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どうか、私のことを嫌いになって――死に戻ったこの世界で、私は二度目の恋を捨て去りたい  作者: ゆうづき


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夜会での出会い

 エリシアは、かつてロジェリオと出会った夜会を欠席することにした。

 体調不良を理由にするため、数日前からどうも調子が悪いと演技までした。弟も執事も心配そうにしていたものの、少し休めばよくなるから大丈夫だと言い続けている。

 二人とは、死に戻った日からなるべく距離を置くようにしている。もちろん全く接触しないというのは無理だけど、極力二人きりにならないよう気をつけているのだ。

 もともと弟のヴィクトルは学業に忙しいし、執事のザカリアスは父親のそばにいることが多い。どちらがロジェリオを殺したのかは分からないままだが、エリシアの気持ちが少しは落ち着いたためか、二人の顔を見て吐き気を催すことはなくなった。

 だけどエリシアは、油断してはならないと自分に言い聞かせている。二人のうちどちらかが、ロジェリオを殺したのだから。

 

 今夜は、本来ならば参加していたはずの夜会の日だ。

 体調不良を装ったエリシアは、自室に引きこもっている。ゆっくり休みたいからと侍女のダナ以外は部屋に立ち入らないよう頼んだから、弟や執事と顔を合わせることはないはずだ。

 ベッドの上で窓の外を見つめながら、エリシアはぼんやりと過去の記憶を思い出していた。


◇

 

 その日エリシアは、誕生日の祝いに買ってもらったばかりのドレスを着て夜会に参加していた。そろそろ婚約者を見つけなければならないということで、出会いの場としても知られる夜会へ行ってみてはどうかと父親に促されたのだ。

 淡い水色のドレスは、胸元に施された刺繍が華やかなものだ。ぴったりと身体に沿う上半身のデザインは、華奢ながら豊満なバストを持つエリシアの女性らしい身体を際立たせたし、ふんわりと広がったスカート部分に縫いつけられたビーズが、動くたびにきらきらと輝いていた。スタイルがよく見えるようにと少し高めのヒールの靴を履いたエリシアは、いつもより大人びて見えると自分でも満足していた。

 とはいえ、そう簡単に出会いなどあるわけもない。こちらを気にするような視線を向けられることはあるものの、話しかけてくる人はいなかった。

 今夜はこのまま壁の花で終わるかもしれないと思いつつ、友人と談笑しているだけでも楽しめる。その時、突然会場内がざわついた。誰か、有名な人が来たようだ。皆が見つめる先には、見目麗しい一人の男性の姿。それがロジェリオ・アルベルダ公爵令息であることが、人々の囁きから分かった。

 由緒ある公爵家の嫡男で、あの美貌。文官として働く彼はとても優秀で、将来は宰相間違いなしと言われているらしい。二十歳を過ぎてもまだ婚約者のいない彼の隣を、多くの令嬢が狙っている。

 めったに夜会に顔を出さないロジェリオが来たことで、周囲の令嬢たちが一斉にそわそわとし始めた。

 確かに見惚れるほどの美貌だわと思うものの、さすがに手の届く相手でないことはエリシアだって分かっている。

 ダンスを一緒に踊ってほしいと群がる令嬢たちの行動力を、すごいなぁと尊敬の眼差しで見つめるエリシアは、自分はそこに混ざれる気がしなかった。

 ロジェリオは、ほとんど表情を変えずに令嬢たちをあしらっている。どうやら誰とも踊る気はないらしい。その様子を見るともなしに眺めていたエリシアの隣で、友人が顔見知りの男性からダンスの誘いを受けた。

「私、何か飲み物をもらってくるわ。どうぞゆっくり楽しんできて」

 エリシアのことを気にする様子の友人に、行ってらっしゃいと手を振ってみせ、エリシアはその場を離れる。気兼ねなく楽しんでもらうために、しばらく外した方がいいだろう。

 少し考えて、エリシアは会場の外へ行くことにした。バルコニーから、庭に出ることができるのだ。

 人々の熱気にあふれた会場内とは対照的に、庭は静かで空気もひんやりとしている。近くのベンチに腰掛けて、エリシアはふうっとため息をついた。

 華やかな場は楽しくもあるけれど、少し疲れてしまった。

 その時、背後から小さな靴音がした。

「ハンカチを、落としましたよ」

 深みのある低い声に聞き覚えはないものの、周囲には誰もいない。振り返ったエリシアは、相手の顔を見てぽかんと口を開いてしまった。そこに立っていたのは、先程まで多くの令嬢に囲まれていたはずの、ロジェリオ・アルベルダ公爵令息だったのだ。どうやって令嬢たちを振り切ったのか、彼は一人のようだ。

 間近で見てもやはり彼は整った顔立ちをしていて、思わずじっと見つめてしまう。笑った顔を見せない氷のような美貌だと称されているのを耳にしたことがあるけれど、本当に彫刻作品のように美しい。あまりにじっと見入っていたせいか、彼が怪訝そうな顔になったので、不躾だったとエリシアは慌てて視線を逸らす。

 ロジェリオの手に握られているハンカチは確かにエリシアのもので、鞄に入れていたつもりが落としてしまったらしい。

「あ……ありがとうございます」

 急いで立ち上がり、差し出されたハンカチを受け取って礼を言うと、彼は微かに目元を緩めた。ほんの少しの表情の変化なのに、纏う空気が一気に華やいだような気がする。

 こんな表情を向けられたら、誰だって夢中になってしまうだろうと、エリシアも頬が熱を持つのを感じていた。

「その刺繍は、あなたが?」

「え?」

 話しかけられたことに驚いて、反応が遅れてしまう。しばらくして彼の言葉の意味を理解したエリシアは、こくこくとうなずいた。

 握りしめたままの白いレースのハンカチの隅には、かすみ草の刺繍が施されている。

「えぇ、私が刺したものです」

「とても上手だ。でも、どうしてその花を?」

 そう問われて、エリシアは小さく笑う。どちらかというと素朴なデザインなので、逆に彼の目を引いたのかもしれない。

「私、かすみ草が好きなんです。脇役になりがちな花だけど、とても可愛らしい花でしょう。それにお気に入りの本に、かすみ草の花束をもらうというシーンが出てくるんです。両手で抱えるほどの大きな花束を贈られるというのがすごくロマンティックで素敵だなぁって思って、それで……」

 そこまで言って、ロジェリオとは初対面だったことを思い出したエリシアは慌てて口をつぐむ。ハンカチの刺繍に目を留めてもらえたことが嬉しくて、ついあれこれと話してしまった。

「す、すみません……。好きなんです。……違っ、あの、かすみ草が……っ!」

 言葉を重ねれば重ねるほど変な方向に行っているような気がしてうつむくエリシアの耳に、微かな笑い声が聞こえる。思わず顔を上げれば、ロジェリオは楽しそうな笑みを浮かべていた。こんな表情もできるのかと、エリシアは内心の驚きを隠せずに、その顔をじっと見つめてしまった。視線が絡まり、彼は優しげに目を細める。

「失礼。驚いたのと、嬉しくて」

「嬉しい?」

 どういうことだろうと首をかしげるエリシアを見つめ、ロジェリオは悪戯っぽい笑みを浮かべると口を開いた。

「――まるで雪みたいなあの花をたくさん集めて、一抱えの花束にしてきみに贈ろう」

「……っ!」

 それは、エリシアが大好きな本の一節。まさにかすみ草の花束を贈られるシーンだ。

「ご存じなんですか?」

「あぁ、『風のブランコ』だろう。俺も擦り切れるほど読んだ本だ」

 彼が口にした本のタイトルは、エリシアが数えきれないほど読み返したお気に入りのものだった。

「かすみ草の花畑で、主人公が夢を語るシーンが特に好きでね。希望にあふれていて、自分も頑張ろうと思わせてくれて、何度も読み返しているんだ」

「分かります、あのシーンには私も何度も勇気をもらいました!」

「だから俺も、かすみ草がすごく好きなんだ」 

「私も好きです、大好きです……! えっとあの、花畑のシーンが……」

 勢い余って再び告白めいたことを口走ったことに気づき、もごもごと言葉を濁したエリシアを見て、ロジェリオは思わずといった様子で噴き出した。氷のようだと称される彼が、顔をくしゃくしゃにして笑っている。近寄りがたく見えた彼の可愛らしい一面を見たような気がして、エリシアの胸がとくりと音を立てた。

 やがて笑いが治まったのか、ロジェリオは照れ隠しのように咳払いをすると、エリシアをじっと見つめた。そして、穏やかな微笑みを浮かべる。

「ロジェリオ・アルベルダと申します。あなたのお名前を聞いても?」

「エリシア・ファリノスと申します」

「ファリノス伯爵家のご令嬢でしたか。あまり夜会には顔を出さないもので、ファリノス家にこんな美しいご令嬢がいるとは知らなかったな」

 ロジェリオのお世辞を、エリシアは照れ笑いで受け止めた。さすが、人気者の彼は女性を褒めるのも上手だ。

「私も、まさかあの本を知っている人がいるなんて思わなくて……とても驚きました」

「あんなに素晴らしい本なのに、何故か全然知られていないから、俺も嬉しいよ。そのハンカチも、とても素敵な刺繍だ」

「ありがとうございます。刺繍の腕には、少し自信があるんです」

 褒められて、エリシアははにかみつつ微笑んだ。

 その時、華やかな弦楽器の前奏が聞こえてきた。どうやら、新しいダンスの曲が始まったらしい。それに気づいたロジェリオは、エリシアに手を差し出した。

「俺と、踊っていただけませんか?」

「……っ」

 まさか彼にダンスの誘いを受けるとは思わなくて、エリシアは目を見開いて固まる。だけど、同じ本が好きだと言った彼とは縁を感じて、もう少し一緒にいたいと思った。それに人気のないここでなら、彼と踊っても目立つことはないだろう。

 エリシアは、ゆっくりとロジェリオの手を取った。

「……えぇ、喜んで」

 誰もいない庭で、二人はゆっくりと踊り始める。ロジェリオのリードは巧みで、エリシアはいつもより軽やかに踊れているような気がしていた。

「他には、どのシーンがお気に入りですか?」

 踊りながら、エリシアはロジェリオに話しかける。せっかく同じ本を好きな人に出会えたのだから、もっといろいろな話をしたい。

「そうだな……。森の中で道に迷った時、花の蜜を飲むシーンが好きだな。幻想的で美しいだろう」

「リュイルの花の蜜! どんな味がするのかしらって、今でも思っているんです」

「きっと、蜂蜜よりずっと甘いんだろうな。エリシア嬢の好きなシーンは?」

「私は、愛を込めた指輪を贈るシーンが好きです。とってもロマンティックなんですもの」

「あぁ、確かに胸を打つシーンだ」

 お互いの好きなシーンを語り合うのは楽しくて、気づけば二人はダンスを止めて夢中で話し続けていた。

「まさか、大好きな本についてこんなにも語り合える人に出会えるなんて思ってもみなかったわ。ロジェリオ様とは、もっとお話ししていたいくらい」

 あまりに楽しくて、興奮で紅潮した頬を押さえつつ、エリシアは笑う。エリシアより年上で、家格だってずっと上の相手なのに、話しているうちにお互いの言葉はすっかり砕けたものになっていた。

 ロジェリオは、エリシアの方に身を乗り出すと手を握った。

「それなら、また会えないかな。きみともっと色々な話をしたい」

「ぜひ! 今度はお互い本を持ち寄るのはどうでしょう」

「いいね。じゃあ、手紙を送るよ」

 そう言って、ロジェリオはエリシアの手の甲にそっと唇を押し当てた。挨拶みたいなものだと分かっているのに、柔らかな感触に鼓動が速くなる。

 熱くなった頬を隠すようにうつむくと、ロジェリオは小さく笑ってエリシアの耳元に唇を寄せた。

「ねぇ、エリシア嬢。きみに一目惚れをしてしまったと言ったら、信じてもらえる?」

「え……っ」

「大好きな花や本を、同じように好きな人と出会えるなんて思ってもみなかった。とても楽しくて、こんなにあっという間に時間が経ったのは初めてだった。きみに出会えたのは、運命だと思ったよ」

「ロジェリオ様」

「きみのことをもっと知りたいし、俺のことも知ってほしい。だから、今度はゆっくりと会いたい」

 真摯な口調で願うようにそう口にしたロジェリオの深い緑の瞳を、エリシアはじっと見つめ返す。こんなにも素敵な人が自分に好意を抱いているなんて、信じられない気持ちだ。だけど、エリシアも彼と過ごす時間がとても楽しかった。

「わ、私も……もっとロジェリオ様のことが、知りたいです」

 勇気を出してそう返事をすると、彼は嬉しそうに笑った。花が咲くような微笑みを向けられて、エリシアの鼓動は高鳴る一方だ。

 その時、遠くからエリシアの名前を呼ぶ声が聞こえた。慌てて振り返ると、友人が手を振ってこちらに向かってくるところだった。飲み物をもらいに行くと言って戻ってこないので、探しに来てくれたのだろう。

 それに気づいたロジェリオは、スッとエリシアから離れる。

「ではまた。次に会う時を、楽しみにしている」

 耳元でそんな囁きだけを残して、彼はその場から立ち去った。

 駆け寄ってきた友人は一緒にいたのがロジェリオだと気づいていないようなので、エリシアもハンカチを拾ってもらっただけだと濁す。

 頬が赤いようだと指摘されて、会場の熱気にあてられたのかもしれないと誤魔化しつつ、エリシアはハンカチをそっと握りしめた。


 その後二人は何度か一緒に時間を過ごし、お互いのことをより深く知っていった。

 エリシアの両親は公爵家との縁を喜んで全面的に応援してくれたし、ロジェリオの両親もエリシアのことを歓迎してくれた。何もしなくても女性が寄ってくるロジェリオは、積極的な女性にぐいぐいと迫られ続けて半ば女性不信に近かったらしい。そんな彼が自らそばにいてほしいと望んだのがエリシアだということで、むしろようやく息子に好きな人ができたと大喜びされていた。

 好きな花や本のことだけでなく、ロジェリオとは考え方も似ていて、些細な会話すらとても楽しかった。

 そしてロジェリオと婚約を交わしたエリシアは、挙式の日を指折り数えて楽しみにしていた。

 彼となら、絶対に幸せになれる。心からそう信じていた。

 ――あの、悪夢のような惨劇が起きるまでは。


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