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私が見つけた、新しい目標

 約束の庭に種を植えてから、一週間が過ぎた。


 エレナは朝食を終えると、いつものように窓の外を眺めた。


 空はよく晴れている。


 庭の木々は風に揺れ、鳥たちが枝から枝へと飛び移っていた。


「……今日もいい天気ですね」


 小さく呟いてから、エレナはふと思い出した。


 約束の庭。


 あの小さな花壇に植えた種は、どうなっただろう。


「また気になってきたの?」


 母が微笑みながら尋ねた。


「……はい」


 エレナは少し恥ずかしそうに頷く。


「毎日見に行っても、すぐに芽が出るわけではないと分かっているんですけど」


「それでも、気になるのね」


「はい」


 母は楽しそうに笑った。


「エレナらしいわ」


「そうでしょうか?」


「ええ。昔から、気になったことは自分の目で確かめたがる子だったもの」


 エレナは目を瞬いた。


「小さい頃もですか?」


「もちろん。庭に小さな花が咲いているのを見つけると、何度もしゃがみ込んで眺めていたわ」


「……覚えていません」


「まだ小さかったもの」


 母はエレナの髪を優しく撫でた。


「でも、今も変わらないところがあるのね」


 エレナは窓の外を見つめた。


 以前の自分は、運命の糸を通して、まだ見ぬ未来を知ろうとしていた。


 今は違う。


 目の前にある小さな変化を、自分の目で見つけたいと思っている。


「……そうかもしれません」


 エレナは微笑んだ。



 その日の午後。


 エレナは王宮の図書室を訪れていた。


 特に読みたい本があったわけではない。


 ただ、次に何をしたいのか、少し考えてみたかったのだ。


 旅は楽しかった。


 知らない街を歩き、初めて見る景色に驚き、出会った人々と笑い合った。


 約束の庭を見つけてからは、そこへ通うことも楽しみになっている。


 けれど、これから先も同じ毎日を過ごすだけでいいのだろうか。


「……何か、始めてみたいです」


 誰もいない書架の間で、エレナは呟いた。


 その時だった。


「何を?」


 背後から声がした。


「きゃっ!」


 驚いて振り返る。


 そこにはルシアンが立っていた。


「ル、ルシアン!?」


「そんなに驚かなくても……」


「急に声をかけるからです!」


「ごめん」


 ルシアンは苦笑した。


「それで、何を始めたいの?」


「……聞いていたんですか?」


「最後の一言だけね」


 エレナは少し考えた。


 そして、正直に答える。


「まだ分かりません」


「そっか」


 ルシアンは無理に答えを求めなかった。


「なら、一緒に考えてみる?」


「一緒に?」


「うん。でも、僕が決めるんじゃなくて、エレナが自分で見つけるんだ」


 エレナは彼を見つめた。


「……ありがとうございます」


「どういたしまして」


 二人は図書室の窓際へ向かった。



 窓際の机には、王都の地図が置かれていた。


 ルシアンが広げたものではなく、図書室に備えられている古い地図だった。


「これ、見てもいいですか?」


「もちろん」


 エレナは地図を広げた。


 王都の中心部。


 商店街。


 住宅街。


 そして、北側にある約束の庭。


 見慣れた場所が、紙の上に描かれている。


「……あ」


 エレナの指が止まった。


「どうしたの?」


「この辺り、子供たちが多く住んでいる地域ですよね?」


「そうだね。職人の工房も多い場所だよ」


「以前、通りかかった時に、小さな子供たちが広場で遊んでいたんです」


「うん」


「その近くに、本が置いてある小さな店がありました」


 エレナは記憶をたどる。


「でも、そこには本があまりなかったような気がします」


「古書店かな?」


「たぶん……」


 エレナは少し考えた。


「子供たちが自由に本を読める場所があったら、素敵だと思いませんか?」


 ルシアンは目を瞬いた。


「本を読める場所?」


「はい。大きな図書館でなくてもいいんです。絵本や物語を読んだり、知らないことを調べたりできる場所があれば……」


 言葉にしながら、エレナの表情が明るくなっていく。


「本を読むのが好きな子も、そうでない子も、気軽に立ち寄れるような場所です」


「……いい考えだと思う」


「本当ですか?」


「うん」


 ルシアンは地図を見た。


「ただ、本を置くだけじゃなくて、子供たちが集まれる場所にするんだね」


「はい!」


 エレナは嬉しそうに頷いた。


 自分が何をしたいのか。


 ようやく、少しだけ分かった気がした。


 誰かに与えられた役割ではない。


 王子の隣に立つための準備でもない。


 自分がやってみたいと思ったことだった。



「でも……」


 エレナは少しだけ表情を曇らせた。


「私にできるでしょうか?」


「どうして?」


「本を集める方法も、場所を用意する方法も分かりません。それに、子供たちが本当に来てくれるのかも……」


「最初から全部できる人はいないよ」


 ルシアンは穏やかに答えた。


「まずは、そこに住んでいる人たちに話を聞いてみたらいいんじゃないかな」


「話を聞く……」


「うん。エレナが作りたい場所を、みんなが望んでいるとは限らないからね」


 エレナは頷いた。


「そうですね」


「それから、協力してくれる人を探す。僕にできることがあれば手伝うよ」


「……ルシアン」


「でも、これはエレナが見つけた目標だから」


 ルシアンは微笑んだ。


「エレナの考えを大切にしてほしい」


 エレナの胸が温かくなった。


「はい。まずは、実際にその場所へ行ってみます」


「うん」


「そして、そこで暮らしている人たちに話を聞いてみます」


「いいと思うよ」


 エレナは地図を丁寧に畳んだ。


 明日、何をするのかが決まった。


 それだけで、胸の奥に小さな灯りがともったような気がした。



 翌日。


 エレナはルシアンと一緒に、王都の職人街を訪れた。


 今回はミレイユとカイルも同行している。


「子供たちが本を読める場所を作りたい?」


 ミレイユは目を丸くした。


「はい。まだ思いついたばかりなんですけど」


「素敵じゃない!」


 ミレイユはすぐに賛成した。


「私も手伝うわ!」


「ありがとうございます」


「本を集めるなら、貴族の家にも声をかけられるかもしれないわね」


「確かに……」


 エレナは頷いた。


「読まなくなった本を譲ってもらえれば、たくさん集められるかもしれません」


「そうそう!」


 ミレイユは楽しそうに笑った。


 一方、カイルは周囲を見回していた。


「場所の安全性も確認する必要がありますね」


「カイルはそこからなのね」


 ミレイユが呆れたように言う。


「子供たちが集まる場所なら当然です」


「でも、まだ場所も決まっていないのよ?」


「だからこそ、最初に確認するんです」


「……」


 エレナは二人のやり取りを聞きながら笑った。


「お二人とも、ありがとうございます」


「私はまだ何もしていないわよ?」


「でも、手伝うと言ってくれたでしょう?」


 エレナは微笑んだ。


「それだけで、とても心強いです」


 ミレイユは一瞬だけ黙り、それから照れくさそうに笑った。


「……そう言われると、もっと頑張りたくなるじゃない」


「ぜひお願いします」


「任せて!」



 職人街の広場に到着すると、数人の子供たちが木の輪を転がして遊んでいた。


 近くには、パンを売る店や小さな工房が並んでいる。


 エレナたちは、まず広場の近くにある雑貨店を訪ねた。


 店主は四人を見て、少し驚いた様子だった。


「王宮の方々が、いったい何のご用でしょう?」


 エレナは丁寧に挨拶した。


「突然すみません。少し、お話を聞かせていただきたいんです」


「話ですか?」


「この辺りに住む子供たちが、本を読める場所を作れないかと考えています」


 店主は意外そうに目を瞬いた。


「本を読む場所……ですか」


「はい。皆さんがどう思われるか、まずは知りたくて」


 店主はしばらく考えた後、ゆっくりと口を開いた。


「それは、ありがたい話かもしれませんね」


「本当ですか?」


「ええ。ただ……」


 店主は広場の方を見た。


「子供たちの中には、文字を読むのが苦手な子もいます。家の手伝いで忙しくて、勉強する時間がない子もいるんです」


 エレナは真剣に耳を傾けた。


「そうなんですね……」


「本を置くだけでは、あまり利用されないかもしれません」


 店主の言葉に、エレナは頷いた。


 確かに、その通りだった。


 自分が作りたいものを用意するだけでは、足りないのだ。


 そこに来る人たちが何を必要としているのか。


 何を楽しみにしているのか。


 それを知らなければ、本当に役立つ場所にはならない。


「教えてくださって、ありがとうございます」


 エレナは頭を下げた。


「もう少し、皆さんのお話を聞いてみます」


 店主は穏やかに笑った。


「それなら、子供たちにも聞いてみてください。あの子たちの方が、欲しいものをよく知っているでしょうから」


「……はい!」



 店を出ると、エレナは広場にいる子供たちを見つめた。


 少し緊張する。


 けれど、ここで帰るわけにはいかない。


 エレナはゆっくりと近づいた。


「こんにちは」


 子供たちが顔を上げる。


「お姉さん、誰?」


 一人の女の子が尋ねた。


「私はエレナといいます。少し聞きたいことがあるんです」


「なに?」


「みんなは、本を読むのが好き?」


 子供たちは顔を見合わせた。


「ぼく、絵がいっぱいある本なら好き!」


「私はお話を読むのが好き!」


「でも、難しい文字は読めないよ」


 次々と声が上がる。


 エレナは一つ一つ、丁寧に聞いた。


「絵がたくさんある本がいいんですね」


「うん!」


「それから、難しい文字が少ないお話も」


「そう!」


「みんなで読める本があったら、どう?」


 女の子が目を輝かせた。


「お姉さんが読んでくれるの?」


「えっ?」


 エレナは少し驚いた。


「私が?」


「うん! 私、長いお話を読むのは苦手なの。でも、誰かが読んでくれたら聞きたい!」


 その言葉を聞いて、エレナは微笑んだ。


「……そうですね」


 胸の中で、考えが少しずつ形になっていく。


 本を並べるだけではなく、誰かが物語を読んであげる時間を作ればいい。


 文字を読むのが苦手な子も、物語を楽しめるように。


「ありがとう。とても参考になりました」


 エレナは子供たちに頭を下げた。


「また来てもいい?」


「うん!」


「今度はお話を読んでくれる?」


 エレナは笑った。


「ええ。準備ができたら、必ず」



 帰り道。


 エレナは何度も、子供たちの言葉を思い返していた。


「……最初は、本を置く場所を作ろうと思っていました」


 隣を歩くルシアンに話しかける。


「でも、実際に話を聞いてみると、それだけでは足りないと分かりました」


「うん」


「本を読むのが苦手な子にも、物語を楽しんでもらえる場所にしたいです」


 エレナは前を向いた。


「少しずつでいいから、形にしていきたいと思います」


「きっと、できるよ」


 ルシアンは微笑んだ。


「今日、エレナは最初の一歩を踏み出したんだから」


「……はい」


 エレナも笑った。


 運命の糸は、もう見えない。


 誰かが自分をどこへ導いてくれるのかも分からない。


 けれど、自分が何をしたいのかは、少しずつ分かり始めていた。


 誰かのために何かをしたい。


 自分の好きな物語を、ほかの人にも楽しんでほしい。


 それは、王子の隣にいるから生まれた願いではない。


 エレナ自身が見つけた、小さな目標だった。



 その夜。


 エレナは日記を開いた。


『今日、王都の職人街へ行きました。』


『子供たちが本を読める場所を作りたいと思い、話を聞いてきました。』


 少し考えてから、続ける。


『本を置くだけではなく、物語を読んであげる時間も作りたいです。』


 最後に、ゆっくりと書き加えた。


『私が好きな物語を、誰かにも好きになってもらえたら嬉しい。』


 ペンを置く。


 窓の外には、穏やかな夜空が広がっていた。


 明日、すぐに何かが完成するわけではない。


 協力してくれる人を探し、場所を考え、本を集める必要がある。


 簡単ではないだろう。


 それでも――


 エレナは楽しみだった。


 まだ何も始まっていないように見えても、今日、自分は確かに一歩を踏み出したのだから。


「……明日も頑張ろう」


 小さく呟き、日記を閉じる。


 約束の庭に植えた種が、いつ芽を出すのかは分からない。


 そして、自分が始めようとしている小さな計画が、どんな形になるのかも分からない。


 けれど、どちらも大切に育てていきたいと思った。


 自分の手で。


 自分の歩幅で。


 これから先の時間を、ゆっくりと積み重ねていくために。

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