花束と手紙
「お帰りなさいませ、エリシアお嬢様」
ロジェリオを振り切って帰宅したエリシアを出迎えたのは、執事のザカリアスだった。もしかしたら彼がロジェリオを殺したのかもしれないと思うと、顔を見ることすら嫌な気持ちになる。執事の視線を避けつつ、エリシアは言葉少なに自室へと戻ろうとした。
だがそんなエリシアのあとを、ザカリアスが追いかけてくる。
「旦那様が、夜会での話をぜひ聞きたいと」
「……話せるようなことは、何もなかったわ」
「恐らくそれは建前で、旦那様はお嬢様との時間を過ごしたいのだと思いますよ」
優しげな声で、ザカリアスは親子の時間を持つようにと促してくる。確かにこれまでのエリシアなら、こういう時は両親に出先でのことを報告していた。
内心でため息をつき、エリシアはうなずいた。
「分かったわ。お茶を淹れてくれる?」
「かしこまりました。お嬢様の好きな、薔薇の香りの紅茶にいたしましょう」
執事は家族全員の好みを熟知している。それは当然のことなのに、あえてエリシアの好みに合わせると念押ししてくるようなザカリアスの言葉が妙に不快だ。
きっとロジェリオと出会ったことで精神的に不安定になっているのだろうと思いつつ、エリシアは黙って父の待つ居間へ向かった。
部屋の中には、両親のほかに弟のヴィクトルの姿もあり、エリシアは思わず足を止める。弟は父と領地運営について話すことも多いから、一緒にいることも不思議ではない。だけど、顔を見るだけで胸の奥がどこかざわつく。未だに思い出すことのできない犯人は、弟なのだろうか。
「エリシア、帰ったか。どうだった、いい出会いはあったか?」
「ただいま戻りました、お父様。ですが、特に何もありませんでした」
ロジェリオと出会ったことは、話すつもりはない。彼と踊ったことが噂になるかもしれないけれど、その時はあの場限りだったのだと言うしかないだろう。もう二度と、会うつもりはないのだから。
ソファに腰を下ろすと、斜め向かいに座ったヴィクトルがじっとエリシアを見つめていた。決して目を合わさないようにと、意識して父親の方を向いていると、ヴィクトルが軽く身を乗り出した。
「姉さん、少し顔色が悪く見えるけど。夜会で何かあったんじゃないの?」
「な、何もないわ。人が多かったら、少し疲れてしまっただけよ」
「ふぅん。夜会に参加すれば出会いがあるかと思っていたけど、そうでもないんだね」
「ヴィクトルも、卒業したら本格的に夜会へ顔を出さねばならないからな。今のうちにエリシアのパートナーとして参加しておくのもいいかもしれない」
父親のとんでもない提案にエリシアは内心ひやひやとしていたけれど、ヴィクトルは興味がなさそうに「考えておく」とだけ言っていたのでほんの少しだけホッとする。ロジェリオを殺したのが弟か執事か分からない今、彼らと二人きりになる環境はできるだけ避けたい。
翌日、夜会の疲れからかいつもより寝坊してしまったエリシアは、欠伸を噛み殺しながら食堂へと向かっていた。
前から誰かが歩いてくると思ったら、執事のザカリアスだ。彼は何故か、大きな花束を抱えている。
「おはようございます、エリシアお嬢様。お嬢様に宛てて、このような贈り物が届いておりますよ」
「え……私に?」
「えぇ、送り主はアルベルダ公爵令息……お手紙も添えられているようです」
ザカリアスが口にした名前に、エリシアの胸がどくりと音を立てる。ロジェリオからこんな贈り物が届くなんて、前回はなかった。また会いたいと言われたのを断ったのがよくなかったのだろうか。
その場で固まってしまったエリシアの顔を、ザカリアスは怪訝そうに見つめる。
「昨晩の夜会で、お会いになったのですか? 随分と立派な花束ですが」
「そ、そうね……。ほんの少しお話をしただけだし、こんなものをいただくような関係ではないのだけど。花は、どこか日当たりのいい場所に飾ってちょうだい」
「お嬢様のお部屋に飾らなくていいのですか?」
「えぇ、構わないわ。風邪の後遺症なのか、あまり濃い香りを嗅ぐと気分が悪くなってしまうから」
言い訳のようにそう言うと、ザカリアスは少し不思議そうにしながらも分かりましたとうなずいた。
「それから、お父様にはこのことは黙っていて。本当に、何もなかったの」
「ですが」
「お願い。お父様が知ったら、公爵家と縁を結べるかもしれないってきっと乗り気になってしまうわ。先方にそんなつもりがないことは、昨晩お会いした私が一番よく分かっているの」
「分かりました。お嬢様がそこまでおっしゃるのなら」
必死なエリシアの様子に何か思うところはある様子だったが、ザカリアスは黙っておくと約束してくれた。
「約束よ。絶対に、秘密にしてね」
そう念押しをして、エリシアはくるりと踵を返し、自室へ戻った。
部屋の中で一人きりになって、エリシアは胸に抱きしめた手紙へ視線を落とす。高級感のある箔押しの封筒に記された文字を見るだけで、ぐっと胸が苦しくなるほど懐かしくなる。少し角ばったロジェリオの字だ。かつては文通を繰り返し、エリシアの宝石箱の中には彼からもらった手紙が何通も大切に収められていた。
震える手で封筒を開け、便箋を取り出す。そこには、昨晩一緒に踊ったことに対する礼と、また会いたいという言葉が丁寧な文章で綴られていた。
ぜひ、お茶会をしないかという誘いを見て、エリシアは目を閉じてため息をつく。
「……だめよ、もう会わないと決めたの」
本当は、またロジェリオに会いたい。彼と親交を深めて、また恋人になれたなら、どれほどいいだろう。
だけどその先に待っているのは、ロジェリオの死だ。今度こそ、絶対に彼を死なせてはならない。
じわりと滲んだ涙を指先で拭って、エリシアは机に向かった。飾り気のないシンプルな便箋を取り出すと、花束の礼とお茶会には行けない旨を短く書き記す。
最低限の礼儀しか備えていない文章は、見ようによっては失礼だと思われるかもしれない。それでもよかった。たとえ嫌われても、ロジェリオが生きていてくれる方がずっといい。
しっかりと封蝋をして、侍女のダナに手紙を出してもらうように頼む。きっとこれで、ロジェリオとの縁は切れたはずだ。
そう考えながらも、エリシアはロジェリオからの手紙を大切に引き出しの奥にしまい込んだ。愛する人からもらった手紙を処分するなんてこと、できるはずがない。決して想いを通じ合わせることはできないけれど、一緒に踊ることはできた。再び彼のぬくもりを感じられたことは、本当に幸せだった。これから先の人生は、この思い出を胸に抱えて、生きていくつもりだ。
「絶対に、あなたを死なせたりしないから」
決意を込めて、エリシアはつぶやいた。




