誰がために(2)
リゼと出会って三ヶ月経った頃。
なんの前触れもなく一通のチャットメッセージが届く。
『はじめまして。ボクはアラン。アラン・スミシー。
キミなら、きっとこれだけでボクが何者か理解できるだろう?
取引がしたい。悪くない話のはずだ』
ただのスパムだと思い反射的に送信相手をブロックしようとして、その手を止める。
(……送り主は、私のプライベートを把握している)
アラン・スミシー。二十世紀後半の古典映画に詳しい人間ならピンと来る名前だ。
それは、様々な事情によって複数の映画のエンドロールにクレジットされた、『実在していない架空の映画監督』の名称だ。誰が監督したのか明かせない作品、制作者の納得がいかなかった作品、ただの気まぐれ。なんであれ、アラン・スミシーという名称は、かつて映画界で囮として利用された曰く付きのくだらない偽名だ。
少なくとも、私が古典映画に精通していると知っていなければこんな偽名を名乗ろうとは思わない。
背筋に冷たいものが流れる感覚を味わいながら何者だと返信すると、きっちり二秒でテキストによるリプライが戻ってくる。BMIを使っているとしても、ずいぶん早い。
『ボクは常緑の幹部のひとりだ。興味があるんじゃないかな?』
ドキリとして、しかし努めて冷静に返答する。
「常緑? 何のことだ?」
『おや? ボクたちを嗅ぎ回っていたのは君の方だろう? 余計なお世話だったかな』
しらばっくれても無駄らしい。まともな手段でアンブロシアをこの世から抹殺することができないならと、非合法な手段を探っていたことがバレている。それでも、こちらの素性を必要以上に伝えるメリットはない。肯定はせずに話を続けることにする。
「よくわからないが、その幹部とやらが私に何の用だ」
『やれやれ。キミの信頼を勝ち得るのは少々骨が折れそうだ。ともかく本題に入ろう。
結論から言うと、常緑はプロジェクト・アンブロシアを潰すつもりでいる。その過程で、キミと藤原利世を殺害する予定だ。それを伝えたくてね』
———何? リゼが、殺される?
私はそのメッセージに釘付けになった。思考がわずかに空転する。
『きっと理解に苦しんでいるだろうね。
どうしてプロジェクト・アンブロシアをボクが知っているのか。どうしてキミと藤原利世が殺されないといけないのか。いや、この程度はキミを悩ませる命題になりえない。推測はつくはずだ。
キミが困惑するとすれば———殺そうとしている組織の幹部が殺される本人にその計画を伝える背景、だろう?』
たしかに、アランとやらの言うように、すでに私とリゼが殺されるいくつかの可能性を思いついてはいた。プロジェクト・アンブロシアの情報がどこから漏れたのかはわからないが、おおかた研究員の誰かが犯人だろう。しかし犯人捜しに興味は無い。
問題はそのあと、常緑がどう判断したかだ。
仮に、稀代の犯罪組織がアンブロシアの正体をつかんでいるのなら、判断は『有用だから獲得する』か『邪魔だから消す』か、いずれかだ。
そして目的は何にせよ『開発者ごと確保する』か『開発者は殺す』かが選択肢として浮上してくる。少なくとも『開発者は殺す』だけは確定らしい。
ここまではいい。浮世離れしていようが、論理的にはありそうな話だ。
しかし、それをどうして殺される本人に明かすのか。これが組織の総意ということはあるまい。となると、これは極めて個人的な動機によるものだ。
(……危険だ。このアランと名乗った人間の『動機』の説明が付かない。
だが、ここで会話を切ることは———できない)
真意が読めない。関わらない方がいい。
ただ、このまま会話を終えるのはリスクが高すぎる。この男が常緑の幹部である保証はないが、私の身辺を洗っていることは間違いない。放置すれば私とリゼの身に危害が及ぶ可能性は高い。
———試してみるしかない。
「世迷い言はそれくらいにしてくれ。君が常緑とかいう組織の幹部だという証拠はない。それ以外の話にしても、どうやって信じろと言うんだ?」
あえてしらばっくれたメッセージを打ち返すと、ホロの向こうで誰かがほくそ笑むような錯覚がした。顔など見えていないというのに。
『その通りだ。いまは何の証拠も無い。それじゃあ、こうしよう。
君が好きな映画作品を三つあげてくれ。これから起きるいくつかの世界的な事件の現場に、何らかの形でそれぞれの作品の痕跡を残すよ。
そうだね———最初は、豪州の国会議員の暗殺事件がちょうどいいかな?
さて、一作目はなんだろう』
ぞわりと悪寒が走った。酔った勢いでテーブルマジックを披露するような気安さで、人を殺して証を立てると言う。
これ以上、得体の知れないものに近づいてはならない。今すぐに会話を切り上げるべきだ。理性は盛大に警鐘を鳴らしている。
しかし、それでも。私は退くことができなかった。
もしここでアランとの会話を終えてしまったら、リゼは殺される———その疑念が、思考にまとわりついていた。
私が三つの作品名を挙げると、彼は喝采を上げて喜んだのち、たしかに約束した。
『さすが、良いチョイスだ。半月ほど待ってくれないか。準備に時間がかかるからね。
ご期待には添えるはずだ。では、また近いうちに———リョウジ』
結果として、私はアランを信じざるを得なくなった。
一週間後、夕方のニュースを見ると、キャスターが不思議そうにつぶやいていた。
『しかし、犯人はどうして現場にこんな大きなサメのぬいぐるみを残していったんでしょう?』
事件はさらに続いて、最終的に三つになった。暗殺、自殺、不慮の事故。死因はともかくとして、複数の国家の要人が死亡した事件の現場に、私が指定した映画に関わるものが確かに残されていた。
最悪だったのは、被害者の中に「日本の治安維持に関わる政府高官」が含まれていたことだ。公的権力に助けを求めたところで、この男の息がかかっている可能性が否定できない。退路は完全に絶たれた。
『信じてもらえたかい?』
アランが再び連絡を取ってきたとき、私は首を縦に振るしかなくなっていた。
今度はテキストメッセージではなく、ホロ越しの音声通話だった。その柔らかい声音は凪のように穏やかで、しかし奥底には真っ黒な嵐が潜んでいるような薄気味悪さがある。
私は気を取り直して口を開く。内に秘めた恐れはひた隠しにしながら。
「いいだろう。くだらない戯れ言に付き合ってやる。
君は『個人的な動機』で、私に何の取引を持ちかけるつもりだ」
『ははは。いいね。そうでなくっちゃ』
そして、アランは本題を語り始めた。
『最近の常緑はどうもビジネス志向が強くてね。
キミたちを殺してアンブロシアを封印したあと、ナノマシン・セルフレプリケーターを転用して世界中にナノマシンを散布しようと画策しているんだ。ああ、もちろん実害がないナノマシンを、だよ』
リゼを殺した上で、彼女の研究成果を大規模テロに流用するつもりか。
こみ上げてきた怒りで思考が鈍りそうになるが、冷静さを失ってはならない。
「……対立の構図を世界規模で煽ることが常緑の利益になると?」
『話が早くて助かるよ。そういうことさ。ただ、それだけだと物足りないと思わないか?』
物足りない? 世界中を巻き込むテロで? この男は一体なにを———
『ボクは常緑でも最古参のメンバーのひとりなんだ。撰修人種は存在するべきではない、という哲学は今でも大切にしている。
リョウジ。撰修人種が二度と製造されない世界を実現するために、一肌脱いでみないか?』
そうして提示された彼の計画は、冷静さを失うには十分すぎるほど『壊れて』いた。
「———正気か。常緑の計画を乗っ取って、世界中に斥力場自由制御機構と感覚増幅拡張機構をバラまくだと?」
当然の質問に、アランは事もなげに答える。
『正気だよ。人類の奴隷と化した愛玩人形を抹消するためさ。それくらいやらないと目が覚めないだろう? 別に皆殺しにしようってわけじゃない。二度と『製造』されないようにできればそれでいいんだ』
初志貫徹。目的はそれだけだと言う。意味はわかるが理解ができない。撰修人種を製造不能にするためとはいえ、世界中を超能力者だらけにするのはあまりにも手段が凄絶すぎる。不可解だ。
この男にそこまでさせる理由はなんだ?
その疑問を口にする前に、アランが自ら答えを提示した。
『ボクが第一世代の生き残りだとしたら、どうだい』
第一世代。
得心がいった。理由の推測もつく。
「君は、最初期に生み出された第一世代の撰修人種で———人類への復讐と同胞の救済のために社会を破壊しようというのか。常緑さえも裏切って」
『良い読みだ、リョウジ。動機としては十分だろう?』
人類が撰修人種を生み出す過程では、想像を絶する非人道的な人体実験が行われていたと噂されている。証拠は無い。しかし真っ赤な嘘とも言い難い。
そして、国連による管理体制が整備される前に『濫造』された初期の撰修人種たちは、製造された数もわからなければ、所在もわからない者が多い。そういう噂がある。
そのうちのひとりが、この男———アラン・スミシーということになる。
アランがこれまでどんな地獄を歩んできたのかはわからない。実年齢はかなりの高齢のはずだが、撰修人種でありながら、常緑という自身を否定する組織の中に身を置いている経緯も、想像するに余りあるものだ。
ただ、それでも私にはどことなく彼を理解できる———理解できてしまった。
『キミは撰修人種に消えてもらいたいはずだ。
その絶望をぶつける先を探し続けて来たんだろう?』
ああ、そうだ。私はかつて絶望を見た。アランは私が歩んだ暗い歴史を把握している。そして、彼からは私と同じ匂いがする。
ふいに納得する。アランが私に声をかけてきた理由を。
「……撰修人種に人生を狂わされ、苛烈な手段を執ってでも社会に報復しようとしている男が渦中にいるのに気付いて声をかけた、か。
私の過去を洗いざらい調べたな? 私が探っていた非合法な手段も全てお見通しか」
『そういうことさ。この短期間でずいぶんとえげつない方法も模索していたじゃないか、リョウジ。テロリストの才能がある。太鼓判を押すよ』
たしかに、アンブロシアを封印するために合法と非合法を問わずあらゆる手段を探っていた。それこそ、常緑という組織や彼らが得意とするテロリズムも含めて。実際に使うかどうかはともかく、選択肢や判断軸は多い方がいい。
そしてアランはその動きを察知して、私の過去をふまえて推測したのだ。
西園寺了嗣は、愛玩人形とこの世界に復讐するつもりだ———と。
その推測は大きくは間違っていない。以前の私は、撰修人種など人類に不要であり純粋に絶やすべきだと考えていた。それが叶うならいっそ世界が滅んでも構わないとさえ思っていたフシもある。その頃の自分であれば、きっと首を縦に振っただろう。
ただ、アランは大きな勘違いをしている。
たしかに、私はこの世界を強く憎んでいる。
だが同時に、愛してもいるのだ。リゼはそのことに気付かせてくれた。
『さぁ、どうかな。キミの仕事は二種類のナノマシンを開発すること。それ以外のことはボクに任せてくれれば問題ない。
この誘いに応じるか応じないかは、キミの自由だ。条件を付けてくれても構わない。ボクはキミの能力を買っている。これは対等な取引だ』
———よく考えろ。この二択は誤れば大惨事を招く。そして、リゼが死ぬ。
まともな倫理観なら今すぐノーを突きつけるべきだ。撰修人種は大局的に見れば滅ぶべきだが、方法が明らかに間違っている。
しかし、断ったらアランはどう動く? 相手は確かな力を持った常緑の幹部だ。まず秘密を知った私は無事では済まない。すでに殺害対象になっているリゼも、順当に行けば命はない。仮に助かってもほぼ間違いなく別の形で巻き込まれて利用されるだろう。彼女に平穏が訪れることはあるまい。
(いや、それどころか———)
アランからは、吐き気を催すほどの邪悪が滲み出ている。
人を人とも思っておらず、今回の計画を撰修人種の去就とは無関係に愉快犯として楽しんでいる可能性さえ感じられる。
この男を、野放しにしてはならない。
ならば、選ぶべき道はただひとつ。
「———いいだろう。君のプランに乗ろう。
藤原利世はナノマシンの散布まで殺すな。必要な人材だ」
私は、悪魔じみたアランの提案を承諾した。いや、承諾した振りをした。
これは、たったひとりの戦争だ。
勝利条件はただひとつ。
撰修人種のこの男を出し抜いて、生き残ること。
アンブロシアを封印し、リゼの未来と、彼女が生きる世界を守るために。
空っぽになった私は、きっとこのために生かされてきたのだ。
通信を切った私は、亡き妻に祈りを捧げた。
ソフィア。見守っていてくれ———




