読書室を開く前に、最後の確認を
読書室の準備が、大きな節目を迎えようとしていた。
子供たちが描いてくれた絵は案内板として整えられ、本棚もほとんど設置が終わっている。
集まった本も、種類ごとに分けられ、少しずつ棚へ並べられていた。
けれど、エレナはまだ開室の日を決めていなかった。
建物が完成したからといって、すぐに子供たちを迎えられるわけではない。
安心して過ごせる場所にするためには、最後に確認しなければならないことが残っていた。
「利用できる時間と、子供たちを迎える人のこと。それから、何かあった時の対応……」
エレナは机の上に並べた書類を見つめた。
読書室を開くことばかり考えていた頃には、ここまで細かなことを想像していなかった。
けれど、実際に子供たちと会い、職人たちが修理を進める姿を見ているうちに、考え方が変わった。
この場所を作ることと、この場所を守り続けることは、別の問題なのだ。
「一つずつ確認していきましょう」
エレナは手帳を閉じ、立ち上がった。
集会所へ到着すると、ルシアンとミレイユ、カイルがすでに待っていた。
「お待たせしました」
「ちょうど今、カイルから最終確認の報告を聞いていたところだよ」
ルシアンが答える。
「建物の修理については、残っていた部分もほぼ終わりました。家具の固定も確認済みです」
カイルが書類を差し出した。
「ただし、子供たちが使う前に、もう一度、室内全体を確認した方がよいでしょう」
「分かりました。私も一緒に確認します」
エレナは書類を受け取った。
四人は入口から順番に、部屋の中を歩いていった。
扉は問題なく開閉できる。
通路には余計なものが置かれていない。
本棚は壁に固定され、机や椅子も安定している。
読み聞かせの場所には、子供たちが座れる敷物が用意されていた。
壁には、子供たちが描いた竜や小鳥、船の絵が飾られている。
「……本当に、読書室らしくなりましたね」
エレナは思わず足を止めた。
初めてここを訪れた時のことが、遠い昔のように感じられた。
埃の積もった床。
傷んだ窓枠。
使われなくなった古い家具。
それが今では、本と絵に囲まれた、明るい部屋へと変わっている。
「みんなが協力してくれたおかげだね」
ルシアンが言った。
「はい。だからこそ、最後まできちんと確認したいです」
エレナは再び歩き始めた。
最初に確認したのは、本棚だった。
竜の物語や冒険物語は、一か所にまとめられている。
動物の本は、小さな子供でも手に取りやすい下の段に並べられていた。
遠い国についての本や、地図の本も、案内の絵を目印にすれば見つけられる。
「これなら、文字を読むのが難しい子供でも、好きな本を探せそうですね」
エレナが言うと、ミレイユが嬉しそうに頷いた。
「でしょう? 竜の絵も、小鳥の絵も、ちゃんと目立っているわ」
彼女は自分が飾りつけを手伝った案内板を見上げた。
「私の小鳥も、ここに飾ってもよかったと思うのだけれど……」
「ミレイユの小鳥は、案内板ではなく、飾りとして別の場所に置くことになりましたね」
エレナが笑いながら答えた。
「そうなのよ。なぜか、竜の本の隣に置くと、子供たちが竜の仲間だと思ってしまうらしくて」
「……翼が大きくて、力強い小鳥でしたからね」
ルシアンが穏やかに付け加えた。
「ルシアンまで!」
ミレイユは頬を膨らませた。
「もう、二人とも覚えていてくれなくてもいいのに!」
エレナは笑いながら、ミレイユの絵を見つめた。
確かに、ほかの小鳥とは少し違う。
けれど、大きな翼を広げたその姿は、どこか堂々としていて、描いた本人の明るさが表れているようだった。
「私は、この絵も好きですよ」
「……本当?」
「はい。見ていると、元気が出ますから」
ミレイユは一瞬だけ黙り、それから嬉しそうに笑った。
「ふふっ。それなら、描いてよかったわ!」
次に確認したのは、子供たちが使う道具だった。
机の引き出しには、紙や色鉛筆が整理されている。
使い終わった道具を戻すための箱も用意されていた。
「道具は、ここに戻してもらうことにしましょう」
エレナが言った。
「子供たちにも分かるように、箱に絵を描いておけばいいと思います」
「色鉛筆の絵と、紙の絵を描けばいいのね」
ミレイユが頷く。
「それなら、私にもできるわ!」
「ありがとうございます」
エレナは微笑んだ。
カイルは、道具の数を確認しながら説明した。
「小さな子供が使うものですから、壊れた道具や、危険なものが混ざっていないか、定期的に確認する必要があります」
「分かりました。毎回、片づける時に確認することにします」
エレナは手帳に書き込んだ。
その時、ルシアンが窓辺を指さした。
「ここに、今日の日付や、次に開く日を書いておくのはどうかな?」
「次に開く日、ですか?」
「うん。まだ毎日開くわけではないだろう? 利用できる日と時間が分かれば、子供たちも安心して来られると思う」
エレナは頷いた。
「そうですね。最初は、週に何日か、決まった時間だけ開く形にしたいです」
「それなら、管理する人の予定も立てやすいね」
ルシアンの言葉に、エレナは新しい項目を書き加えた。
最後に、四人は入口の近くに集まった。
そこには、まだ何も掲示されていない壁が残っていた。
「ここに、利用する時の約束を書きたいと思います」
エレナは紙を広げた。
「難しい言葉ではなく、子供たちにも分かるようにしたいです」
「例えば、どんなこと?」
ミレイユが尋ねる。
「本を大切に扱うこと。使ったものは元の場所に戻すこと。困った時は、大人に知らせること。それから、ほかの子が本を読んでいる時には、できるだけ静かにすること」
「いいと思うわ。でも、最後の約束は少し難しいかもしれないわね」
ミレイユは考え込んだ。
「小さな子供は、楽しくなるとつい大きな声を出してしまうでしょう?」
「確かに……」
エレナは頷いた。
「では、静かにすることだけではなく、みんなで楽しく過ごせるようにする、と書くのはどうでしょう?」
ルシアンが提案した。
「読み聞かせの時は静かに聞く。お話について話したい時は、みんなで順番に話す。そうすれば、子供たちにも伝わりやすいと思う」
「それは素敵ですね」
エレナは笑顔になった。
子供たちに、ただ禁止事項を伝えるのではなく、なぜ必要なのかを分かってもらう。
そうすれば、きっと自分たちで考えながら過ごせるようになる。
「それから、誰かが困っていたら助け合うことも書きたいです」
「いいね」
ルシアンが頷く。
「みんなが安心して過ごせる場所にするために、必要なことだからね」
エレナは一つずつ言葉を選び、紙に書き込んでいった。
確認を終えた頃には、窓から差し込む光が少し傾いていた。
エレナは入口に立ち、室内をゆっくりと見渡した。
本棚には本が並び、壁には子供たちの絵が飾られている。
机と椅子も整い、読み聞かせの場所もできた。
あとは、管理する人の体制を整え、マルタに最終確認をお願いするだけだった。
「……もうすぐですね」
エレナが呟く。
「うん」
ルシアンが隣に立った。
「ここまで、本当によく頑張ったね」
「私だけではありません。ミレイユも、カイルも、職人街の皆さんも、たくさん協力してくださいました」
「それでも、最初にこの場所を作ろうと思ったのは、エレナだよ」
ルシアンは優しく微笑んだ。
「君が子供たちの話を聞いて、行動を始めたから、みんなが協力できたんだ」
エレナは少しだけ頬を赤くした。
「……ありがとうございます」
その時、ミレイユが二人の間に顔を出した。
「感動的なところを邪魔して申し訳ないけれど、そろそろ帰りましょう?」
「ミレイユ!」
「だって、もう夕方よ? それに、明日はマルタさんに確認をお願いするんでしょう?」
エレナは慌てて頷いた。
「そうでした。明日までに書類を整理しておかないと」
「そういうこと。さあ、帰りましょう!」
ミレイユは先に歩き出した。
カイルも後に続きながら、静かに言った。
「明日の確認に備えて、書類の不足がないか、帰ってからもう一度確認しておきます」
「ありがとうございます、カイル」
エレナは最後にもう一度、読書室を振り返った。
この場所に、子供たちの笑い声が響く日。
その日が、もうすぐやってくる。
その夜。
エレナは机に向かい、最後の確認事項を手帳にまとめた。
利用できる日と時間。
管理する人の役割。
子供たちが安心して過ごすための約束。
必要なことは、ほとんど整理できている。
けれど、エレナは最後に一つだけ、書き加えた。
『子供たちの話を、きちんと聞くこと。』
読書室を作ることに夢中になるあまり、子供たちの声を聞き忘れてはいけない。
どんな本を読みたいのか。
どんな場所なら過ごしやすいのか。
何が楽しくて、何が不安なのか。
それを知ろうとすることが、この場所を続けていくために大切なのだと思った。
エレナは日記を開いた。
『今日は、読書室を開く前の最後の確認をしました。』
『本棚も、机も、案内板も、少しずつ整ってきました。』
『まだ決めなければならないことはありますが、ようやく、子供たちを迎える準備ができそうです。』
少し考えた後、最後にこう書き加えた。
『この場所を作ることができたのは、たくさんの人が協力してくれたからです。だからこそ、ここへ来る子供たちにも、安心して楽しく過ごしてもらいたいです。』
エレナは日記を閉じた。
明日は、マルタに最終確認をお願いする。
それが終われば、開室の日を決められるかもしれない。
エレナは窓の外を見つめ、静かに微笑んだ。
「……もう少しですね」
小さな願いから始まった読書室が、ようやく本当の一歩を踏み出そうとしていた。




