本当の敵(5)
また現実に自意識が帰ってくる。
リョウジとの距離はすでに開いていて、すぐ近くにはリゼが立っていた。
かすかに頭痛がする。
槍の雨は、止んでいた。
「これは———西園寺の記憶か……?」
「ぐっ……君の記憶か……!」
見れば、リョウジは左手で側頭部を抑えていた。
隣ではリゼが力を失ってその場にぺたんと座り込む。
「リゼ! 大丈夫か?!」
「……だいじょうぶ。目まい、しただけ。知らない、景色、見えた」
顔色は悪くない。リゼもさきほどの映像を見たのだろう。
「たぶん、感覚増幅拡張機構の影響。他人の記憶、見えたりする、らしい」
「じゃあ、やっぱりさっき見えたのは……そういうことか」
思えば、この戦いの最中にすでに白昼夢を見ていた。
常日頃見る夢のように内容を思い出せなくなっていたが、あれがリョウジの記憶だと自覚した今なら振り返ることができる。
一度目は、恩師が死を選ぶまで。
二度目は、妻とお腹の子がこの世を去るまで。
あれらは幻覚ではなく、過去の現実。
「……恩師や奥さんを亡くした絶望……動機としてわからなくはなかったよ」
記憶の中の光景は、気が遠くなるほどの寂寥感に苛まれていた。霧の中にひとり取り残されたような、ぽっかりと胸に空洞が空いた喪失感。おそらくそれが、彼が失ったものの大きさ。そして、その空白を埋める方法が今回の無差別テロだった———
「でも、だからって、こんな方法を許せるわけ、ないだろ」
理解できるが、許してはいけない。たとえ地獄を見た起因が撰修人種だったとしても、その怒りをぶつける方法を間違えている。
リゼも意見を同じくする。
「撰修人種の問題、こんな方法で解決、よくない。みんな、巻き込むの、だめ。」
たどたどしくても、その声は毅然としていた。
「リョウジのやり方、間違ってる。撰修人種のこと、自分たちで考えないといけない。リゼも、考えないといけない。
リゼ、人間だから」
その言葉が耳に届いて、リョウジは俯きながら吐き捨てた。
「愛玩人形が———人間らしいセリフを吐くようになったものだ」
あえて、その蔑称を口にする。
決定的な距離感。
埋められない溝。
決着を付けるしかない。
「気付いてるんだろ。このままやっても勝負が付かないって」
「……奇遇だな。そろそろ幕引きしようと思っていたところだ」
未来視じみた回避能力と、ヒトの枠組みを踏み外した生存能力を持つハルキ。
生き残るため、戦いの中で急速に斥力場自由制御機構の出力を伸ばして、もはやリョウジと比肩する領域に到達しつつある。
「四肢を切り飛ばしても止まらないなら、胴体を潰せばよかろう」
苛立たしそうにそうぼやくと、リョウジは初めて大仰な構えを取った。
さながら、槍投げの投擲姿勢。
その手元に、ひとつふたつと、か細いらせん状の槍が編まれていく。
今まで襲いかかってきたどんな槍よりも頼りない形状。
しかし、細く弱い槍がさらに束ねられ、一回り大きな槍が作られる。
現れたのは、二重螺旋のスピア。
(……これまでとは精度が違う。威力も、速度も、段違いに)
複数の方向から挟撃することを諦めて、威力と速度だけにすべてを傾けた一撃。
直感がけたたましく叫んでいる。
リョウジがいま弾を込めているのは『放たれれば回避不能な致命打』であると。
弾速が反射速度を上回っている。
避けようとしても、間に合わず被弾する。
被弾すれば、一時的な戦闘不能は必至。その隙をリョウジは逃さない。
ゆえに、生存本能が告げる。
迎え撃て。
いいだろう。それしか道がないというなら、切り抜けよう。
「グリ。行くぞ———」
操者の気合いに呼応したのか、グリーフ・ブレイカーが囁く。
『乖離指数、二百三十五』
リゼに予告されたヒトでなくなる限界、わずか三百。
汝の覚悟を問う。
決して越えてはいけない壁があることを理解しているのか。
二度と戻れない道行きになりえるとわかっているのか。
———知っている。
ここで退いたら、永遠に後悔することを。
「……ハルキ?」
ただ者ならぬ気配を感じたのか、リゼが心配そうに顔を覗き込んでくる。
大丈夫だと表情で答えて、前を向いた。
そうして腰を落として。
左の拳を前に。
右の拳を腰だめに。
「———ふっ!」
吐き出した呼気とともに、アクセルを蒸かしたエンジンが吠えて斥力場が一気に巻き上がる。
この一撃ですべてが決する。ならば躊躇することはない。
燃やし尽くす。何もかも。
「ぜんぶ持っていけぇぇぇぇ!」
束ねる。力場を。そして、己の背に推進力として回す。
残りはすべて正面に。リョウジの渾身の一撃をはね除けるために。
リョウジの槍が投擲されれば敗北は必定。
ならばその前に、決着を付ける。
貫かれる前に、叩きのめす。
カタパルトに載せられた戦闘機をイメージする。強力な発射装置の力を受けて、瞬く間に飛行速度に到達するのだ。劇烈な負荷と引き換えにして。
その想像を、そのまま自分に重ねて———放った。
「———飛べぇぇぇぇぇぇぇぇぇっ!」
急加速とともに、音さえも置き去りにして、周囲の視界が一気に流れていく。
圧力に耐えかねた内臓がひしゃげて骨格が軋み、砕ける。
それでも見据えるのは、ただひとつの標的。
西園寺了嗣。
槍をつがえてまさに射出しようとしていたその相手に、正面から正拳をたたき込む。
リョウジは手に持った槍で刺し貫こうと、ハルキに向かって腕を振り抜く。
そして。
投擲されようとしていた槍の矛先が、拳とかち合った。
「届けぇぇぇぇぇぇぇぇっ!」
「貫け———!」
競り合う槍と拳。
空間がよじれる衝撃が走り、轟々と霹靂の大音声が鳴り渡る。
リョウジは槍を投擲する姿勢のまま。
ハルキは正拳を叩き込む姿勢のまま。
斥力場が拮抗してせめぎ合う。
『乖離指数、二百四十三、二百四十八、二百五十一……』
引き出した力場の出力の大きさに引きずられて、乖離指数が上昇していく。
それでも力場は衰えることを知らない。それどころか高まっている。
とっくに気付いていた。
力を行使する代償と対価が何であるのか。
斥力場自由制御機構が莫大な力を発揮している、そのカラクリに。
(心を———祈りを———願いを———食って、ナノマシンがこの体をエネルギーに換えている)
生への執着。想像する力。願いと想い。
生物が多かれ少なかれ秘めるそうした意志の力を介して、己の肉体をエネルギーに変換して力を引き出している。
『心』を触媒として、人体の質量をエネルギーに変換している。
それが、斥力場自由制御機構のブラックボックスの真髄。開発者の撰修人種でさえも原理を正確に解明できなかった、偶発的に生み出されたオーパーツ。
それゆえ、その絶大な力は機械に搭載しても発揮されない。あくまでも生命体でなければ、意志を持つ存在でなければ、力を引き出すことができない。
グリーフ・ブレイカーを通じて、自分の体の状態は誰よりも詳しくわかっている。だから戦いの最中に気づくことができた。この無尽蔵にも等しい力が、いったいどこからどうやってやってくるのかを。
(俺の体がエネルギー源だって言うなら、持っていって構わない!
だから、目の前の男だけは、西園寺だけは止めさせてくれ———!)
斥力場の密度をさらに押し上げていく。
世界を滅ぼそうとする男の槍とその覚悟は、己が命を懸けてもなお届かぬ高みにある。力量差が燃費の差にそのまま跳ね返り、拮抗するために膨大な熱量を要求される。
そうしてカラダを燃やしながら、燃やした分を強引に回復して、つじつまを合わせていく。
『二百六十八、二百七十四、二百八十一』
合わせたつじつまの分だけ、カラダが勝手に人間をやめていく。こんな無茶を要求するなんて、このカラダはきっとヒトのものではないに違いないと。
だが、それでも拳を振るうのをやめなかった。
「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおぉぉぉぉぉぉっ———!」
「まだ、出力が上がるのかっ!」
リョウジの槍の先端がカタカタと震えている。気圧されて照準がブレ始めた。
『二百八十六、二百八十九、二百九十一』
リゼの、帰る場所を、守る。
助けると約束した。
だから。
この拳は最後まで振り抜く。
(頼む———! 届け———ッ!)
そして、目の前が緑色の光に染まった。




