子供たちと選ぶ、最初の一冊
読書室の準備が少しずつ進む中、エレナは一つのことを考えていた。
子供たちが初めて読書室を訪れた時、最初に手に取る本は、どんな本がいいだろう。
動物の絵本だろうか。
それとも、勇気を出して旅に出る主人公の冒険物語だろうか。
どちらも素敵だと思う。
けれど、せっかくなら、子供たち自身に選んでもらいたかった。
「……そうだわ」
エレナは机の上の手帳を開いた。
そして、新しい計画を書き込んだ。
次に子供たちと会う時、読書室に置いてほしい本を尋ねてみよう。
自分が選んだ本が並んでいたら、きっと嬉しいはずだ。
「何か思いついたの?」
隣で地図を確認していたルシアンが尋ねた。
「はい。読書室に置く本を、子供たちにも選んでもらいたいんです」
「なるほど。大人が良いと思う本と、子供たちが読みたい本は、必ずしも同じではないからね」
「そうなんです。私たちだけで決めてしまうより、みんなの希望を聞いてから揃えた方がいいと思って」
ルシアンは頷いた。
「エレナらしい考えだね」
「そうでしょうか?」
「うん。君は、子供たちに本を読ませたいんじゃなくて、子供たちが本を読みたいと思える場所を作ろうとしているんだろう?」
エレナは少し驚いた後、微笑んだ。
「……はい。そうです」
「なら、最初の一冊も、みんなで決めるのがいいと思うよ」
その言葉に背中を押され、エレナはさっそく準備を始めることにした。
翌日、エレナたちは職人街の広場へ向かった。
ミレイユは、持ってきた紙と色鉛筆を籠から取り出している。
「本の名前を書くだけじゃなくて、好きな本の絵を描いてもらうのはどうかしら?」
「素敵ですね。まだ文字を書くのが難しい子供でも、絵なら伝えられますから」
「でしょう?」
ミレイユは満足そうに頷いた。
「それに、みんなが描いた絵を集めておけば、どんな本が人気なのかも分かるわ」
「では、紙を二種類用意しましょう。文字を書きたい子は本の名前を書いて、難しい子は絵を描いてもらうことにします」
「決まりね!」
二人が準備をしていると、ルシアンが小さな木箱を持ってやってきた。
「これは?」
エレナが尋ねる。
「本の希望を書いた紙を入れる箱だよ。誰かの意見に遠慮しないで、自分の好きな本を選べるようにね」
木箱の正面には、まだ何も書かれていなかった。
「確かに、みんなの前では言いにくい子もいるかもしれませんね」
「そう思って用意してみたんだ」
「ありがとうございます、ルシアン」
エレナが微笑むと、ルシアンも嬉しそうに笑った。
「どういたしまして」
そのやり取りを見ていたミレイユが、にやりとする。
「二人とも、準備の息がぴったりね」
「ミレイユ、今は読書室の話をしているんです」
「ええ、分かっているわ。読書室の話をしているのに、二人の息がぴったりだと言っただけよ?」
「……もう!」
エレナが頬を赤くすると、ミレイユは楽しそうに笑った。
「ほらほら、子供たちが来たわよ!」
その声に、エレナは慌てて振り返った。
広場には、前回の読み聞かせに来てくれた子供たちが集まり始めていた。
「あ、お姉さん!」
あの時、鳥の物語を気に入ってくれた女の子が駆け寄ってくる。
「こんにちは。今日は、みんなにお願いがあるの」
「お願い?」
「ええ。今度できる読書室に、どんな本があったら嬉しいか、教えてほしいのよ」
エレナは紙と色鉛筆を見せた。
「好きな本の名前を書いてもいいし、読みたい物語を絵に描いてもいいの。まだ読んだことのない本でも大丈夫よ」
「本当に、私たちが選んでいいの?」
「もちろん」
エレナは笑顔で頷いた。
「みんなが読みたいと思う本を、できるだけ揃えたいの」
子供たちは顔を見合わせた。
最初に手を伸ばしたのは、あの男の子だった。
「僕、竜の本がいい!」
「竜のお話ね。どんな竜が出てくるの?」
「大きくて、強くて、それでいて優しい竜!」
男の子は紙いっぱいに竜を描き始めた。
隣では、女の子が小さな花と動物を描いている。
「私は、森の動物のお話がいいな。ウサギとか、リスとか……あと、小鳥も!」
「前に読んだお話の続きがあったらいい?」
「うん! 鳥さんが海を見に行くお話!」
エレナは笑顔で頷いた。
「分かったわ。探してみるわね」
別の子供は、しばらく考えてから紙に文字を書いた。
「僕は、いろんな国のことが分かる本がほしい」
「いろんな国?」
「うん。遠くの国には、どんな人が住んでいて、どんな食べ物を食べているのか知りたいんだ」
エレナは、その言葉に目を輝かせた。
「それは、とても面白そうね」
「僕、いつか遠くへ行ってみたいんだ!」
「きっと、素敵な旅になるわ」
エレナはそう答えながら、彼の希望を手帳に書き留めた。
竜の物語。
森の動物たちの物語。
遠い国について知る本。
子供たちの希望は、それぞれ違っていた。
けれど、どの希望にも、まだ知らない世界を知りたいという気持ちが込められているように思えた。
希望を書き終えた子供たちは、紙を木箱に入れていった。
最後の一人が紙を入れ終えると、ミレイユが箱を持ち上げた。
「さあ、どんな希望が集まったのかしら?」
「ミレイユ、まだ開けていませんよ」
「分かっているわ。ちょっと重さを確かめただけよ」
「重さで、どんな本が入っているか分かるんですか?」
「……分からないわね」
カイルが静かに言った。
「では、振ってみれば分かるかもしれません」
「カイルまで!」
エレナは思わず吹き出した。
ルシアンも口元を押さえて笑っている。
ミレイユは少しだけ不満そうに頬を膨らませたが、すぐに笑顔に戻った。
「とにかく、みんなの希望は集まったわ。エレナ、帰ったら一緒に確認しましょう!」
「はい。ありがとうございます」
エレナは子供たちを見渡した。
「みんな、希望を聞かせてくれてありがとう。読書室ができるまで、もう少し時間がかかるけれど、今日教えてくれたことは、ちゃんと準備に役立てるわ」
「本当?」
「ええ。だから、もう少しだけ待っていてね」
「うん!」
子供たちは元気よく頷いた。
その笑顔を見て、エレナは改めて思った。
この場所は、自分だけで作るものではない。
子供たちも、職人たちも、協力してくれる友人たちも、それぞれが少しずつ関わりながら作っていくのだ。
だからこそ、完成した時には、きっと誰にとっても大切な場所になる。
帰り道。
エレナは、木箱を大切そうに抱えていた。
「早く中を見たいですね」
「そうだね。でも、今日のうちに全部を揃えられるわけではないから、優先順位を決めておこう」
ルシアンの言葉に、エレナは頷いた。
「まずは、子供たちが特に読みたい本から探してみます。すぐに見つからないものは、少しずつ集めることにしますね」
「それがいいと思うよ」
ルシアンは彼女の歩調に合わせて歩いた。
「エレナは、最初に読書室を作ろうと思った時から、ずいぶん具体的に考えるようになったね」
「最初は、本を読める場所があればいいと思っていたんです。でも、実際に子供たちと会ってみると、考えたいことがたくさん出てきて……」
「それは、君が実際に行動しているからだと思う」
エレナは少し考え、微笑んだ。
「そうかもしれませんね。考えているだけでは分からなかったことが、たくさんありました」
「これからも、きっと新しい発見があるよ」
「はい。楽しみです」
エレナは木箱を抱え直した。
中には、子供たちの希望が詰まっている。
それは単なる本の一覧ではなかった。
まだ見ぬ竜に会いたいという願い。
森の動物たちの続きを知りたいという気持ち。
遠い国を見てみたいという夢。
小さな紙に書かれた一つ一つの希望が、読書室の未来を少しずつ形作っていた。
その日の夕方。
エレナ、ミレイユ、ルシアン、カイルの四人は、集まった紙を机の上に広げた。
「まずは、竜の物語が三つ。動物の本が五つ。それから、遠い国についての本が二つね」
ミレイユが紙を分類しながら読み上げる。
「こちらには、海の生き物の本がほしいと書いてあります」
エレナが一枚の紙を持ち上げた。
「海の生き物か。前に海辺へ行った時のことを思い出すね」
ルシアンが微笑んだ。
「はい。魚や貝の図鑑があれば、きっと喜んでくれると思います」
「王都の図書館にも、子供向けの本が何冊かあったはずだよ。貸し出しができるか、確認してみようか」
「そんなこともできるんですか?」
「相談してみる価値はあると思う。すべてを購入する必要はないからね」
エレナは感心したように頷いた。
「そうですね。寄付していただいた本もありますし、図書館から借りられる本があれば、種類を増やせます」
「ただし、借りた本は管理をきちんとしなければなりません」
カイルが付け加えた。
「貸し出しをする場合は、誰が借りたのか、いつ返すのかを記録する必要があります」
「確かに……」
エレナは新しい紙を取り出した。
「最初は、読書室の中で読むことを基本にしましょう。貸し出しは、管理する方法が整ってから考えることにします」
「それが安全だと思います」
カイルが頷いた。
こうして、子供たちの希望は、具体的な準備へと変わっていった。
すぐに手に入る本を探すこと。
寄付された本を整理すること。
足りない種類の本を、少しずつ増やしていくこと。
決めなければならないことはまだ多い。
それでも、最初の一冊を選ぶための道筋は、少しずつ見え始めていた。
夜。
エレナは日記を開いた。
『今日は、子供たちに読書室へ置いてほしい本を尋ねました。』
『みんな、思い思いの希望を教えてくれました。竜の物語、動物の本、遠い国の本。まだ読んだことのない世界を知りたいという気持ちは、みんな同じなのかもしれません。』
エレナは、机の隅に置かれた紙を見つめた。
そこには、少し不器用な文字で書かれた言葉があった。
『いつか、遠くの国へ行きたい。』
その一文を見て、エレナは微笑んだ。
『本を読むことが、いつか誰かの新しい夢につながるのなら、こんなに嬉しいことはありません。』
そして、最後にこう書き加えた。
『読書室で最初に読む本は、まだ決まっていません。でも、みんなの希望を聞くことができてよかったです。』
エレナはペンを置いた。
最初の一冊は、まだ見つかっていない。
けれど、どんな本を届けたいのかは、少しずつ分かってきた。
子供たちがページを開いた時、知らなかった世界に胸を躍らせられるように。
そして、本を閉じた後も、自分の夢を思い描けるように。
そのために、できることを一つずつ進めていこう。
エレナは、明日探す本の候補を手帳に書き留めた。
読書室の完成に向けた準備は、今日もまた、小さな一歩を進めていた。




