初めて届いた、読書室への贈り物
読書室の計画を進めるエレナのもとに、思いがけない知らせが届いたのは、翌日の昼前のことだった。
「エレナ様、お客様がお見えです」
侍女の言葉に顔を上げると、部屋の入口に一人の年配の男性が立っていた。
職人街で家具職人の見習いを紹介してくれた、あの老人だった。
「こんにちは、エレナ様。先日は、子供たちに本を読んでくださったそうですね」
「はい。あの時は、いろいろとありがとうございました」
エレナは立ち上がり、丁寧に頭を下げた。
「今日は、何かございましたか?」
「ええ。実は、読書室の話を聞いた職人たちが、何か協力できないかと相談してきましてね」
「協力、ですか?」
「はい。家具を直す者、木材を扱う者、それから布を織る者もいます。皆、子供たちのための場所なら、自分たちにもできることがあるだろうと言っているのです」
エレナは驚きに目を見開いた。
「そんな……。皆さん、お仕事がおありなのに」
「だからこそ、できる範囲で、という話です。全員が一日中手伝えるわけではありません。それでも、壊れた椅子を直したり、余った木材を提供したりすることならできる、と」
老人は穏やかに笑った。
「この街の者たちは、子供たちが元気に育つことを願っているのですよ」
エレナは胸の奥が温かくなるのを感じた。
読書室を作りたいと思った時、自分にできることは本を集め、建物を整え、子供たちを迎える準備をすることだと考えていた。
けれど、いつの間にか、その願いは自分一人のものではなくなっていた。
「……ありがとうございます。本当に、ありがとうございます」
エレナは深く頭を下げた。
「皆さんのお気持ちを、無駄にしないようにします」
「いやいや、無理はなさらないでください。協力できる者が、協力できる時にする。それで十分なのですから」
老人はそう言って、持ってきた小さな紙袋を机に置いた。
「これは、街の仕立て屋から預かってきたものです」
袋の中には、丁寧に折り畳まれた布が入っていた。
柔らかな薄い青色の布と、淡い黄色の布。
「読書室に置く座布団や、窓辺の小さな飾りに使えないかと。端切れなので、大きなものは作れませんが」
「こんなに綺麗な布を……!」
エレナは布をそっと広げた。
色合いは優しく、子供たちが過ごす場所にぴったりだった。
「大切に使わせていただきます」
「きっと、仕立て屋も喜びますよ」
老人が帰った後も、エレナはしばらく布を眺めていた。
その時、扉の外から聞き慣れた声が響いた。
「エレナ、何か嬉しいことでもあったの?」
ミレイユが部屋へ入ってきた。
「見てください、ミレイユ。職人街の方々が、読書室に協力してくださることになったんです」
「まあ! 素敵じゃない!」
ミレイユは布を覗き込み、ぱっと笑顔になった。
「この布なら、窓辺に小さな飾りを作れるわ。座布団にも使えそうね」
「はい。皆さんのお気持ちが、とても嬉しくて……」
「エレナが一生懸命に準備しているからよ。きっと、その気持ちが伝わったのね」
ミレイユは布を丁寧に畳み直した。
「私も、もっと頑張らなくちゃ!」
「ミレイユは、もう十分に助けてくれていますよ」
「だめよ。まだまだできることがあるもの!」
そう言い切ったミレイユは、突然何かを思いついたように顔を上げた。
「そうだわ。子供たちに、本の表紙を描いてもらうのはどうかしら?」
「表紙を?」
「ええ。もちろん本そのものに描くわけじゃないわよ。読書室に置く本の案内札や、棚の飾りを子供たちに作ってもらうの。自分たちで作ったものが飾られていたら、きっと嬉しいと思うわ」
エレナは目を輝かせた。
「それは、とても素敵な考えですね!」
「でしょう?」
「ただ、最初は簡単なものから始めたいです。小さな紙に好きな絵を描いてもらって、本棚の近くに飾るくらいなら、準備も難しくありません」
「決まりね!」
ミレイユは嬉しそうに手を叩いた。
「次に子供たちに会う時、みんなに聞いてみましょう!」
エレナは頷きながら、手帳に新しい項目を書き加えた。
子供たちが自分の手で作る、小さな飾り。
それもきっと、読書室を特別な場所にしてくれるだろう。
午後になると、ルシアンとカイルも合流した。
四人は職人街へ向かい、修理の進み具合を確認することにしたのだ。
集会所では、家具職人の見習いが古い棚を調べていた。
「ちょうどよかったです。こちらを見ていただけますか?」
青年が指さした先には、修理を終えた棚があった。
傷んでいた板は交換され、ぐらついていた脚も補強されている。
「すごい……。もう使えそうですね」
エレナが感心すると、青年は少し照れたように笑った。
「まだ塗装と固定が残っています。でも、骨組みは問題なさそうです」
「ありがとうございます。これなら、子供たちも自分で本を選べそうです」
「そうですね。ただ、本を並べる前に、壁への固定を済ませます。子供が棚につかまっても倒れないようにしないと」
カイルが満足そうに頷いた。
「安全面を優先してくださるのは助かります」
「もちろんです。せっかくの読書室ですから、安心して使えるものにしたいです」
ルシアンは棚の高さを確かめた。
「下の段は、小さな子供でも手が届きそうだね」
「はい。絵本や薄い本は、こちらに置く予定です」
エレナは手帳を開き、棚の配置を確認した。
「こちらには絵本、その隣には動物の本を置きたいです。冒険物語は、もう少し上の段に……」
「でも、あまり高いところに置くと、子供たちが自分で取れないんじゃない?」
ミレイユが指摘する。
「そうですね。重い本は下に置いて、上の段には軽い飾りや、季節ごとに入れ替える本を置くことにします」
「それがよさそうだね」
ルシアンが微笑んだ。
エレナは、もう一度棚を見上げた。
この棚に本が並び、子供たちが好きな物語を探している姿を想像する。
完成までには、まだいくつもの作業が残っている。
それでも、何もなかった部屋に、少しずつ読書室の形が見え始めていた。
建物の外へ出ると、ちょうど数人の子供たちが広場を走っていた。
その中の一人がエレナに気づき、駆け寄ってきた。
「お姉さん!」
「こんにちは」
「この前のお話、家でも思い出したよ!」
「本当?」
「うん! 鳥さんがどんなところへ行ったのか、いっぱい考えたんだ!」
男の子は得意げに話し始めた。
「僕はね、山の上まで飛んで、そこから海を見ると思うんだ!」
「海を?」
「そう! それで、海の向こうに別の森があるかもしれない!」
エレナは嬉しそうに笑った。
「素敵ね。あなたなら、どんな森を見つけると思う?」
「えっと……。大きな木があって、竜も住んでいる森!」
「竜までいるの?」
ミレイユが身を乗り出した。
「もちろん!」
「それは楽しそうね。私も読んでみたいわ!」
男の子は得意げに胸を張った。
「次は竜のお話を読んでくれるんでしょう?」
エレナは頷いた。
「ええ。探しておくわね」
「約束だよ!」
「約束よ」
男の子は満足そうに笑うと、友達のもとへ駆けていった。
その背中を見送りながら、エレナは胸元に手を当てた。
子供たちは、あの日の物語を覚えていてくれた。
そして、物語の続きを自分で考えてくれている。
本を読む時間は、最後のページを閉じたら終わりではないのだ。
誰かの心の中で、新しい物語が始まることもある。
「……やっぱり、読書室を作りたいです」
エレナは静かに呟いた。
隣にいたルシアンが、彼女を見つめる。
「うん。作ろう」
その返事は短かった。
けれど、迷いはなかった。
エレナは微笑み、もう一度、集会所を振り返った。
その日の夕方。
エレナは机に向かい、日記を開いた。
『今日は、職人街の皆さんから、読書室への贈り物をいただきました。』
『本を集めるだけでなく、棚を直してくださる方や、布を用意してくださる方もいます。』
ペンを止め、淡い青色の布を思い浮かべる。
『皆さんが、それぞれ自分にできることを考えてくださったのが、とても嬉しかったです。』
続けて、昼間に会った男の子のことを書いた。
『前に読んだ物語を覚えていて、自分なりの続きを考えてくれていました。』
『私が作りたいのは、本を読むためだけの場所ではありません。子供たちが物語に出会い、想像を広げ、自分の好きなものを見つけられる場所です。』
最後に、エレナはゆっくりと書き加えた。
『いつか、読書室の棚に並んだ本を、子供たちが自分で選ぶ日が来ますように。』
日記を閉じると、窓の外は夕焼けに染まっていた。
まだ開室の日は決まっていない。
修理も終わっていないし、運営について決めることも残っている。
けれど、協力してくれる人が増え、子供たちが楽しみに待っていてくれる。
その一つ一つが、エレナの背中を押してくれていた。
「次は、竜の物語を探さないといけませんね」
エレナは小さく笑った。
約束した物語を届けるために。
そして、いつか子供たちが自分の物語を見つけられるように。
読書室の準備は、明日も続いていく。




