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古い集会所と、持ち主からの返事

 翌朝。


 エレナは朝食を終えると、机の上に広げたメモを確認していた。


 子供たちが本を読める場所を作る。


 そのために必要なことは、まだたくさんある。


 本を集めること。

 子供たちの希望を聞くこと。

 そして、使えそうな建物を探すこと。


 最後の項目には、昨日見つけた古い集会所について書かれていた。


「……今日、返事をいただけるでしょうか」


 エレナが呟いた時、扉がノックされた。


「エレナ、準備はできた?」


 ルシアンだった。


「はい。すぐに行けます」


「昨日の建物のことだね」


「はい。持ち主の方に会えるといいのですが……」


「昨日の男性が紹介してくれると言っていたから、まずは話を聞いてみよう」


 エレナはメモを丁寧に畳んだ。


「そうですね。できることから、一つずつ進めていきます」


 ルシアンは微笑んだ。


「その調子だよ」



 職人街に到着すると、昨日の年配の男性が工房の前で待っていた。


「おお、来たね」


「昨日はありがとうございました」


 エレナは深く頭を下げた。


「持ち主の方とは、お話しできそうでしょうか?」


「ああ。ちょうど今朝、連絡が取れたんだ。少し待っていてくれ」


 男性は工房の奥へ入っていった。


 しばらくすると、一人の女性を連れて戻ってきた。


 年齢は五十歳くらいだろうか。落ち着いた服装で、手には古い書類を持っている。


「こちらが、あの集会所を管理しているマルタさんだ」


「初めまして。エレナ・ヴァレンティアと申します」


 エレナは丁寧に挨拶した。


「ルシアン・アストレアです」


 ルシアンも続く。


 マルタは二人を交互に見て、少し驚いたように目を瞬いた。


「王宮の方々が、あの建物に何のご用でしょう?」


 エレナは緊張しながらも、まっすぐに答えた。


「子供たちが自由に本を読める場所を作りたいと思っています。あの集会所を使わせていただけないか、ご相談したくて来ました」


「本を読む場所……」


 マルタは考え込むように視線を落とした。


「なぜ、あの建物を選んだのですか?」


「広場から近く、子供たちが立ち寄りやすいと思ったからです。それに、あの場所は以前、職人の方々が集まっていたと聞きました」


 エレナは少しだけ微笑んだ。


「今度は、子供たちが集まれる場所になったら素敵だと思ったんです」


 マルタはすぐには答えなかった。


 しばらくして、静かに口を開く。


「……あの建物は、私の父が職人たちのために用意した場所なんです」


「そうだったのですね」


「父は、身分や職業に関係なく、誰もが気軽に集まれる場所を作りたいと言っていました。けれど、時代が変わり、使う人が少なくなって……」


 マルタは遠くを見るような目をした。


「いつの間にか、閉めたままになっていました」


 エレナは黙って話を聞いた。


「だから、もう一度誰かが集まる場所になるのなら、私も嬉しいと思います」


「では……!」


 エレナの表情が明るくなる。


 しかし、マルタは片手を上げて続けた。


「ただし、いくつか確認させてください」


「もちろんです」


「まず、建物は古くなっています。床や窓の修理が必要でしょう。それから、子供たちが安全に使えるように整えなければなりません」


「はい」


「本を置くだけでなく、誰が管理するのかも決める必要があります」


 エレナは一つ一つ頷いた。


「分かりました。きちんと計画を立てます」


 マルタはエレナの真剣な表情を見つめた。


「あなたは、本当にこの場所を使いたいのですね」


「はい」


 エレナは迷わず答えた。


「子供たちが本を読んで、知らない世界を知ったり、自分の好きな物語を見つけたりできるようにしたいんです」


 そして、少しだけ照れたように笑った。


「私自身、本を読んでいる時間が好きなので」


 マルタはゆっくりと頷いた。


「……分かりました。まずは、建物を一緒に確認しましょう」



 集会所の扉が開く。


 ぎい、と古い音が響いた。


 中には木製の机と椅子が残されていた。壁際には棚もあるが、ところどころ傷んでいる。


 窓から差し込む光が、床に積もった埃を照らしていた。


「思っていたより広いですね」


 エレナが周囲を見回す。


「机を並べれば、何人かで一緒に本を読めそうです」


「こちらの棚も使えるかもしれません」


 ルシアンが壁際を確認する。


「ただ、修理は必要だね」


 カイルが床を慎重に確かめた。


「一部、板が傷んでいます。子供たちが走り回ることを考えると、先に直すべきでしょう」


「そうね。窓も一つ、閉まりにくくなっているわ」


 ミレイユが窓を確認する。


「でも、ちゃんと整えたら素敵な場所になりそう!」


 エレナは部屋の中央に立った。


 ここに本棚を置く。


 窓際には、明るい場所で本を読める机を並べる。


 小さな子供たちが座れる椅子も用意したい。


 そして、部屋の一角では、みんなに物語を読み聞かせる。


 まだ何もない空間なのに、少しずつ完成した姿が浮かんできた。


「……ここで、子供たちと本を読みたいです」


 エレナが呟く。


 ルシアンはその横顔を見て、微笑んだ。


「きっと、いい場所になるよ」


「はい」



 建物の確認を終えると、マルタが一枚の書類を取り出した。


「正式な許可を出す前に、修理の見積もりと運営の計画を見せていただきたいです」


「運営の計画……」


 エレナはメモを取り出した。


「本を集める方法や、管理する人、開ける時間などを決めればよいでしょうか?」


「ええ。それに、利用する子供たちが安心して過ごせることも大切です」


「分かりました」


 エレナは真剣に書き留めた。


「準備ができたら、もう一度ご相談に伺います」


 マルタは満足そうに頷いた。


「待っています。あなたの考えが形になるのを、私も見てみたいですから」


「ありがとうございます!」


 エレナは深く頭を下げた。



 集会所を出た後、四人は近くの広場にあるベンチで休むことにした。


「……思っていたより、決めることが多いですね」


 エレナがメモを見ながら呟く。


「そうだね」


 ルシアンが隣に座った。


「でも、今日だけでも前に進んだよ」


「はい。使わせてもらえる可能性ができました」


「可能性だけじゃないわよ」


 ミレイユが身を乗り出した。


「私たちには、本も集められるし、手伝ってくれる人も探せるもの!」


「ありがとうございます」


「だから、遠慮しないで頼ってね」


 エレナは嬉しそうに頷いた。


 カイルもメモに目を通す。


「修理については、職人街の方々に相談できるかもしれません。あの建物の事情を知っている方もいるでしょう」


「そうですね!」


 エレナの表情が明るくなる。


「皆さんに話を聞いてみます」


「それがいいと思います」


 カイルは頷いた。


 ミレイユがふと思い出したように言った。


「ところで、エレナ」


「はい?」


「本を読んであげる時、どんな声で読むつもり?」


「どんな声……?」


「ほら、物語の登場人物ごとに声を変えたりするの?」


「えっ!?」


 エレナは困ったように笑った。


「そこまでは考えていませんでした」


「じゃあ、練習しないと!」


「練習ですか?」


「もちろん! 私が聞いてあげるわ」


 ミレイユは得意そうに胸を張った。


 ルシアンが笑う。


「それなら、僕も聞いてみたいな」


「ルシアンまで……」


 エレナは少し頬を赤くした。


「では、最初のお客さんになってください」


「喜んで」


「私は安全確認を担当します」


 カイルが真顔で言った。


「読み聞かせに安全確認は必要ないでしょう?」


 ミレイユがすかさず突っ込む。


「椅子の配置や、周囲の環境は大切です」


「そういう意味じゃないわよ!」


 エレナはとうとう笑い出した。


 まだ準備の途中なのに、もう楽しい。


 きっと、こんな時間も大切なのだろう。



 王宮に戻ると、エレナは机に向かい、計画を書き始めた。


 必要な修理。


 本棚や机、椅子。


 本を集める方法。


 子供たちへの読み聞かせ。


 管理を手伝ってくれる人。


 項目を書き出すたび、やるべきことが少しずつ明確になっていく。


 簡単ではない。


 すぐに完成するわけでもない。


 それでも、エレナは手を止めなかった。


 最後に、計画書の一番上へ題名を書いた。


『子供たちのための小さな読書室』


 その文字を見つめる。


「……これで、少しだけ形になりました」


 まだ仮の名前だ。


 場所も正式には決まっていない。


 けれど、自分の中にあった願いが、初めて具体的な計画になった。


 エレナは窓の外を見た。


 明日も、やるべきことがある。


 子供たちの声を聞き、職人たちに相談し、少しずつ準備を進めていこう。


 そしていつか、この建物の扉を開けた時――


 そこに子供たちの笑顔があったら。


 エレナは小さく微笑んだ。


「……頑張ります」


 その言葉は、誰かに命じられたものではない。


 誰かに期待されたからでもない。


 自分がそうしたいと願ったからこそ、自然に口から出てきた言葉だった。


 小さな読書室は、まだ始まったばかり。


 けれど、その未来へ向かう一歩を、エレナは今日も自分の意志で踏み出していた。

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