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黒い糸の先にいる者

王都に響いた鐘の音が、いつまでも耳から離れなかった。


三度。


それは王宮で非常事態が起きたことを知らせる鐘だと、ミレイユが教えてくれた。


「こんな鐘、初めて聞いたわ……」


ミレイユが不安そうに王宮を見つめる。


私も同じだった。


けれど、それ以上に気になっているものがある。


私の胸元から伸びる黄金色の糸。


その糸に絡みついた、一本の黒い糸。


「エレナ」


ルシアンが私の顔を覗き込む。


「まだ見えている?」


「うん」


「黒い糸は?」


「あなたと私を繋いでいる黄金色の糸に絡みついてる」


私は目を細めた。


「でも……少し変なの」


「何が?」


「黒い糸の先が見えない」


糸は王都の奥へ伸びている。


けれど、途中で霧のように消えていた。


「僕には見えない」


「私にしか見えないみたい」


カイルが険しい表情を浮かべる。


「それなら、やはりエレナ嬢の力が関係している可能性が高いですね」


「私の力が?」


「先ほどの男も、あなたが糸を見ていることに気づいていました」


「どうして敵が私の力を知っているの?」


その問いに、誰も答えられなかった。


やがてルシアンが口を開く。


「一度、場所を変えよう」


私たちは王都の中心から離れ、カイルが用意した小さな屋敷へ向かった。


そこは王宮から少し離れた場所にある古い邸宅だった。


「ここは?」


「昔、僕が身を隠すために使っていた場所だ」


ルシアンが答える。


「十年前から?」


「そう」


私は周囲を見渡した。


古い家具。


暖炉。


本棚。


そして壁に掛けられた一枚の肖像画。


私は思わず足を止めた。


そこに描かれていたのは、幼いルシアンだった。


「……これ」


「僕が七歳の頃の肖像画だ」


私は絵に近づいた。


その瞬間、胸元の黄金色の糸が輝く。


そして――


また記憶が浮かんだ。


「……!」


今度は、いつもよりはっきりしていた。


目の前にいるのは幼いルシアン。


その隣にいる少女。


銀色の髪。


紫色の瞳。


「……私?」


少女は私と同じ顔をしていた。


けれど、今の私とは少し違う服を着ている。


貴族の服ではない。


白い布のような服。


少女がルシアンへ笑いかける。


『また会えたね』


『うん』


幼いルシアンも笑う。


『今度は、ちゃんと守るよ』


少女が首を傾げる。


『前にも守ってくれたの?』


『覚えてないの?』


『うん』


『そっか』


幼いルシアンは少し寂しそうに笑った。


『じゃあ、僕が覚えておく』


映像が途切れた。


私はその場に座り込んだ。


「エレナ!」


ルシアンが駆け寄ってくる。


「大丈夫?」


「……今までで一番はっきり見えた」


「何を?」


私は彼を見る。


「私とあなた」


「僕たちが?」


「子供だった」


ルシアンが息を呑む。


「どこで?」


「分からない。でも……あなたは私を知っていた」


「それは、どの人生?」


「分からない」


私は頭を抱える。


「でも、あなたが『今度はちゃんと守る』って言ってた」


ルシアンは目を閉じた。


「……覚えてる」


「え?」


「その言葉」


彼は静かに答えた。


「僕も、その約束を覚えている」


私は驚いた。


「じゃあ、あの記憶は本当にあったことなの?」


「うん」


ルシアンは肖像画を見る。


「でも、おかしい」


「何が?」


「僕が覚えているその人生では、君はこの姿じゃなかった」


「……どういうこと?」


ルシアンは私を見る。


「君の姿は、今の君と違った」


「じゃあ、どうして私なの?」


「それが分からない」


その瞬間だった。


窓の外から、何かが落ちる音がした。


カイルが剣を抜く。


「誰かいます!」


全員が警戒する。


カイルが窓へ近づく。


しかし、外には誰もいなかった。


代わりに、地面に一枚の紙が落ちていた。


カイルが拾い上げる。


「殿下」


「何が書いてある?」


カイルが紙を開く。


その顔が険しくなる。


「……『運命の糸は、また同じ場所へ戻る』」


私の胸がざわついた。


紙の裏には、さらに一文があった。


『王子を救った女を探せ』


「王子を救った女……?」


ルシアンが呟く。


カイルが紙を握りしめる。


「十年前、殿下を助けた人物のことかもしれません」


「でも、その人は誰なの?」


「分かりません」


ルシアンが静かに言った。


「僕自身も、顔を覚えていない」


「どうして?」


「魔法で記憶の一部を封じられたからだ」


「……!」


「僕が誰に助けられたのか。その人物が今どこにいるのか。僕にも分からない」


私は紙を見つめた。


『王子を救った女を探せ』


そこに、何か引っかかる。


黒い糸。


王子を救った女。


そして、私たちの過去。


「ルシアン」


「何?」


「もしかして……」


私は胸元の糸を見る。


黄金色の糸。


その周りに絡みつく黒い糸。


「その女性も、あなたの運命に関係しているんじゃない?」


ルシアンは答えなかった。


代わりに、私の方へ手を伸ばす。


「エレナ」


「うん?」


「一つだけ約束してほしい」


「何?」


「何があっても、一人で黒い糸を追わないで」


私は少し驚いた。


「どうして?」


「嫌な予感がする」


ルシアンの瞳は真剣だった。


「僕は過去の人生で、何度も君を失った」


「……」


「もう二度と同じことを繰り返したくない」


その言葉を聞いて、私は胸が締めつけられた。


「分かった」


私は頷いた。


「でも、あなたも一人で何かをしないで」


「え?」


「私だって、あなたを失いたくないから」


ルシアンが目を見開いた。


私は自分でも驚いていた。


どうして、そんな言葉が自然に出てきたのだろう。


ルシアンはしばらく私を見つめた。


そして、柔らかく笑った。


「分かった」


その瞬間。


黄金色の糸が二人の間で輝いた。


しかし同時に。


黒い糸が、ほんの少しだけ動いた。


私はそれを見逃さなかった。


黒い糸の先が向かっているのは――


王宮ではない。


私の家。


「……え?」


血の気が引いた。


「どうした?」


私は震える指で、自分の屋敷がある方向を指した。


「黒い糸が……私の家に向かってる」


ルシアンの表情が変わった。


カイルもすぐに立ち上がる。


「まさか……」


「ミレイユ」


私は彼女を見る。


「どうしたの?」


「あなたは、今朝まで私の屋敷にいたわよね?」


「ええ」


「私の家には……家族がいる」


嫌な予感がした。


黒い糸は、ゆっくりと脈打っている。


まるで誰かが、私たちを待っているように。


ルシアンは剣を取った。


「戻ろう」


「うん」


私たちは急いで屋敷を出た。


まだ誰も知らない。


私の家で、十年前の事件に繋がる何かが待っていることを。


そして、私自身の過去を知る人物が、すでに私のすぐ近くまで来ていることを。

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