運命を乗り越えた先に
ザカリアスを連れて騎士団が引き上げていき、エリシアはロジェリオと共に病院へ戻ることにした。
ロジェリオは激しく動いたためか傷口が開いているので処置が必要だし、エリシアはザカリアスに薬を嗅がされて昏倒している。悪いものではないだろうとのことだけど、念のために検査を受けることになったのだ。それに無我夢中で気づかなかったものの、枷に繋がれていた手首は傷だらけで、血が滲んでいた。
ヴィクトルは一度家に戻って、両親に事情を説明してくるとのことだった。信頼していた執事が罪を犯したことを知ったら、父親はどれほどショックを受けるだろうかと、エリシアも暗い気持ちになった。もちろんザカリアスのしたことを、許す気にはならないけれど。
手当てを受け、エリシアはロジェリオの病室へ向かう。彼も傷の処置を受け、落ち着いたようだ。
「シア……。無事で、本当によかった」
あらためて向かい合い、ロジェリオはエリシアを抱きしめる。ようやく全てが終わったような気がして、エリシアはロジェリオの背に腕を回した。頬を彼の胸に寄せれば、力強く打つ鼓動を感じられる。ロジェリオの死を回避できたこと、そしてエリシアも無事でいられたことに安心して、思わず吐息が漏れた。
「リオの顔を見て、本当に安心したの。助けに来てくれて、本当にありがとう」
「礼なんて……。危険な目に遭わせたことは確かだし、俺はシアに謝らなければならない」
ロジェリオの声は、微かに震えている。彼が罪悪感を抱く必要はないのにと思いつつ、エリシアは広い背中をそっと撫でた。そして、耳の裏を見せるように自らの髪を軽くかき上げてみせた。
「きっと、リオがくれたこの印が、私を守ってくれたの。これを見てザカリアスはすごく怒っていたけど、そのおかげで私は唇を奪われずにすんだもの」
頬を撫でられるだけでもあんなに不快だったのだ。口づけなんてされていたら、今頃ロジェリオの顔を見ることなんてできなかっただろう。
「怖い思いをさせたのは間違いないけれど、少しでもシアを助けられたのならよかった……」
うなずいて、エリシアはぎゅっとロジェリオに抱きつく。それから彼の顔をじっと見上げた。
「もう恐ろしい未来はないと信じていいのよね。私たち、幸せになれるわよね……?」
「あぁ、絶対に幸せになれる。俺が、シアを幸せにするよ」
揺るぎない声でロジェリオが答えてくれることが嬉しい。お互いの視線が絡まり、同じことを考えているのが分かった。
微笑んでゆっくりと目を閉じれば、柔らかく唇が重ねられた。
想いを伝えあうように何度もキスをして、エリシアは再びロジェリオの胸に頬を押し当てた。さっきよりも微かに速くなった鼓動は、交わしたキスのせいだろうか。
そっと髪を撫でてくれるロジェリオの手を心地よく思いながら、エリシアは自らの胸にそっと手を当てた。
「ねぇ、リオ。今日もここに愛の証をくれる?」
上目遣いで見つめると、ロジェリオは微かに頬を赤くしてうなずいた。
「あぁ、もちろん」
その言葉に微笑んで、エリシアはドレスの胸元を軽く引き下げる。白い肌に浮かぶ赤い痕は、一昨日よりも少し薄くなっていた。
それを愛おしそうに指先で撫でて、ロジェリオは唇を押し当てた。強く肌を吸われる甘く切ない痛みに、エリシアは小さく唇を噛んで耐える。
唇を離したあと、ロジェリオはエリシアを強く抱き寄せた。
「シア、愛してる。これからもずっと、こうして痕を残させて」
「私も愛してるわ、リオ。ここだけじゃなくて、もっとたくさん愛しているって証を残して。私が全てを捧げたいと思うのはリオ、あなただけなの」
「俺も――俺の全てでシアを愛すると誓うよ。もう絶対に、離さない」
その言葉通りの、想いを込めた強い抱擁に、エリシアは心からの幸せを感じていた。
◇
その後、ロジェリオの退院と同時にエリシアは公爵家へ移り住むこととなった。公爵家の離れで、ロジェリオと共に暮らすのだ。離れといってもさすがは公爵家、エリシアの実家であるファリノス家の屋敷よりももっと立派だ。
ザカリアスの脅威はなくなったものの、実家にいると執事のことを思い出してしまうだろうからと、ロジェリオはエリシアが家を出ることを強く主張したのだ。
エリシアの両親は、自分の家の使用人がロジェリオの事故を仕組んだと知って青ざめ、責任を取るために爵位の返上を申し出ようとした。
だけど、そうなるとエリシアがロジェリオと結婚することが難しくなるため、馬車の事故原因に関しては公にせず、内々で処理をすることとなった。ロジェリオが「公爵家の力というのは、こういう時に使うものだ」と言っていたから、騎士団にも根回しをしたのだろう。
もちろん信頼していた執事がまさか娘に歪んだ想いを抱き、誘拐するなんて思ってもいなかった両親は、酷くショックを受けていた。特に、ザカリアスを取り立てた父親は、自分が彼に声をかけなければこんなことにならなかったのにとかなり落ち込み、夜も眠れていないようだった。身分を気にしない父親の優しさを仇で返される形となったが、ヴィクトルが慰めつつ何度も話をしたことで少しずつ前を向いているようだ。
ザカリアスは未だに、エリシアの名を呼んでは「二人は愛し合っていた」と言い続けているらしい。現実を受け入れることができず、自らの妄想の中に閉じこもることにしたのかもしれない。
貴族を襲うことは大罪とされており、ザカリアスは終身刑を言い渡された。公にはされなくても、公爵令息であるロジェリオの命を狙ったことが大きかったのだろう。この国には死刑制度がないため、彼は死ぬまで牢獄で過ごすことになる。
エリシアやヴィクトルの身に起きた死に戻る現象が、ザカリアスにも起こるかどうかは分からない。それでも万が一死に戻って未来を変えられては困るという理由から、自ら命を絶つことがないようザカリアスには厳重な監視がつけられるという。
アルベルダ公爵家に移り住んだエリシアは、部屋でゆっくりと本を読んでいた。うしろでエリシアの髪を丁寧に梳いているのは、侍女のダナだ。彼女は引き続きエリシア専属の侍女として、公爵家についてきてくれたのだ。
公爵夫妻はエリシアを可愛がってくれるし、公爵家の使用人たちも皆エリシアを受け入れてくれている。それでも慣れない環境の中で、ダナの存在は心強いものだった。
「さぁ、そろそろおやすみになる時間ですよ」
うしろから、ダナがそう声をかけてくる。微かに騒ぐ胸に気づかないふりをして、エリシアは読んでいた本を閉じた。
就寝の挨拶をして下がっていくダナを見送り、エリシアは部屋の中にあるドアへ視線を向けた。そのドアの向こうは、夫婦の寝室だ。寝室を挟んだ反対側には、ロジェリオの私室がある。
まだ結婚式を挙げたわけではないから、初夜というわけではない。だけど恐らく今夜、ロジェリオはエリシアを抱くつもりだろう。エリシアもそのつもりで、心の準備をしている。
身に纏う寝衣は扇情的なデザインではないものの、着脱しやすい前開きだ。普段とは違うデザインの寝衣を差し出してきたダナは、今夜のことを理解しているのだろう。入浴時にも、ダナはエリシアの身体を念入りに磨き上げてくれたから。
鼓動が速くなっていくのを感じながら、エリシアはゆっくりと寝室に繋がるドアを開けた。静かに開いた扉の向こうは、明かりを落としていて薄暗い。
だけど、ベッドの上にロジェリオが腰を下ろしているのははっきりと見えた。
顔を上げた彼と目が合って、エリシアの胸がいっそう大きく跳ねる。
「……シア、おいで」
微笑んだ彼に手を差し伸べられて、エリシアはそっと足を踏み出した。




