↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
103/110

誰がために(1)



 ———私は。

 私は、恩師と妻と、未来を亡くした。

 生涯の目標であった師は生きる目的を破壊されて自らの人生を閉じ、それを追うようにして最愛の妻も、生まれるはずだった子もこの世界を去った。

 そうしてひとしきり悲嘆に暮れたあと。

 気が付けば、仕事に没頭する道を選んでいた。

 それ以外にやれることなどなかったし、そうしていなければ自我を保つことさえ怪しかった。それ以外に生きる術を知らなかった。

 すべてを研究に捧げた。そして、異例の若さで副所長に抜擢される。

「副所長就任おめでとう。これで君が本研究機関の実質的なナンバーワンだ。所長の経歴に泥を塗らないようにだけは気をつけたまえ」

 しかし、いくら成果を上げたところで、私の根源的な問題は解決しない。

 心の奥底では常に疑問符が浮かんでいた。

 私は何をしている? 何のために生きている?

 撰修人種《ブレイデッド・レース》とは何だ?

 もし彼らを滅ぼす手段が存在していたら、私は喜んでそのスイッチを押しただろう。



 そうして捨て鉢になっていた折りに、恐ろしい話が舞い込んできた。

「西園寺君。君にこれを開発してもらいたい」

 わざわざお偉方が研究所まで直々にやってきたかと思えば、渡された研究開発仕様書は絶句せざるを得ない内容だった。

「———これを? まさか不老不死でも実現しようというのですか?」

 プロジェクト・アンブロシア。

 ナノマシン・セルフレプリケーターという禁忌を孕んだ、史上希に見る悪辣極まりない人体実験の依頼———いや、命令だ。

 命令と言えど、鼻で笑って冗談として押し返すつもりだった。こんな研究が結実するはずが無い。ナノマシン・セルフレプリケーターだけでも狂気の沙汰だが、人体を永続化させる医療技術はナノスケールでなくとも存在しない。延命や若返りの医療技術はあっても、あらゆる臓器の不全や突発的な負傷から人体を救う術などあるはずがない。

 このプロジェクトは、ひいき目に見ても何世代も未来の技術体系だ。机上の空論と評する方が適当だった。

 しかし、来賓達の目は真剣そのものだった。いや、狂気に染まっていた。

「不可能だと言いたげだな。しかし、我々とて考えはある。

 彼女をここに」

 そうして部屋に通されたのは、銀髪碧眼の人形のような少女だった。

「君と彼女なら、実現できる。我々はそう信じている」

 馬鹿げている。

 年齢はわずか十二だという。私とて数々の天才たちを目にしてきたが、それにしても若すぎる。そんな年端もいかない子どもに、一体何ができると———いや、待て。

「気付いたようだな。そうだ。彼女は我が国唯一の手編み(ブレイデッド)だ」

 本当に、馬鹿げている。



 これだけお膳立てを整えられれば、拒否権はないも同然だ。

 それでも、自分の意志で引き受けることにした。

 胸の奥にぽっかりと空いていた空洞が、目の前に現れた撰修人種《ブレイデッド・レース》の少女を見て、久方ぶりに感情を取り戻したからだ。

 絶望と憤怒。そして、興味。

 先生が、妻が、この手に抱くことのできなかった子どもが、いったいどうして葬り去られなければならなかったのか。その答えがもしかしたら彼女に———リゼにあるかもしれない。そう思った。



 しばらくすると、船便で大きな荷物が届いた。

 リゼが以前の在所から送ったものだった。梱包サイズが大きかったからか、ひとつだけ空輸されずに海路でのんびりと運ばれてきたのだ。

 ラボ中央棟にある彼女の部屋のセキュリティレベルは宅配業者であっても入れないので、仕方なく私が手ずから運ぶ。重くは無いが腕で抱えるには少々持ちづらい。そんな大きさだった。

 部屋に入ると、リゼは特に表情を変えずに私が抱えた巨大な箱を目で追っていた。口を開こうとはしない。彼女は研究や議論となると饒舌になるが、プライベートでは何を考えているかほとんどわからない。表情も変わらないし、口を開くのも最小限だ。こちらで察してやる必要がある。

「……箱を開けろと言いたいのか。自分でやってもらいたいものだが、やれやれ」

 十二歳の少女ではあった。ただ、子ども扱いをしてはならないと肝に銘じていた。それゆえに言葉はどうしてもきつくなる。

 それは彼女が部下だからであり、同時に自衛のためでもある。正直に言えば、やはりわだかまりも多分にあった。どうしたってただの子ども扱いはできそうにない。

 過剰に防水ラップでぐるぐる巻きにされた巨大な箱は、刃物を使っても開封するのに骨が折れた。作業の合間に中身を尋ねたら、小声で一言だけ返答があった。

「熊さんのぬいぐるみ」

 それを聞いて一瞬だけ作業の手を止めてしまったが、すぐに再開する。

 実際、苦心の末に箱を開けると、中から出てきたのは紛う事なき熊のぬいぐるみだった。子どもくらいの大きさがある。小柄なリゼの体格なら、抱き枕にすればちょうどいいだろうか。

 しかし———その『熊』と目があった瞬間、先生との古い記憶が呼び起こされた。


「教え子が誕生日だったんでなぁ。何か贈り物をしようと考えていたんだが、まったく見当が付かん。それで迷った末に、ありきたりだが大きな熊のぬいぐるみを贈ってしまった。喜んでくれたのかはよくわからなかったんだが」


 撰修人種《ブレイデッド・レース》の子どもを教えている———本来なら機密のはずのその事実を、先生は義理の息子である私には話していた。

 このぬいぐるみは、まさか。

「……藤原君。君はダニエル・ミューラー博士の教えを受けていたことがあるか?」

 リゼは、小さく首を縦に振った。

「ダニエル、ぬいぐるみ、くれた」

 無表情のまま呟かれたリゼの言葉が、教会の鐘を鳴らしたように頭に響いた。

 なんという数奇。

 恩師を地獄に突き落とした悪魔が、目の前にいる———

「……ダニエルは死んだ」

 気が付けば、ぽつりと漏らしていた。なぜかは自分でもよくわからない。

 ぬいぐるみを見つめる無垢な瞳に、水を差したくなったのだろうか。

 お前が殺したんだ。先生も、妻も。そう叫んでしまいたかったのかもしれない。

 ただ、そこまでの悪意と熱量はすでに持ち合わせていなくて、結果としてただの事実を口にしていた。

「そう。ダニエル、死んだ」

 リゼの反応は淡泊だった。不自然なほどに。

 しばらく無言のまま待っていたが、彼女からそれ以上の感想は得られなかった。

「……それだけか?」

 思わず問うて、私は己の過ちを知った。

「質問、意味、よくわからない」

「なにか思うところはないのか、と聞いているんだ」

「……胸のあたり、ザワザワする」

「……? 悲しいということか?」

「悲しい? これが、悲しい?」

「———そうか」

 何もかも馬鹿げている。

 リゼは、十二歳にもなって『悲しみ』さえ正しく理解していない。

 理解する能力がないのではない。

 誰も、誰一人として教えてこなかったのだ。あの先生でさえも。

「そうだ。それが、悲しいということだ———きっと」

 逃げるようにリゼの部屋を後にして、自室に戻った。

 ああ、本当に、何もかも、馬鹿げている。

 あんな虚ろな存在のせいで、先生や妻は死ななければならなかったのか。

 どうしてあんな『モノ』がこの世界に存在している。なぜ存在を許されている。

 あれほど儚く不自然なモノを生み出してまで繁栄する必要性と価値が、人類にあるというのか?

 ———私は決意を新たにした。


 撰修人種《ブレイデッド・レース》は、やはりこの世界に存在すべきではない。

 しかしそれ以上に、リゼは———守らなければならない。


 唾棄すべきは彼女自身ではなく、彼女を生み出したこの世界だ。

 先生がかつて愛した少女を、私も愛そう。

 妻も、もし生きて出会うことができていたなら、この可憐で哀れな銀の花を恨むどころか、精一杯愛でたに違いなかったから。

 ずっと心の中を漂っていた疑問符は、いつの間にか溶けて消えていた。



 とはいえ、私にできることは限られていた。

 不器用なことは自覚している。父親のような振る舞いはできないし、それを求められてもいない。あくまでも上司と部下として、彼女がラボという狭い世界の中で不自由しないように、周囲から虐げられないように最大限の配慮を続けた。

 やがて、公安からリゼのために警備部隊、すなわち警備課が配備されたのは僥倖だった。

 メンバーの黒峰警部は、まるで本当の妹のようにリゼを可愛がってくれた。

 少し遅れて軍から出向してきたトマス中尉は面倒見が良く、さながら兄貴分だ。

 最後に着任した浅野君は若いが子どもの扱いに慣れており、心が未成熟なリゼにとっては母親代わりと言えたかもしれない。

 来栖技官は少しリゼと距離を置いているようだったが、これはおそらく私と同じ理由だ。科学技術を志す者にとって、なまじ理解できるからこそリゼは近寄りがたい。それでもリゼの生活支援機———アーニャの建造に前向きに協力してくれたあたり、嫌っていたわけではないのだろう。

 彼らとのコミュニケーションを通じて、わずかずつではあるがリゼに『人間らしさ』が宿っていく様子が見て取れた。彼らもリゼを気にかけており、良い共生関係だった。



 私は、私にできることを進めた。

 プロジェクト・アンブロシアを『完全に』封印するための工作だ。

 完成してしまえば、為政者は疑似的な不死となり、彼らに都合の良い形での統治が永遠に続く世界になってしまう可能性がある。

 そんなことになれば、撰修人種《ブレイデッド・レース》は未来永劫、人類の奴隷として存続することになりかねない。許されるものか。

 アンブロシアは絶対に実現してはならない。

 副所長の立場を使えば研究を遅延させ続けることは容易だったが、失態続きで私が解任されてしまっては元も子もない。遅延させている間に、どうにかして『破綻』させる必要があった。

 しかし、単に研究開発計画を外部にリークしても与太話と断じられる可能性が高い。

 さらに、この計画には大勢の名士が関わっている。研究所が閉鎖されるような事態になったとしても、別の場所で形を変えて研究が継続されるのがオチだ。

 ゆえに、完膚なきまでに計画を叩きつぶし、再開さえ不可能にしなければならない。

 世論を動かしこのラボを閉鎖に追い込み、すべての研究成果を永遠に封印させなければならない。

 アンブロシアを推し進めている財界人を捕捉し、二度と再開できないように強い圧力をかける必要がある。

 すべて終わったあとのリゼの居場所も、用意する前提だ。

 容易なことではなかった。およそまともな方法では実現できまい。

 私はすべての能力を駆使して、あらゆる方法を模索していった。

 そうして、程なくして常緑《エバーグリーン》の存在に行き当たる。

 



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[良い点] 副所長!信じてました!いや、まだ過去話だから現在どういう心境かは分からないけど!
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。