死に戻った先で
そして、エリシアはこの忌まわしい記憶を持ったまま、死に戻った。
今のエリシアは、まだロジェリオと出会っていない。だから一番にすべきなのは、彼と出会わないようにすることだ。
あの男は――犯人は、エリシアを望まぬ婚約者、つまりロジェリオから救い出すためだと言って毒を盛った。エリシアが婚約をしなければ、ロジェリオが殺されることはないはずだ。
そしてもちろん、『エリシアと愛し合っていた』などというありえない勘違いを起こさせないために、弟のヴィクトルと執事のザカリアスとは距離を置かねばならない。
「……どっちだったのか、思い出せたらいいのに」
額を押さえて考えるものの、頭の中に白い靄がかかったように思い出せない。
最愛の人を失った悲しみと、信頼していた人物の裏切りに、エリシア自身も大きなショックを受けたせいなのだろう。
身支度を終えたエリシアは、どくどくと激しく打つ鼓動を感じながら、ゆっくりと食堂へと向かっていた。
ヴィクトルとザカリアスの顔を見れば、何か思い出すだろうか。こんなにも鼓動が速いのは、愛する人を殺した相手と対峙することへの恐怖なのだろうか。
食堂には、すでに家族全員がそろっていた。仲睦まじい両親と、弟。そして、執事も隅に控えている。どうしても顔を見ることができなくて、エリシアは視線を下げたままうつむいた。
「お……はようございます」
振り絞った声は、必死に平静を装ったものの微かに震えていた。両親には気づかれなかったようで、穏やかな返事が返ってくる。
思い切って顔を上げると、すぐそばに弟と執事の姿があった。どちらもエリシアを見つめていて、それがたまらなく恐ろしい。
「……っ」
「姉さん?」
血の気が引いて、ふらりとよろめいた身体を支えてくれたのは、弟のヴィクトルだった。小さかった弟はいつの間にか大きくなり、エリシアよりも背が高い。あの惨劇の記憶の中、見上げたのはヴィクトルだっただろうか。
「顔色が悪いな。ダナが心配していたけど、体調がよくないんじゃないか?」
「へ、平気。ちょっと眩暈がしただけよ。離してくれる?」
必死に口角を上げて、エリシアはヴィクトルから距離を取る。彼は心配そうな表情で、エリシアが椅子に座るまで見守ってくれた。
さっきヴィクトルの手が触れた場所を、エリシアはどうしても意識してしまう。
本当の弟だと思って接していたけれど、彼はもしかしたらエリシアのことを女性として見ていたのだろうか。
それに記憶の中にある弟よりも、なんだか距離が近いような気がする。
こちらをうかがう視線がどうにも落ち着かなくて、エリシアは窓の外を見つめるふりをして視線を逸らし続けていた。
「エリシアお嬢様、紅茶をどうぞ」
目の前に、ことりとカップが置かれる。穏やかな低い声の主は、執事のザカリアスだ。
「あ、ありがとう」
顔を見ることができず、エリシアはうつむいたまま早口で礼を言う。いつも『お嬢様』と呼んでくれる彼が、エリシアのことを親しげに呼び捨てにしたのだろうか。
考えても全く分からないものの、寒くもないのに肌はずっと粟立っている。
口から飛び出してきそうなほど速い鼓動をなんとか落ち着かせたくて、エリシアはゆっくりとティーカップに手を伸ばした。
ソーサーから持ち上げようとした瞬間、ふわりと爽やかな香りが鼻をくすぐった。柑橘を使った、紅茶の香り。
それを嗅いだ瞬間、エリシアの手からカップが滑り落ちた。ほとんど持ち上げていなかったので割れることはなかったものの、かしゃんと高い音が響く。
急激な吐き気に襲われたエリシアは、口元を押さえて小さく呻いた。
「……っ、う」
「お嬢様、どうなさいましたか」
心配そうな声で、ザカリアスがエリシアの肩に触れる。隣では、ヴィクトルも腰を浮かせていた。
だがエリシアはその場で震えていることしかできなかった。
この紅茶は、ロジェリオが亡くなった時に飲んでいたのと同じものだ。
エリシアはこの紅茶を気に入っていて、特に朝食時に飲むことが多かった。だから、今日ここで提供されることは何もおかしくはない。
それでも、エリシアの記憶ではついさっき、ロジェリオがこの紅茶を飲んで亡くなったのだ。
「姉さん、大丈夫? やっぱり体調が」
「エリシアお嬢様、大丈夫ですか?」
「触らないで……!」
差し出された二人の手を、エリシアは全力で振り払った。驚いた顔を見せる二人に、構う余裕なんてない。視線を下に向けたまま何度か深呼吸を繰り返して、必死に吐き気を堪える。
「ごめんなさい、体調が優れないみたい。部屋に戻るわ」
「でしたら、お部屋までお送り……」
「必要ないわ。少し休めば、よくなると思うの」
自室までのほんのわずかな距離でも、ザカリアスと二人きりにはなりたくない。もちろんヴィクトルに送ってもらうのも嫌だ。
大丈夫だからと繰り返し、エリシアは逃げるように食堂を後にした。
自室に戻り、ベッドの上に倒れ込んでエリシアは目を閉じる。彼らから離れたことで、吐き気も治まったようだ。
「まさか、二人が共謀していた……なんてことも、あるのかしら」
つぶやいてみても、それは違うような気がする。
あの男は、エリシアをどこかに連れて行こうとしていた。『愛するエリシア』をどこかに閉じ込めて、二人だけで暮らそうと考えていたようなので、誰かの手を借りるとは考えにくい。
「ヴィクトルが犯人だとしたら、使用人であるザカリアスは従うかしら。でも、その前にお父様へ報告が上がるわね。ザカリアスが犯人だとしても、ヴィクトルが協力するとは思えないし……。やっぱり、共謀説はないわね」
ため息をついて、エリシアはゆっくりと身体を起こす。あらためて胸元を確認すれば、やはりそこには傷跡がある。
「どちらにしても、二人と距離を置くしかないわ。万が一にも、愛し合っていたなんて勘違いを起こさせないように」
決意を込めてつぶやき、エリシアは拳を握りしめた。
そして、深い息を吐いて頭を抱える。
「ロジェリオと出会ったのは、私が十九の誕生日を迎えて最初に参加した夜会だったわ。私はそこに、絶対に出席してはならない。どんな理由をつけてでも、欠席しなくちゃ」
エリシアがロジェリオと出会わなければ、彼が死ぬという未来を変えられる。
――そのせいで、彼が別の人と出会っても。
心の中でつぶやいて、エリシアは滲んだ涙を堪える。
公爵家令息であるロジェリオは、見た目も地位も申し分ない。多くの女性が彼に憧れていたことは知っているし、その中から誰か素敵な人と出会うだろう。
愛する人が生きていてくれるなら、その隣にいるのが自分でなくても構わない。




