの管理者権限を持っていようと、ここまで来れば失敗作の散布を止めることはできないだろう?」
対するリョウジは、冷淡な口調でありながらも言葉に本来の感情が戻っていた。もはや押し殺していた全てを隠し通す必要はないと———脂汗を掻きながらも、口角をわずかに上げる。
『ボクを、騙していたのか』
「ああ。足かけ五年の演技には苦労した。見ての通り大根役者なのでな。本来ならこうして種明かしをする予定もなかった。このあと雲隠れするつもりだったからな。
なんにせよ、これで貴様の計画はご破算だ」
リョウジの目的は、リゼと世界を守ること。
そのために、ワールド・メーカーを不完全なものとして設計し、その事実をアランに勘づかれないよう、最後の最後の引き返せない決定的な瞬間まで『テロリストとしての非情な西園寺了嗣』を演じることを自らに課した。
アランはその壮絶な選択がどういう筋書きのためだったのか、瞬時に理解する。
『不完全なワールド・メーカーなら、散布してもいずれ事態は終息する。
それでも、ナノマシン・セルフレプリケーターとそれを開発した日本への厳しい非難と追及は免れない。危険性が認識された結果、世界中でテロ対策が急激に進んで、同じ方法での犯行は困難になる。
その上、それだけの大事になれば、基礎技術を生み出したプロジェクト・アンブロシアも同時に潰せる。不死の霊薬は二度と研究開発できなくなるだろう。
キミが描いたシナリオはそんなところか……やられたよ、リョウジ』
そこにハルキが疑問を重ねる。
「もしかして、ずっと手加減して俺と戦っていたのか———?」
不思議ではあったのだ。最初からリョウジが全力でつぶしに来ていれば、おそらく為す術もなく敗北していた。しかし、結果としてそうはなっていない。
「敗北して失敗作の散布を止められるわけにはいかないが、かといって安易に君を殺すわけにもいくまい。加減しながら無力化しようとしていたのはその通りだ。
だが、手を抜いていたのも———いや、手を抜けたのは最初だけだ。結局は無力化するどころかこの有様だ。齊藤君。君は、強い」
リョウジは口に溜まった血を吐き出すと、ハルキに向かって苦々しそうに微笑んだ。そしてアランのホロに向かって宣告する。
「アラン。長い付き合いだったが、これでお別れだ。この状況から我々に追っ手を差し向けるだけの余力がないことはわかっている。私たちは今のうちに行方をくらませる。私とリゼにはもう関わるな」
『そうか———ボクの負けか』
アランのホロが静かになる。観念しましたと言わんばかりに。
決着が付いた。長年のリョウジの努力が実を結んだのだ。
リョウジは肩の荷がようやく下りたのか、安堵の表情を見せて、地下から見えるはずのない天を仰いでいる。
———その直後、リゼの声が地下に響く。
「待って。設計データと、タンク内のナノマシンの実測データ、一致しない」
「なに?」
俄にリョウジとリゼの動きが慌ただしくなる。
リゼはホロを整列させてリョウジにも見えるように展開し直した。指差しながら説明する。
「タンク内のナノマシン、パラメーター、許容誤差の範囲『内』。設計データから乖離。
丁寧に隠蔽されてた、けど、リョウジの設計とは違うもの、製造されてる。
このナノマシン、失敗作じゃ、ない。
このままだと、大気中で永続化される可能性、極めて高い」
「馬鹿な。最終設計データはひとつだけだ。他の設計が誤って投入されるはずが———」
『———リョウジ、悪くない発想だったよ。でも相手が悪かったね』




