届かない手紙
ロジェリオと共にいつものサロンに行き、エリシアがお茶を淹れる。そこへザカリアスが茶菓子を持ってやってきた。エリシアの好物であるマカロンだが、もちろん手をつける気にはならない。
「尋ねたいことがあるんだが」
テーブルに菓子の載った皿を置いたザカリアスに、ロジェリオが声をかける。執事らしい丁寧な動作で、ザカリアスはスッと姿勢を正した。その顔にはいつもと変わらぬ穏やかな笑みが浮かんでいて、動揺など微塵も感じさせない。
「はい。なんなりと」
「この一週間の間に、エリシアへ三通の手紙を送ったはずなんだが、届いていないだろうか?」
「手紙――ですか。申し訳ありません、先週も今週も、エリシアお嬢様に宛てたお手紙は届いておりませんでしたが……」
軽く首をかしげたザカリアスは、最近受け取った手紙について思い返している様子だ。父親や弟に宛てた手紙が届いていたのは、エリシアも覚えている。
「今一度、詳細を調べてまいりましょうか?」
「あぁ、そうだな。時に郵便事故が起こることはありえるだろうが、こうも連続すると心配でね」
ロジェリオの言葉に、ザカリアスは一礼してサロンを出て行った。その姿を見送って、ロジェリオが小さくため息をつく。そしてエリシアの腰に腕を回して抱き寄せた。
「シアの言う通り、あの男は何かを企んでいそうだ」
抱きしめて愛を囁くふりをしながら、ロジェリオが耳元でこそりとそんなことを言う。壁際に控える侍女に聞かれるわけにはいかないので、エリシアは婚約者との甘い触れ合いをしていると装うことにする。
「手紙のことを聞いた時、ほんの一瞬だけ苛立ったような顔をした。あいつが手紙を握り潰したのかもしれないな。今頃、言い訳を考えてるんだろう」
「私が返事をしないことで、仲違いすると思ったのかしら」
「そうかもしれないな。俺がシアを嫌うことなんて、絶対にないのに」
肩をすくめつつ、ロジェリオはエリシアの髪を一房指に絡め、そっと口づけた。
そこに、執事が戻ってきた。彼は手帳を取り出して、ここ数週間の間に届いた手紙についての記録を確認する。
「やはり、エリシアお嬢様へのお手紙は、一通も届いておりませんでした。ただ、少し気になる噂を耳にしたのを思い出しまして」
「噂?」
ロジェリオが促すと、ザカリアスはうなずいた。
「近頃、山道で盗賊に荷馬車が襲われる被害が多発しているらしいのです。その中には、郵便配達の馬車も含まれていたとか。もしかしたらお嬢様宛の手紙は、その被害に遭ったのではないでしょうか」
「盗賊……ねぇ。確かに被害が出ているという話は聞いたことがあるが」
腕を組んで、ロジェリオは低くつぶやく。エリシアへの手紙だけ狙ったように届かないなんて不審でしかないのだが、ザカリアスが握り潰したという証拠もない。
「その影響で到着が遅れているという可能性もありますから、もしもお手紙が届いた際にはすぐにお嬢様にお届けいたしますよ」
にっこりと笑った執事の言葉に、エリシアは黙って目を伏せる。ロジェリオはまるで見せつけるようにエリシアを強く抱き寄せた。
「手紙にはエリシアへの愛をたっぷり綴ったのに、読んでもらえないのは残念だな。でも、こうして直接愛を囁ける方がいいか」
「でも、お手紙も欲しかったわ。きっと宝物になったもの」
「これからも、何通だって書くよ。今度はきっと、ちゃんと届くことを祈ろう」
後半はまるで執事に聞かせるように言って、ロジェリオはエリシアの額にそっと唇を押し当てた。そして、黙って笑顔のままじっと見守っているザカリアスを冷たい目で見上げる。
「エリシアとゆっくり過ごしたいから、外してくれるかな。心が狭い自覚はあるが、俺と一緒に過ごす時には別の男の姿をエリシアの視界に入れたくないんだ。たとえそれが、使用人であってもね」
「かしこまりました。では、失礼いたします」
ザカリアスは綺麗なお辞儀をして部屋を出て行ったが、ドアが閉まる直前に見えた横顔は、凍りつくほど冷たかったような気がした。
背筋が寒くなり、思わず両腕をさすったエリシアの肩を、ロジェリオがそっと抱いてくれる。
「エリシア、おいで」
優しい声に引き寄せられるように、エリシアは彼に身体を預けた。胸に手を当てれば、力強く打つ鼓動が感じられる。不安に押し潰されそうな日々を過ごしているけれど、ロジェリオの鼓動を感じるとエリシアは安心できる。
「やっぱりシアのことが心配だ。なるべく早く、一緒に暮らしたい」
耳元で囁かれた言葉に、エリシアは眉尻を下げてうなずく。
「私も、できることならそうしたいけど……。婚約しているとはいえ、挙式もしないうちから一緒に住むのは難しいと思うわ。伝統を重んじる公爵家なら、なおさらね」
「シアを危険な目に遭わせるくらいなら、そんなこと構っていられない。なんとか両親を説得してみるよ」
真剣な口調でロジェリオはそう言ってくれるものの、現実的には難しいだろうとエリシアは考えていた。
この国では、新婦が嫁ぐ時は専用の馬車に乗って新郎のもとへ向かうという風習がある。馬車は新郎側が用意することが一般的で、花嫁の乗った馬車は、街の人々からも祝福を受けながら花婿のもとへと向かうのだ。
ロジェリオの両親は、公爵家の威信をかけて立派な馬車を用意するつもりだと言っていた。それを中止させることなんて、たとえ息子のロジェリオが望んだって無理だろう。
もちろんエリシアの両親だって、娘が公爵家に嫁ぐのだということを大々的に喧伝できるのだから、楽しみにしているのだ。
結婚式は、かつてと同じようにエリシアの二十歳の誕生日に行う予定で、まだ数か月先だ。
気の抜けない日々を耐えるしかないのだと、エリシアはため息をついた。
◇
手紙のことがあって以来、ロジェリオは以前より頻繁にエリシアのもとを訪ねてくれるようになった。それはとても嬉しいことなのだけど、彼が無理をして時間を作ってくれていることが分かるから、心苦しくもある。どうやら仕事を自宅に持ち帰ったり、早朝から出勤したりしているようなのだ。彼は明らかに寝不足の疲れた顔をしていて、エリシアは心配でたまらない。
今日は、執事のザカリアスは父の供として出かけている。彼がいないだけで、エリシアの緊張感も段違いに薄れる。
久しぶりに侍女も下がらせて、サロンで二人きりだ。もちろん使用人を呼ぶためのベルは、すぐ手が届く場所に置いてあるし、お茶や菓子への警戒は怠らない。
「リオ、どうか無理はしないで。私なら、大丈夫だから」
エリシアは、ロジェリオの頬にそっと手を触れた。顔色が悪く、以前よりも頬がこけたような気がする。目の下には、濃い隈ができていた。自分よりもやつれた様子を見ると、胸が苦しくなる。
ロジェリオはエリシアの手を握りしめると、指先に唇を押し当てた。そして柔らかな笑みを見せる。
「俺のことは気にしなくて大丈夫だ。シアと一緒にいられたら、それだけで疲れが癒える。俺がシアに会いたいから、こうして訪ねてきているんだよ」
「もちろん、私もリオに会えるのは嬉しいわ。でも、すごく疲れた顔をしているから心配なの」
「シアに会えなかったら、俺はもっと元気がなくなってしまうよ」
そう言って、ロジェリオはエリシアを抱きしめると首筋に顔を埋めた。首元を掠める吐息に、鼓動が少し跳ねる。
しばらくその体勢でじっとしたあと、ロジェリオはゆっくりと身体を起こした。その顔は、さっきよりも赤みが増したように思う。
「……早く一緒に暮らしたいな。ずっとシアと一緒にいたい」
「私も、同じ気持ちよ」
心からそう言ってうなずくと、ロジェリオは嬉しそうに頬を緩めた。そして、ジャケットの胸元に手を入れると小さな箱を取り出した。
「今日は、シアにこれを贈りたくて来たんだ。昨日、工房から完成したとの連絡をもらってね、すぐにシアに見せたいと思ったから」
「何かしら」
「開けてみて」
促されて、エリシアはゆっくりと箱の蓋を開ける。中を確認した瞬間、エリシアは目を見開いて息をのんだ。
「これ……!」
「気に入ってもらえた?」
エリシアの反応を見て、ロジェリオもどこか満足げだ。小さな箱の中に収められていたのは、かすみ草をモチーフにした金色のピアスだった。
前世でも彼から贈られた、大切な思い出のピアス。今世でもロジェリオは、同じものを工房に依頼してくれたのだと思うと、嬉しくて涙があふれる。
「嬉しい……。大好きな、かすみ草のピアス……」
「もしかしたら、前の俺も同じものをシアに贈ったかな」
顔をのぞき込まれて、エリシアは小さくうなずく。ロジェリオはやっぱりと言いたげな表情になった。
「何度人生を繰り返したとしても、出会った場所や時間が違っても、俺は必ずシアに惹かれる。だってエリシアは、俺にとって運命の人だからね」
「私もきっと、何度でもリオを愛するわ」
滲んだ涙を拭って、エリシアは笑った。どんなに避けようとしても、エリシアはロジェリオと出会ってしまった。それを運命と呼ぶのなら、二人の出会いは運命に定められているのだろう。
「おいで、シア。ピアスを着けてあげる」
囁くように言われて、エリシアはロジェリオに身体を寄せた。エリシアの手からピアスを取ろうとしたロジェリオは、指先を滑らせたのかピアスを落としてしまう。それを見た瞬間、エリシアの脳裏に恐ろしい記憶がよみがえった。
「あ……っ、ごめん。金具が緩んだかな」
慌てて拾い上げたロジェリオは、ハンカチでピアスを丁寧に拭う。そしてあらためてエリシアに向き直った彼は、怪訝そうな顔になった。
「……シア? どうして、泣いてるの」
「っ、ごめんなさ……っ」
涙を拭うものの、あとからあとからこぼれ落ちて止まらない。さっきまであんなに幸せだったのに、今のエリシアは恐怖と絶望に支配されている。
ロジェリオからもらったピアスは、本当に嬉しかった。だけど彼がピアスを落とした瞬間、思い出してしまったのだ。あの惨劇の直前、二人で参加した夜会でも、同じようにこのピアスを落としたことがあった。今となって思えば、あれは恐ろしい未来の予兆だったのではないか。
そう思うと、再び恐ろしい未来が待っているような気がして、怖くてたまらない。もう二度と、ロジェリオを失いたくないのに。
「……今が幸せであればあるほど、怖くなるの。やっぱり、未来は変えられないんじゃないかって……」
震える声でそうつぶやいたエリシアを、ロジェリオは強く抱きしめてくれた。エリシアは彼の胸に頬を寄せて、必死に鼓動を感じ取ろうとする。
「大丈夫だって、信じたいの。でも、怖い……。やっぱり私は、リオと出会うべきじゃなかったのかもしれないって、思って……っ」
「お願いだから、そんなこと言わないで、シア。俺はシアと出会えたことを心から嬉しく思っている。今、一緒に過ごせていることを本当に幸せに思っている。シアと出会わなければ、俺の人生にはなんの彩りもなかったよ」
「私も、リオがいないと生きていけない……。だからこそ、失いたくないの」
「シアの知る恐ろしい未来は、絶対に訪れない。未来は、絶対に変えられる。シアは俺と、幸せになりたいって言ってくれただろう」
ロジェリオは、エリシアの耳元で何度も言い聞かせるように囁く。抱きしめてくれる腕のぬくもりと、頬に感じる彼の鼓動、そして優しい声にエリシアは少しずつ落ち着きを取り戻した。
「リオ……。キスを、して。あなたのぬくもりを感じていたら、大丈夫だと思えるから」
小さな声でそう願うと、ロジェリオはもちろんとうなずいてくれた。
優しく頬を撫でられ、エリシアは目を閉じる。彼の指が、まだ涙の残る目蓋をそっと撫でてくれた。
ゆっくりと重なった唇に、思わず吐息が漏れる。この甘く幸せなキスに、永遠に溺れていたい。
ロジェリオは、唇だけでなく頬や額、そして目蓋にもいくつもの口づけを落としていく。彼の頭を抱きしめるようにしながら、エリシアは片手でドレスの胸元をほんの少し引き下げた。
「っシア」
「お願い。ここにも、キスをして。あなたのものだという証を、ちょうだい」
露出した肌を見て小さくロジェリオが息を飲むのが分かったが、エリシアは彼が何かを言う前に自らの希望を口にした。
かつてはここに、たくさんの赤い痕を刻んでもらっていた。目にするたび、それがロジェリオに愛されている証のような気がして幸せだった。
それがあれば、この恐怖にも耐えられるような気がした。
「……お願い、リオ」
囁くと、小さく唾を飲み込んだロジェリオが、黙ってうなずいた。
彼の指がドレスを引き下げ、胸元に唇を寄せる。最初は躊躇うように、触れるだけの口づけ。何度か肌を啄んだあと、ちくりとした痛みを与えられたのが分かった。
「……っん」
痕をつけてもらえたことが分かり、エリシアの身体が喜びに震える。微かに漏れた声を聞いて、ロジェリオも肩を震わせたような気がした。
ちゅ、と小さな音を響かせて、唇が離れていく。視線を落とせば、胸元に小さな赤い華が咲いていた。指先でそっとなぞって、エリシアは微笑む。
「ありがとう。これを見れば、いつだってリオのことを思い出すわ」
「じゃあ、消えてしまう前にまた痕をつけなくちゃならないな」
耳元で息を吹き込むように囁かれて、エリシアは跳ねた鼓動をなだめるように胸に手を当てながらうなずいた。




