秘密の庭園で過ごす、穏やかな午後
王都の北側にある、古い庭園。
昨日見つけたばかりのその場所は、今日も静かだった。
「本当に誰も来ませんね」
エレナは庭園の入り口を見ながら言った。
「だからこそ、秘密の場所なんでしょうね」
ルシアンが答える。
二人の手には、昼食の入った籠があった。
今日はミレイユとカイルも一緒だ。
「見て!」
ミレイユが籠を開ける。
「今日は私がお弁当を作ってきたの!」
「……」
カイルが少し離れたところで黙っている。
「どうしたんですか?」
エレナが尋ねる。
「いえ」
カイルは真剣な顔で答えた。
「昨日から少し気になっていました」
「何が?」
「ミレイユ嬢が料理をすると聞いた時点で、私は覚悟を決めていました」
「どういう意味よ!」
「念のため、厨房の料理人に確認してもらいました」
「もう!」
ミレイユが頬を膨らませる。
「ちゃんと作ったんだから!」
「それなら安心です」
エレナが笑う。
「ほら、エレナがそう言ってくれた!」
「ですが、念のため私が最初に食べます」
カイルが弁当を一つ取る。
「どうぞ」
「……」
一口食べる。
しばらく黙る。
「どう?」
ミレイユが不安そうに聞いた。
「美味しいです」
「本当!?」
「はい」
ミレイユの顔が一気に明るくなる。
「やった!」
エレナも笑った。
「よかったですね」
「うん!」
ミレイユは嬉しそうに弁当を並べていく。
昼食を終えると、四人は庭園の中を歩いた。
昨日は気づかなかった小さな道が、木々の間に続いている。
「こんなところにも道がある」
エレナが先頭を歩く。
「行ってみましょう」
「待って」
ルシアンが呼び止める。
「足元に気をつけて」
「大丈夫ですよ」
「昨日の旅から帰ってきたばかりなんだから、無理はしないで」
「……」
エレナは少しだけ頬を膨らませた。
「ルシアンは少し心配しすぎです」
「そうかな?」
「はい」
「でも心配するくらいは許してほしいな」
「……それなら、少しだけ」
エレナは笑った。
ミレイユが後ろから二人を見る。
「相変わらず仲がいいわね」
「ミレイユ」
「はいはい。何も言いません」
そう言いながら、ミレイユは楽しそうに笑っていた。
小道の先には、小さな東屋があった。
屋根は古く、柱には蔦が絡まっている。
けれど、中には古い木製の机と椅子が残されていた。
「ここも庭園の一部だったんでしょうね」
エレナが椅子を撫でる。
「昔は、ここで誰かがお茶を飲んでいたのかもしれません」
「王都が今ほど大きくなる前なら、そういう場所だったのかも」
ルシアンが周囲を見る。
「もしかしたら、昔の王族もここに来ていたのかな」
「だったら面白いですね」
エレナは机の上を見た。
そこには、古い傷がいくつも残っていた。
「……」
その一つに、小さな文字が刻まれている。
『ここで見た景色を忘れないで』
「何でしょう?」
エレナが読む。
「誰かが残した言葉みたいですね」
「古いものだね」
ルシアンも覗き込む。
ミレイユが腕を組む。
「昔の誰かが、ここを秘密の場所にしていたのかも」
「私たちと同じですね」
エレナが笑う。
「そうかもしれない」
ルシアンが頷いた。
エレナはしばらく、その文字を見つめていた。
以前の自分なら、ここに残された言葉にも意味を探していたかもしれない。
誰が書いたのか。
何を思っていたのか。
その人の未来はどうなったのか。
けれど今は――
分からなくてもいいと思えた。
ただ、その人がここで見た景色を大切にしていた。
それだけ分かれば十分だった。
「私たちも何か残しませんか?」
エレナが言った。
「何を?」
「今日ここに来たことを」
ミレイユが目を輝かせる。
「いいわね!」
「でも、机に文字を刻むのはやめましょう」
カイルが即座に言った。
「当然です」
ルシアンも頷く。
「では、紙に書きましょう」
エレナは日記から一枚の紙を取り出した。
ペンを持つ。
そして、ゆっくり書いた。
『今日、私たちはこの庭園を見つけました。』
少し考える。
『ここが、誰かにとって大切な場所だったように、私たちにとっても大切な場所になりますように。』
ミレイユが覗き込む。
「素敵」
「ありがとうございます」
エレナは紙を折る。
東屋の隅にある小さな木箱を見つけ、その中にそっと入れた。
「これなら、いつか誰かが見つけるかもしれませんね」
「うん」
ルシアンが笑う。
「その時、その人にもこの場所が大切になったらいいね」
「はい」
午後。
四人は東屋でお茶を飲んでいた。
風が吹くたび、木の葉が揺れる。
エレナは静かな時間を楽しんでいた。
「こういう日もいいですね」
「どんな日?」
ルシアンが尋ねる。
「何も起こらない日です」
「……」
「以前は、何か特別なことが起きないと、大切な一日にはならないと思っていました」
エレナは庭を見る。
「でも、こうして皆さんとお昼を食べて、知らない場所を見つけて……」
微笑む。
「それだけでも、十分楽しいです」
「僕もそう思う」
ルシアンは穏やかに答えた。
「特別な日だけが、幸せな日じゃないからね」
「はい」
ミレイユが紅茶を飲みながら頷く。
「私も賛成」
カイルも静かに頷いた。
「……こういう時間も悪くありません」
「カイルが素直!」
ミレイユが驚く。
「何ですか、その反応は」
「だっていつも『安全確認が必要です』とか言うじゃない」
「それは必要です」
「ほら!」
エレナが笑う。
「でも、今日は安全ですから」
「……それなら問題ありません」
四人の笑い声が庭園に響いた。
帰る時間になった。
エレナは東屋を振り返る。
古い庭園。
木漏れ日。
小さな机。
そして、木箱の中に残した一枚の紙。
「また来ましょう」
エレナが言う。
「もちろん」
ルシアンが答える。
「次は何を持ってくる?」
「お弁当!」
ミレイユが即答する。
「今度は私も手伝います」
エレナが笑う。
「それなら、次はもっと美味しいものを作れるわね」
「……」
カイルが何か言いたそうにしている。
「カイル?」
「いえ」
「何か心配?」
「次回は私も厨房の料理人に確認しておきます」
「もう!」
ミレイユの声が庭園に響いた。
門を出る前に、エレナはもう一度振り返った。
昨日見つけた場所。
今日、少しだけ知った場所。
そして、これから何度も訪れるかもしれない場所。
大きな秘密も、特別な力もない。
ただ、静かに時間が流れている。
だからこそ――
この場所が好きだった。
「行きましょう」
ルシアンが声をかける。
「はい」
エレナは頷いた。
二人は並んで歩き出す。
その後ろを、ミレイユとカイルが続く。
帰り道の空は、夕暮れ色に染まっていた。
海の向こうの国から帰ってきて、まだ二日。
それでもエレナは思っていた。
旅は、遠くへ行くことだけではない。
知らない場所を見つけること。
知らなかった誰かの思いを知ること。
そして――
何気ない一日を、大切な思い出に変えていくこと。
それもまた、これから自分たちが選んでいく旅なのだろう。
エレナは隣を歩くルシアンを見た。
「明日は、どこへ行きましょうか?」
「また探す?」
「はい」
ルシアンは笑った。
「じゃあ、明日も一緒に探そう」
「約束です」
二人は笑いながら、夕暮れの王都を歩いていった。




