読書室に集まる、最初の仲間たち
翌朝。
エレナは、昨夜まとめた計画書を何度も読み返していた。
机の上には、必要な修理を書いた紙、本の一覧、そして協力してくれそうな人たちの名前が並んでいる。
「……忘れていることはないでしょうか」
最後の一行を確認してから、エレナは小さく息を吐いた。
昨日、マルタから聞いた話を思い出す。
建物を使うには、正式な許可が必要だ。
修理も必要になる。
そして、完成した後に誰が管理するのかも決めなければならない。
考えれば考えるほど、やるべきことが増えていく。
「でも……」
エレナは計画書を胸元に抱えた。
「少しずつなら、きっとできます」
そこへ、扉を叩く音が響いた。
「エレナ、起きてる?」
「はい。どうぞ」
入ってきたのはルシアンだった。
「昨日の計画書、できた?」
「はい。まだ足りないところもありますけど、ひとまずまとめました」
「見せてもらってもいい?」
「もちろんです」
エレナは計画書を渡した。
ルシアンは一枚ずつ目を通していく。
「本の管理、開室時間、修理の手配……よく考えてあるね」
「ありがとうございます」
「それから、読み聞かせの時間もあるんだ」
「はい。文字を読むのが苦手な子でも、物語を楽しめるようにしたいんです」
ルシアンは最後まで読み終えると、計画書を丁寧に机へ戻した。
「僕も協力するよ」
「本当ですか?」
「もちろん。ただ、王宮の名前を使って無理に話を進めるのではなく、職人街の人たちと相談しながら進めよう」
「はい。そのつもりです」
エレナは笑顔で頷いた。
「ありがとうございます、ルシアン」
「どういたしまして」
ルシアンは少し考えてから、付け加えた。
「それと、今日は僕も職人街へ行くよ。修理の相談をするなら、実際に建物を見ながら話した方がいいからね」
「助かります!」
エレナの表情が明るくなった。
昼前。
エレナたちは再び職人街を訪れた。
古い集会所の前では、昨日紹介してもらった年配の男性が待っていた。
「来たね。話はマルタさんから聞いているよ」
「本当ですか?」
「ああ。子供たちが本を読める場所にしたいんだって?」
「はい」
エレナは計画書を差し出した。
「まだ決まっていないことも多いのですが、考えてきました」
男性は書類を受け取り、ゆっくりと目を通した。
「なるほど……読み聞かせもするのか」
「はい。子供たちに話を聞いたら、誰かに読んでもらいたいと言っていたので」
「そうか」
男性は嬉しそうに頷いた。
「それなら、手伝ってくれる職人を探してみよう。建物の修理ができる者もいるし、古い机や椅子を直せる者もいる」
「本当ですか!?」
「もちろんだ。昔、ここを使っていた職人たちも、あの建物がもう一度人の集まる場所になるなら喜ぶだろう」
エレナは深く頭を下げた。
「ありがとうございます!」
その時、近くの工房から一人の若い男性が出てきた。
「親方、何の話ですか?」
「この集会所を直して、子供たちの読書室にするそうだ」
「へえ……」
若い男性は建物を見上げた。
「面白そうですね。俺も手伝っていいですか?」
「もちろんだ」
男性はエレナたちに向き直った。
「俺は家具職人の見習いです。棚や椅子なら、少しは直せると思います」
「ぜひお願いします!」
エレナは嬉しそうに頭を下げた。
こうして、一人目の協力者が現れた。
集会所の中では、修理が必要な場所を確認することになった。
カイルが床を調べ、ルシアンは窓や扉の状態を確認する。
エレナは必要なものを計画書に書き加えていった。
「この棚は、まだ使えそうですね」
若い職人が壁際の棚を調べる。
「少し補強すれば、本を並べられると思います」
「では、できるだけ残して使いたいです」
エレナが答えた。
「新しいものを買うだけではなく、今あるものを大切にしたいので」
「分かりました。修理できるか、詳しく調べてみます」
その言葉に、エレナは微笑んだ。
古い集会所には、長い時間が刻まれている。
傷んだ机も、使い込まれた棚も、かつてここに集まった人たちの暮らしを覚えているようだった。
すべてを新しくする必要はない。
残せるものは残し、必要なところを直していく。
それも、この場所を大切にする方法なのだと思った。
午後。
修理の相談を終えたエレナたちは、広場の近くで子供たちに声をかけた。
「こんにちは!」
昨日会った女の子が、すぐに駆け寄ってきた。
「あっ、お姉さん!」
「こんにちは。今日は、みんなに聞きたいことがあるの」
「なに?」
「もし、本を読める場所ができたら、どんなことをしたい?」
女の子は少し考えた。
「お話を聞きたい!」
「どんなお話がいい?」
「冒険のお話!」
隣にいた男の子も声を上げた。
「ぼくは、竜が出てくる話!」
「私は動物の本がいい!」
「じゃあ、絵を描ける場所も欲しい!」
次々と希望が出てくる。
エレナは驚きながらも、一つずつ書き留めた。
「みんな、いろいろ考えてくれているんですね」
「だって、できたら行きたいもん!」
女の子が当然のように答えた。
その言葉に、エレナの胸が温かくなった。
「……ありがとう」
「いつできるの?」
男の子が尋ねる。
エレナは少しだけ困った顔をした。
「まだ、準備が必要なの。すぐにはできないかもしれない」
「そっか……」
男の子は少し残念そうにした。
けれど、エレナは笑顔で続けた。
「でも、みんなが楽しみにしてくれていることは、ちゃんと伝えておくね」
「うん!」
女の子が大きく頷いた。
「できたら、最初の日に行く!」
「私も!」
「ぼくも!」
子供たちの声が広場に響く。
エレナはその光景を見つめた。
もう、これは自分一人の願いではない。
子供たちも、楽しみにしてくれている。
だからこそ、焦らずに、きちんと準備を進めたいと思った。
帰り道。
ミレイユが、エレナの手元にあるメモを覗き込んだ。
「ずいぶん増えたわね」
「はい。冒険物語に、動物の本、それから絵を描ける場所も欲しいそうです」
「絵を描く場所か……いいじゃない!」
ミレイユは楽しそうに笑った。
「本を読むだけじゃなくて、自分で物語を作ってみるのも面白そうね」
「自分で物語を?」
「そう! 絵を描いて、自分だけのお話を作るの」
エレナは目を輝かせた。
「素敵です!」
「でしょう?」
「では、紙や色鉛筆も用意できるか考えてみます」
ルシアンが微笑んだ。
「また、やりたいことが増えたね」
「はい。でも……」
エレナはメモを見つめた。
「全部を一度に始める必要はありませんよね」
「その通りだよ」
ルシアンは頷いた。
「まずは、本を読める場所を作る。それができたら、子供たちの様子を見ながら少しずつ増やしていけばいい」
「分かりました」
エレナは笑った。
「最初から完璧にしようとしないことも、大切なんですね」
「うん。続けていくためにもね」
王宮に戻ると、ミレイユはさっそく貴族の知人たちへ手紙を書く準備を始めた。
読まなくなった本を譲ってもらえないか、協力をお願いするためだ。
カイルは集会所の修繕箇所を整理し、必要な費用を見積もるための書類をまとめている。
ルシアンは、建物の使用許可についてマルタと改めて話し合う予定を立てた。
そしてエレナは、子供たちから聞いた希望を計画書に書き加えていた。
冒険物語。
動物の図鑑。
読み聞かせ。
絵を描くための紙。
書き出すたびに、読書室の姿が少しずつ具体的になっていく。
「……早く、みんなを招待したいです」
エレナが呟く。
ミレイユが顔を上げた。
「そのためにも、まずは準備ね!」
「はい」
「私も本を集めるわ。どんな本が見つかるか、楽しみ!」
「ありがとうございます」
エレナは笑顔で頭を下げた。
カイルも書類をまとめながら言った。
「修理の見積もりが出れば、必要な作業の順番も決められるでしょう」
「頼りにしています、カイル」
「お任せください」
いつものように真面目な返事だった。
その隣でミレイユが小声で呟く。
「本の読み聞かせも、カイルに担当してもらおうかしら」
「……なぜ私が?」
「だって、カイルの読み聞かせって、きっとすごく真面目そうだもの」
「物語を読むのに、真面目で何が悪いのですか」
「悪くないけど、竜が出てくる場面でも同じ声で読みそう!」
「……」
カイルは返事に困ったようだった。
エレナは思わず笑った。
「でも、カイルが読んでくれたら、子供たちも喜ぶかもしれませんよ」
「エレナ嬢まで……」
「では、候補に入れておきましょう」
ルシアンが楽しそうに言った。
「殿下!」
部屋に笑い声が広がった。
夜。
エレナは日記を開いた。
『今日は、集会所の修理を手伝ってくれる人が見つかりました。』
『子供たちにも、どんな本を読みたいか聞きました。』
『みんな、思っていた以上に楽しみにしてくれているようです。』
そこで一度、ペンを止める。
今日出会った子供たちの笑顔が浮かんだ。
『まだ、読書室は完成していません。』
『でも、完成した時に来たいと言ってくれる子がいました。』
最後に、エレナはゆっくりと書き加えた。
『その約束を、ちゃんと守りたいです。』
ペンを置く。
窓の外には、静かな夜が広がっていた。
明日も、準備は続く。
建物を直し、本を集め、協力してくれる人たちと話し合う。
きっと、思い通りに進まないこともあるだろう。
それでも、エレナは不安よりも楽しみの方が大きかった。
自分が始めたいと思ったことに、少しずつ仲間が増えている。
そして、その先には、子供たちの笑顔が待っている。
「……明日も頑張ろう」
エレナは日記を閉じた。
小さな読書室は、まだ扉を開けていない。
けれど、その場所を作るための物語は――
確かに、一歩ずつ進んでいた。




