歪んだ想い
ヴィクトルもエリシアと同じく死に戻っていること、そしてロジェリオに毒を盛ったのが執事のザカリアスであることが判明した。
警戒すべき対象が分かったことと、同じ経験をした人がそばにいるというのは大きい。
弟の助言通り、ザカリアスとの接触を極力減らすようにしているものの、彼はこの家の全てを取り仕切る男だ。全く顔を合わせないというのは不可能だった。
朝食を終えたエリシアは、ゆっくりとお茶を飲むふりをしながら食堂で時間を潰していた。今日は、友人と外でお茶をする予定だ。早く自室に戻って支度をしたいのだけど、この時間はザカリアスが廊下にいる確率が高い。遭遇を避けるためには、もう少しここにいる必要があるのだ。
普段はヴィクトルが一緒に部屋まで行ってくれるのだけど、今日は朝一番に試験があるからとすでに家を出ている。
とはいえのんびりしていたら、約束の時間に間に合わなくなってしまう。会わないことを内心で祈りつつエリシアは渋々立ち上がった。
誰もいない廊下を足早に歩き、自室の前にたどり着いたところで声をかけられた。エリシアは小さく息をのむものの、平静を装って振り返る。
「エリシアお嬢様」
「……何かしら」
「本日は、ご友人とお出かけの予定でしたね。よければお送りいたしましょうか」
穏やかな笑みを浮かべて話しかけてくるザカリアスは、傍目には不審なところは全くない。その内側に狂気を秘めているなんて、誰に言っても信じてもらえないだろう。
だけどロジェリオを殺したのは、この男なのだ。
エリシアは声が震えないよう意識しながら、口を開いた。
「必要ないわ。今日はお天気もいいし、歩いていくつもりだから」
「そうですか。ではお嬢様が愛用の、白い日傘を用意しておかねばなりませんね」
にこやかにそう言って、ザカリアスはエリシアのあとをついてくる。部屋に入られるのが嫌で、エリシアは思わず執事の顔を見上げた。
「今から着替えるつもりなの。出て行ってもらえるかしら」
「これは失礼いたしました。お嬢様のアクセサリーの手入れが終わりましたので、お持ちしたところだったのです」
よく見ると、ザカリアスが手にしたトレーの上にはいくつかのアクセサリーが並んでいた。それは間違いなく、エリシアのものだ。以前から彼がエリシアや母親のアクセサリーの手入れをしてくれていたことは知っている。だけど、今になってそれがとてつもなく気持ち悪く感じてしまう。
「あとでダナに片付けてもらうから、そこに置いておいて。……着替えを、するから」
念を押すようにそう言うと、ザカリアスはすぐに部屋を出て行った。しっかりと閉めたドアに背中を預けて、エリシアは目を閉じる。
自分が身につけるものを、ザカリアスが触っていると思うだけで不快だ。気に入っていたアクセサリーだけど、もう使えそうにないとエリシアはため息をついた。
外出から帰ると、いつも出迎えてくれるはずのザカリアスの姿がなかった。何か用事でもこなしているのだろうと、顔を合わせずに済んだとホッとしながら自室に戻ろうとしたところ、部屋の中に人の気配がした。
ダナはお茶の準備をしてくると言って厨房へ行ったはずだから、ここにいるわけがない。
震える手でドアを開けたエリシアの目に飛び込んできたのは、部屋の中で何かを握りしめて佇むザカリアスの姿だった。
「……っ、何をしているの」
あがりかけた悲鳴を堪えて声をかけると、彼はにこりと微笑んでエリシアを見た。その顔には悪気など全くない。
「あぁ、お帰りになったのですね、お嬢様。お出迎えができず、申し訳ありません」
「わ、私の部屋で何をしていたかと聞いているのよ」
「お嬢様の大切なハンカチが、手違いで奥様のお部屋に行っていたようなのです。それをお届けに来ただけですよ」
笑顔で差し出されたハンカチは、確かにエリシアのものだ。かすみ草の刺繍が施された、お気に入りのハンカチ。だけど、ザカリアスの行動の全てが怪しく思えてしまって、素直に受け取ることができない。
「ハンカチはそこに置いておいて。それと、私が不在の間に勝手に部屋に入られるのは嫌だわ」
「失礼いたしました。以後、気をつけます」
深く頭を下げて、ザカリアスは部屋を出て行った。扉が閉まる直前、嬉しそうに唇を歪めた顔が見えたように思うが、気のせいだと必死に言い聞かせる。
テーブルの上に置かれたハンカチは、微かに皺が寄っていた。ザカリアスが握りしめていたせいだと気づくと、触ることすら嫌になる。
「……もう、無理」
顔を覆って、エリシアは震える声で吐き出した。ザカリアスの行動全てが怪しく思えて、怖くてたまらない。
安心できるはずの自室でさえ安全ではないような気がして、エリシアはその場にうずくまって頭を抱えた。
「姉さん、顔色が悪いけど……大丈夫?」
「え、えぇ……。平気よ。ちょっと寝不足なだけ」
「うん、隈ができている。昼間でも、無理せず休んだ方がいいんじゃないかな」
エリシアの顔をのぞき込んで、ヴィクトルは心配そうに眉尻を下げる。最近は、家にいる時はヴィクトルがなるべく一緒にいてくれる。今も二人で、意味もなくお茶を飲んでいた。彼には学業だってあるのに、エリシアの不安を解消するためそばにいてくれるのだ。弟の気遣いをありがたく思いながらも、申し訳ない気持ちでいっぱいだった。
そこに、ザカリアスが顔をのぞかせた。彼の姿を見た瞬間に、ヴィクトルは背筋を伸ばして警戒した様子になる。エリシアは痛いほどに早鐘を打つ鼓動を感じて、思わず胸に手を当てた。
「ヴィクトル様、こちらにいらしたのですね。旦那様がお呼びですよ。先日の試験の結果について聞きたいと」
「……分かった」
渋々といった様子で、ヴィクトルがうなずく。ザカリアスはヴィクトルを案内するため一緒に部屋を出るのかと思いきや、笑みを浮かべてエリシアに近づいてきた。
「お嬢様は、まだこちらでお茶を楽しまれますか?」
「い……いいえ、私も部屋に戻るわ」
「でしたら、お送り――」
ザカリアスが言いかけた瞬間、ヴィクトルがエリシアの腕を引いた。
「姉さんも行こう。途中までは一緒だろう」
「そうね」
弟の助け舟に内心で感謝しながら、エリシアは彼に続いて部屋を出る。
二人を見送る執事は、黙って微笑んでいる。だけど、ヴィクトルに向ける視線に微かな苛立ちがまじっているように思えて、エリシアは背筋がぞっとするのを感じていた。
◇
数日後、夕食の席でザカリアスがヴィクトルのグラスに水を注ぎながら「そういえば」と何かを思い出したような声をあげる。
「ヴィクトル様は本日も食後に、エリシアお嬢様とお茶をされますか?」
「……そのつもりだけど」
「かしこまりました。では、用意をしておきましょう。最近のヴィクトル様は、お嬢様と仲がよろしいようですね。毎晩ご一緒ですもんね」
突然何を言い出すのかと思っていると、父親が首をかしげてヴィクトルとエリシアを見た。
「なんだ、おまえたち。毎晩一緒にお茶を飲んでいるのか」
「別に大したことはしてない。ただの家族団らんだよ」
淡々とした口調でヴィクトルが返すものの、父親の顔は渋い。
「ヴィクトル、おまえは学業だってあるだろう。次の試験も迫っているんじゃなかったか。団らんも悪くはないが、勉強がおろそかになるのは困るぞ」
「成績は落としてないよ」
そう言ったヴィクトルに、ザカリアスも笑顔で同意する。
「旦那様、お二人の仲がいいのは結構なことじゃないですか。ヴィクトル様は、お嬢様のことが大好きなんですよ。ねぇ?」
「もちろんそれは分かっているが、ヴィクトル、おまえは少し姉離れをしなさい。エリシアはもうすぐ結婚するんだから。あまりべったりな弟がいるなんて思われて、公爵家の印象が悪くなったら困るだろう」
父親はとにかく、公爵家との縁を逃したくないようだ。そのために弟を排除するよう話題を操作したザカリアスに、エリシアは内心で苛立ちを募らせる。
「っ、だからこそ今のうちに色々な話をしておきたいのよ。結婚して家を出たら、ヴィクトルとゆっくり話す時間なんて持てなくなるもの」
「まぁ、エリシアの気持ちも分かるが……。とにかく、今夜は二人とも部屋に戻りなさい」
そう促されて、エリシアは仕方なくうなずいた。視界の隅で、ザカリアスが嬉しそうに口の端を引き上げたのが見えて、背中に冷たいものが走った。




