本当の敵(3)
先生の訃報は、やがて妻の耳にも入った。
どうして、と妻は言った。
「……冬の登山はもともと危ないんだ。そんなことは君だって百も承知だろう。
運が悪かった。運が悪かったんだ……」
妻は、先生の実の娘だ。年は私と少し離れていたが、学生の頃から懇意にして、気付けば自然と籍を入れていた。
当然だが、彼女は父親の突然の訃報を聞いて激しく動揺していた。
彼女には、先生のことが「引退して悠々自適の生活を楽しそうに送っている父」にしか見えていなかったのかもしれない。先生は———義父は、研究や撰修人種の話を私にしかしていなかったから。
妻は理由を探していた。父親が死ななければならなかった納得できる理由を。
しかし私は、妻に本当の理由を告げることが最期までできなかった。
「君の父は、自信と生きる意味を喪失して死を選んだ」
その確信はあった。しかし、それを告げられなかった。
先生は研究者の鑑だった。自信の塊のような人物で、自分の直感を何よりも大切にして道を切り開いてきた真の天才肌だ。決して諦めず、折れず、過たず、真っ直ぐ王道を貫いた。撰修人種の存在が公表されたのちにも数々の功績を残して讃えられた豪傑だった。
きっと先生は、自分の最期の真相を娘に知られたいとは思わない。
だから言えなかった。妻の中では、せめて豪放磊落な研究バカとして記憶に残っていて欲しい。私は妻の疑念から目を逸らすしかなかった。
これは夫ではなく研究者としての立場を優先した、私のわがままだった。
それゆえにバチが当たったのだろうか。
そうして、妻は見つけられるはずのない父親の死因を求めて思い悩み続けた。
やがて、私は己の選択を後悔する。
「———ごめんなさい。赤ちゃん、だめだった」
父親の急死という衝撃が招いたのか、妻は身ごもっていた赤子を流産した。
さらに悪いことに、妻は二度と子どもを産めない体となった。
塞ぎ込む妻を必死に慰めたが、その心の傷が癒えることはなかった。
元気な子どもを産んで幸せな家庭を築きたい。
それが妻の長年の夢だったから。
もし、先生が亡くなったとき、妻と向き合っていたら。
私が推測した死因を告げたところで妻の納得は得られなかったかもしれない。それでも彼女の悩みを半分にすることはできたはずだ。ともに思い悩むことはできたのだ。
しかし、何もかもがもう遅かった。
彼女は徐々にやつれ、精神的に不安定になっていった。
妻が行方不明となり、湖の底から水死体として引き上げられたのは半年後。
そこは、彼女の生まれ故郷の美しい湖畔によく似ていた———
***
———視界がチカチカと眩しい。
少し前から、見覚えのない景色が脳裏をよぎる瞬間がある。懐かしくて、寂しい夢を見ているような錯覚がわずかに胸に残っている。
しかし、そんな夢うつつに意識を割いている余裕はない。
「……くそっ、だめだったか」
ハルキは仰向けに寝転んでいた。
グリーフ・ブレイカーのカウントダウンが終わった直後、槍が斥力場を貫通してくる瞬間に合わせて力場を暴発させ、リョウジもろとも弾け飛んだ。その結果だ。
いくら頑丈な体でも、心臓と脳を貫かれたらどうなるのかわからない。もし死ななかったとしても一撃で戦闘不能になる可能性は高い。それだけは避けなければならない。
「でも、まだ動ける……!」
諦めるにはまだ早い。
しかし、起き上がるために右手を床に付こうとして、ずるりと滑った。
驚いて自分の体を見やると、右肘から先が———なかった。
(切り落とされた、ってことか……)
右腕を突き出して斥力場で押し合いをやっていたのだ。真っ先に槍の攻撃を受けたのだろう。
傷口を見て全身が冷たくなる感覚がしたが、構っている場合ではない。
不格好に左手を突いて起き上がると、視界の奥で同じように立ち上がる影があった。
「———力場の暴発で逃げ出すとは、存外に器用だな」
リョウジは、特に痛手を負っているようには見えなかった。
決死の突撃でも、パーティークラッカーを目の前で鳴らしたくらいの驚きを与えるのがせいぜいだったようだ。
(本当に『化け物』じゃないか。ミサキが警戒するわけだ)
それでも、ミサキならもっと善戦している気がした。まだやれるはずだ。そんな確信が湧いてくる。
リゼに視線を移すと、床にへたり込んだままぽろぽろと大粒の涙をこぼしていた。声は聞こえないが、右腕を失ったことに心を痛めているのだろう。最新の再生医療であったとしても、完全に元通りになるかどうかはわからないし、治療には長い時間がかかる。
(ごめんな、リゼ。心配させて。でも———大丈夫だから)
リョウジをにらみ付けると、残った左手で彼を指差して告げる。
「初心者だから体を張るしかないだろ? おかげで右腕はこんな有様だ。
でも、どうすればあんたをぶん殴れるのか、俺なりにイメージが湧いたよ」
リョウジが目を細めて「ほう」と呟くのが見えた。
五体満足でも斥力場を突破できなかったのに、片腕を失った状態でどうやってそれを覆そうというのか。やれるものならやってみるがいい、と。
ハルキは大地を踏みしめる。
チャンスは一度っきりしか無い。
(頼むぞ———グリ!)
真っ直ぐに足を踏み出して加速する。右腕を失ったせいか、さきほどよりスピードは出ない。
ハルキが突っ込んでくるのを見て、リョウジは改めて斥力場を励起させる。今度こそ逃がさずに捉えようと、視界の邪魔になる正面さえも隙間無く槍を展開している。
ここで立ち止まったら串刺しにされるだけだ。止まらず、突き進む。
「打ち抜けぇぇぇぇぇぇぇっ!」
残った左の拳を前に突き出して、斥力場で自分自身の体を押し込むように前に進める。
「馬鹿のひとつ覚えで正面からとは、恐れ入る!」
わざわざ正面から来るなら、とリョウジも力場のほとんどを正面に展開する。無謀にも突っ込んでくる敵兵を串刺しにしようと、数多の『槍』を生成していく。
やがて、リョウジの無数の槍と、ハルキの左拳が衝突する。
———そう思い込んだのが、リョウジの最大の失策だった。
「当たれぇぇぇぇぇぇぇぇっ!」
両者が激突しようとする寸前、ハルキの絶叫に呼応してもうひとつの斥力場が戦場に励起される。
ハルキでもなく、リョウジでもない。第三の力場。
その存在に気付いたリョウジが、視線をそちらに向ける。
「———なッ!?」
そして、正体を見て絶句する。
その目に映ったのは、飛来する拳。
しっかりと握りこまれた『右の拳』が、弾丸のようにリョウジに向かってきていた。
「切り落とされた右腕か———ッ!」
ハルキの右腕が、自らの意志を持つかのように突き進む。
リョウジの左側面、守りが薄いところを狙って。
正面からはハルキの左の拳が。
左からはハルキの右の拳が。
リョウジはその両方を迎撃しようと力を割くしかない。
そして、ハルキは知っている。
(複数の方向に展開した斥力場は、どんどん薄くなる———ミサキだってそうだったんだ)
斥力場の総量には限界がある。
いかにリョウジが化け物のような力を持っていようとも、無限ではない。正面と左に意識を割けば、それぞれの守りは半分以下に散らされる。
攻撃するハルキも条件は同じだったが、意表を突いた分、ハルキの方が力場が安定している。
ならば———
「貫けぇぇぇぇぇぇっ!」
「———おおおぉぉぉぉぉ!」
リョウジは咄嗟に、右腕を正面に、左腕を左に突き出して己の力場を支えた。
そうして構えを作ることは堅固な『イメージ』につながり、力場の強度が増す。
しかし、これまで棒立ちで戦えていたのに『構えなければならない』という状況に陥った時点で、リョウジは『押されている』ということに他ならない。
拮抗していた両者の形勢が、徐々にハルキに傾いていく。
そして、ついにリョウジの厚い守りが砕かれる。
バリィィィィィッ!
飛来していたハルキの右の拳が、割れた守りの隙間からリョウジの脇腹を捉えた。
「がっ?!」
うめき声とともに、痩躯の男が木の葉のように吹き飛ばされる。
ハルキの目の前からリョウジの姿が消え去った。
飛んで行った敵の姿を目で追う———ことはせず、ハルキはすぐに右へ跳んだ。
「リゼッ! 離れろッ!」
ガラスケージの中にいるリゼにその声が届いたのかどうかはわからないが、スッとリゼが身を引いて、ケージの入り口の周辺に少しだけスペースができる。
その間隙に空中から狙いを定めて、イメージする。
ケージの入り口だけを破壊して、リゼを無傷で救い出す———そんな結末を。
(行ける!)
想像のまま、右足から斜めに急降下する。ケージの錠前を蹴り破って、力場でまっすぐに扉を押し開く。
ガラスが飛び散る。しかし、その破片はリゼには届かない。届かないようにイメージを『した』のだから。
ケージの中に飛び込むとリゼが何か呟こうとするが、有無を言わさず、左腕で彼女を抱えて外に向かって飛ぶ。こんな閉所に留まっていたら良い的だ。
「ごめん、リゼ! 話はあとだ! あの程度で倒せるとは思え———」
予感は的中する。
「———っだああぁぁぁぁぁっ!?」
外に飛び出した途端、複数の翼手がハルキを撃ち落とそうと降りかかってくる。身をよじって、斥力場で軌道を歪めて、それでもリゼの体に負担がかからないように最小限の動きでどうにか躱す。
着地してリゼを抱えたまま正面を見やると、リョウジもこちらを見ていた。脇腹を押さえてはいるが、それ以上の負傷は見えない。
「……切り離された肉体から力場を励起させるとは、もはや人間業ではない。
君は『それ』を自分の体の一部だと、未だに認識しているのか」
リョウジの言葉が終わった直後、ハルキの元に『それ』が飛んでくる。
『斥力場により右腕を回収しました。接合開始……』
切り飛ばされていたはずの右腕が切断面にぴたりと接続されると、ビリッと痺れる痛みが走った。
「そうだよ。『これ』は、あんたをぶっ飛ばして帰ってきた、俺の右腕だ」
『……完了。神経伝達に異常ありません』
ハルキがつながったばかりの右手を試すように握り込むと、力強い拳ができあがる。
その光景を目の当たりにして、リョウジも、リゼも、言葉を失った。
一時の静寂の中、ハルキが小脇に抱えていたリゼを下ろして立たせる。
リゼの救出に成功した。これで最悪の場合、リゼを抱えて脱兎のごとく逃げれば、彼女の命だけは救うことができる。ただ彼女はそれを望まないだろう。
「おかえり、リゼ」
「……ただいま」
やはりそうだ。リゼの涙に濡れた碧眼には、リョウジの凶行を止めるための覚悟が宿っている。
リョウジに向き直ると、彼もハルキを見据えていた。
「まるで化け物ではないか。アンブロシアの設計スペックを超えているなどという生やさしいものではない。想像の埒外だ」
しかしその言葉は、ハルキを激高させるには十分に過ぎる。
「ふざけるな。そんなものをリゼに造らせていたのはあんただろ」
失笑を止めたリョウジがハルキをにらみ付ける。
「……私がやらなければ、別の『凡人』が藤原君を利用して同じことをやらされていただけだ」
開き直りに聞こえる一言に、ハルキの斥力場が荒れる。怒りがそのまま転写され、渦を巻く。
この男を許してはいけない。今すぐに打ち倒す———
しかし飛び出す直前に、背後からか細い声がそれを止めた。
「ハルキ。それ以上、だめ。人間、戻れなくなる。乖離指数、いくつ?」
隊服の裾をつまんで後ろに引っ張っている。感じ取れないほど弱い力だったが、ハルキを制止させるにはてきめんに効いた。
「……百と少しだよ」
「まだ、大丈夫。三百、限界の目安。超えたら、理論上、戻せなくなる」
胸が少しチクリとするのを感じながら、ハルキは嘘をついた。
リゼはわずかに安堵で表情を和らげるが、すぐにリョウジに厳しい視線を向ける。
「リョウジ。リゼたち、憎いの、わかった。でも、こんなやり方、いけない」
小刻みに震えながら、それでもリゼはハルキを押しのけて前に出た。
ハルキを守るように、両腕を広げて立ち塞がる。
「リゼ、どうなってもいい。だから、もうやめて」
少女の銀髪が揺れる。精一杯の虚勢。
だが、リョウジは怯えるリゼを一瞥すると、無言のままおもむろに半身を引いて構えた。
ゆらりと彼の周りに湧き上がる斥力場。引き下がる気は無いとその身にまとった闘気が物語っている。
ハルキはリゼの両肩に手を置いて、ゆっくりと後ろに下がらせる。
腰を落として拳を握ると、怒りで荒れていた斥力場が落ち着きを取り戻す。ミサキの影を自分に重ねると、鈍重な力が軽やかに流れを作っていく。
「今度こそ、あんたを止める———!」
呼応して迸った奔流が、ハルキを空を駆ける弾丸として撃ち出した。




